清水と北条


誠堂高校には三棟の建物があり2学年までの教室と職員室が存在する旧館がある。北条は普段旧館で授業を受けているが時折学内での集会や移動教室等で新館へ向かうこともある。


二年の教室は二階にありそこから奥田大尉に連れられ連絡通路を渡りながら新館へ向かった。やがて日も落ち部活動生たちの声すら聞こえなくなり夜間の校舎に不気味な雰囲気が漂う。


「なんであなたがこんなところに?」


奥田大尉の背中を追いかけながら北条は尋ねる。


「最近よく人が消えると思わないか」


「え?」


「いや、匂いを辿るあたりどこまで至ったのか気になったものだがそこまでのようか。いずれにしてもだ」


要領を得ないことをぶつぶつと言っている奥田大尉を北条は不審に思った。


「僕は風魔さんを探していたんです。最近は中々家に帰ってないみたいでこの近辺は元々治安が悪くて人も沢山死ぬことはありますけどここ最近は特に失踪事件も増えてるからなんとか引き留めようと思って、それで…」


北条の言葉は届いているのか分からないが奥田大尉は振り向くこともなく答える。



「風魔 凪に惹かれたか。確かに、あの血の滾る匂いは美しい。だがまだ調教が足りない、まだぶっ壊してやるには何もかも足りない」



嫌な予感がする。普通の人間ならばそう言った感想を抱いただろう。


新館へ渡り階段を下りて二人は一階廊下を歩きながら北条は今まで見たこともない扉の前へ案内される。不思議に思って北条は見ていると奥田大尉は率先して扉を開けて前進を促した。扉の奥は階段になっていて地下へ続き独特の冷たさと籠った空気を感じながら嫌な予感がしながらも北条は奥田大尉へ続いた。


「惹かれるってそんな…ていうか、これは噛み合ってるのかな」


何を示唆されているんだ、そのような疑念はすぐに明かされる。ひとしきり歩いて到着した空間は閉鎖的で暗いせいかはっきりとした形が分からない。あるのは一つの光源だけでありそこから聞こえてくるのは刃物が何かに突き刺さる音だけだ。


やがて音は無くなり誰かがそこに突っ立っているのがぼんやりと見える。


「風魔さん…?」


暗闇の中照明で照らされた空間で一人立ち尽くす少女に、風魔 凪に向かって北条は声を掛けた。


「良かった。最近出歩いてるみたいだから…その、心配というか、してさ…」


彼女の元へ駆けていき、しどろもどろになりながらも北条は説明を続けた。何もない空間で風魔の表情は光で際立っているせいかその開かれた瞳孔に狼狽する。そして、後ずさりしようとした北条は何かにつまずいてこけそうになった。


「これ…死体じゃないか」


嫌な粘着する音が靴底からする。大量に撒かれた血液に上履きが沈む。自分が踏んづけたものがただの骸でありそこから漏れ出た血液の海の真っただ中に自分がいると北条は理解する。


「殺人訓練だよ、北条 紅旗くん。そこの女は、いや、風魔 凪は我がウィザード小隊の登録者、そしてこれから僕の崇高なる使命を果たすべく協力者となり―――」


醜悪な笑みを浮かべた奥田大尉はこの血だまりの空間で立ち止まる北条にありがたい話をつづけた。一体何をしてるんだこんなとこで、北条は周囲に目を凝らす。死体、死体、死体が積み重なり、光の当たらない暗闇に積まれた遺体とそれが放つ匂いに北条は俯いて嗚咽した。


返り血が付いているのか風魔の頬や制服には赤い液体がところどころまとわりついている。右手に握られたサバイバルナイフは真っ赤に染まり見たこともないような光を発していた。


紫と形容するべきなのか、怪しい光を宿し邪悪なオーラを感じさせその正体は彼女自身にあると北条は理解した。この一連の人殺しは彼女が行ったことであり奥田大尉はそれを手引きしていた、一つのシナリオが北条の中で出来上がる。含み笑いをしながら奥田大尉は最後に言いかけた言葉を満足げに話した。




「この国を滅ぼす」




何の訳があって一介の女子高生を協力させて人を殺させる必要があるのか、有り得ないことを言う軍人に北条は振り向いて視線で投げかける。



「君は分かってたんじゃないのか?この女は立派なウィザードで一線なんか簡単に超えてるんだ。僕の言うことは何でも聞く、そうだよな?凪。お兄さんに何かあったらいけないもんな」



楽しそうに話す狂った男の言葉を聞いて北条は恐る恐る風魔の顔を見た。両目に宿された殺意に偽りはなく何かのためならどんな手段も辞さない意思を感じることができる。なぜ自分はここへ連れてこられたんだと回らない頭を必死に回転させながら聞いた。



「まさか、僕は晩餐に選ばれたのか」



生死を分ける場面なのではないかと北条は悟った。言葉は段々と明瞭になり普段とは打って変わってはっきり物を言えるようになる。こんなところで人見知りが治ったところでなんなんだと言いたくなるだろうが風魔に握られた血まみれのサバイバルナイフを見てそんなことを暢気に考えてられるほど彼は暇ではなかった。



「兄さんの命はそいつに握られてるの。だから、ごめん。できる限り早く殺すから」



躊躇なくすらすらと話す風魔に続くように奥田大尉はうんちくを垂れ流す。



「なんでもウィザードの教育方法にこんなことがあるんだが、それは異能を宿すものは同じく宿すものを共食いの如く殺していくことでその能力を高めていく、というものがあってね、実際に行われてきたとかなんとかいうんだが、面白いからその女を使って匂いを嗅ぎつけた素質のありそうなやつからこうやってぶっ殺させてきたわけなんだ。君はこの学校じゃダントツで才能もあるみたいだから、本当に、ちょうどよかったよ」



つまりは北条の命を奪うことでこの校内でこの二人にとって必要な人間は狩りつくすということになる。風魔の兄の命は奥田大尉に握られ、恐らく見舞いに行っていた時もすでに関係があったのだろう。


北条は風魔の兄について知っていることは少しだけありそれは彼が陸軍の軍人で連隊の4中隊にいて奥田大尉が中隊長だったということだ。彼は北条が高校に上がるよりも前に意識不明となり植物人間のような状態で入院を続けている。


そこに至った理由というのは訓練中の事故だというが、全ての黒幕が奥田大尉だということを知ってか北条にはそれすら原因はこの男なのではないかと思えてくる。



「やれ、仕上げだ、凪」



愉悦に浸る無機質で冷たい奥田大尉の言葉と共に風魔の右手があげられる。滴る血が地面に垂れて彼女の身体をどこからともなく風が吹き包み込む。風圧に思わず腕で目をかばいそれでもなおその高家を目に焼き付けようと北条は集中する。



次に瞬間、紫煙が彼女の周囲から沸き上がり濃縮された何かによって爆発が起きた。その勢いは小規模と言えど北条のような小柄な男子生徒の尻餅をつかせるには十分な威力である。冷たいフローリングに尻をついた北条は怖気づいて体が縮こまる感覚を覚えるが対話を呼びかける。



「風魔さん!僕を殺して一体どうなるっていうんだよ。ここにいる人たち全員いなくなったって人達か!?」



少しでも時間稼ぎなればいい、悠長なことを考えて策を練るが少女に届いた気配はない。


「ッ!!」


そして右手は振り下ろされた。纏った紫煙に小さく生成された風は上昇気流のように天井へ向け少女の周囲を回っていたというのに風向きを変え手から離れたナイフを伝い北条の身体を穿とうと迫る。空気が濃縮され限界を迎えたのか爆発を起こしそれは真っすぐと飛んでくる。避ける余地など残っておらず自身の終わりを悟りかけた時だ。


「———!」


目を瞑って迫る死と痛みに耐えようと歯を食いしばって覚悟する北条は自身に何も起こらないことに気が付く。やけに遅い、そう思い恐る恐る目を開けるとそこには、


「関係のない人間風情を巻き込むのはあまり褒められたものとは思えない」


どこからともなく伸びた堅氷のようなものが空中を一直線に進んできたナイフを捉えたものがあった。氷は北条よりもやや後ろから地面を伝って伸びており認識すると同時にあたりを氷漬けにされているせいで気温の急激な変化を感じ北条は肩を震わせながら背後から掛けられる高く澄んだ声の方へ振り向いた。


そこに佇むのは先日突如として教室内に現れた銀髪赤眼の美少女であった。大量の死体が転がされこれから自分が仲間入りをするかもしれないという状況でさえ彼女の容貌は美しく誰が見ても見惚れていただろう。北条の目は釘付けとなり呼吸をすることさえ思わず忘れる。


「君は」


「エヴァ・ブレイフマン」


堂々たる佇まいで一切の動揺を見せず真っすぐに北条と風魔を見据える。彼女の意志の強さやその迫力は麗しい容姿のおかげでそう見えるのか、はたまた内包的な何かか。いずれにせよ神秘的でとにかく形容するならば戦場の女神と名付けてもいいほどだ。


北条の言葉に返事を返してからエヴァは風魔を気に入らない、という目で睨む。お互い様だろう。殺意をむき出しにした風魔は言う。


「自分から出向いてくれるのは丁度いいわ。あんたみたいなやついちいち雇われてちゃ面倒なの。私には何としても守らなければいけないものがある。それをあんたみたいな意味の分からない奴に邪魔されるのだけはごめんだわ」


「…」


エヴァは返事を返すこともなく小さく北条に目配せをした。『逃げろ』と。


その後ろでほくそ笑む奥田大尉の隙をつこうと北条は全力でアドレナリンを分泌する。


「この二人に共食いなんてさせるつもりはなかったんだが、面白い。北条君、行くなら行きたまえ、ここはひとつゲームと行こう」


思いついたことを楽しそうにマッドサイエンティストのような口ぶりで奥田大尉は話し出す。着ている陸軍の制服が白衣であればムードも完璧であっただろう。


「奥田!勝手なこと言わないでよ」


風魔はすかさずその言葉に食らいつく。


「なぁに、こいつはここから逃げられやしないよ。君はエヴァと戦いこれまでの成果を僕に見せてもらおう、別に完勝と行かなくてもいい、ただそのあとはそこの弱い弱い草食動物を追いかけて殺せばいい。こんな無抵抗なガキ1人殺しても面白くもなんともないだろう。兄さんの命のほうが大事だろう?」


最後にまるで呪文のように唱えられた言葉に風魔は憑りつかれたようにおとなしくなる。

今しかないんだ、北条は息さえできなくなりそうな死の空間から飛び出し、部屋の入り口で北条が通り過ぎるのを黙って見過ごす奥田大尉の表情はとても国を守る軍人の顔ではなかった。


「始めろ」


その言葉と被さるようにブリザードが吹き荒れ部屋中のありとあらゆる屍を包んで爆発して粉塵が舞う。白い煙は吹き荒れ様変わりした光景の中、エヴァと対面する風魔はダメージなど食らったそぶりも見せず地面を蹴った。


あっという間に距離を詰めて腸を抉ろうと右足大腿部に装着されたホルダーから慣れた手つきで取り出したナイフを突き出す、だが一歩も動くこともなくエヴァの前部に人一人ぶんぐらいの高さはある氷壁が作り上げられ行く手を阻んだ。


蹴り上げて跳躍したせいで慣性を殺すことはできずそのまま風魔は右手ごと壁へ突っ込んだ。壁は白い煙を吐きながら彼女の右手を吸い込んだ。抜ける気配のない腕を力づくで引き抜こうと力むも反応のない氷壁に苛立ちを覚える。


「感情的な間抜け」


端的な言葉で煽るように言ってエヴァは壁の向こうで片手を地面に向かって手を翳す。向けられた視線の先から空気中の水分からエネルギーを得ているのか一本の氷の剣のようなオブジェクトが出現した。グリップが掌に収まるように形成され馴染ませるように握った後、地面に接地したままの剣をエヴァは引き抜いた。同時に壁の一部は溶けてなくなり風魔の身体が露出する。



「これがウィザードの戦い方」



そう言って無防備の風魔めがけて剣を振り上げ下ろす。


反射的に危機を察したのか風魔の異能が発動したのは同じタイミングで嵌った腕と氷の間の溝に溜まった風圧が凝縮され限界が生じたのか壁ごと吹き飛ばす。


彼女の脳髄を真っ二つにしようと迫ったブレードにナイフのブレードを当ててヒルトと挟み込むようにガードした。衝撃がお互いの肉体を伝い緊迫感が生まれる。相手の血肉や骨を削ろうとエヴァはグリップを握る力を強め体重を掛け一層のしかかるパワーに押されそうになりながら不安定な体勢で受け止めた風魔は歯を食いしばる。



「———ッ!!!」



踏み込まれた足にかかる力を風の異能を利用して衝撃を逃がそうとするも圧力はそのままコンクリートを陥没させ破壊させた。奥歯が潰れるほど踏み込んだ風魔にとどめを刺そうとエヴァはもう片方の手からも剣を生み出しやわらかい肉体に突き立てようと一撃を仕掛ける。



無様に胴体を斬られた彼女は、衝撃と共に奥へ吹っ飛ばされ転がっていった。

勝負あったか、という風にエヴァは両手に持った氷の剣を捨てた。冷凍庫と化した部屋は依然氷が引くこともなく張り付き幻想的な空間を演出する。


面白くなさそうな顔をした奥田大尉はあくびをしたくなる自分を抑えて部屋を後にする。


「どこへ行く気?」


顔を向けないままエヴァは尋ねた。


「逃げたガキの行く末でも見てやろうかと思ってね。どうせ逃げられないさ、この空間からは」

何を発動させたのか怪しげな含んだ言い方をして奥田大尉は階段を上っていく。後を追うべきかエヴァは判断をしていたところうつ伏せになった風魔はゆっくりと立ち上がる。自身の胴体に付いた傷を確かめるべく両手でしばらく触ったのちに血がまとわりついたというのお構いもなしに顔を覆う。


「クソが…クソ女が…殺す、殺す殺す殺す…」


両目を見開いて赤黒いもので染まった顔で狂気じみた言動を風魔は繰り返した。


「殺す!!」


その瞬間、エヴァは気づいた。彼女はナイフを握っていないことに。吹き飛ばされたときに手放していたのか眼前に落ちていたそれは怪しく発光し地面に反発するように不規則に回転してエヴァに向かって飛んでくる。顔面目掛けてきた刃物を止めるべく空気は凍結し始めた。


「…ッ」


寸前でナイフは止まったのか切っ先が鼻先から向こうを突き刺そうとした状態で動きを止める。だが、怪しい光は収まらず包んだ風が体を撫でる感覚がし、ついでエヴァを削った。右肩に鎌鼬現象のようにパックリと傷を作られ血を流す。抑えるようにしてエヴァは屈んだ。


「呪術系か」


ポツリと呟いて痛みに耐えるように小さく笑いエヴァは風魔の反応を伺った。冷静さを取り戻したのかさっきまでと打って変わって無口になった彼女はゆっくりと立ち上がった。その眼は冷酷ながらも普段の落ち着きに近いと言える。お互いのアクションが無くなったことであたりに静寂が増し見つめ合う二人だけしかこの空間には存在しないことが再認識できる。


「本来ある起源は風、そして憎しみから顕現した起源が呪い、それが私を構成する力のすべてよ。あんたは私と違って脅されてやってきたのかどうかは知らないけどあいつには勝てないからさっさとあきらめた方が良い」


エヴァの眼前で勢いを殺されたナイフを包む凍てついた結晶が溶けていく。地面に落ちたナイフは一体どんな物質の干渉を受けているのか回転し宙を浮き風魔の手元に戻っていき彼女の忠告を聞いてエヴァはなんと思ったのか黙ったまま何か思い浮かべるように考えてそして性別を問わず魅了しそうな目を向けて言った。


「結局あんたもエビルガーデンに人質にされた哀れなやつなんだね」


そう言った途端エヴァの瞳は一層赤みを増す、眼前に能力を発動させたのか彼女のすぐ前は小さな氷山のようなものが出来始め、そして大爆発を引き起こした。さっきよりも強力で衝撃は強く視界を奪われ風魔は背後の壁に叩きつけられる。


背中を通して強い衝撃に肺を圧迫されひざまづいた風魔は苦々しい顔つきをしてしばらく固まっていた。吹雪のように荒れ狂った視界が目の前では起こりエヴァは消えたことが伺える。


「氷結の女王が…なんであんなやつを逃がすのよ、邪魔するようなことして、奥田はあんなやつ連れてきて何を」


不可解な事象に違和感を感じた彼女は逃げた北条を追うべく、明瞭になった視界の中を立ち上がり進みだした。



太陽が落ちかけている時間は昼より明るく思わず目を細めたくなる、不思議なもんだと清水はのんびりと時間が来るのを待っていた。


「さすがにジャージは辞めたか」


ファストフードのハンバーガーを頬張りながら梶木は周囲の監視を怠らないように注意を払う。二人は軽トラに乗車し放課後の誠堂高校へ訪れていた。


清水は奥田大尉の偵察を行ったとき以来の服装に戻っている。落ちそうになる夕日から薄暮であることが伺え、腕時計を確認して清水はいつまで車内にいればいいんだと露骨に嫌そうな顔をして隣の男へ視線を移ろわせた。


「そんな顔したって何も変わらねえよ。あれからあまり気は進まんが公安の馬鹿どもから情報共有し合うこともあって分かったことだが、奥田のやつはここでやたらとうろついてるって言っててな」


一通り食い終わったのか梶木は沈む夕日をまだかと見つめる。


「俺はお前に女子高生と戯れることができるって言われて仕方なく来てやったつもりなんだが、見てみろ、そんなやつらいねえじゃねえか。時間が遅いんだよ」


黄昏れ時を見つめて梶木は清水の言葉を聞こえていないように進めた。


「とりあえず行けよ。ありったけの武器をもってな」


梶木の鋭くなった目を見て清水は車内に隠された自動小銃や手りゅう弾、爆薬等を携行して助手席から降りた。ハーネスをかぶりそれぞれ武器や装具の点検をしながら清水は聞いた。


「これは実行の段階に移ったとみていいか」


「大元自体は生きてる。任務は続く。あいつに会ったらそのまま荒いざらい聞きだして殺せよ」


「簡単にいくもんかね。これまで以上に酷い殺し合いになるだろうが生きて帰れるかすら分からんもんだな」


運転席に居座る梶木はハンドルにもたれかかりながら辺りの観察を続けていた時、異常に気付いた。

それは水滴が水面に一粒落ちた時に起こるような、一つの水色の波紋だった。


水色の波紋は学校内を中心として発生したのかゆっくりと広がっていきグラウンドを含め敷地丁度に広がるぐらいまで進んでいき到達して消えた。自分たちのいる車内にまで干渉して言った途端思わず身構えるが何事もなくそれは放射線のようにすり抜けていき、そもそもなぜこのようなものが肉眼で確認できるんだとこの事態の異常性を改めて認識できる。


「清水、今の気づいたか」


「…強力な認識阻害だ」


「なんだそれは」


「お前もいい加減匂いで嗅ぎ分けろ」


「死んでもごめんだ」


後ろを向いて窓越しに言ってため息を梶木はついた。清水は何やら装備品の点検を行いながら話を続ける。曰く認識阻害は人の記憶や認知に関する場合を改ざんしたり妨害する力で例えば対象をある組織にスパイとして送り込むときに周囲に全く気取らせることもなく忍び込ませることができるということだ。


「ここまで強力だと何が起こるのかもわからんが、やけに静かになったな」


人は元々少ない時間帯だっというのにさっきにも増して人通りは無くなり部活動生の喧騒も一切なくなっている。清水の言葉の意味を梶木は段々と理解してくるようになった。


「人間ごと消されてるんじゃないか。俺たちだけがジャミングされてないのも変だが」


「なんでなんだろうな、それよりだ。重機関銃の調子はどうだ」


清水は荷台に張られた迷彩のダンプシートのようなものを軽くめくり中を確認した。整備油が漂い梶木に対空銃架に据え付けるように指示を行っていた清水は問題が無いか簡単にだけ見てシートを下ろす。


「何かあったら連絡するからこれで援護射撃してくれよ」


「あ、ああ」


たじろぐ梶木に清水は苛立つ。


「素人じゃねえんだから撃てよ。弾薬も入れてんだから槓桿を引いて安全装置を外して撃つだけだ、マジで頼むぞ」


俺は戦闘員じゃねえんだ、と梶木は頭を掻いた。


小銃にスリングを付けて首にかけぶら下げながら清水は校舎に入っていく。軽トラには梶木が待機し無線でお互いが連絡を取り合う。そもそも奥田大尉がいる可能性を想定しているとは言え堂々と武器を下げて高校に乗り込むなど正気の沙汰ではないと思われるだろう。


旧館は一階の下に駐輪場や下駄箱等が存在し物色を繰り返しながら怪しい人間いないか清水は二階への階段を発見して進んでいく。


「あれだけ奥田含む陸軍の連中に会いたくないって言ってたくせに今回は潔いんだな」

梶木はからかうように骨伝導イヤホンを通して無線を送ってくる。


「逃げても仕方がないってお前も思ってるんじゃないのか」


「その通りだ。過去なんてもの気にしても仕方がない、お前があの暴動で殺され傷を負ったとこで全てを投げ捨ててこの国でのうのうと生きるなんて選択が本当にできると思うか」


「だが国は俺たちを捨てたようなもんだ、そんなもののために何をもってして戦う」


「最初にこんな稼業に手を付けようと思うあたり俺には未練がましいやつとしか思えんがね」


「…俺はビビってるだけの本当は自分の人生に何一つ納得いってないどうしようもない人間ってことだな」


しばらく無線は途絶え何かを思っていたのか梶木は続けた。


「お前を拾ったときからわかってる。決着をつけてこい」


「…ああ…———ッ!」


二階通路を歩き各教室の動向を探ろうとした清水は咄嗟に階段側の壁を遮蔽物にして隠れる。次いで向こうの様子を観察しながら梶木へ伝える。


「いたぞ、人間が」


清水と同じく武装し、服装は戦闘服と戦闘靴、四点式顎紐が付けられた鉄帽が装着され身につけているハーネスから兵士であることが伺える。バディで動いているのか視認できる距離からは二人であるかことが見受けられ清水のほうに向かってゆっくりと進んでくる。


「歓迎できた相手でじゃないけどな」


「奥田のやつが引き連れてきた連中か。誰を追ってるんだ」


「わからんな、とりあえず今やることは一つか」


確実に仕留めるつもりで清水はスモークグレネードを取り出し二人の兵士へ向かって転がした。通路を何回かバウンドして安全ピンの抜けた本体から真っ白な煙がばらまかれ屈強な男たちを包む。異常を察したのかすぐにセレクトレバーをファイアに切り替えて正面に向かって引き金を引いた。


単発の銃弾が二発、間隔を置いて廊下を通り過ぎていく。銃弾の軌道を横目であらかた確認して清水は隙を見て姿を現した。


「しっかり狙わねえと当たらねえぞ!」


煙に覆われた空間に銃口を向け一発、続いて一発と二発の弾丸を放つ。立ち撃ちのため若干中腰で反動を肩で受け止める。短い距離のためフラットな弾道を描いた弾丸は煙の中にたたずむ隊員二人の身体を抉った。


戦闘能力に関してだけは随一と言っても過言ではないこの男はなぜか視界が遮られようと関係なく敵の位置を感覚で見抜いて射撃することができ、いとも簡単に神業のような芸当を可能とする。


そして短い悲鳴が聞こえやがて音もなく反応が無くなったことを清水は確認して再び旧館の階段を駆け上がりクリアリングを進めていく。


敵の人数が不明である以上同じ場所にとどまることは危険で速やかに拠点を移動することが望ましい。


「清水!こっちは異常はないが援護射撃は欲しいか!」


梶木から流れるインカムに清水は返しながら三階廊下を進んだ。


「いいや、お前の存在がバレてないなら好都合だ。そのまま潜伏してろよ、この調子じゃどれだけの戦力がこの空間に隠れてるのかすら分からん。俺はこのままもう一つある建物も調べるぞ!」


匂いを辿り、強く色濃く残る建物の存在を感知した清水は誘われるように速足になるハイレディーでいつでも射撃できるよう片手で小銃を保持しもう片方の腕はフリーにしておく。


「今だ!撃て!」


野太い大声が聞こえ同時に50メートルほど離れた居室のドアを蹴破るように何人もの兵士が飛び出してくる。すかさず清水は体勢を変えて伏撃ちの姿勢に切り替える。重ならないように並んだ兵士たちは自分たちの高さで照準して引き金を各々が引き弾丸が飛ぶ。


清水の上を飛んでいく赤い閃光の数々は無残に校舎の端っこを削る役割しか果たさず呼応するように清水はフルオートに切り替えて小銃の引き金を引き続ける。


連続で排莢された薬きょうが落ち射撃音が廊下中で鳴り響く。発射しながら清水は微妙に銃口をずらして全員に向かって惜しみなく弾丸を打ち込んだ。体を何発も赤い光が貫いていき形容しがたい破壊される痛みを味わい隊員は仰け反って倒れていく。


全員死亡したのか息絶え絶えになった状況を確認して清水は小銃を抱え立ち上がった。


「凄い音がさっきから聞こえてくるが容赦なく仲間を撃てるんだなお前は」


「…もう陸軍に俺の仲間なんていない」


敷地内の駐車場に車を止め他の車両と同じように無人を強調するように偽装して潜伏する梶木の皮肉に清水は吐き捨てるように返した。近づいてくる元中隊長の気配を感じ清水は抑えきれない自分自身の動悸に一抹の不安を覚える。


駆け足になり続けざまに何度か似たような戦闘を繰り返しまさか4中隊が全員揃いも揃って中隊長に利用されているんじゃないかと思いかけていた清水はとうとう連絡通路を通じて新館二階の廊下にて一人の男のシルエットを見つけた。淀みない足取りで向かってくる陸軍の制服を着た男を見て清水は眉をひそめた。






間違えることなどあるはずがない、因縁の相手が、ようやく間近なところまで迫ってきた。

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