清水の迷走

凄絶な争いを繰り広げその真っただ中で北条は非現実感を味わっていた。


しかしそれでも彼の心の動揺はとても初めて戦場に立たされた兵士の心理と比較してかなり落ち着いている方と思われる。そうなるのも彼は一度はこれを上回る地獄を乗り越え生き残り戦ってきたことに加え彼自身がウィザードになりうる素養を持ち合わせていたことが関係している。


自らの傷口に手で触れることで直してしまった現象は奇跡などという言葉で片付くものでなく北条 紅旗の能力によるものが真実であった。治療、回復に特化した異能を司る少年はこの状況で戦闘を繰り広げるメンバーをざっと見るだけでもその摩耗状況を即座に判断することができる。


「エヴァさん、腕を見せて」


負傷した彼女の腕を取りまじまじと北条は観察した。彼の能力も無限大とはいかず基本的には自然治癒力を高めることで人員の負傷した部位を完治させることができる。つまり完全に切除されなくなった手足を生やすことやどんな難病であろうとたちまちに治癒させてしまうような文字通り奇跡を起こすことは不可能なのだ。


「なに?」


占い師に手相でも見られるかのような反応を見せてエヴァは北条に訊ねた。


「いや、もう大丈夫だよ」


止血帯が撒かれたうっすらと血のにじむ部位を一通り注視して手を重ねた後弱い緑の光が放たれそこで痛みが無くなったことにエヴァは気づいた。北条は手を放して次は風魔を観察する。自由に動くようになった腕の状態を確認するようにしてエヴァは横にいた清水を目を見合わせた。



「北条、お前それであの時も俺を」



「清水さん、僕はヒーリングだけはそこらへんの人たちとは段違いの能力を持ってると思うんだ。困難でも役に立てただけうれしいよ。それよりも、風魔さんも斬られた傷がある。だけど…」


「どうにも食らってる反応を微塵も見せないな。アドレナリンが分泌されたときに似たような反応を見せることもあるだろうし、ウィザード故にあいつ自身ダメージを軽減する技術も持っていた。だがあれはリミッターを奥田大尉に外されているとみる。あの女はお前を襲ったとき何か言ってたか」


さっきまでの記憶や清水の発言を踏まえて反芻し、北条は答えを出す。


「チップを埋め込まれたって言ってたんだ」


「…大尉!」


非人道的行為に対し怒りを抱いた清水の雄たけびをものともせず、発散しきった顔をした元中隊長は安全距離を取るかのような動きを見せて清水たちと距離をっている。


最高潮に達したのか殺意を宿した風魔は自身の持ったナイフに詠唱を加えた。言葉が紡がれると同時に紫煙を放って刃部に見たくもない色を付け始め、逆手持ちでその切れ長の瞳の前で一度翳してから清水たちの方へ向けて全力で投擲した。


ソニックブームを発生させるかのような超高速で投げられたナイフはあらゆる万物の分子と分子の間を貫こうと真っすぐに空気を切り裂いてきた。


北条は思わずその迫力に顔を伏せ清水は盾になってるかぎり北条を連れて躱すのも至難の業と判断したのか受け止めようと策を練るが、その一瞬の間を衝いてエヴァが間に割って入る。



能力が行使されたのか月夜に照らされ余計に輝く赤い目によって見えない力が宿り向かってきたナイフ事爆発を引き起こした。火炎を発生させることもなく代わりに氷の塵を周囲に散らせ廊下は氷漬けにされていく。



「二人は逃げて!こいつは私がやる、北条 紅旗を安全なところまで」


えらく必死な彼女の懸命な姿を見て清水は頷いた。


「お前も何とかして持ちこたえろ、必ず助けに行く」


清水の返事に何故か少女は照れ隠しをするようにぎこちなく顔を風魔に向けた。まるで憧憬の眼差しを向けているかのようだ。変な奴だ、と勘繰りつつも清水は北条を連れ新館から脱出して連絡通路を用いながら隣の旧館側の校舎へ移動していく。


残されたエヴァを前に感情の起伏が激しくなった風魔はしたり顔で言う。


「あんた一人なら好都合。次は簡単には止められないから覚悟なさい」


はったりではなく本気の言葉にエヴァは身構えた。風魔はさっきとは異なる言葉を短く口ずさんだかと思えば素早く新たなナイフをエヴァめがけて放つ。これも例外なく撃ち落とし、あわよくばそのまま相手ごと凍結し事を終わらせようと視線を集中させ、そこで違和感に襲われる。


物体を凍結させあと一歩、発生した氷柱を風魔へ向けようとアクションを起こそうとした時点ですり抜けるように自身の心臓をわしづかみにされたのだ。


無論物理的にそうなったわけではない、感覚として起こった話でありそこにエヴァは目を丸くするほかがなかった。思い返すとすれば風魔の言葉にあった起源に関する話で風と呪いという言葉でありそこから導かれる答えに到達するよりも先に忌まわしい記憶がよみがえり心の中を蝕んでいく。



「相手の心的外傷を引きずり出し恐怖を増幅させる、記憶に入り込む質の悪い、物理に特化してるだけのあんたには破れない代物よ」



勝ち誇ったように笑う風魔は最高に気持ちよくなった表情をして言った。



「あんたの精神、めちゃくちゃにしてあげる」



焼き付いた因縁を蘇らせるべく体内を駆け回る感覚にエヴァは恐怖に竦む。


静かに力が抜けていき制御などできず地面にひれ伏すように倒れていき下がっていく視線を必死に保つが視界はぼやけていくだけで切り裂きジャックと化した風魔が段々と迫ってくることで途切れていった。





「はぁ…きつい…」



「ここらへんでいいだろう」



旧館二階の通路に半ば引きずるようにして連れてこられ北条は投げだされるように通路にへたり込む。


清水はマガジンに残弾が何発あるか取り出して確認して再び小銃に装填して槓桿を引く。上から被ったハーネスのポケットに格納された装備の点検を行いながら周囲に気を配りつつも息切れを起こした北条を見降ろして言う。



「この数か月、一体どうだったんだ」


「…それはこっちのセリフだよ。清水さんこそよく生きてたね。どうしてこんなところに」


「今は殺し屋、傭兵みたいなもんをやってるよ」


「随分物騒だね」


「まっとうに生きていこうとしても野垂れ死ぬだけでな。逃げるようにこんなことやってたが奥田大尉からは逃げるなんてことはできなかったよ。中隊長の暗殺なんてものは断っても良かったがそこから何もかもに対して目を瞑るなんてことは自分自身が許せなかった」


「そうして、戻ってきたんだね」


「ああ」


倒れた何人かの陸軍の兵士の遺体を眺めながら清水は感傷に浸り、もしも過去と決別することを拒みすべてを投げ出し逃亡でもしていればどうだっただろうと思いを馳せる。


「僕があの時見た清水さんは紛れもないヒーローだった。そんな人がこの現実から逃げ出すなんてことは絶対にしないんだ」


「お前は買いかぶってるよ」


「僕は相変わらず一人で空しく生きてて思ったんだ。追いつめられてた異能を持ってるせいで苦しむ女の子1人救えず、自分はのうのうと生きてる、こんな人生に意味があるのかって」


立ち上がった北条は一人の弱い学生としては今このある現状を受け入れすぎている印象があった。それが成長の証なのだろうかと清水は首を傾げ脱出経路を確認するべく無線を相棒に向け入れた。


「梶木、この結界みたいなやつはどうなってる」


「…さっきから化け物のオンパレードになってるみたいだがそっちは本当に大丈夫なんだろうな」


「恐らくな、あの凶暴なウィザードが追いつていて来ない限りは安泰だ。この認識阻害の壁が俺たちを阻まなかった理由や急に人間が消えた理由から何まで気になることだらけだ」


「敷地外から一歩たりとして進めない、跳ね返される。奥田はウィザードの研究をしていたことがある、とかなんとかお前から聞いたことがあったがそこについて話せるか」


そこで清水は元中隊長について知っていることをすべて語った。彼は大学で異能について研究しまた能力の応用について熱心に調べまわっていたこと。彼はとんでもなく神経質で変わった人間で婚約者にも逃げられるぐらいには素晴らしい人間性をしているということ。


「途中から笑った方が良かったか」


そう言えどもクックックと堪えきれていない梶木の声が響く。


「そうだな、想像だがこの空間はあらかじめ決めた連中を除いてある一定のポイント、範囲にわたって構築できるものなのかもしれん。外部からの干渉などできずやつがいじくっている端末で全て操作可能。おかげで偶然存在を知られなかった俺たちはすり抜け校内に残ってたガキどもは予定通り追い出され、本来嵌められる予定の子どもが一人取り残されたってわけだな」


梶木の見事な分析を聞いて清水は概ねの自分の見解と合致したことに安堵した。


「で、お前の個人的な長話の続きでも聞こうか」


「…あんな人だが、そのおかげでレンジャー小隊は全員死ぬ羽目になった。中隊の連中がどう思ってるかなんて知らないが俺はもうあいつら陸軍を何人殺そうとも今は何も思わないね」


「恨んでるか」


「さあな。だが、死んでいった人たちのためにこの国を守ることを念頭に置いたとして、一体どこを潰すべきだと思う」


「…エビルガーデンを壊滅させることだ。奥田を殺したところで終わらない。あんなやつは所詮ただの引き立て役に過ぎない」


「…その通りだ」


それから交信を終わり清水は北条を更に引き離した物陰に潜んでいるように指示した。旧館から再び移動した彼らは最も三棟のうちでも最も古い校舎のほうへ移動して旧館二つの間に位置する中庭で迫ってきた追っ手を迎撃することを考えた。


「そこなら見えやすい」


梶木は狙撃手と化したのか清水たちにポジションについて綿密な位置の調整を図る。屋上から対人狙撃銃を用いて中庭の様子を一望しているようだ。北条は少し離れたところで情けなく隠れ清水の動向を見守った。それからすぐだっただろう。


血まみれにされたエヴァ・ブレイフマンが引きずられるようにして連れてこられたのは。

全身から溢れんばかりの鮮血を見て顔が引きつらないわけがない。北条は口を塞ぎ清水は彼女を引きずってきた気性の粗い風魔に小銃を構え叫ぶ。


「その手を放せ」


彼女の美しい銀髪をわしづかみにして歩いてきた風魔は激しい頭痛と戦いついにおかしくなったのか廃人のように笑うだけで中庭の中枢にまで至った段階で手を放す。倒れたエヴァは息をしているのかもわからない状態で殆ど身動きすらしない。


「エヴァ!お前なんで負けてんだ!」


まさかそんなはずは、と清水はこの結果に対して後悔が生じ始めた。あの場で自分も戦っていれば、と。北条も同じく自分を安全な場所に逃がすために少女が犠牲になったことに対する罪悪感に苛まれる。


「私の技をもってすればこいつのトラウマ増幅なんて容易かったわ」


「トラウマだと…?」


風魔の瞳に宿った邪悪な輝きを見て清水は後ずさりしそうになる。今までとは違う毛色の能力だと感じているからだ。


「惨めで虐げられ毎日おびえながら暮らしてきたようなウィザードなんて山ほどいるのよ。こいつもその一人、極寒の地で凍てついて死にかける思いをしてたみたいだけど、やはり並の人間より深い傷を負ってるとはね」


「はっきり言えよ。普通にやり合って負けるとは俺には思えない。心理的に拘束したか」


「清水 総一郎。あんたは自分の心配をする方が、先じゃない…!?」


風魔は文字通り風を斬った。音速を超えるようなスピードでナイフが穿とうと迫る。轟音と共に風圧が地面を削り土が吹き飛ばされ当たる前から衝撃の強さが見て取れる。


清水が避ける算段を即座に考えていた矢先急に進路が変わり北条が隠れた旧館の入り口付近めがけてそれは飛んで行った。


北条にとっては瞬きする間に起きた一瞬の出来事だっただろ。離れすぎず近すぎずいい距離に隠れていたつもりが一瞬でミサイルのようなものが自分めがけて発射されたと思えばどうだろうか。反応などできる訳もなくただ怯んだままその場でただ迫りくる死を待つだけとなる。


「殺させねえぞ!」


彼の目の前に咄嗟に飛び込んできた清水は小銃を盾にナイフを防いで見せた。それは銃を破壊し真っ二つにして清水の内臓を抉る。どれほどの傷を負わせたのかは分からないが本人からすれば死んだと思っても仕方のない出来栄えだ。


力が抜け倒れこみ気が遠くなりそうになって清水は激痛と戦った。こんなのは久しぶりだと夜空を見上げ思う。満月が昇ってきて彼を照らし次いで北条が飛び込んできた視界で叫んでいるのが映り戻ってこいと言われていることをうっすらと感じながら清水は苦痛に満ちた表情をした。


弱い自分を狙ってきたおかげで清水一人ならば助かったはずのものが危うくなる、北条はその事態にどうしていいか分からず駆け寄ることしかできなかった。真後ろに倒れそうになる大きな背中を支え反応を確認する。


「すまねえな…俺が不甲斐ないばかりに」


「何言ってんだよ!こんなのどう見ても僕のせいじゃないか。僕のせいで、清水さんが、死ぬなんて言いわけがない…」


介抱されながら逆流してきた血を吐き出し清水はやっとの思いで口にする。


「勝手に死んだことにするんじゃねえ。まだやれる、俺はまだやれる」


頭がおかしくなりそうなほど内臓から伝ってくる独特の腹痛に抗い遠くなりそうな意識を呼びもどし清水はハーネスを脱ぎ捨てた。


防弾チョッキを含めた装備となっているがあんな怪物を相手にしてこんなものは意味をなさないと思ったからだろうか。心なしか身軽になった清水は膝からゆっくりと立ち上がり北条に小声で尋ねる。



「ヒーリングは間に合わないか」



「時間が稼げれば、多少は修復できるかもしれないけどまさかこのまま戦うなんて言わないよね」



「まさかって、それしかねえだろこんな状況なんだからよ」



絶望的な状況の二人を見て風魔は高笑いした。これが普通に笑っていれば可愛い女として描写できるのだろうがなにぶん狂気的でサディスティックが勝る印象が強い為今いる男たちにとってはとても喜べる状況ではないだろう。


「万事休すってやつかしら。エビルガーデンの襲撃を食い止めた英雄もそこの無力な北条と一緒に哀れに死んでいくってことね」


「やめろ、誰も負けてなんかない」


大腿部に付けられたホルダーから拳銃を取り出して清水は風魔を狙った。この距離ならば拳銃でも十分当てられると踏んだうえで慎重に照準するが気が遠くなるせいで中々定まらない。


「次は心臓を穿つ…!」


彼女の笑みと共に白い歯が一瞬見えそこから思い切り振りかぶって殺人ナイフが飛んで来ようとする。そこへ踏み込んだ風魔の左足に発砲音と共に弾丸が貫いてきた。


「…!」

筋繊維を鉛の弾に断ち切られ勢いをなくし座り込んだ風魔は目を見開いた。ここに部外者がまだいるのか、と。


空を見上げるも射撃した相手の姿は見えず夜の静けさが増すだけだ。奥田大尉が連れてきた中隊の隊員とも思えず風魔は見えない狙撃手を必死に探そうと周りを旋回するように血眼になって探すが兆候は一切ない。


「清水、そのままじっとしてろ。もう一発だ」


安心感を与えるむさくるしい梶木の声と共に排出された薬きょうが落ちる音が聞こえ、さらに一発の銃声と共に、風魔の右肩を撃ちぬいた。


足をやられ動けず為すがままになった彼女は衝撃で後方へ吹っ飛ばされ地面に寝そべる。仰向けで動こうとしても激痛に耐え兼ね中々立ち上がってこない。


「クソガキが。お前は視力だけじゃなくて痛みに対してもまだまだおこちゃまだったんだな」


遥かにひどい傷を負った清水は見透かしたように言った。屈辱と痛みに耐えうずくまる風魔は何か言いたそうにするがそれ以上に肩を撃ちぬかれた激痛のせいでとめどなくあふれる血液に恐怖を覚え肩口を抑えながら息を整えた。


同級生の無残なやられ方に北条は目を背けそうになったがこんな状況は前に一度会ったのか立ち直るのは早い。それが好意を普段寄せている相手であったとしてもここで気づかいに行くなんてものは自殺行為で落ち着いてもらうのを待っている間、最も自分がやるべきことをこなすべきだと考える。


「清水さん、今のうちに治療するよ」


「…様になってきたな」


深い傷口に手を当て北条は能力を行使した。清水の傷は深くとてもすぐに治るようなものではない。だが、少しでも止血代わりのヒーリングが行えればこの戦闘を乗り越えたとしても死ぬ可能性を一段と減らすことが可能になる。脳内に傷と傷を結ぼうと糸で結んでいくイメージを作りながら尚且つ細胞による修復を早めようと促進させる。


「お前の力…いつかどこかで見たような安心感がある」


「僕の力が…?」


「人殺しに走る連中ばかりいる中でお前みたいなやつが珍しいから、なのかもしれんな」


途切れ途切れに湧いてくる思いは失われた記憶なのかそれともただの勘違いなのか。ある程度動けるまでに回復された清水はその力の凄さに感嘆する。完治とは行かずとも立派な応急処置になっており戦闘中であることを考慮すれば完璧と表現してもいいからだ。


「ただの子どもじゃないんだな。頼もしいやつだ」


1人納得していた清水の視界に何とか持ち直そうと足を引きずりあがらない方をなんとかしようと必死になる風魔が入ってくる。いくら自在に風を操りダメージを軽減し、奥田大尉にいじくりまわされたところで弾丸で不意に体の要所を二発も撃ちぬかれればただでは済まないようで猛獣のように睨みつけるだけで攻撃してくる気配はない。


「大人しく引け」


正気に戻った清水は拳銃のスライドを引いて弾が薬室に入ったことを確認する。


「まだよ」


禍々しい闇に包まれながら風魔の右手が発光する。


「この女と同じ体験させてあげるわ」


風魔は倒れたエヴァに視線をやり清水に戻す。握られたナイフはエネルギーを溜めたのか電気を帯びる。紫色の電流のようなものは風魔全体を包みこれからそれが向かってくることは誰でも予想できるだろう。


「おいおいおい、やばいぞ、北条、走れ、走れ!」


もうこれ以上食らうのはごめんだという風に清水はゴーサインを掛ける。次は足手まといになれないと北条は全力でダッシュをした。中庭から校舎の北側に当たる駐車場側に向け酸素の足りない肺に必死に空気を送り込み足を動かす。その隙に清水は拳銃を発砲した。


「梶木、この女の動きを止めろ!殺すなよ!」


「無茶苦茶だ!」


慣れない手つきで手足を狙うために震える指を抑えるように念じながら梶木は肺の空気を抜いた。清水の発射した弾丸は風魔の手足に当たっていくが何とも思わないのか少女は右手を振った。


「間に合わない…!」


梶木の頼りない無線と共に電撃に包まれたナイフはやってくる。終わった、と思うと同時にせめてもの回避行動で清水は屈む。宿った魔の手は清水の心臓を掴んだ。悪魔の攻撃はついに一人の兵士へ届いたのだ。


「決まった…」


勝ったと言わんばかりに風魔は立ち上がる。固まったままの清水の様子を観察するべく痛みと戦いながら一歩、一歩と進む。


「あんたみたいな人間に何が分かるってのよ。あんたらがいなければ何もかもうまく行った。平和だった。陸軍さえいなければ」


技の制御下にある人物の記憶は当人がさかのぼると同時に行使したものも共有される。エヴァの忌まわしい過去も風魔の記憶に蓄積され、これから清水の記憶も入ってくることだろう。


「あんたに何があるのかたっぷり見させてもらうわ」


記憶の破片は次々へと流れ込んでくる。


古い映像を再生するように、所々が白くかすんだ、灰色の記憶は広がった。


軍服を身にまとい幾多もの戦場で殺し合う男たちの映像だ。


あまりにも残酷で、醜く、救いのない、阿鼻叫喚の地獄と表現するのが妥当だ。


手足を千切られ焼かれ串刺し、八つ裂きにされ積まれた死体の中に男はいる。


名刀を振りかざし無限に続く地獄の中で人を斬り続ける。


叫び続ける男は自分の境遇に恨みを持ち続けている。怒りと恨み、激怒と怨念が混ざり、まるで、そうだ、現代人が理解できる感情ではとてもなかった。



この世全ての戦争の愚かさを凝縮した地獄であり風魔にとって体験などし得ぬ地獄は次から次へと人間の業を見せつけた。



「これは…」


「見たか」


「…!」


心臓をロックされ息苦しさを感じているだろう清水は微動だにせず、だが目だけは風魔を見据えている。


「これは」


「北九州での記憶か?」


「違う…!こんなのは…」


目の前にリンクされ広がった記憶の光景は未だ消えることなく風魔の目の前に展開し続ける。終わらない殺戮の地獄から抜け出そうとも抜け出せない、他人の記憶を覗き見るだけの行為が酷く辛く、倫理観を破壊しようと差し迫る。


「俺にはお前が見ているものが見えない。お前がもしも覗いてる何かがそうじゃないっていうならそれはきっと、俺が覚えてもない記憶なんだろ」


「そんなの、知らない」


「俺も知らないんだ。俺にとって俺の人生は数年前に始まった。それ以前が何かなんてものは分からない、もしもお前がそれを見ているなんて言うなら、言葉にして教えてくれよ」


風魔の瞳には涙がにじんだ。救えたはずの人間が次々に死んでいく光景を見て、どこに向けていいのかもわからない運命に対して怒りを清水へぶつける。


「こんなもの言葉にできるわけがない…!こんなこと、こんな目にあって平然としてられるなんて、そんなわけがない…!」


風魔の力は対象の記憶の中にあるトラウマを増幅させ精神的ダメージを与える上で有効なものとなる。


それは反作用として実行者にも見える記憶の光景でありながら周囲にいる異能を持つ者達も同じように干渉され脳内に情報は流れ込んでいく。


倒れたエヴァの脳内にもその光景は確かに刻まれ、同じようにダメージを与え続ける。


「エヴァの記憶も垣間見たんじゃないのか」


他人の記憶を覗き見るなど第三者からすればダメージなどあってないようなものだ、そのように風魔は認識していた。だがこの清水 総一郎という男は違う。


この人間の深層心理に潜む本物の闇というものはとても推し量ることはできずひたすらに地獄を際限なく見せ続けてくれる。


清水にとってすべての大切な人間、というものが片っ端から消し去られていき叫びながらどうすることもできず、憎しみの対象を切り伏せていく姿が映りながら風魔はナイフを落とした。


「こんな目にあっても、この国を守る理由が」


「…そうか。そうなっても俺は、きっと忘れてもまた同じ道を選んだってことか」


ふと、満足するように呟いた清水の顔が見え、やがては幻想のように流し続けられた記憶の闇は終焉を迎えた。

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