清水の出会い


氷漬けにされた何者も邪魔をすることのない空間。だがここはスケートリンクとは呼べず氷河期が到来した洞窟と表現する方が正しい。天井付近には氷柱のようなものも形成され氷漬けにされた傭兵たちの氷像は無残にも衝撃に破壊され遺体が残ったのか破片になったかすら肉眼では確認しえない。


「いい度胸ね」


挑戦的な態度のエヴァが言うと同時、目線が清水を捉えるよりも先に小銃の引き金が引かれる。本来耳栓を付けていないと鼓膜を損傷する可能性があるほどの発砲音と共に次々に弾丸が射出され直線上に相対する少女の身体を貫こうと襲う。


5.56ミリ弾の弾丸は身体に到達すれば内部で食い込み貫通することは無い。大口径の弾丸と違い確実に負傷させ味方の足枷にしてしまう弾薬だ。


それも届けばいいはずだが、残念ながらそうは行かず目の前に爆発が起こり氷の破片が混じった爆風と煙と共に蹴散らされる。空中で留まる弾丸は一発一発が弾底部を撃鉄によって叩かれ確かに発射されたはずというのに鉛の状態で凍てつくがままにされている。


勝負あったという風にエヴァは微笑んだが目の前にいるはずの男の身体がないことに不審さを覚える。



「逃げた…いや…!」



頭上を見上げようとしたと同時、宙を舞うがごとくバック宙の要領で清水は頭上を描くように回っていた。


この一瞬でエヴァの起こした爆発によって生まれた粉塵を利用して大きく飛んだのだ。その有り得ない身体能力に驚嘆させる間もなく清水はナイフを投げぬく。


小銃は外して身軽になったと言えど見事な空中機動であり、正確な軌道を描いて彼女の胴体に到達しようとしたサバイバルナイフにエヴァは視線を集中させる。


それは凍結した…と同時に地面に綺麗に着地姿勢を取った清水は右大腿部に装着したホルスターから梶木の拳銃を引き抜き安全装置を外して、人外と形容されてもおかしくない速度で引き金を連続で引いた。



エヴァの凍結は何故か弾丸に間に合わない。



何故なら視線の先にこそ彼女の能力は顕現し、それ以上の速さで凌駕すれば勝機があると清水 総一郎は見破ったからだ。だからといってもそれを可能にする異常な身体能力は清水のみに許された技だろう。



今まで止めてきたラインを遥かに超えて弾丸は、届く。




当たれ、清水は祈った。




「惜しい」



エヴァは鼻で笑う。


彼女の肩に触れたのか触れてないのかギリギリの状況で弾丸は凍っていた。


空しく空薬きょうが地面に数発転がり薬室から硝煙とともに硫黄を含んだ匂いが漂う。冷や汗を掻いて清水はエヴァの言葉に打ちひしがれる。


「あと少しだったか。いや、参ったぜ」


拳銃を下げ余計な抵抗や命乞いを見せない清水の様子にエヴァは少しだけ笑う。


「あんたみたいな人間初めて。ただの兵隊とは思えない動きだけど名前は?」


ここに来て初めてエヴァは人間らしい口調になっていた。強気であり人を人として認識しないさっきまでの態度はなんだったのか、容赦なく人間を凍死させる力を持つウィザードをまともな会話をする状態まで運んだ清水の功績は褒められたものだろうか。


段々と状況を受け入れ溜まっていた疲労の蓄積を感じ取り、うつろな目で清水は答えた。


「殺し屋としては山田 太郎。本名は清水 総一郎っていうんだ」


エヴァは憂鬱そうな顔をした。どこか遠くを見るように、その名前に思い入れでもあったのか。その

一瞬の自身の空白を振り払うように彼女は言った。


「清水って聞いたことがある。もしかしてエビルガーデンの残党に殺された虫けらの1人?」


けらけらと笑う姿はまるで年相応の少女と言った所で学生服も相まって非常に可憐な美しさがある。大きな赤い目は清水を見据え興味深げに観察し一向にとどめを刺そうとはしない。その様子の変わりようにきっと扉の向こうから観察する三人も仰天していることだろう。


だがエヴァから発せられた言葉を聞いて清水の目は全く笑ってはいなかった。


拳には力が入り、反して右手に握っていた拳銃は震える指先から外れ凍結した地面に落ちる。

これは怒りなのか、そう清水は自問自答した。


虫けらだと…?命を懸けて死んでいった人たちが、虫けら?そのような思考が清水の脳内を埋め尽くした。


その様子を見たエヴァはおかしいものを見たのかなおも続けた。


「なに?実は怖くて震えてる?あんたの名前、少しだけ聞いたことあるけどこうやって生き残って今どんな気持ちなの?あんたと一緒にいた連中、本当に外れくじを引いたと思うわ。犬死した哀れな虫けらどもが」


その言葉は清水の今まで全てを否定し、理性を失わせるには十分足るものであった。このたった一人の無力な男は瞳孔を開き復讐の念に駆られる殺人鬼のようになった。



自分自身をなんと貶されようとも一向に反応することもなかった軍人崩れが、ただ一つ許せない何かがあった。



刹那、右足を踏み込むと同時に常人からすれば残像が残る勢いでエヴァの元へ距離を詰める。

反射的に反応した彼女の防衛機構のようなものが発動し空間を侵食し氷が清水の身体を凍結させようと迫る。


対面する力と力がぶつかったことによりすさまじい衝撃波が生まれ風が吹きすさぶ。


驚いて一歩、一歩とエヴァはよろけるように後退した。人が変わったように怒りの形相をした清水の眼光に、ただ圧倒された。氷は着々と強度を増し清水の肉体を足元や手元など末端組織から凍結し自由を奪うが、清水の口元が素早く何かを告げるように動く。


「————————————」


唱えられた詠唱と共に何故か覆っていく氷は割れ人知を超えた速さで間合いを清水は詰める。

その脚力に視線も追いつかず防衛機構も追いつくことがない。


清水の右手に、銀色のダイヤモンドのような光彩が宿り日本刀のようなシルエットを作り解き放たれる。名刀の如く精巧な作りでそれは荘厳な輝きを放ち清水は居合の姿勢を作る。続けざまに地面を蹴りエヴァの懐へ辿り着いて刀を引き抜いた。振りかぶられた煌めきを放つ刀身を見て一切の反応をすることさえできず、そのまま行けば切り伏せられていたことだろう。


エヴァの赤い目が清水の迷いのない目を見つめる。



「あの人たちの死は、無駄なんかじゃない!!!!!!」



清水の言葉には積年の思いがあった。



命を懸けて死んでいった。中隊長奥田大尉との狭間で因縁と向き合い異能を宿したテロリストと戦いこの国のために散った。そんな仲間たちを思う、英雄の怒りだった。



エヴァは息を呑んだ。



「待て!」


イワノフの野太い叫び声が届き、今にも振りかぶられそうな清水の刀は上段でピタリと何かを思い出したように止まる。


数秒の時間をおいて、段々と冷静さを取り戻した清水の瞳にエヴァの顔が映る。一瞬弱った表情を見せ、顔を背けてやがて目じりに溜まった涙をぬぐう。


「貴様、少し思い切りが良すぎるんじゃないか」


飛び込んできたイワノフはエヴァと清水の間に割って入った。諭すようで冷静さを取り戻せと訴えかける瞳を見て動揺して清水は刀を下ろしてエヴァの反応に焦燥感を覚える。握られていたとても精巧な刀は再び光を放ち静かに散ってその姿形を失う。


現実を認めたくないのか短く舌打ちしたエヴァは視線を合わせたがらず機嫌を損ねたように破壊してきた空間へ速足で去ろうとした。


「エヴァ!お前、そんな格好して、まさか奥田のやつに生活の手配でもしてもらってるんじゃないだろうな?」


野太い声に反応を見せることもなく、『何かを気にするように清水の顔を一瞥』してエヴァは姿を霧の中へ消した。あとには巨大なアイスボックスと化した空間とむさくるしい目の死んだ野郎しかいない状況が出来上がった。


「まいったな…」


「参ったのはこっちだ馬鹿垂れ。あの娘の能力も図ることもなく平気で殺そうとするんじゃない」


「だがあいつはボスと傭兵二人を殺めた。因果応報ってやつだろう。それに俺だって手を抜けば殺さ

れてもおかしくなかった」


「このマフィア連中やお前ががまっとうな奴らだとも俺は思えんがな?殺されたところで文句などないだろう」


「なんだと?」


イワノフと清水はお互いににらみ合った。危うく国の財産を破壊されかけたロシア軍人の怒り方は大層なもので氷結の女王を追い込んだ清水を前にしようとも一向にひくことは無い。そこへ梶木とガブリロフも遅れてやってきた。


「何が起きてるかと思えば今度はあんたらで戦争か。下らねえぞ」


梶木は頼むからいい加減収めてくれと言わんばかりにやれやれと手を振る。ついでに冷静さを失った元陸軍軍人の行ったどんなトリックが仕掛けられたのか分からない超絶秘技に魅入っていたのか疑惑の念を清水へぶつける。


文句は山ほど言いたそうな顔だがこの三つ巴どころではない状況でいちいち口に出して論議しようという気もないようだ。もう一人の少佐は参謀である故か上司の怒りように特に口を出すわけでもなく静観を決め込む。


「しかしイワノフ大佐、あのエヴァが恐怖という感情を抱くとは」


ガブリロフから出てきた言葉にイワノフは清水とにらみ合うのを止めた。


「全くだな…一体、お前は何者なんだ」


くたびれた瞳は清水の体の隅々を下から上へ右から左へ流し見て、やがて巨大なロシア人は大きなため息をついた。


「何人とも知れない自らの命を狙う蛮族を殺してきた、無敵だった娘がこんな日本人に人生で初めて追いつめられたんだからな…恐ろしいことだ」


何人も殺め無敵、その言葉を聞いて清水の心臓は高鳴る。自身にあるうっすらと浮かぶデジャブのような感覚と共鳴している気分だ。人を殺め最強と謳われそして恐れられ誰からも理解されることがない人物、よく聞かされた人物の眩い栄光が彼の精神をなぜか蝕んでいく。


しばらくあらぬ方向を見てイワノフは横目に清水を再び品定めするように見た。


「何度も見るなよ、気持ち悪い」


「今日は終わりだな、伝説の日本兵」


「そっちの国でも流行ってんのかそれは。頼むからやめてくれ」


四人は警察という鬼がイタチごっこのごとく追いかけてくるのを撒くためにもこの覆われた氷河の空間を離脱することに決めた。


この空間にはいなかった残りの組織の連中は一体どこで何をしているのか、襲撃したエヴァの目的はエビルガーデンという組織の意向なのか。そもそも何故それが清水の過去にいた陸軍と関係するのか、謎は新たな謎を呼びまだ解き明かされることがない。



異能と異能が織りなす戦闘は一時的に終結した。


冷酷な風使いと見たものをいっぺん残らず氷漬けにする少女。破壊された空間は今頃警察に調べつくされ清水たちの痕跡は確実に一つずつ潰されていくだろう。


太陽は再び沈み込み深い闇が空に広がっている。光源などなく各々の培った夜間で落ちることのない視力がここぞとばかりに活かされていた。


「詠唱使いとはお前、ただの人間ではないな」


「残念ながらただの人間だ。そっちの少佐殿も似たような芸当をやって見せただろう」


イワノフは清水に対する興味が一層増し永遠と質問攻めにする。


それぞれが帰路に着くまでの間、自分たちを追ってくる可能性のある組織に注意を払いながらも四人は河川沿いを逆戻りしている。常に周囲の状況を警戒しながら表を歩くということは並の人間であれば強いストレスを感じる作業のように思えるが四人は前職からそういう戦いを繰り広げてきたからか一切の緊張感を見せることもなく悠々としている。


「ロシア軍では一部こうして独自に教育を施していてな…こいつ士官の癖にやりよる。お前らの陸軍じゃどうだ?」


「FOC(幹部特修課程)クリアした中佐か少佐クラスでそれをやるような士官はいないだろうな。というかそもそもが士官にそんなことするやつやウィザード…異能を使える人間がいない。CGS(指揮幕僚課程)修了者のどこかの大佐なら少なくとも一人は浮かんだりするけどな」


その言葉に梶木の耳が反応し、だが悟られまいと何も言うことは無い。接待を終えた奥田大尉らを偵察していた清水と梶木の会話でウィザードが監視員についていて勘づかれていればどうなるか?という話の流れで梶木は『だったら俺たちはとっくに焼き殺されているだろうな』と答えた。


その言葉が清水の中で繋がってくる。ある程度勘づいたことがあったが余計にここで話を広げる気も彼にはなかった。


「なるほど、だが貴様の詠唱はどこか引っかかるものがあった…」


イワノフの独り言のように呟かれた言葉は清水を焦らせる。


「俺と伝説の日本兵なんて言う言葉はよくくっつけられることでな、40連隊にいた時もそうやって遊ばれたものなんだ」


「ほお?」


「よくわからんが記憶喪失で頭が逝ってる俺をどこかの頭のおかしい誰かが押してこの連隊に放り込んでな、おまけに自分の名前のせいに加えて少しばかりアクロバティックなことばっかりやってたからな。極めつけがもしかしたら最後に起きた暴動なのかもしれん」


それ以降とりとめのない会話を繰り返し、そうこうしている内にロシア軍の二人は静かに姿を消していった。残された清水、梶木は路頭に迷うようにどうしていいかもわからず、自分の居住場所へ素直に戻るべきか悶々としている。


「エヴァ・ブレイフマンとかお前は言ってたな。誠堂高校の制服を着てたがあれはいったいなんだ」


昇っている月に照らされながら清水は自らの潜伏する住宅街を見つめる。河川を挟み片方は市内の中でも最も大きな繁華街へと繋がりそこでは通信拠点や回収ポイントが築かれいつでも戦闘が生起してもいいような工作が二人によって行われている。


川の向こうはそんな緊張感を抱く必要もない場所であり案外自らを知るものと接触する可能性も少ない。今の清水にとっては心の休まる空間だ。


清水の質問に梶木は答える。


「もしかすると奥田の手を借りてこの近隣で生活しているのかもしれん。何のために学生なんて演じさせられてるのかも検討は付かんが、何か目的があるに違いない。あそこに何かあると思うか」


その言葉に清水は唸る。


「…薔薇色の空間が広がっているんだろうな」


「お前が気になったところは本当にそこだけなのか」


呆れた梶木をよそに清水は考えた。奥田大尉が確実に噛んでいる可能性があるとは言えないが調査する価値はあると。迂闊に直接手を出せない存在、警察、氷結の女王、ロシア軍の一派、ここを無闇に刺激しない画期的な方法は一体何なんだとひたすら模索するのみだと気づいた頃には清水は一人になっていた。


ここ最近で知り合う人間というのは決まって音もなく消える能力を持つやつばかりなのか、とたまには普通の人間に出会ってみたいぜ、など仕方のないことを胸に秘め清水は歩き出す。



連日で起きた謎の人物による暴動事案を操作するべくとある公安警察官二人は捜査に当たっている。


長身の二枚目の男と平凡な雰囲気を醸し出す男二人はスーツに身を包み市内を隔てる一本の河川沿いに訪れた。市街地から外れるポイントまで進むとそこには一つの洞穴に繋がるような巨大な空間が存在しその独特な不気味さから一歩踏み込むには勇気が要された。


「リヴァさん、これ以上行っちゃうか?俺はよくないと思うんだけどな~」


凡庸というべきか、スパイの任務をこなす公安であるには才能となりうる容姿をした男は神崎、対して二枚目と形容された男はコードネーム、リヴァイアサンという通称があり本名は不明である。なぜこの男だけは名前が伏せられるのか。深い事情があることは否めない。


「変なあだ名で呼ぶんじゃない。ほら、行くぞ」


神崎のダルそうな軽口にリヴァイアサンは行動を促す。二人は躊躇いながらも洞穴の奥へ広がる空間を目指した。


そこは進めば進むほど明らかになるが舗装工事が施され壁面もプレートで覆われ耐震性を獲得しているように見え人間の手がかなり加えられていることが伺える。両サイドに等間隔で灯された松明の明りで視界を確保して二人は周囲の状況を観察した。


「何にもないんだな。にしてもリヴァさんってコードネーム長くて覚えづらいわ。もっとましなのなかったの?」


「俺に言うな」


リヴァイアサンは至ってまじめに神崎をあしらい進んでいく。血の匂いがないか鼻を利かせるが人間の嗅覚には限界があり何より奥から漂う異常な冷気に削がれていることに気づく。


「制服警察官とか機動捜査隊に任せても俺はよかったと思うんだけどなぁ、散々所轄の刑事に嫌味も言われるしよぉ」


「いつものことだろ。内に手柄を渡す気はないんだろうって、殆ど俺が言われてるけどな」


神崎の職務怠慢をするべく考えられた言い訳のような愚痴を制してリヴァイアサンは一つの大きな鉄製の扉の前に来た。ご丁寧に占められているが奥に何か異常を感じ取ったのか一度踏みとどまって仕掛けが無いか入念に確認する。遅れてやってきて頭に腕を組んだ神崎は我慢できなかったのか、


「そんなまどろっこしいことしなくなたってこうすれば、いいんだよっ!」

そう言ってリヴァイアサンの前に踏み込み扉を臆することもなく開けた。


「おい!」


リヴァイアサンは軽率な行動に怒鳴るも気にすることもなく神崎は室内を一望する。


「なんだよこれ」


そこには人口の巨大な冷蔵庫のような空間が広がっていた。気温はマイナスに届いているのだろうか、体が勝手に震え始めるのを二人は自覚する。まるで永久凍土のようにこべりついたシェルターのような空間を元あった背景がどうだったのかと脳内でリヴァイアサンは復元した。


「ここに海外マフィアから送り込まれた殺し屋軍団が拠点を構えてたっていうのか。それにしてもこの冷凍庫はいったいなんだ」


室内を進みながら二人は敵になりうる存在が残ってないか、殺された人間はいないか調査を開始する。こんな光景を所轄の刑事たちに見せたら一体どうなっていたのだろう。そんなことが二人の脳裏をよぎっていく。寒さに震えながら進んでいくうちに革靴を通して足先にまで寒さが伝播して二人のつま先は早くも感覚がなくなる。


「今小指ぶつけたら絶対痛いだろうなぁ…」


「仕事に集中しろ、何かないか」



絶えず軽口を叩く神崎にツッコミを入れながらリヴァイアサンは奥にある恐らく重要な役を負わされた人物の執務室と見られるような空間に繋がるであろう通路を見つけ、辿りながら室内に迫っていく。


全方位びっしりと氷に覆われた空間は冷気を放ちながら二人の体温を更に奪い、しかしリヴァイアサンにはもっと気になる部分があった。


「リヴァさん、匂い嗅ぎつけてんの?」


清水という梶木に同行していた男にぶん殴られ筋肉痛になった首をさすりながら神崎は尋ねた。相棒であるリヴァイアサンには梶木によって明らかにされたウィザードと同等なる異能が備わっている。その内包された力には後天的に身につけられたものとしてウィザードの能力を行使した痕跡に嗅覚が働くという便利なものがあった。


共に動く同僚として神崎は多少事情に通じているものがある。


「ああ、この部屋に…な」


その部屋には一際巨大な氷河の塊、しかし透明な巨大な結晶と形容するのがふさわしい物体が室内の右方から大きく穿たれて作法の壁面に向かって貫通している。


この室内は他の空間に比べて完全に氷河期を迎えたのではないかというレベルで気温が下がっており加えて凄まじい痕跡の香りをリヴァイアサンは嗅ぎつける。彼にとってこれはいつこの犯行をしでかした人物がそこらへんに潜んでいたとしてもおかしくないと言えて即ち最もこの周辺は警戒心を払うべき場所だと認識する。


「リヴァさん見てみろよ。あの結晶の中」


目の前にある執務用の机が据え付けられていたのだろうか、と思われるスペースは結晶によって塞がっているが透明ゆえにはっきりと目視することができる。


人間の下半身だ。上半身は完全に結晶と光津事故を起こして吹き飛ばされたのか。ここに座っていたのは代表だったのだろうかと憶測しているさなか、神崎はしゃがみ込んであたりの欠片をあさりだす。



「おい、無闇に現場を荒らすな。今他の捜査員を呼び出すから―――」



「いや、見ろよリヴァさん、これは」



制止するリヴァイアサンに神崎は今日意味本位で漁った欠片を手ですくい見せた。


「人肉の欠片だ。完全に凍ってるけど」


「…クソ、怪物が」


お互い様だろ、という目をした神崎は欠片を捨てて立ち上がった。その眼はそのまま結晶が出てきたであろう空間の隙間を注目している。


「この空間、一応隠れ家みたいで人を寄せ付けないタイプの術が掛けられてる」


「術って…そういう、なんだっけ。ウィザードがなんかやったってことか?」


リヴァイアサンの考察に神崎は質問を入れる。


「いや、恐らく専門としたウィザードよりはその能力を応用して簡易的に扱えるように訓練された人間が行った、というのが近いかもしれない」


「そんなやつがいんの?」


「普通にそんなやつはいるだろ。素養こそ必要あれ結局はこんなものは現象過ぎない。人間らしい理論として落とし込んでやれば人の嫌がる異能を振りまくことだって可能というわけさ。現に俺たちの立ってる場所、もう二人詠唱を発動させた人間がいる」


「人間…?」


詠唱というまた聞きなれない言葉を聞いて神崎はクエスチョンマークを立て続けに頭の上に出した。いい加減ここから一旦出ないかという視線も送るが名探偵になってしまったリヴァイアサンは気づくこともなく講釈を垂れる。


「一人はロシア人だな。恐らく奥田と密会してたやつの片割れだ。もう一人は、あの人かな」


にやりと笑った同僚の顔に神崎は不信感を覚えながらもその男前な面構えに苛立ちを覚えた。


「清水って男?」


「その通りだ。本当に、人間とは思えない痕跡だよ。今までこんなもの、嗅いだこともない強烈な何かだ」


危険な性癖に目覚めたかもしれない同僚に恐怖を覚えながら神崎はいずれ到着するであろう公安の応援に早く来いと渇望した。

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