北条 紅旗

ウィザードの素質を持った少年と少女の出会いというものは彼らの高校一年生までの時期へ遡る。


風魔 凪という少女は天蓋孤独な身になりかけていた。兄は陸軍少尉で大蔵駐屯地の40連隊4中隊レンジャー小隊小隊長を務める人物で不慮の事故によって意識を失い入院中であった。


いつ目を覚まさすか分からない兄の看病をするべく風魔は可能な限り、いや、身寄りなどいない彼女はずっと見舞いに訪れていた。返事をすることのない兄の顔を見つめながら呼吸を確認することだけが彼の生を認識する方法だった。


風魔は不思議な力を宿している。その力は人を傷つけ殺めるのに十分な力で風を自由自在に操る超能力だったのだ。親の世代から引き継いできた能力を彼女は継承し事情を知る大人たちからは忌み嫌われている。


疫病神と称され、親を早くに亡くした彼女を引き取る親族などはいなかった。能力は遺伝するとも言われ現に彼女は受け継いでいるが兄は全くその素質がないのか真人間のようだ。


親がなく兄弟そろって施設暮らしが続いている二人だったが風魔兄の陸軍士官学校卒業後の幹部任官によって保護者として晴れて外で生活することが叶うことになりそれは高校に上がる手前であった。質素な生活ながらもようやく人間らしさを実感できるようになったのか風魔 凪の顔色は暗くはない。


定期的にカウンセリングや精密検査を受ける日々は続くが政府に保護され一応は普通の人間として活きている。


2LDKの部屋にて戦闘服にアイロンを掛けながら佇む兄の背中を見ながら凪は買い物を終えて冷蔵庫に食材を叩きこんだ。


「凪、最近面白いことがあったんだ」


顔を向けず風魔兄は普段寡黙ながら今日は少しだけ気分がいいのか嬉しそうに話す。


「どんなこと?」


風魔は一般的な感覚とずれた環境で育ってきた故に何事に対しても淡白になる性質がある。例えば食事などレトルトやコンビニ弁当、ファストフードが多く基本的に栄養価などカロリーが摂取できればいいという思考で毛ほども気を配ることは無い。


それは無論風魔兄も例外でなく加えて兄の方は施設上がりに加え軍人としての生活しかしていない。よって自然にその生活スタイルは質素なものとなり物がとにかく少なく慎ましいものとなっている。


「いや、何年か前に記憶喪失のやつが小隊にいてな、俺は新人でやってきたわけなんだけど。やつはかなり風変わりで浮いてたんだが最近そいつと仲良くなってさ。ほら、俺も小隊長だから」


ふーん、とよくわからない顔をして風魔は兄の世間話を聞き流していた。彼らは一回り近く年の差があり兄は陸軍士官学校卒業後BOCを終えて任官したばかりのようでひと悶着あった。あまり会話が噛み合うこともないが凪にとっては唯一の肉親でこうやって学校から帰って来ては会話を行っている。


「じゃあその人は、一人なんだね」


「ん、そうだな。あいつは一人ぼっちだったみたいで、まるで凪と一緒だな。ぼっち野郎なんだ」


「なんか馬鹿にしてるでしょ。私だって友達ぐらいいるわよ。兄さんと一緒にしないで」


「ちょっとからかっただけだろ」


軽く笑っ風魔兄は掛け終わった戦闘服のプレス線を確認して羽織る。


「さて、また仕事に戻るよ。小隊長は訓練計画ばかり作ってて大変だ」


愚痴るように呟いて任せる、と言わんばかりに風魔兄は部屋から姿を消し凪は残された。風魔に友達などおらず彼女はいつも一人でありクラスでも同様だ。


座席で言えば最左翼の最後方、左から二番目の席にていつも気を紛らわせるように退屈な授業を聞きながら視線を空へ向けることぐらいでありその儚げな瞳は隣の男子を刺激するのに十分である。


北条 紅旗は風魔の隣で気配を消すように座り続けた。綺麗な同級生を眺めながら至福の時を過ごすのがこの少年の日課であり彼は常にこの幸せな時間と非現実な日常を行き来している。それは大体放課後に起こる定期イベントのようなもので校内にたむろすヤンキーに引きずられ校舎裏でボコボコに殴られる事だったのだ。


「なんで言われたとおりの額が用意できねえんだよ!」


下手に抵抗すれば余計な怒りを買い更に殴られることを知っている北条は黙って右ストレートを頬に受ける。口腔内がその拳の重さで切れたのか血の味がして力なく倒れて降参したことをアピールすることで許しを請うのが常となっている北条のスタイルは卑屈そのものだ。


「ちくりでもしたらどうなるか分かってんだろうな」


むき出しの殺意におびえるふりをしながらその日も変えは耐えきった。不思議と彼のメンタルは至って平常で自分という人間を規格化して受け入れることで何とかなるのだ。


「今日も終わった」


高校一年生として平和に生きていられればいい、そんな願いはかなうわけもなく不良少年たちに虐げられ何もなかったかのように立ち上がって去ろうとする北条の前には風魔が腕組みして立っている。


「北条君、いつもあんなことされてるの?」


切れ長の瞳は見定めるように北条を捉え目を合わせることができない北条は視線を逸らしたまま答えた。


「見てたんだね。まぁ、間違っては無いけど、けど僕はいいんだよ。弱そうにしてるのが悪いしね」


自分が可愛いと思っている女に無様な姿を見られたのが恥ずかしいのか北条は足早にそこから離脱しようとした。こんなところを見られてどうするんだと。


体の小さい自分がやられるのは仕方がないと正当化して家を目指す。だが、等間隔を保って同じ方向を進んでくる少女の存在に気を取られ学校の敷地外に出ても永遠と付いてきた段階でいったん足を止めて不安になりながら聞いてみた。


「あの、どちらへ」


「家だけど」


「あ、ああ…」


憮然たる面持ちで北条を後ろから保護者のように監視して付いてくる風魔は北条にとって居心地がいい訳がない。結局アパートまでついてきてそこで気づくのだ。隣同士で住んでいたのかと。


「そこだったんだ」


「あなたもしかして一人?」


「…まあ」


そう言うなり北条は部屋へ逃げるように飛び込んだ。ドアは金具の部分がさびてるのか開け閉めが円滑にはいかず嫌な音が響く。部屋は簡素で誰もおらず北条以外のものが暮らす痕跡はない。祖父の遺影が部屋の隅に飾ってあるぐらいでそこに目もくれることなく北条は畳のある和室で胡坐をかいた。リュックの中には大量に落書きされ千切られた教科書類が詰め込まれており学校には私物は置けないなと認識しながら北条は頭を掻く。


「あの子、可愛いけどなんか変だな」


北条は天井を見上げてそのまま背中を下に預ける。いじめられている現場を見られたとはいえどことなく漂う謎の雰囲気を思い浮かべながら目を瞑る。


二人の日常は違うようで共通点もあった。身寄りなどなく特に親しい間柄の人物はいなく孤独である。そこに対する思いはそれぞれ違う点もあるだろうが部屋も隣同士なだけあって段々と通学時や下校時において足並みが揃ってくるのは必然なのか偶然なのか度々起こってきた。


北条は自分が他人に殴られ許しを請う姿を見られたくない故に急に姿を消すことがあったがその様子に勘づいていた風魔の顔つきはどんどん険しくなりそれが数回続いた当たりで彼女はアクションを起こした。


いつものように胸ぐらをつかまれ北条はグラウンドの体育倉庫の中で叩きのめされている。


「返事しろよ!」


いつもより虫の居所が悪い少年の1人に強めに殴られ倒れたところを連続で腹を蹴ってくる。北条は吐きそうになりながら我慢した。


「立て」


数人がかりで引きずりだされ無理やり立たせてリーダー格の男は言う。何が気に食わないのか彼らは心の奥底でターゲットを探しながらも自分たちを正当化したいがゆえにそれらしい理由を持ってくる。


それでも満たされなくなってくるのか取り出された刃物の数々を見ていつもとは違う恐怖を北条は植え付けられた。これは下手すれば死ぬんじゃないかと顔を歪めて引き攣った表情筋は戻らず次いで右腕にガスバーナーで火を噴かれ飛びのく。


「逃げてんじゃねえよ」


娯楽を追及する暴徒と化した少年たちは楽しそうに笑い虫を嬲り殺す感覚で北条を火炙りの刑にして楽しもうと考えたのだ。


「ほ、本当に勘弁してください!」


恥を一切捨てて土下座して頭を地面にこすりつける北条に少年たちは許さない。上納金が足りないだの生意気だのと理由を付けて抑え込まれ暴れようとしても華奢な体では何もできず、彼はそのまま殻に閉じこもることしかできなかった。


「感心できない連中ね」


凛とした声が響いて辺りは騒然とする。ガスを燃やし炎の音が耳から遠のき少年たちが倉庫の入り口をぶち破って入ってきた風魔 凪に視線を一か所に集中していることが確認できた。


「そんな人を寄ってたかっていじめて楽しい?」


「なんだ…お前。こいつに何か用?もしかして、やらせてくれんのか?」


その瞬間口笛を吹いて囃し立て湧き上がる歓声の中で北条はまずいと感じた。このボルテージの上がりようはフラストレーションが彼女に向いていったことを表すからだ。こいつらに理性などなく集団になればなんでもできる質の悪い軍団だと北条は身をもって知っているからこそ止めようとした。


「風魔さん、さっさと帰って!僕はいいから」


「…」


静寂漂う中舐めまわすような視線を向け少年たちの魔の手が近寄ろうとした時だ。風が吹いた。少女は何かしたわけでもなく、一つ挙動がおかしかったことと言えば右手を向けただけだ。


「え、血…」


肩をさするようにして一人の少年が掌に付いた血液を見て静かに震えだす。散々北条を殴って出血させたことなど認識すらしていなかったというのに己の傷には過剰反応をするタイプの人間なのか目が泳ぎだした。


「ふざけんなよ、お前!やっちまえ!」


狼のようにそれまで有象無象だった少年たちが徒党を組みとびかかろうとしたところで北条もアクションを起こした。


「やめろ!」


腕を使い上半身を軸にして自分を押さえつけていた少年が二人から一人になった瞬間を狙い、その一人の学部を蹴り上げる。突然の獲物の反撃に予想もしなかったのか完璧に決まり力の抜けたやわな体は倒れる。


それから北条は立ち上がってリーダー格の少年が驚いて振り向くと同時に股間を狙って蹴り上げた。内臓に思わぬ刺激が加わったのか顔を青くして少年は崩れ去ると同時、風魔に群がろうとした少年たちは矛先を変え北条を一斉に殴り始める。


風魔は呆気に取られた顔をしてその地獄絵図を眺めた。そこからすぐにため息をついて再び右手を少年たちに向かって翳す。


「なんだぁ?」


中でも一人の少年が気づいて凪に顔を向けたと同時、台風でも体験しえないような突風が吹いて少年たちを倉庫奥の壁面にたたきつけていった。


小汚い悲鳴がいくつか聞こえた後、さっきまで殴られていた北条は頭を抱えてダンゴムシのように埃が付着したコンクリートの上で固まっている。風魔は綺麗な円形を描いた北条に手を差差し伸べる。


「なんか不思議ね、北条君って。ダサいのか勇気があるのか」


「それは…どうも」


まだ敵がいるのか警戒しているようなそぶりを見せながら目配せして危険がないことを認識して北条は立ち上がる。彼らの交友はそこから始まったのだ。そこから話は進展していく。


それからはかなりの期間が過ぎた。すっかり打ち解けたのか卑屈で過ごしていたかと思えば急に男らしさを見せたりする北条 紅旗と風魔 凪の距離は縮まっていく。彼の途端に見せる勇気の由縁というものは亡くなった帝国陸軍の祖父であるという。


「まぁ、中学三年の時期なんだけどね。じいちゃんが逝ってしまってどうなるかって感じだったんだけど遺産はかなりあって何とかなったんだ。それでこんな見てくれだからかなり狙われて高校では大惨事だよ」


偉く饒舌になった北条に呆れた風魔は引き気味に答える。


「ふうん、北条君のあの妙になれた格闘スキルって祖父から習ったものってことね」


「そうなるね。遊び程度だけどじいちゃんは陸軍にいた時に医官やっててロシアで戦ってるときに格闘を習ったらしいんだよ。その人のこといつも話してたなぁ、ってまぁ、そんなことも別にいいんだけどさ、風魔さんってめちゃくちゃ凄い人だよね」


「凄いって?」


「風だよ!風。まさかウィザードなんて、初めて知ったよ。みんなはこのことを知らないもんね」


その会話の途中に急に暗い表情を見せ風魔は俯いた。


「どうしたの…?」


不安になってきた北条は自分が地雷を踏んだ可能性が無いか考え直す仕草をした。しかし風魔は首を振った。


「別に、ただ、その『ウィザード』って言葉、おじいさんから習ったの?」


意味ありげな言葉に北条は黙ってうなずいて自分の言葉に対する彼女の意図を探った。


「そう…」


さっきまで目を輝かせて話していた北条をお気楽そうでいいな、と風魔は遠い目をした。他に目立った交友関係を築いていない二人は昼休み、度々屋上で時が過ぎるのをただ茫然と待っていることが増えていた。雲の少ない青空を見上げフェンスに寄りかかって風魔は意を決したように言葉を紡いだ。


「あのね、北条君。最近私の兄さんが、事故にあって入院してるんだけどさ」


何を思ったか気のまぎれない風魔は北条に事の顛末を話した。北条は特に動じる様子を見せず黙って聞いていて晩年フリーの人間であるゆえに風魔兄に対する見舞いに付き添うことが始まりその回数は増えていく。


それが何回か続いた時だ。急に現れた男女が個室の部屋で待ち構えており北条たちを歓迎する。


「いやぁ、凪。今日はお友達もつれてきたんだね」


物理学専攻の科学者のような面持ちの白衣が似合いそうな陸軍の制服を着た軍人が部屋でベッドで眠る風魔兄の傍で椅子に腰かけている。男は胡散臭い喋り方で風魔と北条を交互に見た。


「ど、どうも。北条です、同級生です」


どもりながらも無難に北条は答えてニヤニヤしている軍人の顔を観察する。男の胸に付いた賞詞や階級章に目が行き陸軍の祖父を持つゆえに階級にもある程度知識があった北条はこの男が陸軍大尉であることと奥田というネームが付いていることに気づいた。


「ああ失礼、僕は大蔵駐屯地歩兵40連隊4中隊中隊長を務める奥田 隆弘というものだ。ここの二人は客人でね、凪と一緒にお話しすることがあるんだ」


不気味な笑顔に引き攣った笑いを返しながら北条は奥田の背後に立つ男と女をバレないように盗み見る。白髪がかかった鋭い目に髪がかかりそうなぐらいロン毛の男は季節に似合わないモッズコートを着込んでいる。もう一人の男は純白のスーツに身を包み高そうな腕時計やネックレスを見せつけるように付けているそして最後の女だが、真っ赤なドレスを着た麗しい金髪の令嬢だ。


とてもまともな連中には見えないと思いながら北条は風魔に目配せるが心なしか震えているように見え目を疑う。いじめっ子に襲われていた時でさえ臆することもなく突っ込んできた彼女が拒絶反応を見せているのだ。


これまでに何かあったのか、この男は何をした、何故こんなになれなれしいのかと様々な憶測を立てて北条は勇気を出して踏み出そうとした時だ。


「初めまして、可愛い坊やですわね。ミスター…お名前はなんていうのかしら」


北条の目の前で陣取る美しい容姿をした女性が言葉を発した。そのお嬢様然とした口調に北条は度肝を抜かれ衝撃を受ける。この世にこんな話方をする人間がいるのかと驚きすぎて顎の関節が外れそうになり悟られまいとまともに返事をするふりをした。


「ミスター北条 紅旗です」


しどろもどろになる北条を見て悶えるように自身の肩を抱きしめる彼女の金髪の縦ロールが揺れる。毎日アイロン掛けるの大変なんだろうなと思いつつ北条は黙って反応を見ていることしかできなかった。


「なんて可愛い少年なのかしらッ!穢れを知らぬ瞳、あどけない顔つき、芸術的、エクセレントですわッ!」


北条はなんなんだこいつらは、とただつばを飲み込んで黙っていることしかできない、見かねたのか隣にいる白髪のハンサムな男が口をはさむ。


「ルシ、坊主が引いてんだろ。全くこれだからショタコンは困るぜ。俺たちはそんなことをしに来たのか」


「もう!不躾な男ッ。これだからバアルという男は。ワタクシの至福の、感慨に浸る境地を邪魔しないでもらいたいですわ」


バアルと呼ばれた男の言葉を冷たくあしらい妖艶な声を上げルシと呼ばれた女は声を掛ける。


「それでミスター…紅旗。あなたはその娘とどんな関係で?」


言葉尻で美しい金の瞳が急に鋭利になる。その瞬間に空気が変わるのを北条は感じた。何か試されていると。腕を組んで挑発的に、品定めするようにエレガントな女性は北条をまじまじと見つめる。


「僕は、風魔さんの同級生です。あなたがたは、一体なぜこのようなところに」


慣れない敬語を喋りながら北条は気づいた。ここにいる三人とも外国人のような風貌をしており、加えて日本語が達者だという事実に。気にするまでもないような事項でありながらこの不思議な一行の目的が見えない。


「あなた、ベツウィンガーの諜報員だったりしませんわよね?」


冷酷になった言葉はどんな刃物よりも鋭く刺さりそうで今までの印象を覆し北条の鼓動を早まらせるのには十分な威力だった。今にも睨み殺してきそうな目に気圧される北条は後ずさりしそうになりながらも答えた。


「聞き覚えがありません…」


裏返りそうになる声を抑えながらも北条の手汗はにじむ。

途端に被せるようにルシは言った。


「アガリアレプト。今の言葉の真意を」


彼女の言葉と同時に不快なピアノの短い旋律のようなものが耳を伝わり北条は頭の隅々まで何かが浸透してきた感覚に襲われる。何拍か置いてルシは怖い形相から段々とやわらかい表情へ戻っていき言った。


「ふう、本当に何もありませんのね。安心しましたわ。こんなにキュートな少年がエビルイーターの端くれだったなんてこと、とても私は受け入れることができませんもの」


冷や汗が顔を伝って体へ落ちていき北条は震えあがって今すぐにでも風魔の手を取り逃げ出したい気分になった。だがすぐそこのベッドで風魔兄は横たわり人工呼吸器を身につけている。もしも黒い連中だったとすればそれは見捨てることにも繋がるだろう。


「北条君、ごめん。大丈夫だから」


やっと風魔は言葉を口に出して人ごとのように笑っている奥田大尉に告げた。


「あんたたちの依頼は引き受けない」


「俺たちは新しいパートナーだ、違ったか。この人たちはお前とおんなじウィザードなんだ。きっとなんでも助けてくれる、僕とこの人たちの言うことを聞いてればお兄さんも助かるかもしれないんだぞ。今はこうしてけがをして寝てるがいつかは復活するかもしれない。そのチャンスをみすみす捨てるっていうのか?」


他人の弱みに付け込むような話し方をする奥田大尉は椅子から立ち上がり風魔の肩に手を置く。


「あ、あの」


「なんだい?北条君。君は今はちょっと席を外してもらえないか。大事な話があってだね」


こんな状況で外せるわけないだろと北条は状況をいまいち掴めないながらも踏みとどまった。風魔は奥田大尉と3人の仲間たちへ向け突き放すように言う。


「あんたらみたいな―――」


風魔は声を荒げた。吠えるように何かを告発するかのような前ぶりだった。そこに気に入らないと腕組みをした高貴な美女であるルシは呪文のような言葉を唱えるのだった。


「Halt den Mund.」


「ぐっ…うう…」


頭を押さえ気を失うように前かがみに倒れた北条はうめき声をあげた。北条は付き添い声を掛ける。


「風魔さん!一体何が、あんたたち何をしたんだ!」


北条の怒りを滲ませた表情にルシは感激する。


「まぁ!精悍な顔つきもして見せることができるなんてッ!なんてかわいらしい…」


艶めかしい声は今の北条には悪魔のようにしか映らず実に狂気的だ。隣で興味のなさそうに鼻を鳴らすだけのバアルは静観を決め込み奥田大尉は含ませ笑いがこびりついたまま微動だにしない。虫けらでも観察するようにしながら誰も何も言わないのだ。一言も話さないド派手なスーツの男はようやく汚らわしいアジア人を侮蔑するような表情をして語る。


「お前のような小童には理解もせんでいい話だ。わかったら消えろ」


「何を…!」


北条は冷たい言葉を放つ男に歯向かう。だが奥田大尉に制止され諭された。


「北条君、これは大切な話なんだ。分かるだろう?あまり個人的なことに口を出しちゃいけない」


後ろで不敵に笑うルシは神経質そうに埃がスーツについていないか確認している男へ告げる。


「サタナキア。客人を外へ、これ以上この小娘に余計なことを口走られる前に工作を。そうですわね、少しばかり記憶をいじっても構いませんわ」


ルシはそれから高笑いをかましサタナキアは北条の元まで歩いてその小さな頭を大きな掌でわしづかみにする。抵抗する間もなく、空間は真っ白な世界へと作り替えられていった。北条の姿は原子分解されるかの如く、霧のようになって部屋から無くなっていく。


それからだ、サタナキアの力が浸透したのか部屋が少しずつ揺れ始め何かが起こる。


いびつなノイズ音がいくつか響きモノクロな世界が形成されたかと思えばすぐに元の色合いが戻ってくる。視界に広がったのは、再構築された空間なのだろうか。院内はそもそも静寂さを保つ空間であるが様子がおかしいのか雑音1つ起きやしない。


「…勇気がなかったか?あんな糞野郎一人連れてきて何が変わるっていうんだ。全く無駄なことを」


呆れてこめかみに手を置いて悩まし気な表情を作るペテン師に風魔はうずくまった状態から睨みつけるように立ち上がる。


「あんたに…屈してたまるか!」


風魔は隠し持ったカッターナイフの刃を出して奥田大尉へ向けて放る。それは何の力も加えられることがなければ放物線を描いて届くか届かないかといったところだっただろう。だが実際には見えない力なのか微弱に風が吹き絡まるようになって急速に勢いを付けたそれは弾丸のように奥田大尉の顔面に突き立てるように迫る。


「あははッ。行儀のなってない娘ですこと」


ルシは風魔と対面したまま片手で払うような動作をした。優雅な立ち振る舞いは崩さず動かないままだ。だが何か力が伝わったのか無残にカッターは原型を保てず分解されるようにボロボロと崩れ始めてやがて目標に到達もせず消えた。


「くっ…これなら…」


風を放出するのか密度を高めて狙いを定めたように一歩も動かない三人へ向け風魔は力を行使する。当たれば背後にある窓ごと吹き飛ばし連中を追い出すことができただろう、事実吹きすさぶ風は大いに室内で暴れ窓ガラスをすべて割っていく。


「眠くなるような攻撃ですわね」


つまらないと言いたげな目を向けるルシは軽くあしらうように人差し指を風魔に向けた。


「наказание」


言葉が力となるのか強い圧力が込められ風魔の身体は壁際に押し付けられた。肉体を突き付けて重力が限定的に強くかかって壁は亀裂が入り破壊されていく。肺が潰されるような痛みと共に血を吐き倒れることも許されず風魔は縛られる。


「安心しろ、この空間にいる限り死になどせん」


サタナキアは美術品を見物するような眼で苦しむ風魔の姿をしばらく確認して感想を述べるように言った。彼にとってはこの応酬など茶番に過ぎないのか、叫びをあげ血だらけになる風魔のことなどなんとも思っていない立ち振る舞いだ。


横にいるバアルも同じ気持ちなのか眼すら合わせず退屈なのか何なのか目線は一点集中で、認識すらせず立ち尽くす。小悪魔的な表情を浮かべたルシは興奮したのかどこからともなくダガーナイフのようなものを数本出現させ両手の指と指の間でそれぞれ挟むように保持して構える。


「せっかくですわ、久しぶりに滾る感覚。何回かぐらいは、殺しても文句ありませんわよね?」


お仕置きですわ、と一言置いて風魔の恐怖に震える表情に嬌声を上げるように一斉にダガーナイフを放った。スピードをもって剣は彼女の身体を串刺しにしていく。




「———————————————————あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」



腸はぶち負けられまるで精肉工場のように肉の塊はカットされこぼれだしていく。醜く残酷で、血しぶきが舞う空間の中で美しくルシは微笑みを浮かべていた。次から次へ出現するナイフを連続で投げつけ反応を楽しみ絶望の声を聴く。狂ったルシの歓声はなおのこと喜びを上げそれでも死ねない風魔のピクピクと痙攣し涙を流す様を見て人差し指を頬に当ててとぼけたような声を出す。


「少しぐらいこれでわかってくれるかしら。これ以上刺そうと思ったら顔面も行けなくはないですけど、それでは実に美しくありませんものね」


彼女にとってはアートを形作っているだけの行為としてか認識していないのかなんら罪悪感など抱いていない。風魔を拘束したまま謎の力はなおも壁に叩きつけ縛りあげる。血反吐を吐きながらも息をする風魔は呪の言葉を吐く。


「この、クソ女…殺す、殺してやる…!」


その瞬間、彼女が当初立っていた地点に転がっていたナイフが回転してルシめがけて切っ先をあてに来た。不意に来たせいでなんとか顔を逸らして避けるものの風を纏ったのか通り過ぎる際に大きく鎌鼬を起こし、その場にいたのが普通の人間であれば無残な顔面にされたのは間違いなかっただろう。減殺するように何かのエネルギーと風はぶつかり小さく爆発して収まるも残った爆発の余波はルシの頬を掠めてナイフ本体は外に飛び出て亜空間へ消えていく。


頬を伝って落ちる一筋の血を指で絡めとってルシは目を細めてしばらく何が起きたの考えていた。やがてその瞳を限界まで開き憤怒の形相で風魔の顔を見つめる。


「生意気な雌犬が」


彼女が腕を振ると同時に風魔の視点は360度以上の回転を描き地面に着地する。何か強い衝撃を受けたのが分かったが理解するのに時間がかかる。そう、風魔の首は斬られ地面を転がっていた。


「エビルガーデン恒例行事、首狩りですわ」


平穏な表情に戻ったルシは奥田大尉含む残りの三人に男へウィンクして風魔の生首へ向かい拾い上げる。頭上の髪を掴むようにして持ち上げ血液が斬られた後から滴り落ちているが気にする様子もなく兄の眠るベッドへ連れて行った。


「あ、あ、あ…」


風魔は口をパクパクさせて自身の意識が途切れないことに絶望を抱いた。それこそ切断された痛みを吹き飛ばすほどの感情の破壊でありもはや彼女は壊れ何を感じることもない。


「見なさい、この寝顔を。実に穏やかなこと」


兄の安らかな表情を前に風魔は絶望に打ちひしがれ狂気的なこの空間には侵食されていく。


「いいこと、今からよく見てなさい」


余った左手にダガーナイフを一本出現させルシは兄の身体に突き立てた。


「やめて…」


言葉は届かず、何発も、何発も、それは繰り返される。


「やめて、お願いだから…!」


目を覆うような光景は続けられた。ぐちゃぐちゃになるまでそれは続けられる。


「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


壊れ切ったように、叫ぶ彼女の表情を見てルシはひたすらに刺し続け絶頂に達したのか嬌声をあげて血祭りにあげるために行っていた行為をやめる。掴んだ生首をルシは自分の顔の前に向け言うのだ。


「こんな素敵な光景、そうそうお目にかかることはできませんわ。それともあなたは、自分のつまらないエゴでこのような惨劇をお望み?あなたがそれを望むなら私は大歓迎ですわ。ですがそうでないなら」


風魔の耳に口を近づけ妖艶な声をルシは吐いた。


「さっさと壊れてしまいなさい」




この世に救いなどない。まがい物で構成された世界である以上一部で偽物の幸福を享受できたところで、つまるところそれは借り物の平和であり今日も誰かが苦しんでいる。


いつか誰かが助けに来るわけもなく誰に救うことなどできもしない現実などはいくらでもあるのだ。彼らはそれを、身をもって教える悪魔と死の軍団であった。






それからだろう、後ろに倒れるような、気の抜けた感覚と共に現実に引き戻された北条は妙に発汗した自分の火照った体に異常を感じた。何が起きていたんだと。


「僕は確か、奥田大尉やあの男女と何かを話して…」


何故か居ても立っても居られない北条はさっきまで病室の中にいたというのに外に放り出されている違和感を払しょくするためにも部屋へ飛び込んだ。


「…?」


そこには依然変わらず立ち尽くす三人の姿や奥田大尉と風魔が二人で何やら神妙な面持ちをして黙って向かい合っていることぐらいでありそれ以上を北条に追求する余地はなかった。


「また来るさ。凪、いい友達を持ったな」


奥田大尉の不快感を潜在心理にまで植え付けそうな悪魔的な笑顔を北条は忘れることができなかった。足早というか、それにしては堂々としているのか、存在が無くなっていくように姿を消した陸軍の軍人に引き続き三人組も去っていく。その間際に、


「次にお目にかかれるのはいつになるのかも存じませんが、何故でしょう。あなたとはまた近くお会いすることができる気がしますわ」


ルシはそのかわいらしい顔に含みを持たせた笑みを浮かべ次いでとどめだと言わんばかりに北条に投げキッスをしてご機嫌な様子で姿を消した。何も覚えていないがどこか既視感を感じるような、勝手に脈拍が上がる北条は不安で仕方がなかった。連中がなぜここにいたのか結局何も思い出せず聞きすらできなかったからだろう。


彼らの姿が消えてすぐに風魔のほうに顔を向けるも骸のように温度のなさそうな顔をした彼女を見て何といえばいいのか北条は固まってしまう。心なしか髪が乱れているように見え、かと言ってそれ以上追及しても何も答えなどしない。


蚊帳の外となった少年は呼吸器をつけ眠る彼女の兄を見て何が起こっているんだと語り掛けるような眼差しを向けた。

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