巾着袋

増田朋美

巾着袋

巾着袋

今日は曇っていて風が強く、ハンカチなんかがすぐに飛んでしまうような日であった。そんな中、杉ちゃんと蘭は、近隣の手芸屋さんへ買い物に出かけた。手芸屋は、最近ハンドメイドがブームになっているせいか、かなり人が混んでいた。杉ちゃんたちが、とりあえず布と糸を買い求めて、さて、帰ろうかと入り口の自動ドアに近づいた時、ひとりの若い女性と、首から名札をぶら下げたひとりの男性が、入り口のそばにたっているのがみえた。

「おう、お前さんたちも、ミシンを買いに来たのか?」

と杉ちゃんが言うと、女性は、大変おびえた顔をして、わーんと泣きだしてしまった。彼女も、首にヘルプマークを下げていた。ヘルプマークの名前欄には、都筑花代と書いてある。多分それが彼女の名前だろう。

「大丈夫ですか?何か理由があるのでしょうか?」

と、蘭が聞くと、一緒にいた男性が、

「すみません、彼女はとても人を怖がる傾向がありまして。それで、着物を着たお二人を見て、怖がってしまったのではないかと思います。」

と、説明した。彼女の首からぶら下がっている、ヘルプカードには、統合失調症と書かれていた。

「ああそうかそうか。僕たちのことを、怖いおじさんと思ったわけね。まあ、着物を着ているとなると、確かに怖い人っていう気持ちもあるわな。でも、安心しな。僕たちは、悪い奴でも何でもないし、単に足の悪いダメな奴なだけだよ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「まあ、怖いおもいをさせちゃったなら、謝るよ。ごめんね。」

杉ちゃんは、申し訳なさそうに頭を下げる。

「其れよりも、統合失調症という物を患いながら、よくここまで来ましたね。それは、素晴らしい事です。よく頑張りましたね。」

蘭は、そう彼女に言った。彼女のこわばった口もとが、少し緩んでくれたようだ。

「気にしないでください。一体、何を買いにいらしたんですか?」

「ええ、母の誕生日に、キルトで巾着でも作ってやりたいと思ったものですから。それで、布を探そうということになりまして。」

一緒にいた男性が、そういうことを言った。

「そうですか。じゃあ怖がらせてしまったので、僕たちが手伝ってあげるよ。中に入って見ような。」

杉ちゃんはデカい声で言った。

「もう全然、怖がらなくていいから、布を楽しく選ぼうな。色はどんな物がいいのかな。赤かな、あおかな、それとも、黄色かな。」

と、杉ちゃんがそういうと、彼女は小さな声で赤が良いといった。

「じゃあ、それじゃあ、この和風の柄のウサギが飛び跳ねているような布はどうですか?」

と、蘭が一枚の布を取り出した。

「一寸華やかすぎませんか?」

と、女性、都筑花代さんがそういうと、

「華やか過ぎるというか、お前さんくらいの年齢何だから、そのくらい派手なもんを使ってもいいんだよ。」

と、杉ちゃんが言った。

「杉ちゃん、そんな乱暴な言い方しないでさ。もっと、優しくしゃべったらどう?すみません、彼は悪い人じゃないんです。杉ちゃんは、本当はとっても優しいんですけど、言い方がとても乱暴で、確かに怖い人のようにみえちゃいますよね。」

と、蘭が急いで言った。

「いいえ。大丈夫ですよ。怖い人では無いということは、ちゃんと分かりましたら。大丈夫です。この布で巾着を作ります。」

と、彼女は、そういって、その布をもってレジへ行った。そして店員に一メートル四方に切って貰うと、代金を支払って、ありがとうございましたと言った。

「いいえ、どういたしまして。まあ、素敵な巾着を作ってやってくれよ。お母さんもそうすれば喜ぶよ。」

と、杉ちゃんがデカい声で言った。彼女は、ありがとうございます、選ぶのに、参考になりました、と言いながら布を紙袋に詰めた。そして、一緒に来てくれた男性と一緒に、

「今日はどうもありがとうございます。お話しが出来て嬉しかったです。」

と、言いながら手芸屋を後にした。本当は、人にあえて嬉しいというのが本音だろう。それが何かのせいで出来なくなってしまったのだ。それだけの事だと、蘭は思った。

「よかったね。まあ、精神疾患と言うと、なかなか難しいところだと思うけど。」

「そうだねえ。そういうことを、オープンにしてくれるような、家族関係とかになってくれるといいね。ほら、ずっと前の、寝屋川だかどこかで起きたような、娘殺しのような事件も、あったからな。」

蘭と杉ちゃんはそう話し合った。確かに、精神疾患を持っているとなると、非常に扱い方がむずかしくなるので、最悪の場合は、患者を殺してしまうという末路でしか解決をしなくなることもあり得る。それは、年代を越していくに連れて、増えていくような気がする。何かトラブルがあって当たり前ではなく、もうトラブルがあったら殺すしかないということになってしまうかもしれない。

杉ちゃんたちは、介護タクシーでその日、家に帰った。そのあとは、都筑花代という女性が、何かしてきたということはなかった。杉ちゃんも蘭も、彼女の名前も容姿も忘れ去ろうとしてしまっていたのであるが。

「おーい!蘭!ちょっと、隠れさせてくれるか。」

と、玄関先からデカい声が聞こえてくる。だれだと思って蘭が玄関のドアを開けてみると、蘭の父親のお兄さんである、檜山喜恵さんが、そこにいた。

「喜恵おじさん!一体どうしたの?隠れるなんて。」

と、蘭が急いで聞くと、

「い、いやあなあ、今度原稿を出している編集者がな、全くしつこい奴で、うちの家まであがりこんでくるもんだから。原稿も渡したけど、まだもう少し書いてくれって言って、うるさいんだよ。」

と喜恵おじさんは、どんどん蘭の部屋に入っていってしまう。

「まあそうだけど、しっかりかいて、ちゃんと原稿提出しないとダメなんじゃないですか?」

と、蘭が喜恵おじさんに言うと、

「いやあ、だってもう原稿は渡してあるんだし、追加でもう少し書くというのは、契約書にはのっていなかった。だからもういいんだよ。」

と喜恵おじさんは平気な顔をしている。

「そうなんだねえ。小説書きも大変だね。」

と、杉ちゃんが喜恵おじさんにお茶を渡しながら、そんなことを言った。

「いや、小説は最近書いていないんだ。今やっているのは、短歌とか俳句とか、そういうものなんだよ。」

「短歌とか俳句?」

と蘭が素っ頓狂に言う。喜恵おじさんは小説ばかり書いている人というイメージしかなかったので、そんなことも始めたのかと蘭は驚く。

「ああ、最近は、一寸口にするのは言いたくないんだけど、刑務所で短歌の指導をしているんだ。もちろん、教えているのは受刑者だ。初めはおっかなびっくりだったけど、刑務官がついているから大丈夫だよ。最近では、女子刑務所でも教えているんだけど、彼女たちは、もう少しその繊細な感情をコントロールするすべを教えてもらっていたら、犯罪なんかしなくてもよかったんじゃないかと思うなあ。」

「はあ、そうだったんだ。喜恵おじさんが、そんな事するようになったとは思わなかった。そういうことをするなんて、意外だったよ。」

と蘭は、喜恵おじさんに言った。喜恵おじさんは、持っていた鞄の中から、ノートを一冊取り出して、殴り書きにしたような、頁をパカンと開いた。

「そうなんだよ。意外に女性たちは、すごく上手に短歌を読んでくれるもんだな。ある受刑者が書いたものでこういうものがある。

白うさぎ 鰐を欺き その知恵に 我こそ直ぐに 真似ぶものなり

ほら、すごいだろ。俺が、稲葉の白うさぎの事を、話したら、直ぐこういう句を作ってくれたぜ。彼女は、特殊詐欺のかけ子として捕まっている。」

「はあ、なるほどねえ。すごいじゃん。犯罪者であっても、そういうものを作れるんだな。その受刑者は、意外に感性がよかったんだねえ。」

と、杉ちゃんは喜恵おじさんにいう。

「まだあるぞ。

薬を打ち 悪しきものとは 知りながら 打たねばならぬ 弱き人々

この句を作ったものは、覚醒剤取締法違反で捕まったそうだ。彼女は句を作るだけではない。薬物にまつわるエッセイのような物も書いている。捕まっていなかったら、俺が、編集者になって、デビューさせてやってもよかったと思う。それくらい執筆力のある女性だった。」

喜恵おじさんは、ノートを指さしながら、にこやかに言った。

「なるほど、みんな道を間違えても、そういう才能があるやつはいるんだなあ。」

と、杉ちゃんが言った。

「そしてなあ、なによりも嬉しいことがあってな。今回のレッスンで、初めて、短歌を提出してくれた女性がいたんだよ!なんでも、刑務官の話によると、だれとも口を効かなかったそうだ。彼女を医療刑務所に送ることを考えているようであるが、其れよりも俺は、こういう事件が起きてしまったということが悲しくなった。いいか、彼女が書いた歌は、このようになっている。

我望む 死の幸せを前にして 父は 代理で 死に給うなり

な、どうだ、素晴らしい句だろう。俺は、ほんと、彼女に拍手してやりたいくらいだった。」

と、喜恵おじさんは言った。蘭も杉ちゃんも、そんなことを言って、なにが面白いんですかという顔をした。

「素晴らしい句というか、なんというか。その女性受刑者の住んでいる環境がどうだったとか、そういうことを聞いてみたいね。それに、どういう事件を起したのかを聞いてみたい。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ああ、確か、この受刑者の名前は覚えている。変わった名前だったから。確か都筑花代さんと言った。彼女は、父親を殺害した罪で服役しているようであるが、なんでも彼女が病気になったとき、母親ともめ事が在って、口論になったそうで、その時に彼女はとっさに死んでやると言って包丁を持ち出したそうだ。とめに入ったお父さんを思わず刺してしまった。まあ、ご両親もかなり高齢で、もう手出しが出来なくなっているようだった。弁護側も、彼女が精神錯乱状態ということを主張したそうだが、彼女自ら、懲役を望んだ。それで、今、刑務所にいるというわけだ。」

喜恵おじさんは、そう続きを語った。

「都筑花代、、、。ああ、ずっと前に、手芸屋で会ったことあるよねえ。

と、杉ちゃんが急いでそういうと、

「ああ、なんとなく覚えてるよ。その変わった名前を聞いて。でも、彼女が人を殺すようなことがあり得るような顔ではないような気がするんだけど?」

と蘭は聞き返した。

「いや、俺は、そういう受刑者と話をして思うんだけど、日本には、強そうにみえて弱い奴がいっぱいいるんだなと思う。そういうやつは、時々とんでもないちからが働いてしまうこともあるという。それは、日ごろから辛い思いをしているから、そうなってしまうんだと思うんだ。だからねえ、誰でも気持ちよく生活できる社会というのは、まだまだ先の話だねえ。」

と、喜恵おじさんは、しみじみといった。

「そうか。そうかもしれないな。だって、自分の体をナイフで切ったり、たばこの火を押し付けたりするんだもんな。僕らはその痕を消すお手伝いをしているけど、其れだってある意味他力門だもんね。確かに、自分の力ではどうにもならない事って、あるのかもしれないね。」

蘭は急いでそういうことを言った。

「そうだねえ。自分で何とかしようというのは、難しいのかなあ、、、。」

と、杉ちゃんは言った。

「でも、彼女は、今でも、殺人をしたことを、反省してくれているだろうか?彼女は、まだ、正気を持っているのだろうか?」

と、蘭が聞くと、

「ああ、それは、どうなのかなと思う。確かに歌を書いてくれたのはいいが、ほかの刑務官や弁護士が話をしても、彼女は、もう話をしなくなっていると聞いたよ。」

喜恵おじさんは一寸悲しそうに言った。

「そうなんだね。永久に話をしなくなっちまうもんなのかな。何とか、罪を償って貰いたい物だけどな。」

と、杉ちゃんがいう。

「でも、どうしても、僕は、彼女に何処か反省して貰いたいんだけどな。いちおう短歌を書く才能が

あるんだからさ。でも、彼女もいずれは出所することになるだろうし。そうなったとき、彼女は、どうなるんだろう。自殺してしまうのではないかな。」

蘭は、一寸心配そうに言った。

「まあ、それが一番の解決法かもしれないね。」

と、杉ちゃんが言うと、

「でも、そんな事させるのは、いけないと思うんだけどな。なんかそれをしちゃうと、倫理的に悪いというか、やってはいけないことをしようとしているというか、そんな気持ちになっちゃうんだけど。」

と、蘭は辛そうに言った。

「まあ、お前さんは、そういうやつらの更生に一役買っているのも事実だからな。そういう気持ちになっちゃうよな。」

杉ちゃんがそう言うが、蘭は、何かぼんやりした表情で、

「彼女が正気をなくす前に、命のことについてお話しできたらいいのに。」

と、いうのであった。

「じゃあ、お前も来てみるか。俺の身内でやはり書きたいものがあるので来たと言えば、入らせて貰えるかもしれないよ。」

と、喜恵おじさんは、蘭に言った。

「硝子扉を隔てて、会うことになると思うけど、彼女がどんな顔をしているか、それは見えると思うからさ。」

「ほんとか。じゃあ僕が行く。」

と、杉ちゃんが言う。

「杉ちゃん、喜恵おじさんは僕に言ったのに。」

蘭は慌てて反論するが、

「まあ、刑務所は、意外に人が好きなところでもあるから、二人とも来てみたら。」

と、喜恵おじさんが言うので、杉ちゃんと蘭は、喜恵おじさんと一緒に行ってみることにする。

数日後、喜恵おじさんと一緒にタクシーに乗って、杉ちゃんと蘭は静岡市内ある医療刑務所に行った。刑務官に、都筑花代さんという変わった名前の受刑者に会いたいんだがと言ってみると、どうぞと言って、面会室へ通してくれた。

三人が、面会室の中へ入ると、確かに一枚の硝子がはめられていた部屋だった。杉ちゃんたちが待っていると、都筑花代という名前の受刑者が刑務官に連れられて、杉ちゃんたちの前に現れる。

「都筑華代さんですね。あの、僕の事、覚えていませんか。あの時、手芸屋でお話ししたじゃないですか。あの時のあなたは、お母さんに巾着袋を渡したいと言って居ました。あれは、作ったんですか?」

と、蘭は彼女に言った。すると、花代さんは、声をあげてまさしく慟哭するように泣き出した。一体どうしたのと蘭が言うと、

「もう、警察の方や、弁護士の先生にも話したんですが。」

と、彼女は言った。

「お母さんに、巾着を作りたくて、ミシンを買いたいと父と母に言ったんです。でも、父も母も私のいうことを信じてくれなかった。ミシンで作って誰かに販売するとか、そう思った見たいです。私は、そんな事するわけではないと言ったんですけど、働かなくていいとか、仕事するなら作業所で何かするとか、そういうわけのわからない事を言いだしてそれで私は、すっかり混乱してしまって、、、。」

「そうですか。でも、その混乱したということを強調すれば、警察の方も、弁護士さんだって、何とかしてくれたんじゃないか?」

と杉ちゃんが聞くと、彼女は、

「いえ、私は、今回の事でこの世界には対応できないことを知りました。もう、ここで最後を遂げるしかありません。私は、勉強も出来なかったし、仕事も出来なかったし、父や母にプレゼントすることも出来なかった。だから私は、終わってしまったと思います。だから、もうこういうところにいて、しずかに余生を過ごしたいんです。」

と、作り笑顔を浮かべてそういうのだった。

「いや。あなただっていずれは刑期が終わって、出所しなければならなくなる時がくるんだ。自殺すれば良いとあなたは言いますが、それをしないように、あなたは医療刑務所に移送された。それをよく考えて。」

と蘭は、彼女に言った。静かに彼女は首を横に振る。

「もう私は十分生きたわ。もう生きてなくても良いと思うの。」

「そうでしょうか。まだ生きているということは、まだあなたを必要としている人がいるということですよ。現に、僕の伯父は、あなたの和歌の才能をほめていました。だから、それを発揮するために、今服役しているのかもしれないし。」

蘭は喜恵おじさんに目配せしながらそういうことを言った。

「いいえ私は、歌の才能なんかありません。きっと檜山先生がほめてくださった歌は、偶然できたんだと思います。」

「だったら、今ここで一発、何か作ってみな。それでお前さんの才能がどれだけあるか分かるから。」

彼女がそういうと、杉ちゃんが口をはさんだ。杉ちゃんずいぶん変なことをと蘭は言ったが、彼女は少し考えて、

「世のなかに 不要とされし わが身柄 黒い地獄に 消えゆくを待つ。」

と、口にした。喜恵おじさんが、それを、手帖に急いで書きとった。彼女は今のはと言いかけたが、刑務官にとめられて、それはできなかった。

「じゃあ、僕が返歌を書いて差し上げます。もし、可能であれば何処かに思いとどめておいてください。」

と、蘭は静かに彼女の顔を見て、少し考えてこういう歌を詠んだ。

「生き抜けば 間違えすとは 知りながら 償う日々も 未来輝け。」

「すごいことを書くもんだな。お前さんも。」

と杉ちゃんがぼそりとそういうことをいう。喜恵おじさんは、蘭の詠んだ返歌を、又手帖に書き込んで、全く、時々そういうことをするんだな、お前は刺青師らしくないよなんて、顔をしているのであった。

彼女は泣いていた。本当に反省してくれているか、其れとも、ただ泣いているだけなのか、そのあたりは不詳だが、ひたすらに泣いていたのであった。

その日も風が強い日だった。何か新しく季節が変わっていくような、そんな感じを予測させる、風であった。其れと同時にカエルもケロケロと鳴いていた。カエルの柄というのは、時代が変わるということを、なんとなく予知させる時に用いられる柄だという。




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巾着袋 増田朋美 @masubuchi4996

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