清水の憂鬱

閑静な住宅街に隠れ家を構え、怪しいアジトを築いた男がいた。清水しみず 総一郎そういちろう。


数年前陸軍である事件を境に行方を絶った隊員としてその名は世間に認知されていた。とっくに死亡したものと思われているが今は誰にも悟られることなく生活している。彼には陸軍の仲間に顔が見られるわけにはいかない理由があった。遠方の地で隠居することができれば気楽だが現在の殺し屋という稼業を営むために必要な人脈を頼る必要性があり仕方なく原隊の担当する防衛担当地域を離れることはできなかった。


だからこうしてせっせと、偽の身分証を利用し賃貸を契約することに成功してからは他の誰にも自分の正体を察知されないように居住空間を改造している。


「山田 太郎、完璧な名前だぜ」


その名前を呟いた彼は、声に出した言葉とは裏腹に本当にこんなありきたりな名前でよかったんだろうかと一瞬後悔し掛けた。だがそんなことでいちいち悩んでいれば身が持たない、自らのネーミングセンスの無さを吐露する相手もいないので胸の奥にしまう。


外部からの盗聴や盗撮に対して遮蔽能力のあるシェルターを構築するため部屋の様々な箇所に軍事的な細工を施しながら清水はこれまでのことを思い返していた。


現在清水の過去の経験で得ることのできた伝手を頼り調達することのできた品々の数々がこの一室に隠されている。二階建てのアパートの一部屋の入居ができた彼は自らの経歴を偽装し、ようやく住まいを確保することができたのが何か月か前。軍人である身を捨てた彼が選んだ第二の生き方は『殺し屋』だった。


アサルトライフル、サブマシンガン、対人・対物ライフル、対戦車火器、その他もろもろの兵器を格納し、この部屋をビジネスができる最適な事業所、隠れ家へと変化させる、それが清水の自由時間での主な仕事である。


「今頃こんな仕事にニーズがあるとは思えないけどな」


そしてこの世界には非現実的な事象があり、それは人間と似て非なる存在があり彼らは異能を扱うということだ。異能とはこの世界に生きる人々にとっては忌避するべき言葉や存在であり、しかし確実にそれらは時代と共に共存してきた種族であり厳密にいえば人ならざる者でありながら姿形を見れば紛れもない『人間』であって、であるから説明の難しい事柄なのだ。


彼らを取り巻く環境は特殊で国に使役する者もいれば犯罪組織の一端として戦うものもいる。さらには利権問題も存在し取り巻く事情は複雑でそういった問題を解決するために殺し屋という職業が脚光を浴びた。


使い捨ての駒として活きてくるのは殺し屋でありそれは表立って姿こそ見せずとも反社会的勢力の末端として仕事を請け負い確実に任務を遂行する。その生き方を選ぶことが自分に対してどういった変化を及ぼすのか清水には未だはっきりとしたものを感じることはできていない。


幾ばくか、作業を進めて感慨にふけっていた時、インターホンの音がしたことに気づいた。腰を上げてテレビドアホンまで近づいて画面に映る少し平べったくなった顔を見て気が付く。どうやらブローカーの迎えが来たようだ。わざわざドアを開けてやる必要もないと清水は考えた。


「そのまま話せよ。要件はなんだ」


「直接ここまで俺を誘い込んで本当に良かったのか」


ドアの向こうには怪しげな男が立っていて扉1枚を隔ててインターホンの映像や音声を通じて清水と会話する。わざわざ歓迎してやる必要もないと清水は思ったのか、客人は寂しく外に突っ立ったまま応対されることになった。


この男は武器密輸、実際にそれを扱う実行者の間を仲介するブローカーを担当し、名を梶木と言う。清水との連絡手段は急に外で出くわす時もあればメール、電話、またはこうして直接家まで訪れる時もある。


繁華街等で喫茶店やレストランを使って密会するのはよくある手段だが下手に顔が見られるのを嫌うためいっそのこと今回は自室まで呼び寄せたのだ。清水はまだ裏側の社会の人間として堂々と生きていくのにはノウハウが足りないだけでなく初心者らしい躊躇いがある。



梶木との会話は大抵唐突だ。



「いつものことだが、俺が連絡しに来たってことはクライアントから依頼だ」



「場所は?」



「誠堂高校近隣、40連隊の奥田大尉。ナンバー中隊の指揮官、どうだ?」



「なんでそいつを俺に?」


誠堂高校とは清水が現役軍人だったころ所属していた陸軍の駐屯地から最も近い公立高校だった。そこの付近に存在する駐屯地にある原隊、第40歩兵連隊の軍人の殺害の依頼。詳細に関しては追って詰めるか内定調査で割り出すが細かい工程は置いておいて遥かに重要な問題が清水にはあった。

梶木は告げる。



「お前の元中隊長だろう。断るなら断るでいいんだろうが株を上げるきっかけになるんじゃねえかと思ってな」



現役軍人の暗殺はそこら辺のヤクザまがいの殺しとは訳が違う。下手を打てば連中から反撃されなぶり殺しになる。むしろ知り合いを殺害しろ言うのだから自分をおびき出す罠なのではないかと清水は疑心暗鬼になったがこんなことでいちいち疑っていても心も持たなければ今ある現実との折り合いもつかない。


続けて梶木は言った。


「というかこのまま変に疑われてもあれだから言うがこれまでのやり方を疑ったり否定するならブローカーの俺を通さず直接クライアントと話してもよかったはずだ。お前が訳ありで本当にどうしようもなく融通の利かねえカスってことはわかってるだろ。こうして短い間だが俺と関係を構築できるだけ有難いと思え。余計な詮索だかなんだかわからないことは辞めることだ。アウトローで生きるんだから、な」


これまで、と言うにはかなり短い期間であるように清水には感じた。その最もな言葉に居場所もない、生きる場所すらもう与えられていない清水は沈黙を保った。自分には何もない、何の脳もない。その通りだからだ。


「あの軍人はお前にしかやれない。自分で裏どりして決めるんだな。そうすりゃ見えてくるさ、返事は三日後」


そう言ったが最後、静かに男の気配は消えていた。気配を殺すように動くのは裏世界で生きる人間故か、それともかつてあの男にも前職があり居場所があり、そこで培った能力なのか、清水には知る由もない。


ドアの前で立ち尽くしたまま、清水は落ち着かない心に問いかける。これからやることは失敗は許されない仕事でありそれは死に直結するぞ、と。危険な綱渡りをしながら生計を立てる稼業の上でこれは一つ、清水の中で区切りになりそうだ。正直に言って嫌な予感しかしない、と内心怖気づいていた。


対象を殺害する方法は考えれば無限にある。射殺、刺殺、撲殺、毒殺etc……上げればキリがない訳だがクライアントを通じて特に指定がない場合は自分流のやり方に沿うことになる。


元中隊長の暗殺に何故清水でなければならないのか。事前調査を通じてわかったことはいくつかあり、その一つはすでに奥田大尉の暗殺に何度か失敗しており清水以外の人間による殺害は不可能と判断されたということだ。元軍人であり何より原隊の元上司だ。


清水にとって失敗の理由が何だったのかは推測できる部分もあった。その理由を説明するためにここで補足情報が一つある、それは軍事行動を行う上で必要な教育を施され専門の訓練を経て登録番号を与えられた異能を行使する者を陸軍ではウィザードと呼ぶということだ。この名称は陸軍に限らず恐らく陸海空軍全てで通じる言葉だ。


『異能』というものがどういう意味合いを持つのかは事態が進展していけばやがて解明されるだろう。ともかくそのウィザードにより編成された専門小隊を奥田大尉は管轄下に置いている。有事の際ナンバー中隊は主力となりその上でこの中隊長が掌握する。


このウィザード小隊を運用しているせいで殺害は幾度と失敗しているのかもしれない。有事とはどういう場合においても定義が曖昧なためそれなりに指揮官の判断で指揮下にある部隊を動かし自らを狙うものを排除できる。これによって失敗が続いているということが一つの仮定だ。


彼は何かしらを企み秘密裏に行動を進める上で怒りを買うことがあったのだろう。だがしかし、ことの親玉が上層部に限る話というのならば後始末をアウトソーシングするのはデメリットが大きすぎる。


手を汚す汚さないの話ではなくメンツの問題であり不祥事を外部に垂れ流す意味はない。


ならば考えられるのは奥田大尉は犯罪組織と繋がるようなことをしているかそれか、外国の諜報機関等と何らかのやり取りをしているか。陸軍が身内で揉めている問題とは思えず様々な事情が懸念され、その証拠や真実を探るためにもまずは内情を探ることが必要となった。


例えば諜報機関の人間が外部の組織の人間とやり取りをするうえで使い古された定石がある。それは密会だ。情報を提供したりされたりする上でできる限り他人から見て不自然でない場所が必要なのである。


彼らはそこで秘密裏に、外交官同士で行われるような会話は行わず、例えば交渉をする。


その交渉内容としてはこの国に握られては困る物に対してのアクションだったり、清水自身の経験で言えばテロ組織によって行われた攻撃事案に対する、裏ルートからの圧力なのではないのかと察したりできる。そんなことをする必要があるのは政治家や正規の外交官だけではうまく行かない話もあり事を隠密に済ませたいというある国の願いがあるからだろう。


そして今回暗殺対象となる奥田大尉が所属する40歩兵連隊は陸軍『大蔵駐屯地』に駐屯しており誠堂高校近隣の土地は恐らくカモフラージュに適する立地と見られる。大蔵駐屯地は40歩兵連隊を基幹部隊とし連隊長が駐屯地指令を兼務しており特筆するような事項はないが言えることがあるとすれば連隊の指揮下にある4中隊の中隊長である奥田大尉もとい中隊長が掌握するウィザード小隊は特殊だ。


そこにはウィザードである隊員が所属し内部情報、構成等あらゆることを原則的に外部の人間に秘匿されているため異質と見られている。清水も元々4中隊に所属していたためその特異さは十分承知していた。


基本的にこの県は田舎だがそれでも繁華街や中心地などになれば人混みが増え各組織も活発に動けるものだ。木を隠すなら森の中と言うが陸軍の駐屯地が近くにあり尚且つあまり余所者が入り込む隙を与えない土地で活動を行うことにより効果的に邪魔者の介入をカットしていて思うように有象無象の殺し屋たちは動けなかったのかもしれない。


迂闊に近づくことすら出来るかわからない状況であり一身上の都合から顔がバレる訳にはいかない清水にはアクションを起こす際に苦渋の決断になりそうだ。


不必要な外出は自身の姿を無闇に晒すことになり悪い結果を生みそうだと清水は自覚しながらも仕事の上では仕方ないと割り切り対象が徘徊するであろう土地を一望できる場所へ向かうため家を出た。

すでに梶木から示された3日は過ぎ、その期間は主に事前調査に費やされ奥田大尉達が活動しているであろう拠点や彼らの情報を収集する時間に充てられた。



返事は実行可能であり請け負う以上実地での調査も必要となる。家を出たはいいが一人で全てを実行することはかなりの困難を清水は伴う。


清水は大蔵駐屯地だけでなく誠堂高校含めこの一帯全てを一望できるショッピングセンターの屋上にやってきた。日はすっかり落ちて辺りを照らしてくれる照明すらない。夜間でないと人目に付く可能性があるため止む無くこの時間となったのだ。そこには清水だけでなくもう一人の男が先着していた。


その男は3日前連絡をした梶木だった。彼までもがその現場にいるのは今回が初めて、というわけではないが裏どりするにも結局は行動に制限がある清水には仕方のないところがある。この男とはただの仲介人と実行者の関係でもないのだ。清水はベージュのミリタリージャケットを羽織り下はジーンズ、ある程度の機動を想定した服装、対して梶木はビジネススーツに身を包み一般的な正装をしている。


こんなところにブローカーの俺を呼び出しやがって、実行者が協力させるなんて前代未聞だぞ、と言いたげな顔で梶木は腕を組んでたたずんでいた。


「ここに俺を呼んだってことは実地偵察に使う気だろう。連中が今夜来るって確証はあるんだろうな」


待ちくたびれたようにため息をつきながら梶木は煙草に火をつけて白い煙を吐いた。電話一本で呼び寄せられてくれる辺り、言葉に反して中々いい男なのではないかと清水は想像を膨らませた。


「もちろんだ。あいつらは見栄っ張りでな、こうやって俺たちみたいな連中に覗かれる可能性に気づいていても必ず現れる」


清水の確信めいた言葉に梶木は目を細めた。


「陸軍は見栄っ張りだと?」


「そうだな。あいつらはこぞって接待を好む。それが多少暴露し易い場所であったとしても気にしないんだ。普段の訓練じゃ散々位置の選定や偽装に煩い癖に、だ」


清水は皮肉を交えて双眼鏡を構えて恐らく対象がいるであろう地点を観察する。奥田大尉と見られる人物はスーツ姿で料亭らしき場所へ何人かの男と入っていく姿が確認できた。事前調査通り主な根城は誠堂高校近隣の土地でありそこに頻繁に出没している。


今日のような日に狙って偵察を実施したのにも彼らが金曜日の夜に決まって最寄り駅の繁華街を堂々とうろつく、という職業柄の習性を知っている清水の勘であった。かなりの離隔距離を置いているため流石にこの位置で敵に暴露することは無いだろうが警戒する必要はある。


梶木は夜風が吹いているのを感じながら清水に言った。


「随分大胆な相手だな。引き連れてる連中、一体どこの国からやってきたと思う」


「日本人じゃないな。ヨーロッパ人だろうが、ちょっと考えたくないぞ」


「お前、ビビってるだろ」


梶木に軽口をたたかれ清水はイラつく。その気持ちを誤魔化すために目の前の事象に集中することにした。


「それアマゾンで買ったのか」


軍事用というわけでもない私物の双眼鏡を見て笑いを堪えきれてない梶木の声が妙に清水には癪に障った。これから使うであろう暗視眼鏡も出せば出すほどその秘密道具を梶木は笑いのネタにするのは自明の理だ。


「うるせえ、黙ってろ。お前には接近するときに腐るほど働いてもらうから覚悟しとけ」


いずれはっきりするだろう清水の『事情』についても解き明かされていくだろうが相手に迂闊に接触できない清水の事情を概ね理解している梶木はいざとなったときは頼もしい味方になる。吹いてくる風は春と言えど少し冷たく不吉さを感じさせた。


「俺はそろそろポイントを変えるぞ」


「頼んだ。目標の撮影は俺がやる」


「当然だ」


梶木は煙草を地面に落として右足で火種を潰した。一拍置いて覚悟を決めたような顔をして屋上から姿を消す。ここからは無線と骨伝導イヤホンを利用して互いに連絡を取り合い目標の偵察活動を引き続き実施していく。奥田大尉が連れた人物が何者かより近距離に近づいて撮影するためにも清水は地点を移動することにした。計画を実行する前に対象の目的や背景として存在する組織や勢力を探るために映像や写真は重要となる。


「お前の話、もう少し聞かせろよ」


「例えば?」


骨伝導イヤホンから梶木の声がダイレクトで清水の鼓膜に響いた。感度は良好なようで無線らしい少し籠った音声だがしっかりと聞き取れる。


「北九州では派手な暴動が起きたみたいだが、お前もそこにいたんだろう」


「そうだな、だがあれは暴動じゃない。テロと言っても差し支えないだろうし、そもそもそんな言葉で済ませていいような問題とも思えない、宣戦布告みたいなもんだと俺は思う」


「思うってなんだ。まさか敵も知らず戦わされてたのか。おいおい、陸軍ってのは恐ろしい組織だな」


その通り陸軍はそういう組織なのだ。見栄っ張りで形式的なことを好み目的を教えない。肝心なところは隠して自主性を求める組織だから深く考えるような奴は簡単に落ちる。清水は部隊の命令でとある作戦行動に身を投じて、そこで大きな事件に巻き込まれたのだ。その事件がなんなのか、それも追々分かることだろう。


「俺は周囲の状況を解明する。清水、お前は確実に出てきたところを押さえろ。しばらく時間はあるだろうがな」


梶木はショッピングモールの位置から更に近づき奥田大尉らが入った料亭付近を肉眼で監視できる位置まで単独で潜入したようだ。肝心の奥田大尉一行は中に入っているためこれ以上の接近は不可能、出てきたところを撮影する。高性能ナイトビジョンをこのために清水は携行してきた。


「なあ、俺も一応お前のいる地点は監視してるがその手に持ってる玩具はなんだ」


「これもアマゾンで買った」


無言が『ふざけた野郎が、この資金難のヘタレ三流業者』という風に清水に聞こえてきた。そしてそれは多分間違いじゃない。


「対象をしばらく泳がせて撮影するからこっちのほうがいい」


「離散したらどうする気だ」


「正直これ以上は近づきたくない。仮にだ、面倒くさい監視員を相手が付けてたらどうだ?」


「だったら今頃俺たちは焼き殺されてるだろうな。そのための暗視眼鏡だとして、相手が落ち合う場所でも想定してるのか」


清水は梶木が近づいた場所とは少し外れた場所に移動していた。大蔵駐屯地の近くには比較的大きい公園がある。恐らく接待中でも重要な話は交わされるのだろうが絶対に聞かれたくないことに関しては場所を変える可能性が高い。この公園には普段夜間になれば人通りもなくなる土地柄故密会場所としてはどこよりも適している。それ故に彼らがここに移動してくるであろうことは清水は予想できた。


「対象が出たぞ、周囲の状況において変化はなし、そっちに向かっている」


梶木の無線が入り緊張感が増していく。男たちが出てきた道路は一本で公園の面するところまで繋がっており速足でなくともさほど到達まで時間はかからない。


「了解。こちらからも撮影可能な距離まで近づいた」


公園の裏手には人間の手が加えられているようには見えないそこそこな大きさを持つ山岳があり夜となれば中々な不気味さを放っている。公園側から見れば遮蔽物と化しているような雑木林に清水は身を潜めてそこを撮影ポイントに選択した。


程なくして料亭から出てきたであろう数人の男たちは街灯に照らされながらやってきた。全員ブラックスーツで佇まいや歩き方はタダのおっさんサラリーマンの集団には見えない。恐らく護衛要員を含んだ人数であることが分かるがあちらは清水には気づいていない。


久しぶりに見る奥田大尉は普段と変わらぬ理知的な風貌は変わらず鋭い目はあたりを警戒しているようにも見えた。だが余裕さが感じられどこかもどかしい気持ちに清水は襲われた。対象の行動を追尾し、彼らが一歩進むごとに清水の鼓動は高まっていった。自分の存在がバレていないか、自らにのみ聞こえる鼓動が冷や汗を生む。


公園の中枢まで彼らが入ってきて、護衛要員たちの動きが止まり周囲の安全を確かめ奥田大尉やもう一人の監視対象である大柄なヨーロッパ人に合図を送る。これから知られてはいけない本命について話をしているのだろう。その男を見て清水は一つのことが脳裏をよぎった。


「梶木、これはどういうことだと思う」


「何がだ」


梶木に情報を伝えたつもりが動揺で要領を得ない不明瞭な連絡になる。清水は光を何倍にも増幅させるナイトビジョンを通して目の前の状況を整理した。



「恐らく東欧人だ」



肌の色や顔つきだけでそう判断もしてしまえる気もするが護衛の動きが決定的なものであった。連中の足取りは公安を警戒している、奥田大尉を暗殺するにもかなり考慮する問題があると思われた。ここで警察の捜査員とバッティングしていると想定すれば手出しすることは危険が付きまとう。マークされるのは連中だけでは済まずこちら側が目を付けられれば何をされるか分かったものではない。


一つの可能性として外国の諜報機関と連絡を奥田大尉が取っている、というものがあったが相手の国が清水の予想するものであるならばこれから起きていく事態というものはとても歓迎できる事ではない。


清水にとってそれは過去の忌まわしい事件と繋がりがあることを否めないからだ。元上司がその大元と何をしているのか今ここで考えるのは荷が重い。



「目視できるギリギリの距離までは接近した、撮影だけして今回は撤退だ。お前の出番は今回は無しだな」



解像度を限界まで上げて保つ。被写体の男の顔が映像を通して浮かび上がってきた。夜間と言えどナイトビジョンにより昼間と見間違えるぐらいの鮮明さを映し出す。ここまでの一連の流れは第三者が見ても分かりやすく撮影されUSBメモリに記録されている。



その時、一瞬だけ、画面越しに奥田大尉が笑ったように見えた。



「ッ!!??」



風を切って一発の銃弾が清水の頬を掠める。驚いて反射で飛びのき、銃声が轟き続いて大量の弾丸が浴びせられる。だが辺りの雑木林に身を隠し奥田大尉より高い位置から匍匐の態勢で監視をし続けていたこともあってギリギリ回避することに清水は成功した。一発ごとに光を帯びておりその数々が清水の体を撃ちぬこうと襲い掛かって頭上の草木が焼き切れ心拍数は跳ね上がっていく。


短い時間にばらまかれたことから軽機関銃であることが伺えた。このまま同じ場所にいればいつかは撃たれることは分かりきったことだろう。



「梶木!離脱しろ!」



ナイトビジョンを急いで戻し、無線を送り清水は素早く草むらから飛び出した。回転するように抜け出すことで所々で折れたススキを含む枯れ木が突き刺さり痛みが走る。だがそんなことも気にしてられずそのまま遮蔽物を利用しながら市街地を目指した。初動偵察だけで今回のアクションは安全に終わる予定であったというのに初回から元身内に勘づかれ攻撃される事態は清水にとって最悪のパターンであった。


まだ奥田大尉に清水本人が生きていることが勘づかれたのかは定かではないがどちらにせよ笑っていられる余裕はない。最短経路等は事前に周知しているため変なポイントで待ち伏せを食らわなければ逃げ出せる算段であった。食らわなければだ。



「清水!アルファ1だ!」



人が通れるように整備された山道を走りながらも梶木の無線は聞き取れた。一刻も早くポイントへ戻るためにも余計なことは考えず地面を蹴った。肺に空気を入れて精いっぱい走ることだけに専念することにした。だがそこでも邪魔が入る。


正面から真っ赤な塊二つが吸い付くようにやってきて胴体を掠った。


「やっぱそうなるよな…!!」


軍人の頃からの経験か、監視中に敵に撃たれることは為るべくして為った場合が多い。この場合は確実に包囲をされて待ち伏せ攻撃をされているのだ。敵が外してくれるのは動く標的を狙った結果で銃弾二発は紛れもなく標準されただろうが当たることもなく彼方へ消えていく。


相手の次なる射撃に応戦するために清水は反射的に走っていた勢いを殺さずスライディングし姿勢を低くして地面に臀部を付け、『携行資材』として用意してきた秘密兵器を使い慣れた手つきで素早く構えた。


ブローカー経由で調達したアサルトライフル、または自動小銃と呼ばれるものだ。サイトの装着により照門と照星による照準は必要としない、次いで引き金に指を掛け瞬息で撃発した。実弾を撃つことで生じる強い衝撃が床尾板を通じて肩に伝わる。そして火薬特有の硫黄が混じったような臭いが鼻を突いた。


目標がいるとみられる方向に一発の銃弾が飛んでいく、続いてダブルタップの要領でもう一発を一人いるだろう方向へ放った。これだけのことが一秒かからずに起こったことであり一見驚愕を隠しきれるものではないだろう。


背負っていた背嚢代わりのリュックはクッションや射撃体勢を安定させる結果となり制御された弾丸二発は暗い森の中へ消えた。


「反撃は無いか」


敵からの応戦はなく沈黙したということは負傷したかこれ以上発砲して居場所を探知されてからの相打ちを避けるためかもしれない。どちらにせよ好都合と判断した清水は急いで飛び出して正面の方向を迂回した。少し獣道を通ることになるだろうが敵と至近距離で接触することを考えれば清水は躊躇わなかった。


奥田大尉の不敵な笑みが脳裏をよぎる。

そして一緒にいた東欧人風の男、二人を囲む防衛要員、連中が警戒しているだろう組織の特殊性から判断できる事の重さ。どれも考えたくないことだが、どうやらこれだけでは済まないような予感が清水にはあった。



今夜は長いだろう。

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