第20話一番大事な仕事の基本~その十九~

 に至るのに自分の中身を捨てる必要などはなく、捨てれるはずがなかった。

 初めからそんな質でもなければ素質もないのに、いくら頭のなかでこねくり回して小賢しく考えたとろで、そんなものは所詮じつもなければ実にもならない空っぽの殻のままだと考えるまでもなく思い知らされたのだから。

 それは詰まるところ、だということを。

 なんてことは、それが正しいかだとか、そこに意味があるかだとか、どれが価値を持つのかだとか、そんなは目の前にあるたった一つの現実にも及ぶべくもなければ敵うはずもないのだった。

 その具現たる黒い蝶が指し示す分岐のなか、未だ未練がましく足下に絡みつく土煙をいま自分にできる限りの最速で蹴り散らして奔り抜けてなながらも、離れることも迷うことなく常に一足先を行き続ける案内役の鑑を見やりそう思う。

 この蝶は姉から一定以上の距離を離れない。

 それは常に姉とともに在る俺自身からも離れないということ。

 試したことはないが恐らく本気で引き剥がそうと奔ったとしても何処までもついてくるだろう。

 先ほどまでつらつらと考えるでもなく考えころころとまとめるでもなく思い耽っていた、持論や解釈などとはとても言えないただの空論妄想の類に過ぎないものだがそれについての認識を俺は新たに改めた。

 現実を見定めて認識を修整する。

 それは何も特別なことではない。誰もが意識的にしろ無意識的にしろ行ってるごく有りふれた精神活動の一つだ。

 ただ俺の場合は他より現実に対する自分の認識の更新頻度が高いだけだ。

 それは今迄何回繰り返したか憶えていない、これから何度繰り返していく分からない。

 有体に言えば赤子が手を捻るより簡単に掌を返した。

 便利に前向きに言い換えるなら頭と心を切り替えた。

 下手の考え休むに似たり。百聞は一見に如かずとは全くよくできた言葉だ。

 昔のひとはいいこと言うものだ。

 それでもここは後者だということにしておこう。

 流石に燕雀安んぞとまでは言いたくないなが。

 何にせよ同じ頼まなければならないならば、誰にでもできることができる誰か普通より、余人にはできないことが一等できるそのひと特別にやって頂くのが最適だと今日は大事なことを学ぶことができた。

 そんな毒にも薬にもならない、後にも先にも役にも立たない後悔と反省と学習に思考を費やしている間も、身体は何の関係も問題もなく蝶に導かれるままに奔り続けていた。

 奥へ進むほどに狭く複雑になっていく地の底へと続く道を、たとえ直角に曲がろうと垂直に降りようと、どんなが四方八方から節操もなく忙しなく現れても一切減速することなく最短で処理して進んでいく。

 そうして迷宮ダンジョンを踏破して幾許もしないうちに先ほどの爆音と轟音の原因が見えた。

 自分たちと同じように明らかに自主的に開けたとしか思えない横穴が大口を開けていた。

 こんな狭い地下の通路でこれだけの規模の穴を発破で開ける開けるとは、余程豪胆で後先考えない性質かそれとも相当繊細な技術と神経の持ち主か。

 何だか何処ぞの爆裂錬金術師を思い出したが、あれは眼につくものつかないものの区別なく片端から吹き飛ばすナードでギーグなデトネーションフリークス彼女の異常な愛情だったな。

 そんな「どうぞこちらが近道ですよ」と同時に「勿論罠もたっぷりご用意しております」と親切にも教えてくれている虎の口の中へと、蝶もその先を示していることを確認し躊躇なく飛び込んだ。

 そこは今しがたまで通ってきた狭く複雑な通路とはまるで異なる空間だった。

 今迄の整備はされていたとはいえ岩盤や土壁が剥き出しとなっていた通路とは違い、壁も床も天井も鉄骨やら金属板やらをふんだんに使用しより強固で頑丈な内装工事がこの空間にの全てに施されていた。

 そして空間自体の広さも大概の運動競技ができるくらの広さがあり、天井もそれなりの高さがあった。

 ここが地の底だと忘れるほどではないが圧迫感は幾分薄れている。

 そして何より異なるのはそこにいた一人の人間だった。

 僅かに動揺して気配から察するに、ここで出逢ったの本当に単なる偶然のようだ。

 そしてその小さな感情の揺らぎもすぐ消える。

 恐らく背後にある奥に続く通路から自分で開けた穴へと戻ってきたのだろう。

 これがあいつの言うところの弟子という奴だろうか。

 ここまでとは明確な差異がある。

 その装備にも雰囲気にもそしてその眼差しにも。

 手首から足先まで全身をゆったりと包む外套コート長羽織マント重ね合わせたような奇妙な装衣に身に纏い、両手足には装甲と滑り止めを兼ねた手袋と強化靴を履いている。

 肩から上も首から口元までを覆面で隈なく覆い、頭部には砂漠の民のように布を幾重にも重ねて巻いている。

 その色は全て黒一色で統一されており、あらゆる耐物防御と耐性強化が織り込まれてるのが見て取れた。

 少々形態が奇妙なこと以外は装飾性など皆無な実用性のみを追求した間違いなく一級品の装備だった。

 その証拠に肌の露出を極限まで排除し、見えるのはそして見えているのはあいつとはまた別の澄んだ湖のように青い瞳のみ。

 あいつも妙なところで過保護なことだと思ったが、これがあいつの言う責任の一つなのかもしれない。   

 そんなあいつご自慢の弟子とやらは、一見しても何度見ても暗殺者か暗の工作員にしか見えないが、金と契約と保身でしか働かない連中とは一線を画すものがある。

 そこにあるのは苛烈なまでに劇しい使命感。

 また唯一こちらから伺える垂れ目ぎみの優しげな青い瞳には、瞳と同色の熾火が感情をくべて燃えている。

 その感情の名は憎悪と私怨。

 

 そんな相手がこちらを見るその眼には当然に警戒の色。しかしそれ以外の敵意や害意といったものは感じられない。

 そして何故かその湖面の瞳を揺蕩っていた。

 このの大体の素性はあいつから聞いた通りだろうが、その正体など不明な点はまだある。

 だがそれでも確実に言えることがある。

 それはこの女がやるべきことを既に果たしてきたということが。

 それはこの女が殺すべき人間をもう殺してきたとということは。

 それはこの女がたった今を遂げることができたということを。

 にも関わらずその瞳の奥には達成感や満足感などはなく、ただ哀しみに揺れる青い炎だけがあった。

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