第2話

ーー放課後。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 いつもなら部活やら一緒に帰る事で盛り上がる帰宅時間。

 ウチのクラスは一人の例外もなくただ黙って帰宅の準備を整えて、終わった者から細々と出ていった。


 その理由は五限で行われたDVDの視聴会が原因だった。

 BOUZDERAは……正直面白いかどうかでいえば、非常に面白かった。うん、面白かったんだ。

 ただ、なんというか……こう、言葉では言い表されない独特な展開が待っており、シリーズ作品というだけあって終わり方も悪くはなかったはずなのに……なんというか、胸の奥でぐるぐるとかき混ぜられているような、形容し難い謎の後味を残して終わったのだ。


 総合的に見れば、たぶん面白かったはずなのだが……この謎の胸中のせいでスッキリしないと言うか、考えれば考えるほどドツボにはまっているような感じがして、結果クラスの全員がどんよりとしたような、鬱蒼とした雰囲気に落ち着いたのである。


 本当にあれは何だったんだろうか……?


 それはさておき、俺は席を立つとそのまま教室を出て行った。

 向かう先は駅のある方ではなく学校から程よく離れた神社だった。

 神社といっても別に神主がいるわけではない。

 どこにでもあるようなちょっとした鳥居なんかがあるだけの場所なのだが、俺はその場所へと向かっていた。


 この学校はどちらかというと田舎になるので電車も一時間に一本とかなり少ない。

 急いで駅に向かっても乗れるかどうかという距離にあるので俺はいつも学校を出ると最初にその神社に立ち寄って一服すると後は気分と時間によって駅に向かうのだが、たまに次の駅へと向かうことがある。


「ん?あ……しくった。もう一本しかねぇじゃねぇか。はぁ、買いに行くか」


 学校を出てからポケットのタバコを触ると残りがもうなかった事に気づいて仕方なく神社とは反対側にある古いタバコ屋へと向かっていった。


 二十分ほど歩いた先にあるのはもう掠れて殆ど読めなくなってる「たなか」と書かれたタバコ屋。

 地元の人間でもそうそう立ち寄る事ない小さな店だが、老齢の店主である老婆は今でも店を営業し続けている。

 今じゃドラッグストアでもタバコは売られているが、学生服じゃ流石に売ってはくれない。けれど、ここの婆さんは老齢のせいか普通に売ってくれるので俺みたいな半グレには本物の仏さんより有難い存在だ。


「よぉ、婆さん。まだ生きてるか?」

「……またアンタかい」

「また俺だよ。元気そうで何よりだ」

「ふん。たまにゃタバコ以外も買ってきな」

「それなら商品を入れ替えてくれよ。殆ど賞味期限切れてんじゃねぇか」


 こじんまりとした店内にいくらかのお菓子が置かれているが、そのどれもが賞味期限を数年単位ですぎているものばかりだった。


「タバコ吸って粋がってるガキがみみっちい事気にしてんじゃない」

「へいへい。ピースはまだあるか?」

「どうせならカートンで買ってたらどーだい」

「そんなことしたら婆さんの顔みに来れなくなんだろ」

「生意気いうんじゃないよ。あたしゃまだこの店を五十年は続けるつもりだからね」

「ギネスにでも挑戦する気かよ婆さん」


 見た目もう九十はいってそうなのにさらにそこから五十年生きようとするとは、口から出まかせだと分かっていてもその胆力は恐ろしい。


 俺はタバコを受け取りながらポケットから千円札を一枚渡すとそのまま外へと向かう。


「ん?ちょい待ち、あんた釣り銭忘れてるよ」

「知らなかったのか?最近また値上がりしたらしいぞ。あと、アイス代も入ってるから残りはとっといてくれ」

「……そーかい。ならアンタも夕方以降は神社にゃいない方がいいよ。パクられたくなけりゃね」

「ご忠告どーも、そんじゃまたな婆さん」


 全く一体どうやって調べているのか、あの婆さんはこの町で巡回してる警察の数やその時間まできっちり知っているのだ。

 口は悪いが、俺に物怖じせず話してくれる人は稀なんでタバコを買う時は必ずここに来る事を決めているのだ。


 それから更に二十分程かけてようやく目的の神社に辿り着くと石畳の階段に腰を下ろしてようやくタバコが吸える喜びを噛み締めることができた。


「あー…………生き返るー……」


 本当は細胞を滅殺して行ってるので、死に急いでるようなものだが、それでも解放されていく感覚に全身が脱力していくのを感じる。


 そのまましばらくゆっくりとタバコを吸って脱力しているとブーブーッとポケットに入れっぱなしにしていたスマホから着信がある事を知らせてきた。


「………うへぇ」


 一体誰かと思いながら着信相手が表示された画面には「会長」の二文字が浮かんでおり、俺は若干げんなりした気持ちのまま電話に出ることにした。


「……はい」

『やっと出たな!トラ、君今どこにいるんだい?」

「どこでもいーでしょ」

『そういうわけにはいかん。君にお客さんだ。出来れば早急にきて欲しいんだが?』

「……俺に友達はいないんっすけどね」

『はっはっは!寂しい事を言ってくれるな。それともようやく彼女にしてくれる気にでもなったか?』

「はぁ……何人来てるんです?」

『ざっと二十人だ。全員白やら黒やら紫に赤といった変わった服装をしているよ』

「そーっすか……あー、面倒なんで行くのやめていっすか?」

『ここにおられても迷惑なんだがね……なんとか頼めないか?そろそろ一般生徒にも被害が出そうなんだ』

「……貸し一つっすよ」

『身体で「それ以外でお願いします」むぅ……仕方ない、何か考えておこう』

「期待しないどきます……神社にいます」

『分かった。彼らに伝えておこう』


 それだけいうと電話はあっさりと切られ、脱力したようにその場に寝転がった。


「あー……めんどくせぇ。なんでこんなめんどくせぇことに……はぁ」


 それからしばらくしてバイクの爆音が遠くの方から近づいてくるのが聞こえてきた。

 それなりの人数がいるのか、直管使用のヘタクソなコール音が神社の目の前までやってきて、そのまま俺を見つけたのか境内の中にまでバイクでそいつらは乗り込んできたかと思えば俺の周囲をグルグルと囲み始めた。


 俺はタバコを吸いながらもやたらうるさいバイク音に耳を塞ぎたい気持ちを抑えて頭らしき赤色の特服を着込み、ピアスをジャラジャラと付けたド派手な金髪男が俺の目の前までやってきた。


「コテツウウゥゥゥッ!!」


 そいつは俺を見るや鬼の形相も格やというべきか、凄い形相で怒鳴りつけながら睨みつけてきた。


「んだよ、うるせぇな。近所迷惑も考えろってんだ」

「舐めた事言ってんじゃねぇぞ!テメェうちの連中に手ぇ出しといてしらばっくれんじゃねぇぞ!!」

「…………は?」


 何言ってんだ、こいつ?

 最近の俺はそれなりに大人しかったし、喧嘩すらしてない。というか、休みの日は基本的に筋トレやらをして時間を潰してたせいか街にも繰り出していないのだ。

 それなのにいきなりウチのもんに〜などと言われても全く検討がつかない。


 それに俺はどちらかというと喧嘩を売るより買う方が多い。

 自主的に仕掛けられに行くことはあっても自分から手を出したことは早々ない。


 一体何を言ってるのかさっぱりわからず首を傾げていると目の前の赤服は額に血管を浮き上がらせながら教えてくれた。


「この間街でウチのもんがやられたって聞いてんだぞこっちは!ぶっ殺すぞ!」

「この間?街で……?あ」


 そういえば教室で似たような話を聞いたな……ってことはコイツらひょっとして七瀬に返り討ちにあった連中の仲間か?

 うっわ、俺完全に無関係じゃん。最悪過ぎだろ。


「あ〜、そういうことか。ったく中途半端しやがって七瀬の野郎……はぁ、一応言っとくぞ。日曜の街での件なら俺は無関係だ。やったのは多分俺じゃなくて七瀬だ」

「んな事知るかボケッ!!」


 どうやら赤服にとって事実はどうでもいいらしく、叫びながらバールのような物を片手に殴りかかってきた。


 三日月高の奴らにやられた→復讐しよう→三日月高には俺がいるから呼び出そうってな具合に単純に流れ着いての話だろう。


 最悪だ。これ完全にただの八つ当たりで七瀬の尻拭いじゃねぇか。アイツまじでふざけんなよ、ハンパしやがるからこーなるじゃねぇか。


「ま、でもわざわざ出向く手間省けたしこれはこれで良いか」

「死ねやぁ!」


 赤服が振り下ろしてきたバールを俺はそのままの姿勢から片腕だけ前に出して受け止めて見せた。


「んなっ?!」

「一応これ、正当防衛ってやつだからーーなっ!」


 掴んだバールごと俺は背後に回っていた白服目掛けて投げつけてやった。

 人間、全力で掴んでいたものに引っ張られると手放すよりも強く握り込んでしまう習性があるせいで赤服も一緒になって白服目掛けてロケット弾となってくれた。


「ぐぉっ」

「あぐっ」


 短い悲鳴が聞こえた気がしたが、動き出したなら止まっちゃならねぇ。

 俺はすぐに別方向にいた黒服目掛けて突進していった。

 黒服の手には木刀が握られ、咄嗟のこととはいえそれでフルスイングの構えを取るが。


「遅せぇっ!」

「なっ?!ーーえぐっ」


 フルスイングされる前に更に全力で踏み込んだ事で振るうタイミングを間違えて渾身のラリアットをくらわせた。

 ゴキリッと相手から生々しい音が聞こえたことで左の肩関節が脱臼したようだーーが、関係ない。


 グシャッ!


「あっがああぁぁあっ!?」


 脱臼したと思われる肩目掛けて思い切り踏みつけ、更にグリグリと肩の骨と筋肉をぐしゃぐしゃにするイメージで踏みつけた。


「テメッこのやろ!!」

「…………」


 その最中に後ろからバットを振りかぶってきた男が背中から強襲してきて見事に一撃受けてしまったが……鈍い鈍痛を感じる程度だった。


「痛ぇじゃねぇかこの野郎」

「へぶっ?!」


 早くも二撃目を繰り出そうとしていた男だったが、その前に振り返りざまに裏拳で相手の下顎を横にスイングする感覚で振るうと手からゴシャッとこれまた何かが砕ける感覚が手に広がった。


「コテツウウゥゥゥッ!!」


 そのタイミングで最初の赤服と白服が復活したのか、二人揃って手に持つそれぞれの武器を振りかぶってきた。


「何度も何度も……うっせぇわ!!」


 防御はしない、避けるのもしない、構えも取らない、したのはただ万力のように拳を握り、ただただ全力で打ち込んだ。


「なっがぁっ?!」

「テメェらがっ!何十人来ようとどうでもいいがっ!ぜんっぶ!俺のとこにっ!寄こすんじゃねぇっての!あ?!うざってぇにも程があんだよ!!」


 そして怒りのままにただ全力で拳を振るい続けた。

 周りにいる連中全てを問答無用に殴り飛ばした。

 顎を砕き、肋骨を折り、関節を決めて腕を折り、踏みつけたことで内臓を潰し、目の前にいる人間全てを壊し尽くした。

 立っている奴が俺以外誰もいなくなるまで俺はただただ暴れ続けた。


 そして1時間ほどでその場には蹲り、嗚咽を漏らす奴らしか居なくなった頃。再び俺のスマホから電話が鳴った。


「はぁはぁ……チッ。どっかで見張ってんじゃねぇだろうな?あの人」


 画面には再び「会長」の二文字が表示されていた。


「はぁー……はい」

『やぁ。電話に出たってことはちょうど終わったのかな?』

「えぇ、まぁ。それで?」

『何だなんだ、随分冷たいじゃないか。せっかく君の身を案じたのに』

「ならこれからはコイツらの相手は会長でお願いしますよ。ぶっちゃけ今回のは完全に俺無関係だったってのに」

『そうなのかい?それは不幸な事故だったね。それで、君は大丈夫なのかい?』

「えぇ。骨も折れてませんし、大した怪我もしてないです」

『なら良かった。じゃあ明日からしばらく休んでくれ』

「は?そりゃなんでまた……」

『学校の敷地内に入ってないとはいえ、あんな大人数が校門前で騒いでたんだ。明日学校に来ても強制帰宅の自宅謹慎だよ。理由はどうあれね』

「マジかよ……俺マジで今回の件はとばっちりなんですがね」

『私もトラと会えないのは非常に寂しいし、こんな事を告げるのは不服で仕方ないんだが、先程職員会議で決まった事だ。中間管理職の悩ましいところだね』

「……そーすっか、お勤めごくろーさんです」

『あぁ、そうだ。参考までに一体誰のとばっちりだったか聞いてもいいかな?』

「趣味でヒーローやってるクソ野郎っすよ」

『……あぁ、七瀬君か。分かった、彼には私から伝えておこう』

「慣れてるんで別にいっすよ。俺は所詮半グレなんでね」

『ははっ。そう悲観することはないさ、近いうちにきっと良いこともあるよ』

「だといいんっすけどね、それじゃそろそろサツも来るし行きますわ」

『あぁ、気をつけてなトラ。すまなかったね、君にばかり押しつけて』

「……そういうのは言わなくていいんっすよ」


 そこで電話を切ると俺はポケットからタバコを取り出して吸い始める。

 後処理をする前の一本という奴だ。


 紫煙を燻らせながら俺はリーダー格っぽかった赤服の男へと近づくと頬をぺちぺちと叩いて起こしてやる。


「よぉ、起きてっか?」

「テメ……こてつ」

「まだ動かねぇか。まぁいいや、迷惑料として有り金はもらったくぜ。あぁ、最低限は残しといてやるから安心しろ。それとなテメェはメッセンジャーだからこのままにしといてやるが、これからやること全部目に焼き付けとけ?勿論その内容はウチに今後一切手を出すな、だ。覚えたか?」

「ま、まて……てめ、いったい……なに、を」

「“口封じ”って知ってっか?」


 そう言って俺は赤服を除く十九人の連中を赤服の目の前に並べると最初にラリアットで潰した黒服の手に向けて赤服が使っていたバールを思い切り叩きつけた。


「ぎゃあああっ!!」


 何度も何度も叩きつけ、右手が終わったら左。左が終わったら喉へと流れる動作で潰していった。

 喉の潰し方にはある程度慣れが必要だが、男の場合喉仏があるからわかりやすくていいね。


「や、やべ、やべでっくだーーあぁあああっ!!」

「だ、だだ、ず、だす、げぇでええぇぇぇぇっ!」

「いやだっいやいやいや、くるなくりゅなくーーーー」

「あ、ああ、ああっうああああぁぁっあぎょっ?!」


「おいっ!!やめろっ!!やめろってんだよ!!」


 ようやく半分ほどを処理し終えたあたりで赤服が叫んでいたことに気づいた俺は顔を上げてみやると、赤服は涙を流して親の仇でも見るかのように怒声をあげていた。


「うん?どーした?騒げるだけの元気が出てきたか?」

「テメッこのイカレ野郎!てめぇ自分が何やってんのか分かってんのか?!」

「何って最初に言ったろ?口封じだって」

「ッ!!ふざけんなっイカレ野郎!動けねぇ相手いたぶって恥ずかしくねぇのかよ!!」

「……くっはははははははっ!!」

「な、なんだよっ何がおかしいってんだ!」

「い、いやいや。なにそれ?渾身のボケで俺を笑い殺そうとでもしてんの?ヤッバイなお前、ギャグのセンスあるわ〜、はははっ」


 別に皮肉を言ったつもりはないが、赤服が俺を見る目が怒りから狂人を見る目になったかと思えば笑い終えた頃には恐怖で塗り固められたような表情に切り替わっていた。


「動けない相手いたぶって楽しいかって?あぁ、さいっこうに楽しいな!人数集めてやってきたけど、逆にボコられて情けなく這いつくばることしか出来ねぇ相手みんのは心が躍る!

 あぁ、俺は生きられたって神に感謝しても良い気分にさせてくれるからな!

 それとな?勘違いしてるみてぇだからこれは親切で教えてやるよ」

「な、なんだよ……」

「コイツらが両手を潰されて、喉も潰されてんのは全部テメェの責任なんだぜ?」

「は、は?なに言って……」

「お前がコイツらを集めたんだろ?お前がコイツらを焚き付けて俺を囲ったんだろ?得物を手にして囲んで袋にすりゃ勝てるって踏んだんだろ?ならこーなっても仕方ねぇし、テメェには責任とって黒岩の連中に見せしめになってもらわねぇと筋が通んねぇだろ。

 ついでにコイツらの家に行って「僕の悪ふざけで巻き込んでしまいもうしわけありませんでした〜」って頭下げてこいよ」

「あ、あ、あ、あ………」

「それともう一ついい事教えてやるよ。テメェがもしもたった一人で俺のとこに来てれば内容はどうあれ、勝ち負けがどうあれ話は聞くつもりだったし、受け入れるつもりでもいたんだぜ?それなのに無駄に負けて無意味に散って無残な姿になってく……お前が巻き込んだコイツらをみてどんな気分だ?」

「あ、あ、あああああああああああぁあっ!!!」

「ははははっ!さーて、残りも半分だしサクッと終わらせっか!」


 話してるウチにどんどん顔色が悪くなっていった赤服はまるで発狂したかのように泣き叫び続け、ついでにヤンキー崩れ達の阿鼻叫喚がしばらく続いていった。



「あー、すっかり遅くなっちまったな。まぁしゃーねぇか」


 結局二時間以上かかってしまい、巡回してる警察と鉢合わせないかドキドキしながら逃げてきた俺は一番近い駅ではなくもう一つ先の駅にまでやってきていた。

 ここだと完全な無人駅になる為堂々とタバコも吸えるのがいいところである。


「ん?」

「え?」


 駅に到着して備え付きのベンチにでも座ろうとした時、そこには見覚えのある女子生徒が本を読んで電車が来るのを待っていた。


 彼女は女子の中では運動部でもないのに珍しくうなじが見えるか見えないかくらいのショートカットをしており、休み時間はいつも机に付して寝ている少し変わり種の女子だった。

 ちなみに顔はどちらかというと可愛い方だと思う。

 他人にあまり興味のない俺でもそう思えるのだからひょっとしたら女子の人気ランキンなんかがあったらそこそこ上位に食い込むのではないか?


 ではどうしてそんな他人に興味がないといいつつもそこまで知ってるのかというと、いくら俺でも同じクラスの連中の顔と名前くらいは覚えてるし、ましてや隣の席のご近所さんだ。知らない方がどうかしてるだろう。名前は確か……。


「長江友希……だっけ?」

「あ……え、えっと、そうです」


 おぉ、良かった。合ってたあってた。

 普段人の名前とか呼ばねぇから知ってても自信なかったんだよな。


「こんなとこに人が来るとは思ってなくてな。あぁ、悪いタバコ嫌いだよな?」

「あ、え、えっと、はい…ってえ?あ、ち、ちがいま、いえ、ち、違いませんけど……え?」


 何だ?情緒不安定か?とは流石の俺も思わない。

 そりゃ俺と彼女とじゃ身長差が半端ないし、声が上から降ってくるもんだろうからな。

 おまけに相手は普段一言も話したことのない半グレなんだ、ビビるのも仕方ねぇだろ。


 そんな事を思いながら素直にタバコの火を消すと携帯灰皿に閉まっていく。


「あ……あの」

「ん?」

「そ、その顔のところ……」

「顔?あぁ、気にしなくていい。さっき、爪で引っ掻いてな」


 言われて気付いたのだが、どうやらさっきの喧嘩で頬に擦り傷ができてたらしい。

 大して痛くもなかったし、ひょっとしたら本当に爪で引っ掻いただけかもしれないからな。

 嘘をついたのは別に本当のことを話しても彼女には何も関係ないからなので、それ以上の意味はない。


「こ、これ良かったら」

「絆創膏?いいのか?」


 何故かわたわたした手つきで胸ポケットからコンパクトケースを取り出すとその中に入っていた絆創膏をスッと差し出してきた。


「サンキュー。女子ってやっぱすげぇな。いつも持ち歩いてんのか?」

「あ、えっと、私、よく本で指切るから」

「あー。たまに切れたりするよな」


 などと受け取った絆創膏を使わないのも変なのでスマホを鏡が割りに適当に貼り付けながら受け答えをしていく。


 別に他人に興味がないからといって会話をしないわけじゃない。

 教室で話さないのは周りが俺を怖がってるからだし、会話自体が嫌いなわけではないのだ。


「い、岩谷さん……も本読むの?」

「岩谷さんて……別に名前でいいぞ?」


 ただ怖がられてるのは分かっていても最低限のコミュニケーションは取っておくべきだったろうか……流石に同級生の女子から苗字のさん付けとか地味にショックというか、何となくやるせない感というか、そういうのが溢れてきた。


「え……えっと……」

「……虎徹だ」

「ご、ごめんなさい!」


 どうやら俺以上に周囲の人間に頓着しない者がいたらしい。少し安心した。


「話したこともないんだから謝んなよ。本は……そうだな、それなり程度だな。長江は何読むんだ?」

「い、色々ですけど、最近、はミステリー、系を」

「オリエントみたいな?」

「知ってるんですか?!」

「うぉ?!」


 頭の中で昔読んだミステリー系の小説を口にすると想像以上……というか想像すらしてないのだが、謎の食いつきをしてきて思わずビックリしてしまう。


「あっあの、す、すみませんっ」

「あ、あぁ。気にすんな。有名な作品だったからな昔暇潰しに読んでたんだよ」

「そ、そうだったんですね……」

「意外だったか?」

「あ……すみません」

「気にすんな。俺みたいな半グレが文字なんて読むわけねぇと思われてんのが普通だからな」

「そ、そんなことは……」

「取り繕うな。言ったろ、気にすんな。周りから俺がどう見られてんのかは知ってるし、下手に誤魔化さらら方が腹立つ」

「…………」

「俺みてぇのは話してる相手の目線、仕草、声音、息遣い、そーいうので何となく分かっちまうんだ。だから取り繕うな、装うな。まぁ、会長ほど堂々と来られても困るがな」

「……会、長?」

「ん?何だ、噂話は知らねぇのか?」

「い、いえ。し、知ってます、けど……ほ、本当なんですか?あ、あの話って」

「さぁ?どんだけ噂話があって長江がどの噂を知ってんのか知らねぇけど、俺があの人に頭上がんねぇってのは本当だ」

「そ、そうなんですか?」

「まぁな。色々あんだよ」


 訝しむように、或いは信じられないとでもいうように驚いてみせる長江だが、その表情から一体どうしてかを聞きたそうにしてるのが一目瞭然だったが、話すつもりはない。

 何せどちらかというと俺的には恥ずかしい話であるからだ。だからお茶を濁すような言い方をしたのである。


「ま、俺が言いたいのは会長ほどじゃなくてもいいから俺と話す時は堂々としてくれって話だ」

「わ、分かりました」


 それからしばらくして一両だけの電車がやってきた。

 車内には部活の終えた生徒が何人かいて、俺と長江が乗車してくると全員目を丸くしていた。

 俺は人のいない前方の長座にどっしりと座ると何故か長江は一瞬オドオドした様子を見せて、反対側の長座にちょこんと座ってから本を読み始めた。


 その様子を車両後方から目を丸くしたままの生徒が見やっていたが……変な噂が立たないことを祈るばかりであった。

 まぁ、明日から暫く学校に行くことはないので気にしても仕方がないことか。






 

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