第3話 理由(承前)
あの日は、大学前で起こった交通事故に居合わせた学生が、あまりにひどく打ちのめされていた。俺はたまたまそんな時に通りがかったのだ。
一番見たくなかった数秒が消えるだけで、目撃者は少し落ち着いて話すことができるようになったようだ。あの時も、咄嗟にやっちまった。
そこに、柏木葵はこう声をかけてきたのだ。
『ちょっと、付き合わない?』
大学入学したての、右も左もわからない小僧などその程度なのだから、みな気を付けるべきだと言いたい。
役にも立たない特殊能力をかぎつけては、研究開発の対象として保護を申し出てくるなど、まっとうな感じがまるでしない。美人の院生だからと、なぜついて行った、入学当初の俺。
保護はともかく、そのときは誰にも話したことがないはずのこの能力について、彼らが熟知していることが不気味で、そうするうちに国の機関を名乗る連中もぞろぞろ顔を並べてきて、書類にサインを求められ、健康診断程度と言われたはずが妙な検査をされる羽目になった。
結果、俺の能力は最長五秒だけ誰かの記憶を消すことだ、ということが明らかになったのである。そしてその能力を発動するためであれば、ある程度人の記憶も見ることができる。
五秒。
短いだろうと思ってはいたが、正確に五秒らしい。十分にしょぼい。使えない感が漂う。それに他人の記憶など、見たくもない。力さえ使わなければ、その必要もない。
もうこれで俺に興味はないはずだ、と、かえってせいせいしていたはずなのに、彼女、柏木葵はいつまでもつきまとってくる。
それに関して苦情を伝えたところ、返ってきた答えはふたつあった。
ひとつ。最長五秒だが、むしろあの交通事故の一件のように記憶を冷静に読み取って狙った通りに活用できる点を、機構は非常に高く評価しているのであなたはしょぼくない(それはどうも)。
「私だって、一度にひとりしか読めないわ。距離も三メートル以内にいる人じゃないとだめだし。そんなものよ」
ふたつ。井上のあのひらめきに機構は興味を持っている。そのため俺と井上のやり取りの観察が重要だと。
「私も彼には一瞬驚かされたことがあったもの」
『なんか柏木さんて、心読んでそうな顔ですよね!』
まさに彼女が機構メンバーとしての活動のさなか、井上は言ってのけたのだという。
「それから何度かそれが偶然だったのか、特殊なひらめきなのか読み取ろうと試みたけれど、彼がひらめく日になかなか当たらなくてね」
俺は。
なんの疑いもなく、目的のために他人の精神活動(心の声や、俺の能力のような記憶を読むものではないと強調される。喜怒哀楽の状態は平板に感知されるという。特殊な能力を発揮しているのかそうでないのか、あくまでわかるのはその区別だという)を読む女が井上の周りをうろつくのが、なんとなく気に入らないのだった。
「でも今日はついていたわ。
あなたがさっき、消してしまった井上さんの五秒ね、」
そして、彼女はこんな話を楽しそうにするのだ。
「あの前後の井上さん、他意はないの。全部偶然のひらめきなの。驚いたことに」
「図星を指す以上のものではなかったということか」
「そうね」
「じゃあ、井上への調査は終わりかな」
「そうね。でも、何度か確認はしたいと思ってる。
あなたもいるし、その間は私、この大学から離れられなさそうだしね」
柏木葵。
思い出した。あいつは俺には日本文学科の院生だと名乗ったのだ。
考えてみればこれ以上偽名らしい偽名もない。柏木と葵とか、源氏物語か。
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