清水の復讐


夜風が吹いた。雑踏もなく人気のない公園にて奥田大尉は数人の男と帰路を共にしていた。季節は春だということもありこれといって暑さも寒さもなく桜が散るいい季節になってきている。散ってくる花びらを見ながら奥田大尉は愉悦に浸っていた。


「ロシア人にとってはこういうのは珍しいもんだろ」


「…まあな。なにぶん厳しい寒さが続く国だからな」


話の続きがしたい連中をよそに奥田大尉は急かされることが自身の気持ちを昂らせていた。相手の男の名をアレクサンドル・イワノフ。西洋人らしい大柄な体躯で豪快さを漂わせながら先ほどから隙あらば奥田大尉を殺す勢いでその鋭い目を向けている。


そんな状況でも奥田大尉には常に鷹の目が張り巡らされているからか、その余裕さが無くなることはない。


「エヴァ・ブレイフマンについては、早急に報告をしてもらおうか。今後あれに何かあれば俺もただじゃ済まんレベルだからなぁ」


イワノフは豪胆な物言いをする。だが目は全く笑っておらず祖国の事態の深刻さを物語っていた。立場を対等に保ちたいのか強がるように奥田大尉は言う。


「そんなに怖い顔をするんじゃない。君たちはいつもそうやって強引に話を進めてくる。先の件だって日本側が大騒ぎせずにほっとしてる部分だってあるだろう?ここは日本だ、そこで君たちがよくやるやり方で僕を脅そうとしても無駄だぞ」


その言葉にはイワノフは何も言わずただ黙っているだけであった。


「まあ結果は追々と分かるさ。…っと、先客か」


奥田大尉は公園を背にする山に目を向けた。この一帯は自陣のようなものでありとあらゆる分野で監視網は引かれ、邪魔者を制圧する仕組みが構成されている。そんな時、奥田大尉は忙しく連絡を取り合っている一人の隊員から耳打ちされその情報に耳を疑った。


感じた気配には違和感があり何より見慣れたもの、あるべきでないものであったからだ。憎しみというべきか、憐れみというべきか懐かしさというべきか。



「清水、久しぶりだな」



恐らく何百メーターか先にいるだろう、因縁の相手に言葉を送った。自らの野望を打ち砕かんとその生命を絶たれるまで懸命に抗い続けた男に向かって。



「敵か?心配ならいらないぞ」


護衛要員としてロシア側から引き連れられてきた用心棒たちを一瞥し、イワノフは奥田大尉に告げた。だが奥田大尉は不敵に笑うのみだった。


「機関銃隊、やってよし。イワノフ、せっかくだからこちらの実力をお見せしよう。ハエ一匹の掃除だが、少しは目を見張るものも有るかもしれない」


そう言って奥田大尉は山の中枢を見て笑う。そこに何がいるのかも分かっているように。

その瞬間、一斉に発砲音が聞こえた。公園内に待機していた何人かの兵隊と思われる人物が姿を現し軽機関銃を用いて山の方向へ向けて射撃を開始したのだ。


曳光弾は使用されていないが赤い火花のような弾丸が次々に撃ちだされる。機関銃の音は鼓膜を圧迫し、空気を切り裂いて対象に浴びせられていることだろう。それは恐怖となり体をすくませる。連続で発射される弾丸はジャムを起こすこともなくリンクが散らばる音だけが永遠としていた。幾分かして、



「もういいぞ、撃ち方やめ」



奥田大尉の号令で射撃は止まりしばらくして何人かの陸軍の隊員が奥田大尉を囲むように駆け寄ってきた。



「中隊長、直ちに移動しましょう。対象は移動を開始したようです」



「運よく避けたか。だが山腹にも遊撃員は配置しているだろう。それに振り切ったとしても…できればその先まで見たいものだ」


動じることもなく笑みを浮かべた奥田大尉にイワノフは若干のあきれを覚えていた。



「お前さんはこの国の陸軍の中隊長でどうやら、外国軍人の俺に管轄するウィザード小隊の力を見せつけてやりたいんだろうが、お前の連隊長はそんなハエ一匹に力の行使を許すような奴なのか?」


その言葉を聞いても上の空なのか奥田大尉は太々しい態度を崩さなかった。


「ハエとは確かに言ったが、面白い男が相手でね、いつか決着をつけたいと思っていたんだ」

静かに闘志を燃やす男にイワノフは付き添いのロシア軍人の参謀に小声で告げた。


「こいつ一人で盛り上がっとるんだろうが、俺があっちでは大佐だってことを忘れとるようだな」


「これが中隊長のレベルだというなら日本の連隊長もたかが知れていることでしょう」


この参謀であり黒髪のオールバックの長身の男はミハイル・ガブリロフという。彼は冷酷な男であり知能の高い有能な人物である。ロシア側から派遣され外交官の身分で入国したのは今回、イワノフとガブリロフであり階級は大佐と少佐。周りにいる凶悪な人相をした男たちは彼らが引き連れてきた軍人であり特殊な権限を以てして入国させている。


この二人はいずれも奥田大尉より高位の人物である。二人が奥田大尉を見かねていると再びもう一人の武装した軍人が駆け寄ってくる。


「中隊長!伝令です。先ほど遊撃にあたった分隊員二名についてですが!」


「仕留めることはできたか」


その隊員の慌てようはあまりいい結果を孕んでいるようには見えず言葉に一瞬詰まっていたが、


「人数は一人、ですが敵を射殺することはできず、二名とも射撃を受け、死亡しました」


その言葉に空気は静まり返った。

奥田は何かを考えていたがしばらくすると再び口を開いた。



「こちら側からの不意打ちだったんじゃないのか」



「うまくラインを維持して襲撃したつもりでしたが、相手の射撃精度を鑑みるに…」


隊員は鉄帽を装着していたがそれでも額から流れ落ちる汗が目に付く。恐らくこの隊員は分隊長か何かで部下を失ったのだろう。動揺を隠しきれず二人の精強な部下を失った悲しみが表情に表れていた。


「プロであることを否めません。ですが、私なりに一つ思ったことがあり、あの早さは、元レンジャー小隊の」


「その話は今はいいだろう」


ロシア側に聞かれたくない話なのか奥田大尉は途中で遮った。そこに何の意図があったのかは分からない。奥田大尉の表情は夜陰に加え街灯のおかげで少しぼやけて見える程度だが報告を受けてからの無表情な顔は飄々と話す普段の姿と比較して印象的であった。しかしどうにも心から悲しんでいるようにはとても見えない。


隊員の肩に手を置き中隊長らしい憐れむような口調で奥田大尉は言った。


「二人の死は憐れむべき事態だ。非常に残念に思う。だが、時期に裁きの鉄槌が下りるだろう」


そうして身を翻して奥田大尉はイワノフとガブリロフに告げる。


「我々を狙っている連中は公安以外にも存在しているのはこれではっきりしたな。僕なりに考えはあるが今後も引き続き共闘関係を築こうじゃないか」


イワノフはしばらく思案を巡らせてガブリロフを横目に見た。二人の考えは一致したらしく静寂の中イワノフは答えた。


「さっきの伝統じみた接待工作も見られていたか関係のない敵を増やす結果になったかもしれんな。それは余計なことをしたようですまんな、ただ別に俺にとってああいうのはスパイとしての工作は置いておいて軍人としては至極当然に興じる物だと思っていてな、それはお前のいる陸軍でも同じだろう。お前が下りるならそれはそれでこちらは構わない。お前らが国ぐるみでエヴァ・ブレイフマンを握ろうとしようともその気ならジャパニーズ如き簡単に捻りつぶしてやるからな、それは覚悟しとくんだな」


その殺害予告めいた発言に場は凍ったことだろう。奥田大尉の近くにいた軍人たちもその言葉に殺気立っていた。イワノフの日本語は拙いものだったとしても大方は通じているものと思われる。


「なあんてな、冗談だ」


ニカッと笑う顔に奥田大尉は本気で笑い返すことはできず苦笑いになった。ロシア軍人はみんなそういうものなのか、と。


エヴァ・ブレイフマンという言葉。繰り返されたその人物の名が一体どういうものなのか、それはまだ解き明かされることがない。



目標地点は市内の中でも繁華街に接する路地裏だ。一足先に到着した清水は息を整えながら辺りを警戒しつつ思いを巡らせた。大蔵駐屯地が存在する土地は市内の中心部に隣接するベッドタウン的側面がありしばらく移動すれば夜間であろうともかなりの人目に付く場所に出ることができる。


緊急事態が発生した場合の到達地点はここのポイントを活用するように清水と梶木は確認を取り合っているのだ。


現在位置をアルファ1と清水と梶木がやり取りしているのはこのポイントだけにそういう名称を付けたのではなくサブポイントでアルファ2やブラボー、チャーリー、デルタなどNATOフォネティックコードから用いた言葉を使って端的に意思の疎通を行っている。


定期連絡は二時間に一回、一回目が無かった場合二回目までは待機、それ以降ない場合は陸軍であれば即応対処チーム(Quick Response Force)QRFを送り込むであろうがこの場合は清水がそれに相当し、連絡システム自体は従来の陸軍のそれを利用している。



「お互い助け合いの精神でやるようになってきているが実際にこうなるのは初めてだな」



そう言って清水はじりじりと過ぎる時間に苛立っていた。すでに離脱を宣告してから二時間はとっくに過ぎており四時間に至ろうとしている。時間帯は深夜になっており人通りは殆どなくなっていた。



「このままじゃ連中の思うつぼだ」



仮に梶木が道中で殺害されていれば清水は待ち損であり躍起になって探し回っている奥田大尉の刺客に見つかってもおかしくない状況である。


人が減ってきている以上交戦リスクは増えることは想定され、それに加えて先刻、容赦ない銃撃に晒された清水にとってはこれは想像では済まない事態として捉えていた。奥田大尉が配置していた陸軍の一般隊員は恐らく清水を警戒して全力を持って囲い込んできているように見え、梶木に勘づいていたかは疑問が残る。


敵の射程範囲に近づく前に遠距離に離脱していたためこの場合考えられるのは公安警察の網に引っかかったということだ。清水は様々な考えを巡らせたがこれだけの時間が過ぎる中決断をすべき瞬間が刻一刻と迫っていた。


「逃げないのね、馬鹿な男」


ふと、少女のような声が聞こえ清水は路地裏の奥を注視した。暗闇のおかげで目が慣れるのに時間がかかったがそこから一人の女が出てきて輪郭がくっきりとしてきた。透き通るような白い肌に艶のかかった黒い髪、長さはセミロングと言った所。ベージュのトレンチコートを羽織り一見どこかのOL女性なのかと思いきやその顔はどこかあどけなさが残る。変な違和感を感じつつうっすらと状況を清水は飲み込んだ。



「お前が奥田大尉のウィザードか」



「ここで死ぬ男に教える意味はあると思う?」


その冷たい言葉に清水は緊張からなのか何故か笑いがこぼれる。


「まあ見れば大体は分かるけどよ、愛人ってわけでもなさそうだしな」


清水の煽りに少女の顔が強張った。声音を気にしているのか考え事をしているのかしばらく間隔を置いて切り出す。


「過去の英雄は黙って消えることね」


次いで風が吹いた。少女から目が外せないが吹いた風は強さを増し思わず仰け反るほどであった。目を守るため腕で思わず庇うせいで一瞬視線が外れ、すぐに彼女を確認しようとしたが時は遅かった。


「死ね」


常人とは思えない跳躍を繰り出して、コンバットナイフを突き出し清水に迫ってくる。一体どんな脚力をしているのか、はたまたカラクリか。あっという間に詰められて自身との距離は50センチあるか無いか。並みの反射神経なら躱せずここで大きな穴を体に開けられただろう。それでも清水は躱せた。以前にもこんな有り得ない動きから技を繰り出す人間との攻防に、覚えがあったのだ。


「おら!」


すかさずお返しにに右足で中段回し蹴りを放ち少女の身体を吹き飛ばした。避けたと同時に地面に着いた左足を踏み込みそれを起点に右足で鳩尾を蹴りぬいたのだ。無駄のない体術に少女は為す術もなく慣性に任せて飛んで行った。


道路側を背にしていたおかげか人通りのある可能性のある大通りではなく路地裏の奥に飛んで行ってくれたのは清水にとっても幸いだ。だがそれでも少女は大して効いたそぶりを見せることもなく立ち上がった。


「クッションにでもしたか…?」


蹴りぬいた瞬間反発のようなものを清水は感じていた。こちらの力を軽減させるものがあったのかもしれない。少年漫画にありがちな仕掛けや能力について一から十までこの娘が解説してくれれば楽なんだが、と清水は意味のない現実逃避を始めた。相手の動きをそのまま伺っているさなか、少女の右手が動いた。


それは禍々しい紫煙を漂わせて不気味な光を放つ。化学反応を起こして周囲の物質を変化させているのか干渉しているのか、少女は自身の右手を眼前で握りしめる。その眼にはどこか怨念を抱いたものを清水は感じた。


「——————————————」


その詠唱になんの意味があったのか、清水には考える余裕さえ無く、次に起こる現象にただ身構えることしかできなかった。


「!!」


刹那、少女の右腕が遠距離から清水にかざされ、さっきまで握られていたコンバットナイフが紫煙を纏い、紫に発光し、放たれ、清水を貫こうと迫ってきた。超高速としか言えなかった。並みの人間が放って出るスピードではなく明らかな人ならざる者の所業。それだけはだれが見ても分かったことだろう。


それに対して清水は即座にナイフ本体の動きを見切り、斬撃の軌道を予測し、顔を逸らして回避行動に移ったが通り抜けると同時に纏った風を感じ異変を感じることになる。感じると同時に大きく跳躍して地面に転んだ。


「避けたはずだぞ」


「それにしては無様な斬られようね」


ジャケットの丁度横腹部分を切り裂かれた部分を見て清水は唖然とした。そんな清水をよそに少女は冷淡に嘲笑し、ゆっくりとした足取りで迫ってくる。ウィザードにはそれぞれ個体ごとに能力は分かれ強度も違えば種類も違う。詠唱は能力を行使するうえで実行者自身の暗示のようなもので最高品質の精度を保つため必要とされることがある。


または魔術のようなもので遺伝性においても引き継ぐ可能性を十分持つ能力もありそれを実行するためのコマンドを一子相伝で受け継いでいることも考えられる。清水はこのウィザードに関する情報に対して精通している節があるので様々な仮定を組み立てることができる。


「なんで斬れた?躱したはずだ」


自身に問いかけるように呟いたが相手は待ってくれない、驚愕している暇などない。次いで少女が跳躍する。距離をとっていたのも束の間、すぐに詰められて清水の肉を抉ろうと鋭利な刃物が襲う。内臓や顔面をめがけて繰り出される刺突や斬撃を次から次へと往なす。


正直に言ってこれは動体視力だけではなし得ない技だと、自身のこれまでの経験から蓄積された勘を頼りに攻撃を避けながら清水は途方に暮れた。そんな中、数度受けたところで少女の動きも止まる。



「さっきからそうやって対応できるのも、どうやらまぐれとは言えないのかしら」



呼吸を整えるように彼女もまた自問自答するように呟いた。こんな少女がここまでのナイフの練度を持っていることに不可解さを清水は感じる。加えて能力を駆使して曲がりなりにも軍人崩れの自身を追い詰める。奥田大尉は子供でさえも能力者とあらば徹底的に訓練し鍛え上げウィザードとして陸軍のために戦わせる、そんな事実を考えれば考えるほど清水は受け入れることはできず段々と怒りが湧いてきた。



少女が短く詠唱した。口の動きからただ喋ってるわけではないことは明白だ。

それが攻撃の予兆と見てさっきより早く、跳躍した彼女を見て清水は勘づく。



「風か…!」



生み出し濃縮された風が爆発しブーストすることで跳躍に勢いを付けていた。それ故に人間離れした身体能力を繰り出す。それでも避けたはずの攻撃に餌食にされる現象を説明することはできないが。



これ以上拳のみで戦うのも筋を読まれ刺される危険が増すと考えたか素早く脚部に装着したホルダーからコンバットナイフを乱暴に引き抜き清水も応戦した。予備のナイフを何本も持っているのか投げられたナイフは回収することもなく二本目を懐から引き抜いた彼女は眼前に迫ってきた。



そしてお互いの刃物がぶつかり合う。



その衝撃から火花が散りまともに食らえばどのぐらい出血しただろうかと暢気なことを清水は考えながら押されそうになる体を制御しようと二本の足を更に踏み込んで耐え、あまりの衝撃にアスファルトが軋む音が聞こえてきた。



「殺す気だな?お嬢ちゃん、そんなことして俺にそこまでの恨みがあんのか?ああ?」



お互い接近戦の間合いに入ると相手の様子がよく観察できる。それがいかなる殺人のプロであろうと焦りや息切れの様子など手に取るようにわかるものだ。清水はこの状況に陥ろうと特段冷静さを崩さず少女の応対をしながら相手の動向を知ろうと必死に考えを張り巡らせた。



「得意の銃は使わないの?そんな余裕があるように見えないけど」


清水の血走った眼を見て少女は挑発する。だがその余裕な言動とは裏腹に筋力で勝る相手に隙あらば押し込まれそうになり次の詠唱を発動させる余地を見出そうとしているのが清水には見え見えだった。


「使わせる気なんか無いくせによく言うぜ」


小銃は拠点に持ち帰りたいのが山々なのだがサイズも大きく普通にしていても目立つため持ち歩くことに抵抗を感じた清水は回収ポイントを用意してそこに格納してある。またそれだけでなく無線の中継拠点も清水は必死に工作活動で設営し市内だけでなくかなりの範囲で独自の無線環境を構築することに成功しておりそんな裏事情を相手が知る由もない。


このギリギリの戦いも地道な活動による賜物であり最後の砦で9ミリ拳銃を使う機会を伺うが彼女のナイフの練度に圧倒させられ十分な距離を取る前に抜けばやられかねない。


このまま膠着状態が続くと思われたが状況が動いた。つばぜり合いのようになったまま少女は加えられた力を往なし回し蹴りを清水へ放つ。


為すがままにぶっ飛ばされ無情にも道路へ弾き出された。風の力が威力を増しているのか華奢な体からは信じられないパワーで圧倒される。表現しようのない吐き気を催して清水はのたうち回りそうな痛みと戦う。風による加護を受けた結果が今の蹴りに反映されたのかは定かではないが格闘経験に疎い人物であれば下手をすれば失神していること間違いないだろう。


道路はきっと冷たいのだろうがそんな温度差に気づく余地もなく鳩尾を攻撃されたショックに耐えようと腹を押さえながら清水は力を振り絞って手元に落ちたナイフを拾い立ち上がった。

ライフポイントはゼロだと言いたげな目で彼女を捉える。


連続でナイフの応酬を繰り広げたせいか少女は肩で息をしていた。新たな攻撃を繰り出すわけでもなく佇み、


「世間ではただの暴走で済まされ殺され、哀れな人。あなたは邪知暴虐で身勝手なテロリスト集団と戦って死ねたと本気で思えてる?」


清水の過去に少女は言及した。だが答える気など更々なかった。


幸か不幸かこんな夜中に人気などなくここに至っては少女の独壇場である。清水にはこの言葉は身に染みた。自分でも受け入れることができたとは言い難い結末について語られているからだ。



「あなたは国のためには死ねない。今こうして何があったのか生きていたとしても逆転のチャンスはない。陸軍がそんなにいい組織に見える?こんな、平気で人の人生を踏みにじる連中が」



少女の声はどことなく震えているようにも感じられる。ベースが無機質なだけにほんの些細な変化が清水には違和感を感じられた。


清水が先ほどまで対峙していた通路は工事現場の一角で高所作業用に枠組み足場が構築されている。人知を超えた敵に対して一般的な人類が取りうる対策は一つ、不意を衝くことだけでありこのポイントにしろ偶然だけで選定された場所ではなく細工は施されていた。


辺りは街灯が照らし頼りない明りだけがお互いの視界を保っている。時代に不釣り合いな白熱灯に沢山の蛾が待っており、あんな虫どものように走行性だけを頼りに何も考えず暢気に生きていられればいいのに、などと清水は感傷に浸った。


「あいにくな、俺は組織を信頼して生きてきたつもりなんてないんだ」


清水は少女に人生の先輩として有難い言葉を投げかけて素早くジャケットの裏に仕込んだホルスターから拳銃を取り出し構える。


少し離れた距離と言えど銃口を突き付けられていることに変わりはない。だが少女は依然とした冷徹に、侮蔑の目を向けていた。


「あなたも所詮はあの憎い陸軍の仲間」


「そう思ってくれるのは別に構わない」


彼女はきっと人ならざる力を持ち忌み嫌われて、ひた隠しにして慎ましく生きてきたはずだ、それが清水には分かる。きっと奥田大尉にそこを付け狙われたのだろう。


構えた銃口をそのまま街灯に向け直し一発、続いて何発か近くにある街灯すべてを狙い引き金を引いた。拳銃と言えど発砲音は耳をつんざく。やがて警察が群がってくることは間違いないだろう。

街灯がすべて割れたせいで光源は失われ辺りを照らすものがない。幾分か逸れればネオンサインなどがあり良かったものを気づくころには遅い事態となった。


「これは」


急に光が失われ状況を掌握できず少女はたじろぐ。


「天下のウィザードだろうが目は普通の人間と変わらねえみたいだな。安心したよ」


清水の視力だけは健在なようで、まったく臆することもなく少女から食らった脇腹への斬撃で破壊されたナイトビジョンを捨てた。USBメモリこそ無事でさりげなく引き抜いているが、また買いなおしじゃねえか、と唾を吐きたい気分だっただろう。


足場には雷管により活性化された爆薬が実は仕掛けれておりその場所を清水は暗闇であろうとも把握している。慎重に照準し吐き捨てるように清水は言った。


「俺はな、俺のルールに則って戦う。お前らと一緒にすんじゃねえ」


そして躊躇することなく引き金を引く。


放たれた弾丸は一直線の軌道を描き飛んでいく。目標にあたるまでにきっと零コンマ1秒も掛ったとは思えない一瞬の出来事だ。やがて一発の鉛の弾は仕掛けられた爆薬を誘爆させ足場を吹き飛ばした。真っ赤な炎が浮かび轟音と共に崩壊し、大量の枠組みが降り注ぎ粉塵が舞う。


これがハウスダストでないことを望みながら凄まじい衝撃と共に積みあがった残骸の山を見つめて清水は若干の安堵を覚えた。無事にそれが通路を塞ぎ壁の役割を果たしてくれていることを確認できたからだ。少女が瓦礫によって圧死したかまでは定かではない。


だが、どうにも、これで死んだとは到底清水には思えなかった。

ここはいつ匂いを嗅ぎつけた連中がやってくるか分かったものではない。しばらく頭を巡らせ、そう確信して清水は矢継ぎ早にこの市街地を後にした。



自分から提示したにも関わらず目的地にたどり着くことのできなかった男がいた。


路地裏は暗く人気は全くしない。辺りにあるのは商業ビルだらけでもう少し何か探したとしても静けさを出した歓楽街の一角くらいだろう。いずれにせよ、誰かに助けを求めようとしても無駄なことくらいは理解できそうだ。


「久しぶりっすね、先輩。身柄抑えさせてもらいますよっと」


梶木は元後輩、神崎という男に完全に抑え込まれて身動きの取れない状態になっていた。地面に押さえつけられうつ伏せで手首を決められる。情けない醜態を晒しながらも尚事後処理に考えを巡らせていた。


「公安もこんな早い段階で動くこともあるんだな。ところで何の容疑だ?身に覚えがないな」


元後輩に押さえつけられながらも苦笑でごまかしたが美味しい展開になるわけもなく、


「銃刀法違反でいいですかね」


要領よく手錠を嵌められそうになる。


「待て待て待て!有り得ない!俺は何もしてないぞ!近くで射撃し合ってたってんなら他人の仕業だ、おいおい俺に捜査の邪魔された八つ当たりでもしてえってのかぁ!?」


パニックと息切れを同時に何とかしようと梶木は試みるがどうにも追いつかない。迫りくる現実を何とかできる器量も残っていなかったからだ。あそこで転ばなければ、などと世迷言を考えながら日頃の悪行を必死に悔やむことしか彼にはできなかった。


「梶木さん、悪いんですが俺たちも全力で今の事案に取り組んでてこればっかりは外せないんです。状況をおとなしく聞けるような状態でもないし、ここは我慢してくれませんか」


もう一人のスーツの男がニヒルな笑みを浮かべて梶木に近づいた。屈んだ男は耳元で大人しく情報を提供してくれればいいんです、と話した。それは公安が人をだますときに使うようなテクニックの常套手段であり梶木の心は一向に収まらない。


黙って外に返してくれる連中なわけがないのだ。


「あなたの持っていた護身用の拳銃でもいいんですよ」


身体検査で完全にみぐるみを剥がされ言い訳のできない状況でもはや頭の中は段々と真っ白になっていくことを防ぐことができなかった。泣き言を言うしか手段は残されていない。


「リヴァイアサン!お前ら昔のよしみだろ!?俺をここで抑えるならそれはそれで構わねえがどうせガラは抑えてるも同然なんだ。泳がせるのはどうだ!?」


その言葉に男は一瞬真顔になりそして笑った。


「梶木さん、まだコードネームで呼ぶなんて、存外警察のことも嫌いになってないみたいですね、よかった」


「は、はは…」


元職場の憎らしい後輩たちにこうして媚びいるようなことしかできない間抜けさに梶木は辟易した。実際のところ名前も何もコードネームでしか相手の呼び名を梶木は知らなかった。


困ったものだ、どうしよう、こんな状況になって本当についてねえ、そもそもこれは清水の糞野郎が元凶だ、次々に浮かんでくる悲観や罵詈雑言を消し去っていきながら全力でブレイクスルーを思いつかないか脳細胞をフル活用するが公安の有能さを身をもって実感してきた梶木にはそのどれもが無策と言えた。


現状を説明すると清水にアルファ1での合流を指示した後あと一歩で目的地に到着という所で公安警察の二人組に姿を発見され梶木は追われる運びとなった。敢え無くして追跡に敗れ後輩二人に抑え込まれる事態となりあまりの急展開に清水に連絡をよこすよりも前に無線も何もかも押収され通信途絶という状態だ。


梶木の心理状態を勘ぐっていたのか二枚目な顔をした後輩はリヴァイアサンとコードネームを持っている。梶木は元警察職員であり彼らはかつての仕事仲間であった。大した理由ではないが付いていけなくなった、ことから退職して今現在の在り方をしているのが現状だ。


今現在梶木を押さえつけている神崎という男はこれと言って特徴があるわけでもなく挙げるとすれば梶木に対して在職中から延々と軽口を叩いていたことぐらいだった。もう一つ上げるとすれば今はワイシャツの上にパーカーを着込んでいることぐらいだ。捜査の途中だったのだろう。


「梶木さん、あなたが一緒にいた男、一体何者ですか」


不意にハンサムな面をしたリヴァイアサンは眼光が鋭くなった。


「何者…か。お前らが気になるのはそこなのか」


梶木は呆れたように唸った。いい加減反抗しないから手首を開放してくれと切に願った表情が伺える。


「俺たちが追っている案件をあなたたちが追いかけていることも、ね。あのロシア人の集団と40連隊の中隊長が何を目論んでどんな取引をしているのか、大体は分かってて狙ってるんじゃないんですか?」


殆どは調査済みなのは想定内でありかといってこの連中と会話をする必要のない梶木は特に返事をすることもない。

続いて畳みかけるようにリヴァイアサンは言った。


「それで、あの清水って男は?」


「それでって、何がだ…」


「あの撃ち方は普通の軍人上がりには見えないな、ってことですよ。よくもまぁ、あれだけ正確に人が殺せるもんだ」


「考えすぎだろ」


「今回のマークから外れた人間はあいつだけです。梶木さんは裏の系統を通じてやってくることぐらい想定はしてましたが、あれが奥の手ですか」


まるで人間兵器だ、そう言ってリヴァイアサンは立ち上がった。その瞬間何やら面白くもなさそうに押収した拳銃と無線一式を梶木のスーツの内ポケットに戻す。どうやらこの場でややこしい揉め事を起こす気もなく話し合いの場が欲しかった、という意思が透けて見えた。


「元同僚だけあって梶木さんを追い込むのにも手間取りましたけど、二兎を追うチャンスだと思って清水という男も同時に追跡していたんです。それがまぁ、とんでもないものを見せてくれましたよ」


どうにも、人外めいたものと戦闘を繰り広げた馬鹿男の様相を語っているだろうリヴァイアサンの目を見て梶木はどんどん面倒くさくなる事態に一人妄想を深めた。


清水 総一郎が公安の網から外れていることは事態がこうなる前から梶木には分っていた。何故なら清水は死んでいる人間だからだ。それがどうして生きているのか、それはいずれ詳細に清水自身が語る時が来るのかもしれない。


それより奥田大尉という男は数年前に起きた北九州でのある事案に対してかなりの関与をしている。そこでとある問題を抱えたロシアの一部の軍人たちが日本にやってきて奥田大尉とどうにも頂けないホームパーティーに興じている。連中はどうやら何かを探しているようで公安もそれに気づいてずっとマークをしていた。


自分たちは組織から暗殺を指示されのこのことやってきてこうして網に引っかかった。


梶木は頭の中を整理させて願った。助けに来るならさっさと来い、と。


「梶木さん、清水と言う男は事の顛末を知ってるんですか?どうにもこの感じだと奴は踊らされているような印象を見受けます」


「まぁ、じきに分かることであって無理に理解させることでもねえからな」


しばらくの間神崎に手首を固められて痛みが限界になってきた梶木はそろそろ自力で反撃して抵抗できる限りの手段を尽くそうと考えていた時、神崎がふわぁっと眠そうに欠伸をした。


「いい加減本署まで連行しないか?元先輩たってこんなところでいつまでも見張ったまま話を続けるなんて神経がすり減りそうだぞ」


神崎と言う男は梶木の拘束を完全に奪っている状態からか楽観的に笑った。

刹那、一陣の風が吹いた気がした。


「ッ!?」


梶木を組み伏せていた重みは一瞬で無くなった。強い衝撃と共に先ほどまで自身に乗っかっていた神崎は吹き飛ばされ、回転して、無残に彼方に散っていきそうな勢いで地面を転がった。神崎にとっては死角から急に拳が飛んできて見事に顎部に命中、相手を確認する間もなく視界が360度以上回転することしか分からなかっただろう。


事態の急展開にリヴァイアサンは目を疑った。だが、それも束の間、神崎を殴って吹き飛ばした相手を見やって納得する。


「思ったより早いお出ましだな」


本来なら吹き飛ばされた同僚の身を案じるのが先なのだろうが探していた獲物が自ら現れたことにただただ動悸していた。


人間の気配を感じることぐらい造作もないはずの警察官二人に感知させることもなく襲撃して見せた男に感服するべきなのか。



「お前らこんな時間に一体どうした…?花見かこの野郎」



清水は間抜けな同業者に侮蔑の目を向けながら呆れ気味に言った。



「おかげさまで手首が腱鞘炎だよ。全く、こいつらのせいで一生檻から出てこれねえかと思ったぞ」



抑えられた関節の異常の有無を確認しながら梶木は立ち上がる。


「こんな連中に捕まるなんてお前きっと才能ないだろ」


「うるせえぞ、てめえが俺をいちいち現場に呼び出さなければこんなことは起きなかった」


「全くだ」


清水はそう言って吐き捨てた。

次いで相対したリヴァイアサンを見て怪訝そうな顔をした。


「で、誰だお前は。俺の友達だったか」


その言葉に苦笑めいたリヴァイアサンは肩をすくめて身を翻して忘れていた同僚の元へ向かう。すっかり伸びた神崎を介抱して横目に二人を見やった。こんな状況で仲間1人を抱えながらこの二人を相手にすることは現実的ではない。


「あなたとここでやり合うのは分が悪そうです。なんせうちの神崎もこの有様です。ここは引くので無用な争いをしても仕方ないと思いませんか」


自分たちが探していた人間が目の前に自ら現れたというのにどうにもここで現状を何とかしようとする気もないらしい。


その言葉に清水は少し考えて首を横に振った。


「ここでお前ら二人とも俺が撃ち殺すって言ったらどうする」


清水はジャケット裏のホルスターから拳銃を抜いた。見た目のコンパクトさと裏腹にしっかりした重量感に手を馴染ませながら感情のない声でリヴァイアサンを試すように言う。微かに硝煙の匂いが漂い戦場を感じさせる。梶木はそんな清水を諫めようとした。


「清水、相手の妥協に乗れ、そんなんじゃあいつは殺せない、あいつは」


――その瞬間、遊び半分に相手に向けた銃口に異常が生じた。

摩擦音と言うにはかなり微弱で、まるでレーザーで切断されたような感覚だ。そして薬室から向こう側が完全に無くなった鉄の塊を呆然と清水は見つめる。



「おい、これって調達するときに保証とかちゃんと掛けてるか」



「そんなもんがある業界に見えるか?」


一体何なんだ今日って日は、そう言いたげな疲れた目をした清水に梶木は説得材料を提示してやる。



「お前がさっきやり合ってた誰かさんと変わらねえ人種だからそんなことはやるだけ無駄だ。そっちじゃウィザードって言ったか」



その言葉に忌々しさを感じながら清水は熱いシャワーを浴びる自分を想像した。

そうだ、こんな日はそう何度も起きていいことじゃない。だがこうして実際は自分の試練は立て続けに起こる。何か意味があると。



使えなくなった拳銃を地面に捨てた。


「お前らは奥田大尉に関することに気づいて嗅ぎまわってたんだろう。そこにイレギュラーの俺たちが現れて邪魔をした。だが幸いにも連中はお前らに気づいてる様子も今のところはない。お互い協力するなら今のうちだぜ」


清水に言葉を投げかけられるが反応することもなく微笑だけを浮かべて歩みを進める。梶木と何かアイコンタクトをするように。


「行ったな」


梶木の言葉と共に警察官二人の姿は暗闇の背景に同化して消えていった。一体何なんだと清水は物思いにふける。完全に切断された拳銃の残骸を眺めながらとりあえずは梶木に事の全編を訪ねることにした。


しばらくして大体のことを聞き終えた清水はこれまでに蓄積されたものを整理することにした。



「俺たちはこれからどうするべきなんだ」



その言葉に梶木は空を見上げていった。



「離脱しよう」



日が昇ってきてるのか空は明るさを帯びてきていた。梶木の疲れた表情が明瞭になってくる。

これは一件落着と言うべきか?

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