3 コンチング(精錬)
先輩に彼女ができたらしい。
その噂が舞い込んだのは、桜の散り始めた頃だった。
当然と言えば当然である。これまでいない方が不思議だったのだ。
悩んだ末、雫に話した芳乃だが、チョコを混ぜる手に淀みはなかった。
「かえって、よかったかも」
「よかった?」
「理想のチョコができるまで、まだ時間がかかるもの。
先輩が別れるまで待つくらいでちょうどいいわ。
その時まで、私はチョコを作り続ける。
私の想いがすべて伝わるチョコを、作り上げて見せる」
「うーん、まぁいいか」
先輩が別れるかはわからないが、永遠に続くカップルの方が少ないのは事実だ。雫の考えは突飛だが、間違ってはいない。
「案外たくましいよね、雫って」
かくして、高校最後の一年も、雫はチョコ作りに没頭した。
積まれた専門書は摩天楼と化し、海外から取り寄せた
高校には行かなくなった。十分な成績があれば、出席日数が足りずとも卒業資格が出ると、芳乃が確認してくれたのだ。
その芳乃は受験勉強のかたわら、毎日のように雫を訪れた。
芳乃は紅茶、雫はカフェオレ。おやつはもちろんチョコレート。
この時だけは雫も手を休め、他愛ない芳乃とのおしゃべりに興じる。
最近の話題は、やはり卒業後の進路だ。
「えっ、大学行かないの?」
そんな気はしていたが、雫は進学しないという。就職もしない。今でも引きこもり同然の彼女だが、持てる時間の全てをチョコに投じるつもりらしい。
芳乃はあわてた。夢も目標もなく、とりあえず進学を選ぶ自分が言える立場ではないが、ニートまっしぐらの親友を看過はできない。
何より、芳乃は雫のチョコが大好きだった。今では専門店のチョコにも引けを取らない。数年の独学でこの味は、天才的だと思う。
いつか雫が、先輩にチョコを渡せる日は来るのだろうか?
正直そこは微妙だが、このチョコが日の目を見ないのは、あまりに惜しかった。今は自分だけが知るこの味を、いつか世に知らしめたい。たとえ雫にその気がないとしても。
「チョコの勉強ができる大学ならいいんじゃない?」
「いらない。学ぶのは一人でもできるから」
「けどさ、ビーン・トゥ・バーだっけ?
カカオ豆を加工する機械が欲しいって言ってたじゃん。
大学の研究室とか行けば、そういうのもあるんじゃない?」
「うーん……」
しぶる雫に駄目押しを打つ。
「わたしも一緒の大学に行くからさ」
自覚なき夢が、芳乃に生まれた瞬間だった。
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