第2話 車の運転と私
運転免許はお持ちですか?
私は、実家が田舎だったので、母と祖母のススメで19歳の短大の夏休みで車の免許を取りました。
19歳で免許をとりましたが、免許を取る前から親の運転、友人の運転、そして、自分の運転でも、事故をしました。両手を超えるほど何度もです。
それでも、怖いと感じたのは免許を取りたてのほんの2ヶ月くらいだったと思います。他人の運転で怖いと思ったことはほとんどありませんでした。
そんな私が、アダルトチルドレンを自覚して、突然、高速道路が怖くて運転できなくなりました。
それまで、通勤でも使っていましたし、気軽に高速道路を使っていました。
「事故をしたら死ぬな」と思っていたにも関わらず、あまり怖いと思ったことはありませんでした。
その日は突然来ました。
子供を乗せて、自分の実家に帰るためにのった高速道路。
その日は高速道路にのった瞬間から自分の気持ちがおかしくて、、、
そう、恐怖心が私の体を支配していました。
高速道路の下り坂で、我慢できずブレーキを踏み、時速60キロです。
それでも、額や脇に冷たい汗が大量に出てきます。
後ろに子供がのっていて、私はただ「この子を無事に連れて帰らなければ」という一心で一番近くの出口を出ました。
その日から何度か挑戦しましたが、時速60キロ以上出すことができず、時速60キロでも恐怖が消えず、高速道路を運転することを諦めました。
そして、それからしばらくして、なんと、国道さえも運転することが恐くなってしまったのです。
不思議なことに、普通の道は運転が恐くありません。
細い道も大丈夫です。
何故、高速道路や国道を運転することが恐くなったのか。
それは、逃げ場のない閉塞感です。
急に止まることができない状況。
これは、逃げ場のない幼少期のフラッシュバックです。
私の家は3世帯家族でした。
祖父が一番偉い人でした。
父と母はいつも怒鳴られていました。
いい時もたまにありましたが、祖父は父と母にとても厳しい人だったので、家庭はいつも緊張状態でした。
乳児、幼児にとって家庭は世界です。
家庭が緊張しているからといって逃げ場はありません。
大人の男の人の冷たい怒鳴り声は幼い子供にとって恐怖以外の何物でもありません。
私は、高速道路や国道の路肩に止めることも出来ないような閉塞した空間でその時の恐怖を思い出し冷や汗がでて、運転することができなくなっていました。
実は今も高速道路は運転していません。
ただ、国道は運転しても怖くなくなりました。
国道も閉塞された空間です。
その空間を恐怖なく運転できるようになったことは大きな変化です。
何故、昔は平気だったと思いますか?
何故、突然運転が恐くなったのでしょう。
私は自分を騙していました。
自分は幸せで、普通の家族の中で育った普通の子供で、恐怖なんてないし、怒りなんて感じていないと。
今だから言えますが、自分を騙し始めたのは乳児期にさかのぼります。
生まれて半年もたたないうちに、私は自分の気持ちを騙し始めます。
自分を偽るプロです。
そうしなければ生きていけなかったからです。
何が恐怖だったのかというと、母親が仕事に行き、曾祖母に預けられることが恐怖でした。緊張した家庭の中で一番安心できる母親がいなくなるのですから、かなりの恐怖だったと思います。
そして、その母親は祖父によって怒鳴られます。
今考えると家庭内パワハラです。
でも、そんなのは、「普通のこと」でした。
家族以外は祖父の味方です。
悪いのは親の言いつけが守れない親の方とされていました。
そんな中、私は父も母も大好きでした。
だから、なんとか父と母が怒られないように「いい子」であろうと努めました。
その結果、私は自分を守るすべを失ったようです。
「恐怖」や「怒り」は自分を守るための感情です。
その感情に蓋をして生きてきました。
人のためにはすごく怒れます。
でも、自分のためには怒れない。
死ぬかもしれない恐怖も、「それも運命」と自分のことなのに、さも人のことのようにぼんやりとしていました。
小学生くらいの時、よく母親に言われていた言葉があります。
「危機管理ができてない」
要は、怖いという感情があまりないから、「危険」の察知が難しいわけです。
例えば、人が海でおぼれていたとします。
私自身は泳げるので助けに行きます。
自分の存在意義は誰かを助けることだと思っていました。
そのために自分がどうなっても良いのです。
でも、それは生きるために恐怖や怒りの感情に蓋をした結果です。
アダルトチルドレンを回復するための心理療法を行うとそんな感情の蓋を開けます。
すると今まで見ないふりをしてきた感情を見ることになるのです。
私にとってそれが閉塞感による恐怖だったということです。
勿論、他にも様々な感情に蓋をしていました。
ただ、高速道路や国道の運転が恐いという感情の元になったものが、閉塞感による恐怖ということです。
面白いなと思います。
閉塞感を感じるならエレベーターなどの狭く密閉した空間でも恐怖を感じるはずですが、そこに私は反応しません。
最近気付いたことですが、私は高速道路を運転している時、いつも「事故をして死ぬかもしれない」という考えが頭の隅にありました。つねに「死」を意識し、「死んだら家族は悲しんでくれるかな?くれるよね」と頭の中でつぶやきながら運転していたのです。
つまり、高速道路の運転は、私にとって「死」と直結していました。
「恐怖心」に蓋をしていたから、私は高速道路を運転出来ていたにすぎず、今の私にとって「死」は恐怖です。そんな「死ぬかもしれない」高速道路の運転は恐怖でしかないのです。
国道を平気で運転できるようになった今、次の目標は高速道路の運転です。
「高速道路の運転=死」という方程式もアダルトチルドレンの私が生み出したこと。
アダルトチルドレンを完全克服した暁には高速道路の運転が怖くはなくなっていると思います。
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