障翳の二重唱

硯哀爾

序 Ouverture

1

 

 生きながらにして炎々えんえんと燃え、火の粉を散らしながら天空を駆ける神──ネツァ・フィアストラは、人々の罪によって暗く陰った世界に光をもたらした。


 東から西へ、空を巡る太陽はネツァ・フィアストラの瞳。その瞳に睥睨へいげいされた人の肌は、その灼熱の視線によって犯した罪ごと焼かれるという。

 だが、ネツァ・フィアストラは人を愛することもある。彼の神は己をまつり、尊ぶ民のとがを全て許した。そして、その善良なる民たちに、己が視線を浴びようとも決して焼けぬ、美しく丈夫な褐色の肌を与えた。

 許された褐色の肌を持つ民──カペトラ族は、罪を犯した人々からは遠く離れた絶海に浮かぶ島々に住まうことを命じられた。誰からも害を与えられることのない、四海によって守られた島々に。

 この黒き肌こそが、ネツァ・フィアストラに守護される証。カペトラ族の人々は、自らの黒い肌を誇りに、誰からも犯されることなく生を営んでいた。ネツァ・フィアストラの視線たる日光を浴びながら。


「選ばれた民──か」


 それは、闇に溶けるかすかな呟き。

 夜。太陽神であるネツァ・フィアストラの眠る時間。

 ざざん、ざざんと規則正しいさざ波の音を耳にしながら、少年は一人砂浜を歩いていた。その身に纏う衣の隙間から覗く肌は、白く透き通っている。


──いや、肌だけではない。


 夜風に揺れる、柔らかな髪の毛。まぶたを縁取る、けぶる睫毛まつげ。うっすらと肌を覆う産毛。その全てが、色を抜いたように白い。

 罪を許されざる者。ネツァ・フィアストラの視線に体を焼かれる者。

 少年はその白さのことごとくを拒絶されながら生きている。黒きことこそが正道の島に生きていながら、彼は白い。あまりにも白い。

 少年は身を屈めながら、形の良い貝殻や珊瑚さんごの欠片が流れ着いていないか探す。

 暗闇の中では──いや、もともとぼんやりと霞んだ彼の視界では、よくよく目を凝らさなければ漂流物の形状を確かめることは出来ない。そのため、少年はぼろ布で作った袋に、片っ端からそれなりの形をしている漂流物を突っ込んでいく。細かな確認は、日が昇ってから行うのだ。

 腰を屈めて漂流物を集めていた少年は、さすがに体が痛んできたのか身を起こしてぐぐ、と伸びをした。細く華奢でありながらも、しなやかさをあわせ持った体躯が月影に照らし出される。

 しばらくの間、少年は目を伏せたまま、空に向かって体を伸ばしていた。──が、突如としてその両目が見開かれ、紅の丸い瞳が『それ』を捕捉する。


──人だ。


 少年の唇が小さく動いたかと思うと、彼は間髪入れずに駆け出した。そして、程なくして幾つかの流木と共に海岸に横たわる『それ』の側に辿り着き、しゃがみこんで観察するようにじっと見つめた。

 白い。少年程ではないが、白く色素の薄い肌をしている。

 頬に張り付いた髪の毛も同様に薄い色をしており、夜でもわかる程きらきらと輝いて見えた。伏せられた睫毛も同じ色をしている。程よく熟れたバナナの実の色に似ている、と少年は思った。

 長身ではあるが、女性であろう。少年よりも幾分か歳上に見える。二十代半ばといったところか。

 少年は女の胸元に耳をくっつけた。とくとくと、規則正しい心音が聞こえる。この女は、まだ生きている。


「罪を許されざる者だというのに、この海に──ネツァ・フィアストラの審判に勝ったのか。何という女だ」


 無表情ながらも僅かな驚きをその視線ににじませて、少年はぽつりと呟く。

 白き肌の者。ネツァ・フィアストラに許されざる存在でありながら、その神の選んだ地へと流れ着いた者。

 少年は女をいとも容易くその背に背負い上げた。そして、青白い月の光を浴びながら、自らの住み処に向けて歩き出した。

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