清水と魔王

「イワノフとガブリロフはやつの秘密基地に向かった。バアルゼブルのやつも元々あそこを潜伏拠点にしていたのかもしれない。あとは、お前から渡された端末も解析したが、あれはウィザードの能力をそのまま機械を通して出力しちまうとんでもないものだ。よくあんなものを設計する気になったもんだ」


梶木の話を聞きながら黒塗りの自動車で清水は基地の傍まで運ばれた。そこは過去に陸軍の通信基地がおかれた場所であり現在はとっくに使われておらず大戦中の遺物として今も姿を残している。雨はやみ暗闇に辺りは覆われ寒さすら感じながら清水と梶木は車から降りる。


「この基地の場所をストレートに、正直に伝えてくれたお前の中隊の兵士は有能な奴だ。是非こっちでベツウィンガーにスカウトしたい」


「やめとけ。誰がやってもこんな仕事はいいものじゃない」


清水と梶木は入り口のない基地をしばらく観察しながらフェンスに覆われた施設を外から監視するも一見人の気配などせず明りもないため本当にここが当たりなのかと疑わしげな眼をした。少女の死を経験し、原因不明の覚醒をした北条の呼び起こした刀のことを思い浮かべながら清水は目の前のことが頭に入ってこなくなった。


「バアルゼブルは聞くところ、お前が倒してきた連中なんてのを遥かに凌駕する怪物ウィザードみたいだな。想像もしたくない」


「…そうだな。今日は、ここが俺たちの墓場で、命日になるのかもしれない」


不吉なことを言うな、と梶木は視線で釘を刺した。


「生きて帰るんだろ。あの子供の命を奪われ、リヴァイアサンはエビルガーデンと関係があった。奴自体許されないことをしたかもしれないがどうだ。果たしてあんな状態の女を救うことが俺たちにできたか」


「ああ。紛れもない、正論だ。何もかも、救おうと俺は偉そうに躍起になっていた」


「だが、だからといって恥じるもんでもない。お前は、沢山の過去を持ってるかもしれないが、少なくとも向き合っては来たんだ」


梶木の慰めるような言葉に清水は耳を疑う。こいつにも人間らしいところがあるんだな、と。


「北条 紅旗は少なくともお前に救われてる。エヴァ・ブレイフマンも、お前に勇気をもらってきたんだろう」


「エヴァは、伝説の日本兵を信仰しているだけだ、俺とは関係がない」


清水も恥ずかしくなったのか話題を切り替えてくれと拗ねる。自分で受け入れようとしたとはうえ改めてその話をされれば顔をそむけたくもなるのだろう。


「いや、結局それってお前のことだろ」


呆れたように梶木は言いながらも時間がないとフェンスを潜ってよじ登っていく。


「上には有刺鉄線が貼ってあるから気を付けろ」


「ぎゃああああああああああああ」


掌に棘が突き刺さっているのか悲鳴を上げながら向こう側に落ちていく梶木を不憫そうに見て清水もよじ登って超える。


「先にそういうことは言え」


「わざとやってたんじゃないのか」


二人はとっくに廃業した通信基地の巨大なレーダー塔を偵察しながら清水の微妙な反応の変化に梶木が疑問を投げる。


「まさか、って顔だな」


「ああ、こいつ活きてるぞ」


レーダー基地として戦中活躍していたそれは今も何らかの理由で運用され、それは恐らく奥田大尉の構築したシステムの生命線なのではないかと清水は疑った。大量の鉄骨で組まれた錆びながらも未だ機能しているだろうそれを見て清水は語る。


「こいつだけで県内は事足りる。あの人はこれを利用してサタナキアの力を使った。俺に案がある、手伝え」


二人は協力して塔に爆薬を仕掛ける作業を行う。ありったけのC4を練りこみ白い粘土型の爆弾を要所要所に接地しながら二人は黙々と作業をした。時間がなくあまりおしゃべりに興じている暇などないが梶木は今までに抱いたありとあらゆる謎を解き明かそうと迫る。


「俺はお前のことは一通り知った。今頃無粋なことを聞く気もない。お前は、エヴァ・ブレイフマンとバアルゼブルが何をやる気なのか見当がつくか」


「…組織の離反だ。すべてが済めばまた会おう、とあいつは言っていたんだ」


「なるほど。それで、お前、なんだ、あいつのどこに惚れたんだ。顔か」


「そのC4でも食わせてやろうか」


遊び半分で行って中毒症状を起こして緊急搬送された隊員たちのある事件を思い出しながら清水は梶木を睨みつける。ここにきてくだらないことを聞くな、と一蹴され梶木は黙って爆薬に電気雷管を接続し丈夫な点火母船を伸ばしていく。


一通りの作業を終え二人は一際巨大な中央に聳え立つ施設に目を付ける。


「さっきからなんとなく思ってはいたんだが、あんな機能性のいい建物が元々あったと思うか」


「ああ、それは俺も気になってるよ」


梶木の嫌な予感がすると言わんばかりの言葉に清水はうなだれる。存命中のサタナキアはここでも能力を利用して誰の目に留まるよりも前にこの施設を構築した。だが、人手はどうだろう。大量の息がかかった密入国者を入場させて工事に励んだというのか、それとも日本人を利用したのか。


答えはそんなわけはあるはずはなく、謎は謎のままだ。


「乗り込んで考えるしかない。なんならそのバアルゼブルに聞いてみるか」


「違いない」


二人は暗いメイン道路を進みながら施設の中央玄関のような場所を目指す。道のりの中ほどで清水はジャケットを脱いで梶木へ手渡した。


「何の真似だ。生きて帰れるかもわからんからな。これは小隊の人たちで作った、記念品みたいなものなんだ。お前に預ける」


「馬鹿言うな伝説の日本兵、随分弱気じゃねえか」


「何となく、戦場の勘だな。ここまで生き残っちまってはいるが」


梶木はそれでも清水から手渡された、思い出の品を受け取り太い右腕に彫られたシャツからもはみ出て手首の近くまで伸びたタトゥーに目を付ける。


「それ、レンジャー小隊でやってるのか」


「そうだ、軍人の絆だ」


任せたぞ、と清水は語り掛けた。そこから二人は施設の入り口で施錠関係の南京錠等が破壊されフリーになっていることを確認して内部に侵入する。施設内部は暗く、だが、一筋の明りが奥から差してきて暗闇に順応してきた二人の目を細めさせる。辺りに特に罠のようなものも見受けられず二人は息を殺しながら明りの方へ行き、そこが今いる空間の出口に当たり両開きの扉が微妙に開いているせいで入ってきた光なのだと気づく。


奥には西洋風の、まるで城の内部の構造になっており、そこは、玉座の間と表現するのにふさわしい、黄金で装飾された空間だった。協会のような造りで、床には植物のモザイク、天井には太陽と星が描かれ全宇宙を表現している


中央には純金メッキ製のシャンデリアが吊り下げられ、最奥には、玉座はない。


「ノイシュヴァンシュタイン城かってんだ」


梶木と清水は覗きながらお互いに同じ感想を抱いた。そこに佇むのは銀髪の美少女、エヴァ・ブレイフマンだ。荘厳なその様は、その風景と偉く似合っており、その向こうには、一人の白髪の長身の男が立っている。


バアルゼブル、その男に間違いはなかった。目元までかかった前髪はその表情が見えづらいが心なしか怒りに燃えているようであり二人の会話に耳を澄まそうと清水は集中力を高めた。イワノフ以下の連中はもう潜入しきっているのかどのポイントに張り込んでいるかは分からず梶木を介して現在位置を探る。


「やつらはもう囲い込んでる、いつでも撃てるがまだ様子見だ」


「そうかい、あの男、あの香り、分かるか」


「説明してくれ」


「…今まで会ったこともないやつだ。あれは」


その男の風貌は見るところから見れば美少年と形容してもいい西洋人であり、歳を外見からは判断できない部分がある。だがそのウィザード特有の匂いというものは清水は敏感に感じることができこれまでのあらゆるウィザードとの戦闘を振り返ってみたとしても比較しようのない、最強最悪の、化け物だと本能が訴える。


「まさか、お前でも危ないと思うやつか。そんなやつが、エビルガーデンにはいるってのか…!」


梶木は恐怖のあまり呼吸が乱れる。ここで盗み聞きしていることがバレれば一瞬にして肉片にされるのではないかとあらぬ想像が脳を掻き立てそれは嘔吐を催すほどの強烈な不快感へ繋がる。


「落ち着け。お前は迂回しろ」


「どうやって」


「あいつはロシア軍と俺で何とか止める」


そこから二人は息を呑んで黄金の輝きを放つ王の空間での出来事を見守った。まるでウィザードの王だと言わんばかりにその玉座の間で立ち振る舞うバアルはエヴァが想定もしなかったことばかり言うからか憤怒の念に燃え瞳孔が裂けんばかりに見開き血がにじむほど瞼が開く。


「エビルと手を切るだと…?日本に来た途端、お前はどうしちまったんだ?」


彼女を何とかしてやりたいとばかりに己が欲求を曝け出し暴君は感情をあらわにする。


「私はもう、あんたたちとは歩けない。私は一人で歩いていける」


「お前はロシアに生まれた怪物だ。その力を受け入れる存在がどこにある?人間如きと手を取り合ってやっていく気じゃねえだろうな?」


深く人を恨み、憎む王の顔は醜く歪み、しかしそれは奥田大尉と違い、王故に身につけた傲慢さと表現するべきか。


「まだやれる…そうだ、私は」


「何?」


「誰かに何か言われないと、何物にもならない人生など、ありはしない…!」


「聞こえないな、あまりに濃い邪気に、心を犯されたか」


言ってエヴァは双眸を開き赤い輝きを宿した瞳はバアルを映し出す。空気を凍結し、激流のような流れを作り構築されたそれは伸びていき男のいる空間を襲おうと豪華な内装を破壊し尽くす。逃げる隙など与えないと言わんばかりに囲い込むように氷河の波は鋭く先端を尖らせ大量の氷柱は刺突を繰り出してぶち当たる。


「こんな投げ合いでお前如きが俺に勝つ見込みなんてな、ゼロだ」


「!」


無傷のバアルは何をする訳でもなく腕組みをして悠然と構えているだけで攻撃をすべて流す。彼を囲むように地面は崩れ再形成されて壁を作ることで身を守る。同時に真っすぐに地割れが起こり氷河の波は真っ二つに割れエヴァへ迫った。


安全な地面へ飛ぶと同時にバアルから何の物理的接触があったわけでもなく地面を砕き採掘された床の一部が何個か、光速のスピードをもって飛ばされ、エヴァの身体に直撃した。


清水は思わず飛び出そうとして梶木に腕を引っ張られそれを振りほどこうとした。こんな状況で飛び込んで何をする気だと。風魔 凪との戦闘とは別次元であり彼女を救えるわけがないと至極まっとうな意見を梶木は言うも目の前の現象に血が上った清水はそれでも走った。


梶木はどうしていいかもわからず、少女の安否と清水の勝利を願う。だが、あんな化け物を相手にどう勝てばいいと常識という壁が立ちはだかる。清水が飛び込んでいったと同時だ。煙が巻き上がり轟音を放つ現場で、端々に身を潜めていた大柄な西洋人たちが戦闘服を纏いフル装備を装着した状態で立ち上がる一斉にアサルトライフルをバアルへ向け銃弾を発射した。


フルオートで、目標は一人、制御された多量の弾丸は大量の薬きょうを薬室から転がしながら飛び出していく。四方八方から飛んで行った弾丸はバアルの次なる追撃を放つ前に行われたところで再び周囲にある建材が壁の力を果たすために剥がされ防御に専念する。


「いいぞ!あの男は傷がつくのを極端に嫌う、弾幕を止ませるな!」


叫びながらマグナムを何発かお見舞いし、イワノフ大佐はガブリロフを連れてエヴァがいるだろうところへ向かった。彼女の安否を誰よりも気にしているのか心配げな表情をして駆け寄る。


「無事か!」


「うう、最近は本当についてない」


頭から血を流しむくりと倒れたエヴァは自力で起き上がる。寸前で氷で防御したのか傷は思ったよりは浅く意識ははっきりとしている。そこへ清水も到着しロシア軍人二人と目を合わせた。


「その顔は、あまりいいことづくめというわけでもなさそうだな。清水」


「ああ、今は聞くな。あんたも同じ軍人なら大体わかるだろ」


「それでだ、さっさと脱出するぞ、我らが足止めをする、エヴァを連れていけ」


「なんだと?」


清水は理解不能な思考に陥った。


「この娘を連れて最も逃げる可能性が高いお前だからこそだ。ロシア大使館に引き渡してほしい。我の後任は他にいくらでもある。大使館も今は我と同じ使命を宿す奴は沢山いてな、この娘は日本で生かす。そのためにも、あそこまで無事に届けてほしいのだ」


急にどうしたんだ、と清水は狼狽し、エヴァと目が合う。自由を求め、戦おうと決意した少女を、彼女を守るために命を懸ける軍人たちを盾に逃げる。その選択肢を選ばなければならない。戸惑いを感じる清水にイワノフは怒鳴った。


「行け!間に合わなければ、どんな人間すら救うこともできないぞ!伝説の日本兵!」


その怒りと寂しさの混じった怒号に押され清水はエヴァの手を引く。


「行くぞ、走れるか」


「うん」


エヴァはありがとう、と言い残し二人は入ってきた扉へ向け全力で走った。生き残るために戦うしかない、そのために、彼女を必ず戦いの連鎖から救う。清水はそう心で誓う。


だが、触手のようなものバアルの背後から何本も伸び、大きく膨らむように伸びたそれは鞭のように振り回され、イワノフが連れてきただろうスペツナズ特殊部隊の隊員たちをまとめてなぎ倒していく。その威力ははたかれると同時に鋭い音を立てて兵隊たちの身体は潰されるように消え、または大きく吹っ飛ばされ豪華な模様を示す壁面に叩きつけられ突き破り、次々に命を落としていく。


駆けだそうとした二人を背に一斉に男たちが始末され、清水とエヴァの行く手を遮るように大量の引き抜かれたような支柱が何本も積み上げられ逃げる場所は消え、どうしていいものかと二人は立ち尽くした。


もう一本伸ばされたそれはしゃがんでいたイワノフを狙ってきた。石質であり流動体のような物体は鋭角に尖り彼の心臓を欲しようとしたところで目の前に立ったガブリロフが詠唱を行いシールドを設営することで防御した、かのように見えた。


あまりの威力を伴った物体は、エヴァの攻撃を一度止めたほどの障壁をいとも簡単に砕き、破り、そして鞭のようにスナップを利かされガブリロフの身体を切断する。嫌な音と共に人体が壊れる音が響き血を吐いた彼の上半身は宙を舞って地面に着地した。


「ミハエル!」


叫び、イワノフは彼のもとに寄った。


「申し訳、ありません。崇高な、あなたの国を思う精神を前に、あなたを死なせるわけにはいかない…どうか、ご無事で…!」


「いうな!」


イワノフはその巨大な体をもってして彼の無残な姿に打ちひしがれ、頬に手を当てた。


「俺を見ろ…大丈夫だ、ミハエル」


「すいません…先に行きます、大佐」


内臓を丸ごと潰され切り離された彼には耐えがたい苦痛を味わい、惨く死んでいったのだろう。だが、絶命するその瞬間まで、忠誠心を誓ったイワノフの目を見続け、彼は安らかに眠った。


「ほお、クソごとき、俺の思惑を一つだけ破って見せたか。実にくだらない、下賤な民が。俺たちは、新たなる選民であって王になりうる素質を皆が持つ。そしてこのバアルゼブルは、それすらをも統べる王。これからの世を統治する、全知全能の、新たなる人類だ。お前ら如きハエの陳腐な友情など見ていて反吐が出る」


血も涙もないバアルの発言にイワノフは一切の反応をすることがない。彼はミハエルに向かい屈んで黙祷してから静かに立ち上がりマグナム銃を突き付ける。拳銃より長身で弾薬量が多く回転式の拳銃は威力が高く当たればかなりの深手を負わせることができる。


だが、この目の前にいる男は怪物でありとても簡単に傷を与えることなどできるわけがない。


「お前が仮に、新時代の王になれたとして、そのような戦士を労わらない心なき心情を持つ限り、アダムには及ばん」


言うや否や、イワノフはポケットに隠した端末を操作した。それは二階上部に隠密に設置されたチェーンガン各サイドにある二丁を遠隔で起動させ彼が見ている光景をスキャンし対象に向かって発砲する。高性能のコンタクトレンズを装用しそこから通して処理された情報を正確に処理して、バアルの身体を八つ裂きにしようとガンの機関部はけたたましく回転しておびただしい銃弾を叩きこんだ。


その弾薬をものともしないバアルは同時に防御のために建材を再構築し壁を作るが、自身の盲点に気づく。


「前がッ!」


ほぼ同時であるとはいえ力を二方向に集中したせいか意識がそれ前方の防御が間に合わない。


「傲慢に喚き散らし、それにしてはずいぶんと傷つくのを恐れる。戦士の風上にも置けない、臆病者だ。お前は」


イワノフはマグナムの引き金をゆっくりと引き、手首が吹き飛びそうな衝撃と共に弾丸は銃身の溝を通り、回転しながらバアルの額を、撃ちぬいた。


大きなダメージと衝撃を受けた頭蓋は首から向こうへ下がり、体は倒れずそのままで弾丸の穴を額に穿つ。チェーンガンの弾幕は収まり弾切れを起こした機関銃は空回りし続ける。


悲鳴など上げずバアルはただただ噛みしめるようにその痛みを享受し、顔を上げた。


「中々にいい一発だ。その通り、俺に傷を与えようとする行為自体俺は許さない。だが、その侮辱、荒唐無稽な思い上がりも甚だしいその発言は、万死に値する!!!」


怒号と共に彼の周囲からは再び先ほど同様の石質の触手が現れくねり、イワノフの頭上を舞う。


「これほどまでの生命力とはやはり、こいつは…!」


「泣いて懺悔しろ。せめて神に祈る間ぐらいはくれてやる。この俺を侮蔑した罪は重いぞ。そうだ、俺のこの生命力は神より与えられし宝物ほうもつだ。貴様如きに披露してやるのももったいない代物だったが、どうだ?人間との格の違いは」


「ああ、そうだな…!」


それでも引かず立ち向かうイワノフは死など恐れず銃を向け続けた。最後まで戦おうと抗う男の姿は何よりも勇ましいものがある。


振り下ろされた物体はイワノフを狙ったが、同時に後方から飛んできた何発もの拳銃の弾丸にバアルは気を取られ防御する。逸れた物体はイワノフの左腕を切り落とした。何が起こったか分からず、呻き、イワノフは倒れ、消え去った腕の傷から流れる血液の量を見てますます現実を意識して悲鳴を上げる。


銃弾の主は、清水 総一郎だった。


「待て、この野郎。聞き捨てならない言葉が多いな」


「馬鹿もんが…のこのこ帰ってくるとは…本当に戯けたやつだ。なぜエヴァを連れて逃げない!」


イワノフは戻ってくる清水に怒鳴る。今ならまだ間に合うかもしれないから行けと。


「こんな有様にされて足止めになるっていうのかよ。あんたたちはこんな風にまでされて、ここまで傷を負いながら戦う。なのになんだ、あいつは」


「やめろ清水、あのバアルには勝てはせん。あれは、この国が生んだ最強最悪のものだ。酷く人間を憎み、エビルの大命の成就を願う男だ」


「もういい、イワノフ大佐。あんたまでもが命を落とす必要はないんだ」


二人はお互いに何かを通じ合わせた。国は違えど同じ軍人、戦いに身を投じる中で許せないものがあったのだろう。エヴァは清水の後方から駆け寄り、そしてガブリロフの死体を見て、静かに十字を切った。


「エヴァ、そんな奴らに慈悲深くなって救われたつもりか?俺はな、お前だけは愛してやってもいいんだ。どんな愛をも信じない俺がお前だけは愛でる価値があると考えた。今ならまだ間に合うぞ。こいつらと違いお前は罪深くはない」


「断る」


凛とした声でエヴァはバアルの言葉を遮る。何を言っているんだとばかりに、眉をひそめて清水に目を移す。


「誰だ、こんな下種な人間を呼び込んだのは」


初めて認識したのかバアルは排泄物を見るかのような今まで見せたどんな表情よりも不快なものを作る。つくづく彼にとって人間はごみにしか過ぎないようで、それもそれがロシア人で無く日本人となるととんでもない拒絶のしようだ。何よりも、彼はそれ以上に清水の中に眠る何かを感じ嫌になるものがあった。


「エヴァはお前みたいな勘違い野郎はお断りだとよ。お前はあいにくと俺が嫌いで仕方がないかもしれないが、俺もお前は好きになれそうにない。俺は見た通り真人間で、北九州での暴動の時はお前らに世話になったようだが、あいつらじゃ話にならなかった。ああ、まったくもって足りない」


「なに…まさか、お前はあいつらを手に掛けた…」


「そうだ、俺が清水 総一郎だ」


その言葉に腸を煮えくり返るような思いを浮かべたウィザードの王は声にならない声を上げる。


「忌々しい名前で、忌々しいことばかり引き起こし、バハムートにとどめを刺されたとは聞いていたがこんなところでのうのうと醜く生きているとは…野垂れ死んでいればよかったものを、挙句の果てにエヴァに何を吹き込んだお前は」


「いいや、何も。あいにくこの子は俺のファンみたいでな。そっちこそ、物騒なことばかりやらせて、何が愛でるだ?お前、相当にすれ違ってると思わないか」


皮肉をべらべらと話す清水はイワノフに距離を取るようにアイコンタクトを出してイワノフは少しずつ後ずさりする。恐怖で足がすくんでいるはずの清水は、目を逸らすことなく最強の男と相対した。


「アダムなんて糞見たいな理想郷を掲げてるやつは、俺が倒してやる。お前も今日ここで始末する」


「滑稽な―――!」


清水の挑発に乗ったバアルは激高し触手を振る。鞭のようにスイングされたそれは清水を二つに裂こうとするも隙が大きくその隙をエヴァに凍結させられる。


「ふざけた真似を!」


「今だ!」


清水は駆け抜け、刀を呼び起こした。届く、届け。


ここしかない。


そう念じて、一歩、また一歩と跳躍する。


バアルは一瞬にして自分を取り巻く武器を行動不能にされたおかげで動けず迫ってくる清水を眺めていることしかできない。飛んだ清水は刀をバアルの頭上に突き立てるように刃先を向け、重力に従うがままに、その頭蓋を貫通させた。


「———ッ!!」


突き刺し、両足で男の肩を蹴り上げ、ばねにして引き抜く。ワインのような鮮血は吹き出し噴水を描きバアルはそのまま屈みそうになっていく。


「清水!あいつの生命力は無尽蔵で、まだ油断はできない!」


「任せろ!」


そして、再び踏み込み数度と清水はバアルの胴体を切りつけ、心臓の部位を突き刺し致命傷を何度となく負わせる。連撃にバアルの身体は死体蹴りされるようにひたすら血を噴くばかりだ。


「あああああああああああああああああああああ!!!」


死んでいった人々の思いを胸に、逃げられないと、誓った清水は彼らの思いを胸に切り刻んだ。やがてピリオドを打つように最後の一閃がバアルを吹き飛ばし、柄を握ったまま清水は止まりそうな心臓を回し続けた。


身体に対する負荷などものともせず、襲い来る頭痛に耐え刀を下ろす。何度となく詠唱を繰り返し清水の精神は何かに蝕まれていく。


知らぬ間に犯され、それは正体不明の何かでひたすらに清水を攻め続ける声もあれば、またそれは目覚めろと呼びかける。


イワノフはその光景を見て、なんということだ、と感嘆する以外になかった。


エヴァは清水の勝利を願った。恐るべきエビルガーデンの幹部を前に、この男が奇跡を見せてくれることを。それでも、現実というのはつらく、厳しい。


地面に倒れるほどにダメージを与え続けた清水でさえも、その力は届かないのか、バアルの身体はゆっくりと起き上がり、傷口は癒えていくのか何ともないようにバアルはおもむろに体を上げる。衝撃で外れた首の関節を無理矢理戻して清水を見据え、


「消えろ」


そういって地面を砕き飛び出した巨大な石棒清水を吹き飛ばした。


何回転も空中で周り清水の身体は壁面に直撃する。破片をまき散らし、圧死してもおかしくないレベルのダメージを与えられ清水は沈黙する。体は地面に落ちびくともしない。


「清水!」


「その名を呼ぶな!」


怒ったバアルはエヴァを触手を使い殴り飛ばす。威力は抑えられていると言えど脳震盪を起こしたエヴァは失神しそうになりながら地を這った。彼を取り巻く無限の物質変形能力に為す術がないことは理解でき、いくらアブソリュートゼロというロシアの開発した秘密兵器を宿されていると言えどエヴァには勝ち目がない。


「お前に内包された武器はお前には全力で扱うことなどできない。故にお前が私情で利用することなど叶わず故にその気高い精神が保たれる。汚れなきお前の精神はアブソリュートゼロを磨き威力を上げる。俺こそが、お前を従えるにふさわしい」


口内を切ったのか血が滲み、鉄の味を覚えたエヴァは四つん這いまでになり、そこから何とか日本の足で立ち上がろうとする。


「安心しろ、お前の命は取らん。だが、貴様は別だな」


肩を抑え苦しそうにするイワノフを細く形成された触手がとがり、イワノフの身体を串刺しにする。


「ぐあああああああああああああああ」


痛みに耐えれず悲鳴を上げるイワノフをそのまま持ち上げ更なる苦痛を味わせバアルは高笑いする。


「最初こそ、ロシア政府は俺たちの大命を果たす行為に付き従うものと思っていたが、お前含め裏ではのっぴきならないことに明け暮れていたか。奥田を介して秘密裏にエヴァを早急に回収したかっただろうが時はすでに遅く、俺たちの監視下に入った時点で穏便に終わらせる気は失ったか」


「くっ、殺せ…情けはいらん」


「当たり前だ。貴様の如き輩を活かしておけば俺の堪忍袋がいくつあっても足りんからな」


エヴァはさせまいとイワノフが落としたマグナムを拾いバアルへ向ける。


「やめろ!」


叫んだ彼女をバアルは頭上にぶら下がるシャンデリアを破壊し、そこから外れた金属の破片をエヴァ向けて突き立てた。


「そんな人間如きが作った不潔な武器に触るな!」


「ぐっ…!!ああああああああああああ」


突き刺され貫通した破片はねじ込まれるように操作されエヴァの身体を貫いている。致命傷の部位を外されていると言えど激痛が走り拷問を受ける感覚に彼女は頭がどうにかなりそうな感覚を覚える。


「どうしようもない女だ。それもこれもすべて…何」


バアルは見せしめに粉々にして殺してやろうと吊り下げたイワノフや反抗的なエヴァに怒りを燃やしながらも動けないはずの男が立ち上がっていたことに目を疑った。


「離せよ」


その言葉は城内の玉座の広間の空間ではよく響いた。


何を思って建築されたのか、その空間は最後の戦いにふさわしく、対峙する男達には実に映える舞台であったに違いない。


「誰に物を言っている気だ?」


「離せって言ってんだ、糞野郎…」


朦朧としながら立ち上がる清水は考える限りのことを考えた。


どんな重火器を使おうと、この異能を扱う怪物にはかなわず、凌駕する術は存在しないと。


ならばどうするべきなのかと。


この怪物は世界征服を企み、奥田大尉とは比較することもできないほどの力を宿し、そして誰よりも非道に、何の躊躇もなく生命を奪い去る。


ならばどうすると。


『清水、お前の戦いは終わっちゃいない』


自分だけに聞こえる地鳴りのようなものが清水の中で響き、ひたすらに自問自答を続ける。


「俺は、何のために戦う」


「頭でもおかしくなったか?笑わせてくれるやつだ。貴様は最後にと思っていたが気が変わった」


イワノフを雑に捨て、バアルはその全能力をもってして清水を八つ裂きにしようと吠えた。


「清水 総一郎、お前には、神に祈る間すら与えはしない!」


エヴァは突き刺さった破片を引き抜こうと必死に両手で力を籠めかろうじてその矢のように突き刺さったものを体から取り出し捨てる。バアルの後方からは破壊された数々の装飾品だったものが大量の飛翔兵器と化して清水を覆い、襲い掛かる。


大爆発を引き起こし辺りは粉塵にまみれ、バアルは見届けようとその光景から目を逸らさなかったが、そこで起きたものを見て理解できないとばかりに震えた。


清水の盾になろうとエヴァが飛び込み破片の数々をうけていたのだ。氷結の壁はクッションと化しているがそれでもすべては防げず彼女の身体を傷つけている。バアルにとっての理解できない、矛盾した光景が彼を苦しめた。


「なんでだ…なんでだ!なんでそんな奴をかばうんだよ!」


子どものように喚く彼は涙でも流す勢いでエヴァに答えを求める。彼女はふっと笑うのみで、清水を抱いて、そこから力なく顔を向ける。


「あんたはわからないよ。この人は、一人ぼっちで死んでいった人だから、それでも、国を愛し、民のために戦い続けた人で、その苦悩は多分理解できない。この人はウィザードのためにも戦い続けた。いつか手を取り合うために、彼は命を懸けて戦い続け、た」


こときれるようにエヴァは崩れて、ギリギリのところで意識を保つ。体はそれでも清水の盾になろうとして決して逃げようとしない。なぜ、それほどまでに頑なに拘るんだ理解できないバアルは頭を抱えこの施設ごと吹き飛ばそうとも考える。


「どこまでも、分からねえ女だ。全く」


エヴァは、清水の声にただ柔らかに笑った。


「そういう話は、全部済んだらって、言ったじゃん」


「馬鹿野郎、死んだら終わりじゃねえか」


清水も笑い、動けない彼女の前にゆっくりとした足取りで向かう。


不敵に笑うだけで殆ど前が見えていない清水は本能だけで目の前の敵に挑む。


清水は刀を呼んだ。右手に宿った村正を構え抜刀できるように低く丸まった姿勢を取る。


バアルは立ち上がった男を見据え、異様な空気を感じ何をするまでもなく自分の身体が動かないことに気づく。


なぜ、命じた通りに体が言うことを聞かないのか。


神経を通じて体には命令が言っているというのに、そんな経験したことのない事象に不可解に思ったバアルは勝手に震える声に驚愕した。


「な、なんだ。今のは…お、お前」


動かない首をなんとか定位置に戻し、清水の姿を見るも、その男から漂う謎の圧力は、説明できない何かを感じる。


そう、恐怖だ。


「な、ぜ…こんなのは、有り得ない」


無理矢理にバアルはその緊張を破ろうとする。なんてことはない、死に掛けの男を始末するだけの仕事がなぜこうもうまく行かないのか。


その男の噂や、エビルガーデンの仲間たちを葬った忌まわしき実績を持つことは分かっているはずだった。だが彼は、有り得るわけがないことをしようとする男に恐怖した。


清水には依然として語り掛ける心象風景の中に立つ男の姿が段々と、その全てを現してきた。


『清水、俺たちは確かにあの日死んだ。だが、何も終わっちゃいない。そうだろう?俺たちは大切なものを何一つ救えず、あの日と同じことを繰り返すか?違うだろう。目覚めろ清水』


「なんだ、あんたか。だったら、先に、言ってくれってんだよなぁ…」


清水は自分にだけ聞こえるように小さく言った。そこからは、固く口を閉じ、自らを構成するありとあらゆるものが解け、そして溶けて、何もかもを作り変える感覚に身を馴染ませた。


後ろに座り込む少女に顔を向けず清水は語り掛けた。


「エヴァ」


返事はなくとも、心は繋がっている。


「今だけは呼べよ、伝説の日本兵と」

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