Ⅶ Agitato

1

 フィアスティアリをあげて執り行われる祭りが明日に迫っていることもあってか、北の島は一層忙しさを増しているように見えた。装飾品などは既に出来上がったようだが、会場の飾り付けにもかなりの手間をかけるらしい。


「賑やかで良いねえ」


 そんな島民たちを眺めて、クラリッサは呑気に呟く。今日は手伝いをせずとも良いとのことで、島民たちの様子は単なる風景の一画として見てもとがめられない。

 もとより、非日常である祭りは好きな方である。故郷の祭り──主に収穫を祝うものだ──に参加しなくなってどれだけ経つだろうか、とクラリッサはぼんやり考えた。


「……そう、ですね。年に一度のお祭りですから、皆様楽しみにしていらっしゃるのでしょう。今年は北の島が会場になりますから、尚更」


 対して、クラリッサの側に控えているメクティワの表情は重い。──とはいえ、彼女の明るい顔を見たことは一度もないため、クラリッサからしてみれば平常運転というべきであったが。

 昨日言われた通り、クラリッサはメクティワから話をしたいとのことで彼女の自室に通された。アロヒュリカからは「妻を怖がらせるようなことはしないでくださいね」と釘を刺されたが、あの首長はクラリッサのことをどう思っているのだろう。逆に気を許されつつあるということだろうか。

 メクティワの部屋は質素で、家具らしきものもほとんど置かれていなかった。全体的に薄暗く、言っては何だが陰気な雰囲気が漂っている。もう少し日当たりを良くした方が良いのでは、とクラリッサは思ったが、余計なお世話になると判断して口を閉ざしておいた。アロヒュリカに睨まれるのには慣れたが、好き好んで睨まれたい性質たちではない。


「……エツィカシュイムは、元気にやっていますか」


 何を話したら良いかわからず、おとなしく座っていたクラリッサだったが、メクティワから切り出されて顔を上げる。

 メクティワは、何やら心配そうな顔をしてこちらを見ていた。うつむいてばかりの彼女にしては珍しい。

 それだけ、メクティワは弟を案じているのだろう。そう思うと、胸の奥でちりちりと何ががくすぶった。


「ああ、ちょっと日焼けはしたけど、体調を崩すまでじゃあないかな。アロヒュリカさんからもらったお薬、よく効いているみたいだし。一応、今日は大事を取って休むようにって伝えているよ」

「そう、でしたか。安心しました」


 あの子は特別肌が弱いですから、とメクティワは続ける。


「あの子の肌は白すぎる。ネツァ・フィアストラ様の眼差しを浴び続けていれば、死に直結することもあると聞きました。エツィカシュイムにとって、太陽とは毒のようなものなのです」

「……でも、ツィカはそんな太陽神様の化身だって言われてたよ?」


 少し意地悪かとも思ったが、いつまでも引き延ばされるのはさすがにもどかしい。クラリッサは、普段よりも慎重に言葉を選びつつ、そう切り込んだ。

 憂いの中に一抹、姉の顔を覗かせていたメクティワは、びくりと小さく肩を震わせた。唇を何度も開けたり閉じたりして言いあぐねている様子だったが、やっとのことで声を振り絞る。


「……フィアスティアリにおいて、あの子のような……何もかも白く、そして瞳だけが赤い子が生まれたのはこれが初めてとのことでした。ですから、我が家ではどのように対処したものかと悩みに悩んで……。何せ、やっと生まれたまともな男児でしたから」

「……まともな男児?」

「はい。私の両親は何人も子を産みましたが、その多くは片手で数えられる年のうちに亡くなりました。ちゃんとした体つきをしていたのはごく少数で、ほとんどの子が身体的に欠落しておりました」


 初めてアロヒュリカのもとに通された日のことを思い返し、クラリッサは昼間だというのに寒気を覚えた。

 フィアスティアリは、緩やかな消滅の危機にある。端的に言えば、出生率が減少しつつあるのだ。近親相姦でもしなければ子を産めない、そういった危機にひんしているのだとも。

 近い血の者同士で交わり成した子は、その血の濃さにより健常でないことが多い。大陸でも、倫理の他にそういった理由で近親相姦を禁じていた。生まれた子の多くが夭折ようせつ、または身体的な何かを欠いているのだという。

 アロヒュリカは、前述の状況に陥りかけていると口にしていた。それはフィアスティアリ全体のことかと以前のクラリッサは解釈していたが──まさか。


「……メクティワさん。失礼なことを言って悪いけど、その……メクティワさんのご両親って」

「…………私の両親は、実の兄妹きょうだいでした。私の家だけではなく……親族同士で関係を持たない者の方が少なかったと思います」


 頭を抱えたくなる衝動を、クラリッサはどうにか堪えた。南の島の実情は知らないが、彼らもまた血を残すために必死なのだ。部外者があれこれと口出しをするべきではない。

 白子アルビノが突然生まれたと聞いた時にはそのようなことがあり得るのかと思ったが、この様子では何となく納得がいく。先天的に異常を持って生まれた子も多いというから、恐らく近すぎる血によって生まれたことが由来しているのだろう。

 胸のつかえをどうにか消し去ろうと、クラリッサは息を吐き出した。決して気持ちの良い話題ではないから、クラリッサとしてもそろそろ話の筋を変えたいところだ。


「それで……ツィカみたいな子が生まれたのは、これが初めてだったんだっけね。それからどうしたの?」

「……本来なら、首長のもとへ連れていく手筈になっているのですが……。両親は咎められることを恐れ、表向きには流れたということにしたのです。そして、どうにか隠して育てられないかと考えました」


 無理な話でしたが、とメクティワは諦念の混じった笑みを浮かべる。


「三年も隠せたのは、むしろ稀有だったのだと思います。しかし、結果的にエツィカシュイムの存在を知られてしまった。初めこそ異形の子として殺されるかと身構えましたが──首長は、あろうことかあの子をネツァ・フィアストラ様の化身だとおっしゃったのです」

「ああ、たしか太陽神様は真っ白い人間の姿を取られた……だったっけ。とにかく、白い人に関する伝承があったんだよね?」

「はい……それだけなら、私たちも納得は出来ずとも受け入れられたかもしれません。神の化身として大切にされるなら、酷い扱いをされないのなら……。あの子にとっては、幸せだったのかもしれない」


 でも、とメクティワは呼気を震わせる。


「首長は、あの人は……! エツィカシュイムに、一生消えない傷を負わせました。人としての幸せを、あの島は奪っていった……!」

「メクティワさん……」

「あの子も、もしかしたら……。環境が違えば、もっと人らしく生きていけたかもしれません。その機会を、南の島は奪いました。神の化身だの何だのと言っても、結局あの子は傷付けられただけ……」


 むごい話です、とメクティワは涙をこぼした。

 たしかに、以前チャムカペフが言っていたことと照らし合わせてみても矛盾らしい矛盾はない。視点が異なるというだけだろう。

 言いたいことは山ほどあったが、クラリッサは沈黙を死守した。ここにおいて、クラリッサの意見が介入する余地はない。

 しばらく荒い息を繰り返していたメクティワは、クラリッサをしかと見据えた。その眼差しは懇願の色をたたえ、直視するだけで胸が締め付けられる思いだった。


「クラリス様……あなたには感謝しています。あなたがいらっしゃらなければ、あの子は……エツィカシュイムは、生涯孤独でいなければならなかったでしょう」

「でも……ツィカにはメクティワさんがいるじゃないか。たとえ離れていても、君たちは姉弟きょうだいなんだろう?」

「それは最早過ぎたこと。あの子が神の化身と断ぜられた時から……私たちを繋いでいた血の縁は形を失いました。私たちはもう、お互いに名前を呼び合うことすら許されないのです」


 ここは北の島だ、とクラリッサは反論しようとしたが、出来なかった。

 きっとこの女は、途方もない苦難を強いられてきたのだろう。彼女の横顔を陰らせる憂いからも、それは十分に読み取れる。

 メクティワは縛られている。吹っ切れることが出来ずにいる。ツィカを巡る呪縛はあまりにも堅固で、年月によって風化するものではなかった。


「……フィアスティアリに、あの子の安寧はありません。旦那様は私を憐れみ、めとってくださいましたが……エツィカシュイムが伴侶を得ることはない。伴侶はおろか、親しい友人さえ……」


 メクティワの手が、クラリッサの腕を掴む。小さな手には不釣り合いな強さに、クラリッサは思わず怯んだ。


「私は、あの子に……弟に、幸せになって欲しい。それを叶えられるのは、クラリス様、あなたしかいらっしゃいません。どうか、どうか……あの子に幸福を与えてやってください」

「そんな……やめてよ、そんな大それたこと、あたしには」

「いいえ! あなたにしか出来ないことなのです!」


 かくとこちらを見上げたメクティワの目は、涙に濡れていながらも壮絶なまでの激情が秘められていた。藁でも掴もうと足掻く人にも似たそれに、クラリッサは須臾しゅゆの間言葉を失う。

 メクティワの気持ちは痛い程わかる。だが、それはこのような形で表に出すべきものではない。


「クラリス様、あなたは大陸の生まれと聞きました。あなたのような方がいらっしゃるのならきっと……エツィカシュイムを受け入れてくれる方が、他にもいらっしゃるはずです。ですから、ええ、お願いです。あなたがフィアスティアリを経たれる際は、その時は」

「な──にを、言ってるの? メクティワさん。落ち着いてよ、ねえ」

「クラリス様、お願いです! あなたが、あの子を──エツィカシュイムを、連れ出してくださいまし! そうでなければ、あの子は……!」

「──メクティワ!」


 今にもクラリッサを押し倒しそうな勢いのメクティワだったが、割り込んできた第三者の声によって幾らか気勢を削がれる。

 呆気にとられるクラリッサを余所に、突然入室してきたその人物は彼女から妻を引き剥がした。


「メクティワ、滅多なことを言うものではありません。クラリス殿も苦労しておいでなのですよ」

「離してください、旦那様! あの子は──エツィカシュイムは、この方でなければ救えないのです!」

「忘れたのですか、メクティワ。あれは望んで北端の島へ行きました。あれなりに思うところがあったのでしょう。あなたがあれこれとあれのことを思ったところで、全て憶測に過ぎないのですよ」

「やめて!」


 メクティワは金切り声を上げて、手足をばたつかせた。普段の彼女からは想像も出来ない振る舞いに、クラリッサは僅かに身を引く。

 だが、メクティワはそれを見過ごさなかった。凄まじく鋭い眼光をもって、彼女は異物たる女を見つめる。


「誰もあの子を救おうとしなかった! この男さえ──民を守るとうそぶいておきながら、エツィカシュイムに触れようともせず、あの島に放り出している!」

「やめなさいメクティワ、クラリス殿に根も葉もないことを吹き込んでどうするつもりなのです?」

「あの子など、どうなったって良いのでしょう!? この極悪人め、お前など虚無の中へ消えることなく、永遠とさ迷うが良いわ!」

「──!」


 メクティワの恨み言は、部屋中に響き渡った。

 至近距離でそれを浴びたアロヒュリカは、どのような心地であっただろう。クラリッサさえ気圧されて、動きという動きを封じられたくらいだ。アロヒュリカとて、何も感じずにいられるはずがなかろう。

 しかし、彼は眉根を寄せただけで、反論することはなかった。誰か、と彼が冷静に声を上げれば、あらかじめ控えさせていたと思わしき下人が入室し、メクティワを連れていく。


「クラリス様! 私は信じております。あなたが、あなただけが、エツィカシュイムを救済出来ると──!」


 最後まで言い終わらないうちに、メクティワの声は遠ざかり、聞き取れなくなった。ただ、彼女がずっと何かを訴えていることだけはわかった。

 何があったというのだろう。メクティワは南の島だけではなく、夫であるアロヒュリカとも確執があるのか。


「……お見苦しいものを見せてしまいましたね。申し訳ございません、クラリス殿」


 ぽつり、とアロヒュリカが静かに謝罪する。顔色は変わらずとも、その言葉尻に含まれた無力感は隠せない。


「外で……四阿あずまやに行きましょう。ここは暗すぎますから」

「……わかった」


 アロヒュリカの誘いに、クラリッサは一瞬思案してからうなずく。じっとりとしたいやな汗が、彼女の背中を湿らせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る