エヴァ・ブレイフマン

シベリアにはウィザード抑留地が建設、運営されている。この施設はロシア最大で主にロシア陸軍でウィザードを運用するべく、そして実に反抗的なウィザードの素養を持った人物たちを収容し教育、洗脳することで国に貢献するよう促す更生施設のようになっていた。


それは勿論名目上という理由で実際は熾烈な生き残りをかけ、捕虜のような扱いでお互いに殺し合い裏切り合い、看守の兵隊たちに虐殺され、彼らの扱いは人道主義に反していた。


「エヴァ、これをあげるよ」


エヴァ・ブレイフマンを取り巻く環境は劣悪そのものだ。だがそんな中にも彼女を守ろうと戦う青年たちは沢山いたのだ。食料も満足に手に入らない中いくら自分たちが追い詰められているかと言ってこんな少女までも巻き込むのが許されるのかと。


エヴァは幼少期からこの地で過ごしておりかなりの期間を生きてきた。人生の大半を収容所で迎えている実に悲惨な運命をたどる故にそこには何か理由があるとも察する捕虜は大勢いる。


食料を看守の目を盗み分け与える捕虜の青年は満足そうに笑った。彼はロシア陸軍で戦ってきたが実は元々ここの看守を務める兵士だったのだ。彼はその優しい心の持ち主故に捕虜の扱い方に納得せず反抗した結果収容所送りとなった。


「ありがとう」


エヴァは笑った。そうだ、絶望しかない空間であろうともこのように自分を取り巻く人たちの愛情は本物だったからだ。


「お兄さんは早く更生したふりしないの?」


「俺はね、いいんだ。こんなのはおかしいって思ってるから。君みたいな子までこんなところに縛り付けて、あいつらはおかしいんだ」


そう言って目を盗み会話し、嗜好品や食料を取引、売買したりするのはどこの捕虜でもやることでありここも例に漏れない。バレれば何が起きるのか、そんなものは想像できるが人間である以上完全に制御することなどできない。


その使命に燃える有望な若者が射殺されたのはエヴァに食料を分け与えたすぐ後だった。


「誰と話していた!貴様国から与えられた貴重な資源をあの小娘に流していたらしいな!」


次の瞬間、ライフルが激しく火を噴き青年の身体を撃ちぬく。


「またお前のせいで死んだな」


満足げな顔で青年将校が銃をぶら下げてエヴァに告げる。お前が誰かと仲良くすればするほど人が死ぬぞ、と。


エヴァは睨みつけた。彼を撃ち殺した連中めがけて。足元は凍り、顔は恐怖していく。


「やめろ!おい!」


銃を向け発砲しようと引き金を引くも銃身ごと凍結し薬室が機能していないのか弾丸は出ない。


「あああああああああああああああああああ」


悶え苦しみながら彼らは絶命していく。エヴァは怒りで殺しつくした。こいつらに生きている価値などないと。それからだ。心を閉ざして生きていくことを決めたのだ。エヴァは段々と歳を重ねるごとに周りとの距離を置いた。誰かと関われば誰かが死ぬ。


エヴァを囲む兵隊たちは年々増え口々に言うのだ。


「奴の有効射程距離に近づくな。氷漬けにされて死ぬぞ」


またエヴァはその力が増すごとに恐れられ両目に目隠しをされ生活をすることも多々あった。


「あの女は人殺しをするための力を授けられている。アブソリュートゼロ計画の中枢だ」


自分がロシアのウィザード軍事転用計画の中でも最も重要な部分に相当することに気づいた彼女はむしろ大柄にふるまえるようになる。抑留地から出ることさえ叶わずとも簡単に人間を殺せる。


その傲岸不遜で、圧倒的な破壊力を持ち、美貌を兼ね備え成長していく彼女を見て看守の兵隊たちはこう名付けた。





『氷結の女王』





味方などおらずただ一人で国の威信を掛けられ、惨い扱いをされてきたエヴァは動じることなどない。彼女が強くいれたのは理由があった。


「エヴァ、今はつらいかもしれないけどきっと大丈夫」


彼女を支えてくれた、幼少期に死亡した実母や関わった捕虜の元兵士を含め数々の人たちが教えてくれた言葉だ。


「いつか弱き人々を助けるために、この国には異国の地よりやってきた戦士が戦って私たちを解放した伝説がある」


なぜ外国人なのか。伝承と言えば、想像するなら自国の人間が妥当ではないのか。そう思うだろう。


「彼は東より現れこの国の邪悪な勢力と戦いそのすべてを倒し抑圧され虐げられたウィザードや民衆を救った」


シベリア以上に東となるとそんな国は恐らく一つだ。


「彼は伝説の日本兵と呼ばれた。いつか、必ず、諦めなければ助けに来る。彼は孤独な兵隊故に民衆を愛し祖国のため、世界のため戦い続けた英雄」


そんな古いおとぎ話が、エヴァの根底にはいつもあったのだ。彼女には、その東の国にいつしか訪れたいという欲求も同時に生まれる。



エヴァの自由など10代半ばに差し掛かってくれば更に無くなっていた。いつどんなときであろうと射程内に存在する人物を暗殺できる能力を持つため24時間監視が付けられ気が休まることなどない。痺れを切らし脱走でもしてやろうかと企むエヴァの元へ一人の巨大な塊のようなオーラを放つ男がのそのそとやってくる。そいつはいきなり現れては次から次へと了承してもない話を繰り出していく。我々の作戦計画を理解し実行する気があるか。日本に興味は無いかと。取引のつもりだったのだろう。


「我の名はアレクサンドル・イワノフ。貴様のことはよく知っている」


拷問室のようなところで鉄の椅子に縛り付けられ目隠しされたままエヴァは声を掛けられた。彼らは陸軍の命令に従い氷結の女王を軍事転用するべく直接和解するべく訪れた。コントロールする強制手段がない以上1対1で納得できるよう話術で片を付けるしかない。視認できずともイワノフの存在は大きく感じる。彼の話し声やオーラは理想的な指揮官のそれだからだ。


「おまえには見えんだろうが俺の隣には副官のミハエル・ガブリロフ少佐もいてだな。これはいい交渉だと思わんか。外の世界をおまえも見たいだろう」


エヴァは今頃そんな美味しい話を持ってきた陸軍の連中を微塵も信用はしていなかった。だが乗ってみるのも悪くはないと考える。何故なら日本という国が彼女にとって憧れになる部分もあったからだ。だが、彼女を連れ出す計画は思うようにはいかないのか平行線を辿り拘束される日々が続いた。



ある日、シベリアはいつものように豪雪地帯と化し辺りを吹雪が襲っている。そんな中、突如何者かに襲撃を掛けられるのか施設のほとんどが破壊された。燃え盛る炎は建物を焼き捕虜収容施設も片っ端から破壊され捕らわれた民は脱出を果たす。歓声が沸き上がる中、何名かの人物が一人を中心にするように歩いてくる。


ローブを羽織り暗夜に加え激しい吹雪のおかげであまり表情が見えないが真ん中にいる男含め彼らの存在感は異彩を放っていた。


「俺と大命を果たせ」


「あんたは?」


エヴァは恐怖心を覚える。ここでこの怪しい連中をまとめて氷漬けにして殺すことはできるだろうかと疑念を抱く。あまりに常人とは違うオーラを放つ男を、更に威力を増した炎が照らして顔がはっきりと映る。


氷のように張り付いた表情がそこにはありその瞳は空虚で、実に空っぽの印象を与えた。


「アダム、と言っておこう。彼らは俺の大命を果たすべく行動を共にする賢者だ」


抽象的な、比喩表現をよくする男ではあるが何故か胡散臭さは感じず本気であることが伺える。生粋のテロリストなのか自分の信念を信じている指導者の資質があるのだろう。アダムの風格はエヴァでさえ抵抗することを躊躇わせる、そして救いを与えてくれる可能性を感じさせるカリスマ性を兼ねそなえていた。


「大丈夫だ。ウィザードによる楽園を形成する。それがこの国の、いや、世界の救いとなる」


僅かに自信の籠ったような笑みをするアダムにエヴァは惹かれた。そこへ生き残った陸軍の兵士たちが襲い掛かってくる。


「撃て!なぜ貴様が今頃!」


AK47は弾丸を放ちアダム含め謎の連中に弾幕を形成して迫る。アダムは話の腰を折られたと不機嫌そうに、鬱陶しいハエを払うように怪訝そうな顔をして彼らの方を向いた。


それだけだ。それだけの行為で、辺りは更地になった。


地盤事削り取る勢いで地面に積もっていた雪と合わせて丸め込まれるように剥がされ兵士たちの肉体も一緒になってミンチにされる。悲鳴すら上げる前に彼らの存在は抹消され彼方へその力は続いていった。


「エヴァ、付いてこい」


アダムの声は、まさしく救世主のようなものだっただろう。差し出された手は、あの瞬間に至っては新たな希望を見出してくれる光になっていたのだ。


理想は儚い。彼女にとって人生というものは拘束され制限され全てを管理されるものであり自分を構成する化け物じみた能力は曰く罰のようなものだっただろう。子どもながらに逃避行を繰り返しどこに安寧を求めるべきなのか。


現実に引き戻されたエヴァは見覚えのない医療施設で治療を受けていることに気づく。そうだ、風魔 凪との戦闘で彼女は夢を見た。トラウマであり人生の大半を占める極寒の地での経験を無理矢理頭の中で再生され、彼女は一時的に精神をおかしくした。そこからかろうじて意識を取り戻し生きてはいたものの更に深い眠りへ落ちたのだ。


身体の調子は思ったよりも良くこの国の医療技術の高さが伺える。


「目が覚めたか」


彼女はベッド眠っており傍では姫を見守るように清水 総一郎が椅子に鎮座している。いつにもなく低い声であまり笑い話をする雰囲気でもない中エヴァは右腕に刺された点滴類の類を忌々しそうに見つめて言った。


「いつここを出れるの」


健康状態もほぼ全快だったことに加え梶木の所属する組織の大元、エビルイーターが運営する病院だったことで退院はスムーズに行われた。エヴァは何日ぶりか分からないが鈍った体の勘を取り戻すためによたよた歩きながらそれに随伴する清水と共に病院を出て自らの住居へ戻る。


「そういえばどこに住んでるんだ。ロシアから遥々日本に来たんだろうが、奥田大尉の管轄下にでもいたか」


清水の素朴な疑問にエヴァは顔を上げ少し曇りそうな天気の様子を眺めながら言うのだ。


「こうなってる以上は戻れないよね。エビルガーデンとも折り合いがついてないし」


必然の流れに清水は少女の健気さが目に付いたのか困ったように視線をどこかへ移ろわせる。羽織ったジャケットのポケットに両手を突っ込み答えなど出ているくせに考えるふりをして提案する。


「うちに来るか…」


エヴァの返事はなく不快な表情でもしてるのかと清水は気になって少し前を行く彼女の顔を確認しようとするが振り向いた彼女は至って普通の様子だ。


「行く」


「え」


「えって何」


予想していた流れとは違う向きへ進みだしたせいで清水はそれ以上進めなくなる。断られるつもりぐらいで、何もしない自分も嫌で手を差し伸べる感覚で声を掛けたつもりが相手はノリノリなのだ。怪しいことをしているおじさんと思われても仕方がない。


大体梶木などに知られればきっとこう清水は言われるはずだ。


『よぉ、ロリコン』


憎き野郎の鮮明な映像が清水の脳内に映し出され思わず首を振る。こんなことはあってならないと。


「わかった…だがあいにく俺の家は現在電気もガスも水道も止められてる」


「意味わからなすぎでしょ。どうやって暮らしてんの」


「どうやってって…公園だよ」


空気が凍る。清水は何を間違えたんだとクエスチョンマークを幾つか頭上に並べた。


「お前、能力を使ったか」


「使ってない」


ただ引いてるだけの彼女の顔を見て清水はため息をついて俯く。エヴァはそんな男の反応をからかうように笑い安堵させるように少し覗き込むようにして言った。


「大丈夫、金ならある」


嬉しそうに笑うエヴァはやはり冷酷非道な殺人ウィザードになど見えない。妙に人懐っこくなったエヴァとそれに戸惑う清水はどうしていいかもわからず誠堂高校へ至る市街地と住宅街を隔てる河川沿いの堤防の付近で立ち止まる。


「お前のことなんて一瞬しか、それも噂しか聞いたことは無いんだが本当に氷結の女王か」


「…私だってその気持ちは一緒だよ。伝説の日本兵」


ようやく見つけたとばかりに彼女は微笑む。


「俺は」


「あの時、風魔の記憶に対する干渉は私にも及んだ。私も見たんだ」


清水は微睡む。これは幻想だ、と。追憶に耽る清水はノイズがかかる思い出を垣間見た。彼女は全てを見た。清水は風魔とエヴァが見た光景を視認することはできずそれがなんだったのか分かりはしない、だが時折夢に見る光景が、彼を激しい頭痛が襲いながら呼び起こす。


『なぁ、思い出したか?お前は俺たちのことなんか見たくもないかもしれないが、どうだ?今の光景は。さぞ楽しいだろう。だがな、忘れるな。俺たちの戦争は終わっちゃいない』


気絶しそうな痛みは気を失わせるには十分な威力を持っていただろう。それでも清水は耐え、エヴァに焦点を合わせる。


「なにを、見た」


知りたくもなければ知って得をすることなど一つもない。だが清水は分かるのだ。いつかは知らなければいけない。逃げてはいけないと。


「一人、戦い続ける兵隊の光景。彼はまだずっと地獄に閉じ込められて戦い続けている。そうやって塞ぎ込んでいつかは、自分を忘れるほどの苦しみに負けたに過ぎない」


自分を忘れるほどの苦しみとは一体どれほどの苦痛なのだろうか。清水はふらつく足を抑えながら荒い呼吸を整える。


「私に初めて斬りかかってきたときのあんたは、たぶん誰よりも早くて誰よりも強かった。村正を使う人なんて伝説の日本兵以外いない」


「やけに詳しいじゃないか。お前もあいつに魅せられた存在か」


「あなたに、清水に魅せられた存在だよ」


エヴァにとって清水は憧憬の的だった。その強さも、偉大さ全てを持った英霊だろう存在を前にして畏敬の念を彼女は示す。いずれ登るだろう階段は高く聳え立つ。何のために生まれ何のために戦って何のために死んだのか。過去の英雄には謎が多くその殆どは明かされることなどなかった。


だが清水は自分を取り巻く環境が英雄を押し付けようとしているのではないかと疑いを抱く気持ちを持つ。


「お前の運命を変える力が俺にあるとは思えないし、お前はそれを他人に任せるべきじゃない」


突き放すつもりなどないが、清水は彼女の依存しようとする姿勢を突き崩そうとした。お互いが孤独に生きて常に正面の問題を気にしてきた。エヴァの苦労は見えずとも想像はできる、故に同じような道を進んだ清水は助言をすることができるのだ。


「エビルガーデンは、一瞬たりと言えど希望を与えてくれた。私のようなウィザードには縋りたくなるものがある。だけど、あいつらとはこれ以上は組めない。私は自分の力で断ち切るよ」


別れを告げるような意味合いを含んでいるようだ。止めるべきだったのかもしれない。エヴァは何を思ったか覚悟をしたような表情をして去り際にこう言って市街地へ向け姿を消す。


「全部済んだら、また会おう」


抜け殻のようになって立ち尽くして、清水はこれで良かったのかと拳を握った。


程なくして梶木は曇天の下、川の流れを観察する清水の元へ数人の男たちを従えてやってきた。ロシア軍の二人に加え、なんと公安警察の二人までもがくっついている。開いた口が塞がらない状況で清水は顔も向けず立ち尽くした。


彼らの話をまとめれば、端的に言うとロシア軍二人組は熱心に奥田大尉の暗殺計画を練りアパッチが誠堂高校に墜落した後、敷地にいち早く侵入した陸軍憲兵隊と揉めたリヴァイアサンたちを追跡して接触を仕掛けたというのだ。


最初こそ緊張感が走りお互いが天敵同士ということでその場で銃撃戦になったとしてもおかしくはなかったが目的があまりにも一致したのかイワノフとリヴァイアサンは結託してしまった。神崎は訳も分からず、だが全面的にリヴァイアサンを指示しているため文句を言うこともなく四人は梶木を伝手にして清水の元へ現れたという。


「暇なんだな、要するに」


「どれだけ雑に省略したらそうなるんだ。ベツウィンガーの流れは完全に奥田殺しに向いている。チャンスは今しかない。持久戦になればどうなるか分からない以上さっさとあいつの秘密基地を破壊して認識阻害をパーにするんだ。あの野郎は風魔 凪の能力もほぼ回収済みなんだろう」


梶木はやる気のない清水をまくしたてた。感傷に浸るような遠い目をした男にはあまり何を言っても響かないのかまるで初めて会った時のような印象を見受けられる。梶木はどうしたんだとばかりに頭を悩ませたが目の前にいる男の不安定さはよく知っていたのでイワノフやガブリロフにこう告げる。


「予定通りあんたたちの連れてきた…スペツナズ隊員含め万全の態勢で囲い込みを頼む。エヴァ・ブレイフマンはそこであの構成員と切り離し回収するってことでいいな」


「問題ない」


待てよ、と清水はそこで振り向いた。エヴァを回収とはどういうことだ、とイワノフを睨みつける。


「なんだ、英雄。あいつと熱い関係にでもなったか?」


「いや、そこはどうでもいい。だがなんだ、まるであいつが誰かと接触するような話じゃないか」


「…エヴァは恐らく、バアルゼブルと今宵縁を断つ。あれは怪物の如き男で、実に残虐。深い憎しみを我々に向けているやつだ」


「バアルゼブルってのはあいつの組織の構成員か。俺が、北九州で戦ったような奴らか」


全ての事情を呑み込んでいるのかイワノフは何とも言わず悲しげな表情をする。


「バアルとお前は、会わない方が良いのかもしれんな。奴にお前を合わせればあまりに刺激が強く、どうなるか分かったものではない」


何故清水と出会うことが刺激を与えることになるのか。それは清水がエビルガーデンの構成員の命を二人も奪ったという事実を知った上での発言だ。バアルという男は組織の中でも最高幹部の地位に位置し誰よりも人間を憎む残虐な王だとイワノフやガブリロフは説明した。


「王様…か。随分偉そうなやつが来日したもんだ。お前たちにあれが止められるのか」


「少なくとも自国から生み出された膿だ。日本人に迷惑をかける問題でもないというのは筋が通ってないと思うか?」


清水はイワノフを煽るも正論で突き返され何も言えず黙り込む。


「それよりだ。そこの公安どもの話をよく聞いた方が良いぞ」


言うや否やロシア軍人二人は清水の声を聴く気配も見せずエヴァの行った方向へ足を進める。止める道理もない清水にとってはその発言が気がかりで意識は長身の公安警察官へ向いた。


「どうも、旦那。この前はお世話になりました」


リヴァイアサンの隣で陰に隠れるように潜んでいた神崎という男は恐る恐る顔をのぞかせるようにして清水に挨拶をする。殴られてから相変わらず首をおかしくしたのか気づかような仕草をしている男に清水は何ら興味を示すことなく張り付いたスマイルを浮かべるリヴァイアサンへ尋ねる。


「何を所望だ」


「簡単に言いましょうか。それとも、順序だてて話した方が良いかな。やはり伝説の日本兵が相手なので失礼な口の利き方もどうかと思っているんですよ」


「おべんちゃらはいい。さっさと言え」


誰もが清水の真偽不明の伝承を知り信じて、それが当たり前かのように前置きする。慣れ切ったのか清水は答えを聞き出そうと躍起になった。


「これは失礼。では単刀直入に、なぜ、あなたは―――」


リヴァイアサンは目を歪め理解できないという風に苦言を呈す。


「風魔 凪を始末しない?」


いつか誰かが言ってもおかしくないセリフをリヴァイアサンは平然と言ってのけた。清水相手に反旗を翻すなど梶木ならばできはしない。だがこの男は全く恐れることもなく言える辺り、以前拳銃を切断したことから相当の実力者であることが分かる。


「何を言ってるんだ」


「そうですねぇ。あの女は丁度まだ、ベツウィンガーの支配下の病院で入院でもしてるんですかね。なら話は早い」


「ふざけるな。話を聞け」


踵を返したリヴァイアサンに清水は怒鳴った。待て、と。背中を向けたままリヴァイアサンはゆっくり清水にその冷徹な表情を向け、幾多の死体を見た人間特有の呪われた眼光を放つ。


「あんたは甘すぎる。あんたが殺せないなら、俺が殺す。それだけの話じゃありませんか」


冗談や脅しなど一切ない、威圧的な態度に清水は気おされ言葉に詰まった。


「なんであんな不安定でチップを埋め込まれ、家族も人質に取られた子供を助けたんですか。あいつが何なのか忘れたわけはないでしょう。あれはウィザードで、その能力を使って自主的でないとは言え何人も手に掛けてる。それをよく身内の組織の支配下にも放り込んだな。結果オーライにすぎずあんなものは引き受けていいはずがないんだ。梶木さんにしろ、清水さんにしろ、本当にお人よしだな」


目の前にいる誰よりも理性的で、誰よりも正しいことを話す男は清水や梶木には止められない。梶木と目が合うや否や、その視線は『行けよ』と促しておりたまらず清水は地面を蹴る。なぜこうも周囲の環境は残酷で決まって己を苦しめるために変化するのか。


果たして殺し合いを演じさせられる子どもたちに真の罪があるのか?


清水は認めることなどできないのだ。何故ならそれは、それが、自身が抗ってきた軌跡だったからだ。未だその記憶は薄くとも、断片的であろうとも、少しは受け入れる気になったのだ。詠唱によって呼び出せる刀や、記憶喪失でありながら自らに宿された圧倒的な戦闘力は何を根拠としてそこにあるのか。


エヴァは答えを清水に教えてくれたのだ。


そうだ、彼こそがいつか現れる英雄なのだと。


いつしか曇天から少しずつ雫が降ってきて、それはやがて全身を洗い流すほどの強さをもって大雨を形成する。曇った空はこの最悪な日を象徴するにはうってつけで、とにかく清水と北条にとっては忘れることなどできはしない日となった。

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