第4話 子供と私
20代後半の私の夢は、「子供と一緒にピクニック」でした。
小さなころから自分より小さな子供が大好きでした。
可愛くて純真で愛すべき存在が子供だと思っていました。
自分の子供を産んで、実感した子供の泣き声の恐怖。
子供が乳児期の頃、私は3足の草鞋を履いていました。
「母」の草鞋。
「妻」の草鞋。
「学生」の草鞋。
仕事の関係で大学院に通っていて、半年休学しましたが、それでも卒論はやってもやっても終わりませんでした。仕事は育休をとりましたが、大学院のこともあり、報告もかねて職場と密に連絡を取っていました。
この状態で、育児も完璧を求め、布おむつと母乳育児に力を入れました。
今思えば、親子の触れ合いが少なかったように思います。
「母乳育児」をして「布おむつ」をして、子供と関わった気になっていました。
よく泣く子で、夜はあまり寝れず、夫が夜勤入りの日は生きた心地がしませんでした。
アダルトチルドレンの夫と私。
いつもいつも怒鳴るわけではないですが、私は良く夫から否定されていました。
「自分がない」
「ださい」
などです。
その頃の私はその言葉にいちいち傷ついて泣いていました。
乳児だった子供はそれを見て育っています。
母親が怒鳴られる状況。
私自身の成育環境と似ています。
子供が成長する過程で私たち夫婦は自分がアダルトチルドレンだと気付き心理療法を行い改善を始めました。
しかし、子供の心の奥には私と同じように「母親を助けたい」という思いと「母親が仕事をしていて寂しい」という思いの根を心に植え付けてしまいました。
一つだけ、私よりもアダルトチルドレン度が低い要素が感情です。「恐怖心」と「怒り」に蓋をしなかった。
だけど、幼少期の寂しさを抱え、訳の分からない怒りと恐怖が心に渦巻く子供の心、健康そのものとは言い難いです。
そんなぐちゃぐちゃな心を母親にぶつけてくる。
アダルトチルドレンと気づき回復に向けて心理療法を行い始めた私の心はその子供の心の叫びを受け止めてあげることは難しかった。
今ははっきりと言えます。
私たち親の関りが今の子供の生きづらさをつくりあげたと。
現在、子供は不登校です。
乳幼児期の恐怖と寂しさで、人の評価が気になり、自分自身に完璧を求め、理想と現実のギャップが埋められず、学校も勉強も恐怖の対象になっています。
保育園の年長時代から、夫の考案した心理療法を行ています。
日々の暮らしの中で傷つくことも多い子供ですが、心理療法を行うと心が軽くなるようで、自分からやりたいと私に声をかけてくれたりします。
私自身が少しずつ変わる中で、子供も少しずつ心の傷が癒えているように感じます。
まだまだ不登校です。
私たち夫婦は子供が学校に行きたいというので行けるように心理療法を行ったり、自分自身の改善に力を入れています。子どもにとって親の影響は計り知れません。親が変われば子供は必ず変わります。
子供の奥深くに溜まった「怒り」の感情は手放せているように思います。
今現在感じる「怒り」の表現の仕方もマイルドになりました。
ただ、まだ「恐怖」に対して根深く残っています。
新たな「恐怖」を植え付けない様に、私自身も毎日心理療法を行います。
学校に行けるようになる日が来るのかは、分かりません。
学校に「行きたいのにいけない」から学校には「行かない」ということになるかもしれません。
それもよいと思います。
とにかく、子供が自分で学校に行くことも、勉強をすることも決めることが大事だと思っています。
私は自分で決めてきませんでした。
「流れに身を任せる」なんて格好つけていましたが、結局はなんとなく流されて生きてきました。自分で覚悟をして決めたことなんてないのです。自分の気持ちを自分で感じることが出来ていなかったから、自分が何をしたいか分からなかったのです。
子供には自分で決めて、自分の人生を生きて欲しいと思います。
そのために親である私は子供が決めたことを否定しないことです。
自分の決めた事の結果を自分で受け止めるための手助けをすることです。
そして、親である私がアダルトチルドレンを克服することです。
人間は変わることができるという事を身をもって子供に見せたいと思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます