4 錬金術と魔女


 


 翌年の春。二人は無事、同じ大学に進学した。

 そこには《チョコレート博士》の異名をとる教授が在籍していた。専門は食品物理学。チョコレート研究の権威であり、その分野では世界的に知られた人物だったが、雫は洟も引っかけなかった。

 雫の目的は常に一つ。先輩のために最高のチョコを作ることだ。

 そのために必要な機材が、ここには揃っていた。世界の研究にいち早く触れるネットワーク、カカオを自家栽培する温室まである。

 幸運にも、《チョコレート博士》は寛大な人物だった。

 雫の才能を見抜くと自らゼミに招き、研究室に迎え入れた。芳乃のもこれに一役買った。芳乃自身は経営学科に進んでいる。

 地下の研究室に移った雫は、そこで非凡の才を開花させた。

 遊ばず、休みも取らず、孜孜忽忽ししこつこつとチョコレートの研究に打ち込んだ。同じ研究生はおろか、教授でさえ引くほどだった。

 雫の研究は、中国の五行思想や錬金術にまで及んだ。旧時代の遺物のような怪しい道具を最新機材の隣に並べ、科学以外のアプローチからカカオマスの深奥を究めていく。

「カカオは人体を補完する奇跡の果実。チョコレートに不可能なんてない」

 それが雫の結論であり、持論になった。

 論文を出さないため学外では無名だったが、雫の研究が別次元の領域にあるのは、誰もが認めるところだった。そもそも化学者とチョコレート職人ショコラティエ、二つを兼ねる時点で稀有な才能なのだ。

 そんな天才の最終目標が、だと知れば、彼らはどんな顔をするだろうか。

「なんか魔女みたいよ、あんた」

 大きな鍋を混ぜる白衣の背中に芳乃が言うと、雫は微笑した。

「チョコに魔法がかけられるようになりたいわね」 

 後に、芳乃がプレゼントした魔女帽子を、雫は好んで被るようになる。

──あの研究室には、がいる。

 そんな噂が学内に広がったのは、それからまもなくのことだった。

 

「先輩、まだ続いてるみたいよ」

「そう」

 芳乃は紅茶、雫はカフェオレ。おやつはもちろんチョコレート。

 いつものお茶会。芳乃の定期報告に、雫はうなずくだけだ。

「まだ研究を続けられるわね」

「ほんとにがんばるねえ、雫は」

 結局、二人の在学中に先輩が破局することはなかった。

 卒業後、芳乃は地元の真鍋製菓に就職。

 雫は院生として研究室に残り、教授の指示で嫌々書いた論文で、あっさりと博士号を取った。その後もポストドクターとして同大で研究を続けていたが、二年後に芳乃の誘いを受け、彼女と同じ真鍋製菓に就職する。

 雫の決断に、周囲は驚きを隠さなかった。

 その気になれば自分の店も持てる天才ショコラティエ、あるいは遠からず世界に名を残す食品物理学のエ-スが、ちっぽけな地方の菓子メーカーを選ぶとは。

 しかし雫には、地位も名誉も他人事だった。

 先輩のために、最高のチョコレートを作る。

 それだけが雫の目的で、芳乃はそれをわかってくれる。

 雫には、それで十分だったのである。

 


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