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「あれのいないことが、それほど不満ですか」
潮が引き、湿った砂の上を歩きながら、アロヒュリカは平坦な声調で問いかけた。
顔に出していたつもりは毛頭なかったが、クラリッサが不満を抱いているのは事実である。
それは紛れもなく置いてこなければならなかったツィカのことだが──アロヒュリカから直接突っ込まれるまで、その本質に触れたくはなかった。先程から彼はどことなく物言いたげな顔をしていたが、クラリッサが柄にもなく無言を貫くものだからついに我慢出来なくなったのだろう。前述の通り、寡黙な印象のあるアロヒュリカから声をかけてきたという訳だ。
「まーね。ここに来てから唯一と言っても良いお友達が仲間外れにされてるなんて、文句のひとつも言いたくなるよ」
ぷう、と年甲斐もなく頬を膨らませて、クラリッサは愚痴る。今年で二十四歳になるはずだが、その仕草は十歳程幼げにも見える。詰まるところ大人げない。
「……何があなたをそこまでさせるのか、私にはわかりかねます。エツィカシュイムは、それほど大きな存在ですか」
むくれるクラリッサを前に、アロヒュリカは軽く肩を竦めた。大きくは変わらないが、その表情には呆れと純粋な疑問が浮かんでいる。
しかし、これはクラリッサにとって好機とも言える問いかけだった。ぱっと顔つきを変えると、若き首長の顔を覗き込む。
「それはアロヒュリカさんにも言えることじゃない? あたしとはだいぶ違うと思うけど……それでも、ツィカのことが気になって仕方ないんじゃないの?」
「何ですか、藪から棒に」
「何だって良いじゃないか、せっかく二人っきりなんだからさ。あたしが必要だって言うなら、あたしのお喋りにくらい付き合ってくれよ」
ね、と目配せすると、アロヒュリカの眼差しの奥に「面倒だ」と言わんばかりの色が見えた──ような気がした。無駄話はしたくないのだろう、明らかに乗り気ではない。
だが、相手の雰囲気に飲まれて萎縮する程クラリッサも繊細な性分ではなく、むしろその対極と言える位置に腰を据えている人種だった。冷たい視線はものともせずに、彼女は口を開く。
「そんな嫌そうな顔することないじゃんか。ちょっとした世間話みたいなものだよ、世間話。──あ、もしかしてアロヒュリカさん、ツィカに対して何か後ろめたく思ってたりする?」
「……メクティワから、何か聞いたのですか」
どうやら、アロヒュリカは回りくどい言い回しが得意ではないようだ。
真っ向から切り込まれて、クラリッサはおや、と目を瞬かせる。──が、特段動じることはなかった。
妻であるメクティワの名前をいち早く持ち出したということは、何かしらの心当たりがあるということだろうか。メクティワの第一印象としては、内気で自分から発言するようには見えなかったが……夫に対しては、案外物を言う気質なのかもしれない。あくまでも憶測の話ではあるが。
「うーん、まあちょっとね。メクティワさん、ツィカのことすごく心配してたし……。あんまり悲しそうだったから、嫌でも気になっちゃってさ。弟と離ればなれだなんて、悲しいこともあったものだね」
「……致し方のないことです。あのような……肌だけではなく、毛髪の全て、しかも赤い瞳を持つ子が生まれたのは、エツィカシュイムが初めてなのですから。そんな異物を、普通の民と同じように住まわせることなど出来ません」
「──そこまでして、ツィカを生かす意味ってあるの?」
それまで冷厳な色を
何気ない質問だったが、案外衝撃的だったようだ。クラリッサはしめしめ、と内心悪童の顔になる。
アロヒュリカをいじめるつもりはない。少なくとも、先程まではなかった。
しかし、この堅物を擬人化したような首長を、少し
「そ、れは。簡単なことだと思いますが。無益な殺生を、ネツァ・フィアストラ様は望まない」
戸惑いを隠しているつもりなのだろうが、先程よりもアロヒュリカの声は震えている。これでは、触れて欲しくないところをつつかれたと言っているようなものだ。
「へえ、お宅の太陽神様ってのは、随分と広いお心をお持ちなんだねえ。異端とされる者も、無闇に殺すなっていうの?」
「当たり前でしょう。人は、苦しみを抱きながら生まれ、そして生きてゆかねばなりません。それだけでも辛く険しいことだというのに、見た目が規範からずれていたというだけで殺されるなど……決して、あってはならぬことです。そのようなことをしては、ネツァ・フィアストラ様から許されなかった者たち──白き肌の者たちと、そう変わりありません」
流れるように語ったアロヒュリカではあったが、何かに気付いたらしくはっと目を見開いた。そして、
「……申し訳ありません、あなたのことを非難している訳ではないのです。ただ、我々は白き肌の者たちに迫害された結果、このフィアスティアリに流れ着いたという歴史を持っております。ネツァ・フィアストラ様の神話も、それが礎となっているのです。失礼な物言いをお許しください」
「いやいや、気にしないでよ。たしかに、昔の弾圧は酷かったって話だしさ。大陸でも触れちゃいけない話題みたいになってるから、謝らなくて良いよ」
クラリッサは笑って受け止めたが、かつての異教弾圧は苛烈を極めたと聞いている。世界進出にあたり、『大いなる神』を信仰しない文明は破壊され、神が守り慈しむべき人々も虐殺された──と。
『大いなる神』は、他の信仰を許さない。己以外を信じ崇める人々は、人以下の存在として扱うようなところさえある。
近年は数多の解釈があるとされ、過激な思想を掲げる派閥はむしろ白眼視される傾向が強いものの、大昔はその逆だったのだろう。信仰に救いを求める人が今よりも多かった時代において、神の言葉はあまりにも重たすぎた。
カペトラ族もそんな弾圧を逃れてきたというのなら、哀れな話だとクラリッサは思う。他人事ということは承知しているが、大多数の信仰という免罪符に押し潰されるなど、迷惑どころの話ではない。
「でも、それなら尚更白い肌の人たちを避けるものじゃないかい? あたしなんて、大陸に戻ったら何をしでかすかわからないぜ。ツィカ以上に危険だと思うけどなあ」
いつまでも湿った空気でいたくはない。クラリッサはにやりと笑いつつ、話を戻す。
アロヒュリカは先程まで湛えていた憂いを瞬時に消し去った。まだその話題を引きずるか、とでも言いたげな顔をしながら、彼は機械的な口調で答えた。
「我々は、彼らと同じような過ちを犯しません。相手が我々にとって都合の悪い人間だったとしても、まずは協調を心掛けなくては」
「ふうん、それってあたしを好きにさせるのも同じ理由?」
「ええ。我々カペトラ族は、緩やかですが消滅の危機に晒されている。その状況を打破するためなら、白き肌の者たちであっても活用しなければなりません。──クラリス殿、あなたは都合の良い時に流れ着いてくださいました。あなたを生かすことで利があるのなら、カペトラ族を存続させられるなら──フィアスティアリはあなたにとって安全な場となりましょう」
アロヒュリカの瞳はその肌以上に黒く、
しかし、それは魅了の類いとはほど遠い。本人にそのような算段があるのかは不明だが──少なくともクラリッサにとって、彼の眼差しからは威嚇や恫喝に似たものを感じずにはいられなかった。
「……そっか。アロヒュリカさんは真面目なんだねえ」
これ以上突っ込むのは野暮だろう。何よりも、アロヒュリカ本人が詮索を拒んでいる。
ふいと顔を背けて、クラリッサは何気なく言った。怯えた風など微塵も見せず、
この話題が切り上げられたと察したのか、アロヒュリカはすぐに
「不真面目では、首長など務まりませんから」
淡々とした口振りでそう告げてから、彼は歩く速度を上げる。
もう陸地に上がっているのに、何を急ぐことがあるのだろうか。クラリッサは疑問に思わぬ訳ではなかったが、敢えて問いかけることはなかった。
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