殺人鬼

季節は春に至る。誰もが心躍らせる心機一転の時期であることは間違いない。満開の桜を見てどこからともなく気分が晴れやかになるのもきっと古来より日本人は思ってきたはずだ。


そんな中血なまぐさい抗争が起きようと周囲の空気を不穏なものとさせていた。とある市内の一角、〇〇興行なんてガラス文字が刻まれているいかにもな、反社会的勢力が潜む建物がある。一階にはフロント企業の不動産事務所が存在していて二階にはその親玉として幾多の修羅場を潜り抜けてきた黒尽くめの男たちが群がっていた。


辺り一帯は物々しい雰囲気に包まれ景観を害している存在がここのせいなのか、と言われると地域住民は今更だと思っている。この土地は昔から反社会的勢力のたまり場であり長きにわたり、散発的に、また時には頻発してそういう組織による抗争が行われ多数の者たちが命を落としてきたのだ。


つまりは少し歩けばヤクザの事務所、豪邸、構成員が潜む団地なんてのはありふれていて、とても珍しいものでもない。かと言って見るからにトラブルしか持ってきそうにない連中にオフィスを貸し出すオーナーも溜まったもんじゃないだろう。


二階の窓から見える少し離れた公立高校へ至る道路沿い満開に咲く桜を見ながら強面の男たちはいつにもなく真剣な眼差しである。窓に反射する自身の血の気の多い面を見てこれから起こるであろう事態を改めて構成員の男は認識した。窓際に立つそいつは振り向いて責任者の席に居座る男に尋ねる。



「所長、この後確実に連中の刺客は来るんでしょうね。今日は出前も頼んでませんよ、下手に見られても面倒くさいんでね」


「無論だ。メンツの問題になればすぐに撃たれるからな。いい加減チャカ無しで話が付けばいいなんて思うんだがな」



俺たちの常識では難しい、と所長と呼ばれた周りの男たちより深いしわが刻まれた老齢の男はしゃがれた声を出す。この一帯では組の間で揉めればすぐに殺し合いに発展する習慣がありこんな辺境にある反社会的勢力の巣窟の一つで行われるであろう抗争も例に漏れない。


正直なところこの業界に入っていく段階で自分たちの命を懸けることぐらい覚悟の上だ、と言う風に入ってきたならず者ばかりなわけだがそれでもだ。いざこうしてこれから殺し殺される体験をするかと思うと殺気立つだけでは済まない哀愁ともとれる感情を抱く。



「ちなみに相手から仕掛けた場合誰が捕まるんです?」


応接用のソファーに腰掛けるサングラスを掛けた男が続けざまに質問した。所長は虚空を睨み答える。


「誰が仕掛けたなんてもはやたどっていけば霧のねえ話だ。警察もその都度銃を出したやつを捕まえようと躍起になる場合もあれば偉く消極的に逃がしちまう時もある。ここで逃げ出す選択を取る以外に穏便に済む状態ではもう無くなっちまったんだ」



その言葉には積もりに積もった不条理に対する様々な思いが垣間見えた。ソファーに腰掛けていた男は浅く座っていた姿勢を変えて背を預ける。これ以上は何を話そうが建設的なことは出てこない、満場一致でそう思いかけていた時所長は思い出したように呟いた。



「そういえば今日は山田 太郎ってやつがお邪魔することになってるんだ。聞いたことあるか」


誰ですかそれは、という風に部屋の一同は代表のいる席を見つめる。


「中々ありきたりな名前だもんでな、逆に覚えちまったよ。マフィアと麻薬の密売に関して縄張りで揉めたもんでどんな外国人が来るかと思えばこてこての日本人だ。お前らが知らねえってんならそれはそれでいいが、一体どんな傭兵まがいなんだろうな」


おいおい、という空気が蔓延る。それなら今回たった一人でそいつが来て話を付けるのか、と。ならば銃はおろか刀だの武器が飛び交うような状況にはならないと組員は各々悟り始めた。



「所長、脅かさないでくださいよ。いつにもなく真剣な表情で言うもんですから何事かと…」



窓際に立つ男は安堵したように気持ちが漏れ出て、緊張感が抜けた自分の表情を誰にも見られないように次いで窓の向こうの景色を見つめる。この事務所からまっすぐの方向に見える誠堂高校という公立校が存在する。


辺りの治安は見ての通りで学生なんて普通に通うのかと懸念される声もあるが何の関係もない一般人に手を出すほど反社会的勢力も落ちぶれてはいない。麻薬の売人を複数手配している時点でそんなところで仁義を守ってますとアピールするなんてことは実に馬鹿げた話だが。



「だがなぁ、ここ最近俺たちの組の一派を潰して回ってる男…この山田太郎ってやつは一人でやってるらしいぞ」



その言葉に全員の表情が曇った。ここまで一ヤクザが心を穏やかにしていられないのにも事情があり海外マフィアがこの地に到来して幅を利かせ始めたあたりで連中によって様々な組が襲撃を受け一人残さず殺される事件が相次いだ。


警察は容疑者を捕まえることはできずどこの誰なのか、人数も、人種も掌握できない。アウトローに生きる人間なら震えて仕方のない問題だったのだ。次はいつ自分がやられるのか、誰もがその思いを胸に落ち着いてられない時期が続いた。



「急に現れては目撃者一人残さず殺していく、割れていることと言えばこいつが主犯格ってことで、まるで辻斬りだ。今日は覚悟しとけ」

「そうはさせませんよ」


ソファーに腰掛けていた男は立ち上がり強い意志を込めて所長に告げた。これまで積み重ねてきたものを簡単に外国のやつらに渡してなんかやるもんか、そういう意図が込められていたことだろう。


部屋の各員の配置を確認すると入り口から侵入してきたとしても所長の席は最も奥にあり先に位の低い人物から順に仕掛けてきた人物に当たっていきやがて最後は所長に至るという流れだ。そうなる前に各人が持つ武器を手に一気に畳みかけるのみだが、果たして暴力以外の対人折衝術で話が付くのか。


これまでの話を聞けば有り得ないが万が一の場合でも穏便に済めばそれはそれでどうなんだ、と男たちは内心で様々な憶測を飛ばす。そして時間は来た。



ノックと共に全員に緊張感が走る。窓際に立つ男が俺が行くと合図してドアを開ける。そこには一人の青年が真新しいシングルスーツを羽織り堂々とした振る舞いで立っている。隙のなさそうないでたちの青年ををまじまじと全員はその場から観察した。


精悍な顔立ちの一般的な日本人男性、とても数多の人を殺してきた極悪人には思えなかっただろう。静まり返った空気の中青年は一切何か言うこともなく黙って応対した男を見つめる。


「何の用だ?お前が山田か」


震えそうになる言葉を抑えて男は山田の背後を注意深く洞察するが本当に一人でやってきたようで、一人でやってきたというのにスーツ姿にまるでただの若い営業マンにしか見えない。

つまらなそうに室内を一望して彼は無機質な言葉を吐いた。



「そうだな…それで、覚悟はいいか―――」



その言葉に唾を飲み込む瞬間すら与えられることは無かった。

刹那、目にもとまらぬ速さでどこからともなく出てきた刀が鞘から引き抜かれ男の左胸を突き立てる。


あまりの抜刀の速さに血しぶきすら散らすことなく肉の間に刃は入っていき飛び出た血液は遅れて見えただろう。痛みすら後でやってくるスピードに走馬灯を見る瞬間もなく、あまりの鮮やかさにただ感嘆することだけは、男には最後にできそうであった。


穿たれた心臓はしばらく脈を打ったのだろうか。静かに鼓動を打つこともなくなりやがて男が絶命して力なく膝から崩れ落ちる。どこから刀身を持ち歩いていたのか誰にも見えず、いつ鞘から抜いたのか、抵抗するだけでなくすべてにおいて瞬息で室内にいる屈強な男たちは誰もが圧巻とさせられるだけであった。


実に鮮やかな達人芸だ。



そうして素早く刀を少し回して引き抜き振り払うことで滴る血を山田は落とした。刀を引き抜かれたと同時に男は無様に地に転ぶ。返り血すら大して浴びることもなく彼の紛れもないプロの技を見せられたわけだがここにいるのも一応は長年人を殺めることもあればあらゆる犯罪行為を行ってきた集団だ。


ただの素人ではない。一斉に呼応したように拳銃を懐から引き抜きたった一人の青年へ向かって照準した。一斉に射撃をすればたとえもう一人死のうとやれるはずだ。そういう捨て身の覚悟であった。

だが、


「———ッ!!」


下げた刀身を再び下段から高速で切り上げるように一人、また一人と軽快なフットワークで間合いに入り込み次々に叩き斬っていく。足さばきでさえ常人のものとは思えず大した悪あがきもできず発砲する前に胴体ごと下から切り上げられ、奇跡的に引き金を引けた男もいれど無情にも弾は明後日の方向へ飛んでいきその反動の隙に刀を返し強く足を踏み込み頭上より上から大きく回すように切り伏せられる。


そうこうしているうちに固まっている集団の懐へ入っていき斬りつけていくので距離を少し取っていたサングラスの男は仲間に向けて引き金を引ける訳もなくただ震える自身の指先を見て情けなさに打ちひしがれるのみだった。



「安心しろ、お前らみたいな連中にはうってつけの墓場にしてやったんだ」



山田の言葉にハッとするのも遅く、男の目前にまで迫った肩の力を抜いた殺人鬼に恐怖する。刀はだらりと下ろされ距離で言えば今すぐに撃てば普通なら勝てる戦いと思えるだろう。それでも恐怖で撃つことはできない。


近くで見るとその殺気立った眼光に心臓すら止められてしまいそうな迫力を感じざる負えず、こんな男がいたのかと、ただ自分のこれまでの行いを振り返りながら、後悔、懺悔の念を胸に秘め男は震えた。



「化け物が…」



悔し涙を流すことしかできない男は震えながらも硬直したように動かない山田を見て必死に試行錯誤した。銃を使えば簡単に人は殺せる、だがここまで接近した場面ではどうだ。相手は見るからに剣技の達人でこのような距離であれば構え、狙い、引くよりも早く斬ってくる可能性がある。


戦う勇気をその冷徹な眼光に全て奪われ、決死の覚悟で思い出したように拳銃を捨てもう片方の手に握られた日本刀を両手で掴む。鞘からはすでに刀は抜かれておりそれををありったけのスピードで柄を握り振りかざした。目の前にいる叶うはずのない怪物に向け、たった一つでもいいから傷を付けようと。



だが刃は上段で彼の脳天に達する前に上げられた刀に敢え無く受け止められてしまう。達人から放たれた刀には素人がどう刀を振るおうが到底及ぶものではなくどれだけの力を籠めようとも微動だにしない。


必死に歯を食いしばり男は力を籠める。両足で踏み込むことによってすさまじい負荷がかかるが山田には造作もないらしく簡単に往なされ体を一回転するようによけられた。行き場を失った刀身は宙を切りフローリングを傷つける。


山田は大きく息を吸って刀身を振り上げて弧を描くように振り下ろした。その動作は無駄がなく一瞬で、綺麗に日本刀は叩きおられる。姿勢を戻した山田を前に男は力が抜けて膝立ちになって何も為す術がない。



「殺せ」



「無論だ」


躊躇いもなく残酷に男は処刑人の斬首の要領で首は刎ねられた。

残った胴体は真っ赤な血液の血だまりを作る機械と化し、落ちた部下の生首を見て所長はただ恐怖した。世の中にまだこんな怪物の如き男がいるのかと。無念の表情を浮かべた首を見て所長はただ悔しさに苛まれた。自身の傾倒する人物を思い浮かべ念じるように呟くことしかできない。



「どうか、伝説の日本兵、今だけでいい、この命を懸けてでも、こいつらのために一矢報いさせてほしい…」


目をつぶってただ拳を握ることしかできず、どんな武器を握ろうが勝てる勝算もなくただ立ち尽くす。反抗する意思すら湧いてこずみじめに震え気づけば山田は歩みを進めて死屍累々の間を縫うように所長の机を挟み相対するように立った。


「そんな便利な英霊は存在しねえ。俺をよく見ろよ。散々悪行を積んできたお前らならわかるんじゃねえか?この俺が、神から罰を受ける人間に見えるか」


その言葉に所長は目を見開きただただ、彼の目を見て呆然とした。

死ぬ直前の彼には一体何が見えたのか。



「あんたは、そうか、あんたが…」


殺し屋、清水 総一郎はかくして偽名を使い大量の死体を作る功績を立てていった。

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