第四話 休職者復帰の手引き(4)

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 アハハハハ! と遠慮ない笑いが、ファミレスの店内に響く。注文したチキンドリアが冷めるのも構わず、東子は赤くなる顔を上げられなかった。休日の午後。正午を過ぎて、店内は家族連れで賑わっている。角のボックス席を確保して、相手を奥に座らせたのは正解だった。手を叩いて、無邪気に笑う不破ふわあかね。会話が漏れるのもお構いなしで、実際、注文を取りに来た店員がちらちらと様子を窺っている。

 不破は、大手アニメ制作会社「スタジオ・ビスマルク」のアシスタントプロデューサーだ。東子の勤める8プランニングとは、元請け、下請けの関係にある。ところが数年前まで、8プランニングの制作進行だった、という経歴があるため、未だに古巣との関係は根強い。堂島あたりに言わせると「冗談にならない腐れ縁だ」と露骨な敵意を剥き出しだったが、どうにも二人の関係は「敵同士」と言い切れない複雑さがあるようだった。今でも二人は「きょうたろー」「ふわ子」と呼び合う、傍目にも奇妙な関係性だ。

東子とも、仕事を介して何度か連絡を取り合っており、たまの休日ともなると、不破の方からランチのお誘いが来る。一方的に、不破の愚痴を聞くことの方が多かったが、今日くらいは、と東子が口を開いたが最後、ファミレスの片隅で美女の爆笑を聞く羽目になった。顔の火照りが、一向に引かない。

「笑い過ぎですよ、不破さん」

「ごめん、ごめん。だって、東子ちゃんが段ボールに埋もれてるところを想像したら……」

 ぷふっと、二次、三次の笑いの波を堪える不破。モデル級の容姿で、今日もシックなジャケットを着こなしながら、弾ける笑みは悪戯好きの小僧みたいだ。

「埋もれたんじゃなくて、部屋に閉じこめられたんです! 幸い、取引先から戻ってきた社長に、なんとか助けてもらえましたけど」

「きょうたろーがスルーしたっていうのが、また、あいつらしいよね。相変わらずの冷血漢。東子ちゃんをいじめるのを、楽しんでたりして?」

「ほんと、大変だったんですから。あれから結局、荷物を移動させて、モップをかけて、機材を何とか運び込んで」

 吸血鬼こと、間宮敬吾の発した要求。聞く義理はないはずだったが、仕事を始めると言われてしまえば、後には引けない東子の立場だった。一年半ぶりの職場復帰。少しでも負担のないように、と考えるのも労務管理者の役目で、部屋の掃除や準備くらいは、まあ、手伝っても支障はない。ところが、冷蔵庫やら浄水器やら、あげく勤務時間を無視するとまで宣言されて、それでは一体、東子の立場は? 個室を用意するところまでは、叔父に掛け合ってぎりぎり譲歩したけれど。

「いやー、聞きしに勝る変人ぶり。吸血鬼? スタッフの生き血を吸うって、ちっとも大げさじゃないのね。突っぱねちゃえば、よかったじゃない。いつもの東子ちゃんらしく、『規則に反してます!』とかって」

「相手は病み上がりなんです。それも、心の問題を抱えた。詳しいことはお話しできませんけど……やっぱり、できることは協力したいって」

「それで、吸血鬼の使いっ走り?」

「強引なんですよ、何もかも! 部屋のことだけじゃなくて、あれからも、社内にシャワーを用意しろだの、朝はモーニングコールしてほしいだの。この前なんて、私に替えの下着を買って来いって!」

「アハハハハ! デパートに走る東子ちゃんが目に浮かぶ!」

「笑い事じゃないんですから……」

「まあ、天才と何とかは紙一重ってね。この業界にいれば、癖のある人間なんて、生涯、縁が切れることはないから」

 ふふん、と笑って、ようやく昼食のカルボナーラに手を付ける。一口してから、いくらか神妙そうに続ける。

「物作りってさ、なんだかんだ言って、個人の心の領域なのよ。その人の価値観、哲学が、剥き出しになって画面に現れる。そうでなくちゃ、優秀なクリエイターとは言えないし。その分、心に抱える闇は相当なものよ。ぐちゃぐちゃで、しっちゃかめっちゃか。それを交通整理してやるのが、私みたいなプロデューサー職の役目なんだけど」

「不破さんも、苦労した経験が?」

「なるべく面倒には踏み込まないようにはしてるけどね。それでも、否応なく巻き込まれることはある。ほら、うちって映画とか大きな企画を動かすことが多いでしょ? そうすると、どうしたってお金はかかるし、『天才』の名前がプロモーション上、不可欠になる。多いのよね、天才の名が付く人に、変人やら奇人やら」

「不破さんは、堂島さんとも仕事をしたことがあるんですよね?」

「あいつの働きどころを作ってやるのが、私の償いの一つでもあるし。元の職場を辞める時、後ろ足で砂をかけちゃったのは消せない事実だから。でも、きょうたろーは天才じゃないよ。間宮敬吾とは違って」

 意外に感じて、正面の不破をまじまじと見つめる。綺麗にパスタを巻き終えて、不破は変わらない調子で続ける。

「きょうたろーの優秀さは、なんていうか、システマチックなのよ。職場を鼓舞する力というか、他人を巻き込む勢いというか。あいつの根本には、アニメは集団作業だっていう、決して変わらない信念がある。私たちの師匠である、原さんの教えね。だから、他人の仕事にも容赦なく口を出す。一方で、間宮敬吾は孤高の天才。ある種の芸術家ね。自分の才能を表現することに、興味のベクトルが集中してる。他人の感性なんて、むしろ邪魔。それでも、力業で作品を完成させる凄みが、彼にはある」

 制作デスクの須山が間宮のことを評した時も、同じような話をしていた。孤高の天才と鬼軍曹の違い。けれど、長年タッグを組んできただけあって、不破の話には、深い実感が伴っている。

「きょうたろーにとって、間宮敬吾って存在はすごく捉えづらいんじゃないかな。どちらも良質な作品を作ることに賭けて、全身全霊を捧げている。けれど、そのアプローチの仕方が全く違う。一方は単独で、一方は周りを巻き込んで。どちらが正しいとも言い切れないから、きょうたろーにも答えが出せない」

「あいつのことには干渉しないって言ってました。間宮さんのこと」

「それが、天才との距離の置き方なのかもねー。まあ、私みたいな凡人には、想像するだけ無駄だけど。一つはっきりしているのは、どちらも同じく厄介者ってこと。二人が揃う現場とか、率直に言って悪夢ね」

「その悪夢の直中ただなかにいるんですよ、私は!」

「それは、東子ちゃんの宿命だよー。『吸血鬼』に血を吸われ過ぎて、しわしわのお婆ちゃんにならないようにね? それとも『アニメの鬼』の鞭の方が致命的かな? こういうのって、『両手に花』ってやつ?」

 むしろ、泣きっ面に蜂! と訂正を入れても、なお正面の美女は笑うばかり。けらけらと気安い笑みを振りまいて、パスタの最後の一口を食す。

「ねえねえ、それより大事な話。ちょっと小耳に挟んだんだけど……近々御社で、大きな案件が動きそうなんでしょ?」

「なんですか、藪から棒に? 企画の話は、私には」

「私の、アシスタントプロデューサーとしての勘が囁くのよー。結構、パブリックな案件って話」

「それこそ、堂島さんに聞いてください。二人は、古い仲なんですから」

「きょうたろーが教えてくれるわけないじゃんよー。だから搦め手で、東子ちゃんを食事に誘ったのにー」

「スパイの対価が、ファミレスのチキンドリア!?」

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