#2 言いふらしてほしいのよ、そこはー!

「えー、ということで。オリプロはもうおしまいです」


 本社大会議室に集った従業員一同の前で、経営幹部は開口一番そう言った。ついでに「ちゃんちゃん」とつけ加えてそそくさ立ち去ろうとした——途端、怒号が雪崩のように押し寄せて、幹部は即座に取り押さえられていた。いい気味だ。


「子会社と架空取引してたんだってさー」


 「知らんけどー」と曖昧に続けて、麻里奈が間延びした声で呟いた。普段から覇気のない低気圧のような彼女には、いつも以上にやる気が感じられない。


「んなことより、これからどうするのよ」

「んー? ウチ?」


 ボクサーじみた動きで体を左右に振って、麻里奈は涼子の耳元に囁いた。


「担当連れて独立。ナイショねー」


 ニヤケ面で、常にスイッチオフな眠そうな垂れ目。やる気も覇気も微塵も感じられないくせに、いざという時は大胆に打って出る。それがゴールド・プロデューサー、妹尾麻里奈のスタイルだ。課内でのあだ名は誰が呼んだか芸能ゲリラ。

 だったらと涼子は柏手を打って祈るように手を合わせた。必死だ。


「一生の頼み! お願い!」

「だーめ」

「まだ何も言ってないじゃない!」

「わかるってー、それくらいー」


 喧々轟々の議論から殴る蹴るの大乱闘に発展している大会議室を出て、ひと気の少ない吹き抜けの談話スペースに移動した。

 眼下には、平穏をぶち壊してくれたスーツ姿の働きアリが縦横無尽に動き回っている。手に持った缶コーヒーを投げつけてやりたい衝動を堪えたところで、麻里奈が自販機を蹴りつけて言った。


「どーせ、あのふたりのことだよねー? だーめ」

「もて余すからでしょ?」

「ざっつらいと」


 麻里奈の言い分は理解できた。

 彼女の担当は7名で、今後プロモーションを控える準グランプリの新人を抱えている。そんなところにグランプリ受賞者の晴海しずくや、審査員特別賞の下川ひなたを加えたら、準グランプリの話題性など一瞬で霞んでしまう。3人分の販促を打つ体力が新事務所にあるとも思えない。


「だったら所属じゃなくていい、預かりでいいから!」

「夢のないこと言うなよー。可哀想じゃーん」

「このまま留めておく方が可哀想。その点、麻里奈なら実績もあるし、悪いようにはしないと思うし」

「信用されてんねー」


 芸能事務所にとってタレントは従業員ではなく商品だ。とはいえ彼ら彼女らも人間だから、当然人並みの幸せは与えられるべきだと——世の大半のプロデューサーは——考えている。麻里奈も涼子も、その点では見解は一致していた。

 だが、麻里奈は眉を顰めて言う。


「また逃げんだ?」


 即答できなかった。一拍遅れて否定する。


「……合理的に考えてるだけ」

「ウチは合理的に考えて、引き取らないって決めたー」

「麻里奈——」

「てかさ、誰も引き取ってくんないってー。不祥事起こした会社のグランプリなんてどう考えたって黒歴史っしょー?」

「じゃああの子たちはどうすればいいのよ!?」

「こんなこと言わすなよー、もー!」


 ダウナーで間延びした口調の割に、麻里奈は先ほどから自販機を蹴り続けていた。まるでそうは見えないが、よほど腹に据えかねているらしい。

 その怒りの矛先は、涼子にも向けられていた。


「涼子も独立すりゃいーじゃん」


 あの一件以来、他人の人生を背負う覚悟はない。


「独立はしない」

「なんでー? ヨユーでしょー?」

「そうだ、麻里奈の事務所で雇って? いい仕事するよ」

「コスパ悪いー。涼子に社長って呼ばれるのキモいー」

「呼ばないから」

「それはそれでムカつくー」


 頼みの綱の麻里奈はとりつく島なしだった。ならばと同僚をあたってみようにも、スマホは捜査のため一時的に没収中。さらに何名かは「ちょっと署まで」連れて行かれて音沙汰がない。


「ウチらもう2択だよー? 独立するか、別業種逃げるか」


 昨日までは燦然と輝いていたオリプロの職務経歴は、一瞬にして黒歴史に変わってしまった。同業他社へは移れない。かと言って今から別業種の門を叩くのはあまりに非効率だし、なにより——


「ブロンズに落ちても辞めなかったじゃん? それ、辞めらんないくらいこの仕事が好きっつーことでしょー?」


 ——芸能の世界が好きだ。出役ではなく裏方として、未来ある若者の個性を引き出したい。輝かしいスポットライトに照らされた姿を見たい。


「それともー? もっとのっぴきならない理由があったりしてー?」


 するりと手を離れていった元担当の姿と、去り際の言葉が幻聴する。


 ——貴女のことがわからなくなりました。


 あれ以来、自分のことすらわからない。


「いーかげんどうするか決めなよー? 嫌いなんだよねー、ジメジメしてるめんどくさい女ー」


 ガン、と一際強く、麻里奈が自販機にミドルキックを叩き込んでいた。

 癒えない傷口に塗り込まれた塩が痛い。


「……もう間違いたくないのよ、私は」

「ビビってんじゃねー!」


 スパンと尻に蹴りがクリーンヒットした。ここ最近通い始めたキックボクシングジムで人を蹴る楽しさに目覚めた麻里奈は、数日後に練習試合を控えている。つまり割とガチ勢。


「以上。はやくリングに上がってきてねー。よろしくー」


 手をひらひらさせて、麻里奈はボクシングステップを踏みながら去っていった。蹴りを含めたすべては彼女なりの最大級の激励なのだろうけれど。


「……痛っいんだけど!?」


 意味がわからないくらい痛かった。


 *


「あのー。晴海さん?」

「…………」

「聞こえてますかー?」

「…………」

「ねーねー? ずくちゃんって呼んでいいですか?」

「……しずくの方が先輩なんですけど」

「ずくちゃん同い年だよね?」

「あだ名とタメ語やめて」

「ウッス、ずく先輩!」


 黙れとばかりに、しずくは長机を叩いた。そして背もたれいっぱいに体重を預け、ミニスカートの裾も気にせず机上に足を投げ出す。


「ずくちゃん……?」

「もう最悪ッ!」


 ふたりきりになった途端、晴海しずくは豹変した。ひなた17年の人生で知る限りにおいて、もっともお行儀の悪い姿で何度も舌打ちを繰り返している。


「しずくの経歴にドロ塗るどころか、あのプロデューサーなに!? ドシロウト甘やかしてバッカじゃないの!?」


 見事なまでにキレ散らかすしずくはただただ怖かった。息を潜めて、少しずつ椅子を動かして離れていこうとしたところで——


「アンタのことだって言ってんの! このドシロウト!」

「はひっ!?」


 ——捕まった。

 お願い、早く帰ってきて涼子さん!


「アンタなんなの!?」

「し、下川ひなたですけど……」

「うるっさい黙れ!」

「答えただけなのに理不尽!?」


 驚きすぎて椅子ごとひっくり返ってしまったところに、しずくが馬乗りで睨みつけてくる。

 殺される——!


「アンタさぁ? しずくにケンカ売った? 売ったよねぇ?」

「売ってないよ!? 平和主義者です!」

「売ってんの! しずくできるかも? しずくをなんだと思ってんの!?」

「ず、ずくちゃんはグランプリで——」

「ずくちゃん言うな! 見たことくらいあんでしょーよ、晴海しずくを!?」


 問われて顔を見つめてみた。思い出されるのは《ネクスト》会場の控え室。最終審査の結果待ちをしているときに声をかけてもらったときのこと。


「下川さん、素晴らしい自己PRでした! 人生が決まる最終審査でバカみたいに挨拶するだけ! 惚れ惚れするようなストロングスタイルです! しずくが審査員だったらグランプリあげちゃいます!」

「わあ! ありがとうございます!」

「今日の記念に、なんとこの私、晴海しずくのサインを書いてさしあげます! 手前味噌で恐縮ですけど、きっと一生モノの宝物になりますよ!」

「わあ! ありがとうございます!」

「田舎に帰っても、晴海しずくに褒められたとかサインもらったとか、友達になったとかすごく優しかったとか言いふらしちゃだめですよ?」

「わあ! ありがとうございます!」

「ホントに、ホントーに言いふらしちゃだめですよ? たとえ一般向けオーディションでも本気で勝ちに行くくらいプロ意識高くて尊敬したとか、絶対絶対ぜーったい言いふらしちゃだめですよ!?」

「わあ! ありがとうございます!」


 ——思い出してみてもよくわからなかった。


「あ、あの時の約束は守ってるよ? 言いふらしてません!」

「言いふらしてほしいのよ、そこはー! しずくのイメージを世間に広めるためにもー!」


 しずくは悲鳴にも似た叫び声をあげていた。


「イメージ?」

「芸能人にはつきものでしょ!? カメラが回ってなくても常に仕事のこと考えてるプロ意識の高さとか! ウラの顔もカッコいいみたいなエピソード!」

「ずくちゃん芸能人なの?」

「ほ、ホントにしずくのこと知らないの? アンタ日本人? どこ出身!?」

「徳島だけど……」

「トクシマぁ……?」


 徳島県。最新の県魅力度調査ではブービー賞に輝く程に魅力はないが、一応は日本である。名物はすだちと阿波踊りだ。

 激怒から一転、青ざめて馬乗りになったまましずくが詰め寄ってくる。必死の形相だった。


「どこだか知らんけど《王様の教室》は放送してたでしょ? 《学園探偵アイリス》は? 二年前の大河も出てんだけど!?」

「え? テレビ出てたの?」

「冗談でしょ20%越えなのに!? じゃあ晴海みおは!? 梶浦京太郎は!?」

「誰?」

「ママとパパ! どっちもめちゃくちゃテレビ出てる!?」

「テレビは2チャンしか見てないから……」

「Eテレだけ? ならまあ——」


 納得しかけて、しずくは叫んでいた。


「しずくも《天てれ》出てたわよーっ!?」

「あがががが」


 両手を頭でガッチリ掴まれて、ギリギリと締め付けられた。


「……何やってるの?」


 会議室に戻ってくるなり、涼子は特大のため息を吐き出したのだった。


「無難な子がいいのに……」


 *


 会議室に戻ってきたら、担当が担当に馬乗りになっていた。一瞬、危うい想像をしかけて——元カノのことを思い出してしまって、頭を振ってため息で吐き出した。


「なんでこんなバカが特別賞獲ってんの!? オリプロの歴史と伝統は!?」


 担当ナンバー1、晴海しずく。

 母は女優・晴海澪、父は芸人・梶原京太郎という生まれながらのスターであり、まさしく芸能サラブレッド。本人も生後3ヶ月でCMデビューを飾った年齢イコール芸歴の大ベテランだ。頭の先からつま先まで芸能界にどっぷり浸かって純粋培養されたおかげかスキルもプロ意識とすくすく育ち、おざなりになってしまった社会性と対人コミュニケーション能力は壊滅的だ。品行方正、清廉潔白、クリーンなお茶の間のイメージとは裏腹に、同業者からの評判はすこぶる悪い。


「涼子さん! ずくちゃん芸能人だったんですよ! 知ってました!?」


 担当ナンバー2、下川ひなた。

 元気よく挨拶するだけで審査員特別賞に輝いてしまった、徳島県産スーパーラッキーガール。挨拶以外に何もないというストロングスタイルを貫いたおかげで実力未知数のダークホースに仕上がっているが、ちょっと叩いただけでボロが出るわ出るわの大盤振る舞いである。本当に挨拶以外に何もない、運すら使い切った出涸らし美少女の可能性まであって、人物像を分析するのが死ぬほど怖い。


「はあ……」


 そして、彼女らの個性を方程式で読み解いて、ヒットの筋道をつけるプロデューサー。

 桜井涼子27歳。交際ステータス・彼女いない暦2年。

 2年前の騒動で閑職に追いやられていた涼子の現場復帰戦は、血統たしかなサラブレッドと、実力未知数のダークホース。どちらも本来なら、クセモノ大好き妹尾麻里奈が担当する人材なのに。


「とりあえず、報告しとくわね……」


 暗澹たる思考に終止符を打って、と涼子は考えることをやめた。

 もうオリプロの人間ではなくなる。プロデューサーは辞める。

 それを考えたら今の状況が笑えてきた。もうヤケクソだ。


「半世紀の歴史と伝統を誇る弊社ですが、このたびの粉飾決算で解散することになりましたー!」

「「え……えええええええッ!?」」


 担当ふたりの悲鳴が聞こえた。芸歴の長いしずくは当然として、芸能界を微塵も知らないひなたが反応できる程度には賢いことが、まだ救いがあるのかもしれない。


「わ、私高校辞めて上京してきたんですよ!?」

「田舎に帰れー!」

「そんなあ!?」

「高校が何!? しずくは事務所辞めて移ってきたんだけど!?」

「事務所に帰れー!」

「出戻りなんて恥ずかしくてできるか!? 他の事務所に頭下げるとかあんでしょ! グランプリ獲らせた責任は!?」

「ごめーん。ウチのグランプリ獲ったせいで、逆に移籍しにくくなくなっちゃったかも? オリプロのグランプリとか黒歴史じゃん? みたいな⭐︎」


 涼子はもう、バカなフリを続けるしかできなかった。

 真面目に彼女たちの行く末を考えると、正気を保っていられないからである。


「ほ、干されるの? この、晴海しずくが……!?」

「洗濯物?」

「アンタそっから!? 干されるってのは仕事がなくなる——ってどうでもいいそんな話!」


 真面目に考えるのを放棄した途端、担当同士の漫才じみた掛け合いが異常に笑えてきた。ケタケタ笑って机を叩き、狂人を演じておく。泣いても喚いても強請っても、ふたりの芸能生活も桜井涼子のプロデューサー人生もおしまいだ。


「しずくちゃんは他にも行くトコあるでしょー? お母さんと同じ事務所入ればいいじゃなーい! 入れてくれるってー」

「ふざけんなよッ!」


 バン、と椅子を蹴飛ばすしずくを見ても、オンオフのギャップが面白くなるだけだった。

 だが、その怒りは涼子の想像を超えている。


「なんのために《ネクスト》出たと思ってんの!」

「ずくちゃん……?」

「わざわざ仕事も減らして、ネットで『他の子にチャンスやれよ』って叩かれてまで出場した理由、しずくの立場考えたらわかんでしょ!?」


 涼子の笑いは止まった。止まるしかなかった。彼女の想いを笑い飛ばせるほど、涼子は人として終わっていない。


「それに……アンタじゃなきゃいけなかったの! アンタにしずくを託したかったの! プロデュースしてたんでしょ、あの有沢八雲を!」


 胸に奔った傷口がひどく痛んだ。

 有沢ありさわ八雲やくも。彼女は2年前に破局した元担当で——元恋人。


「ずくちゃん、それ誰?」

「有名人!」


 ——思い出したくなんてなかった。ようやく塞がりかけていた傷が開いてしまえば、再び地獄に落ちることになる。愛着と自己嫌悪とトランキライザーの日々に。


「……やめて」


 しずくは荷物をまとめていた。行く宛などないだろうに、ひなたまで同じように身支度を整えている。


「お望み通り、こんなクソ事務所もクソプロデューサーも願い下げ! しずくはこんなトコで終わるつもりないから!」

「ずくちゃん!?」


 見送りの言葉すら言えないまま、担当は足早に去っていった。

 結局、逃げることしかできなかった。傷口に塗り込められたのは多量の塩と硫黄。そして麻里奈に蹴られた痛みが、いまだに薄皮一枚隔てた体の奥で疼いていた。

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