第19話一番大事な仕事の基本~その十八~

「幸運を願う、か。一体

 自分の進むべき道に暗雲が立ち込めるというこの現状。

 実際には進まなければならない道の奥から爆音と轟音が響き渡り、もうもうたる土煙が勢いよく吹き出し自分の足下まで届いていた。

 何にせよどう言い換えたところでお先真っ暗という状態だけは変わることなく同様だ。

 あいつめ最後の最後に呪いを残していきやがる。

 内心で最早この場にいない相手に悪態をつくが決して的外れとは言えないだろう。

 この状況を引き起こしたのは十中八九間違いなくあいつの弟子とやらなのだろうから。

 それでも幸いなことは道を見失うことだけはないということ。

 行き先きを導く黒い蝶は分岐路の奥から吹き出す爆風に揺らぎはしても、飛ばされることも傷つくこもなく進む道の前で浮揚しその身の健在ぶりを示している。

 真逆造形や動きだけでなく蝶の持つ他の昆虫と比して抜きん出た特性、その安定した滞空能力、ホバリング性能まで完全とはいかなくとも再現しているのか。

 そこまで行き着いたらもう凝り性がどうのこうのという問題ではない。

 この姉が片手間で組んだ術式がどれほどの境地にあるのか、正直門外漢の俺には想像も理解もできない。

 だが見る眼のある者が見たならば、驚愕に眼を見開くか、絶望とともに眼を閉じるか、それとも全てを通り越し白目を剥いて卒倒するか、それぐらいの反応は見せるだろうことは何となく予測はつく。

 ただ俺なんかが見て思うのは、ここまでする必要はないんじゃないかということだけ。

 そんな決して姉には知られても悟られてもならない感想をほんの僅かにだが持つくらいだ。

 確かに姉はの強い性格の持ち主だ。

 それは姉の生み出すもの、作り出すもの、組み上げるもの全ての根底に通じている。

 だが果たしてここまで緻密で精確な再現性を求められることはあるのだろうか。

 それならばさらに簡単でより単純でなお分かり易い、必要な機能だけを備えた誰でも扱える標準化された術式のほうが、求められ行使される場面は圧倒的に多いだろう。

 寧ろ技術とはどのような領域においてもに意味があるのではと思ってしまう。

 そのために改良を重ね、経験を積み、効率を高めていく。

 そしてその情が本来のあり方なのではないかと感じることがある。

 勿論考えなしに何でもかんでもあけっぴろげに開示し公表し供与するのは、ただ単にものの区別のつかない馬鹿だと思うが。

 だが神秘は秘匿されるものであり、情報は隠匿するものである。

 それがこの世界における社会通念であり既成概念となっている。

 そしてそんな世界のに真っ向反逆するような観念と思想に見解を持っているのは、ごく一部のなかに稀にいる一握りの限られた少数派だけだ。

 そんな彼ら彼女らは異端者や裏切り者などと呼ばれた挙げ句、社会の、と見做されて居場所を奪われ追われ続けることになる。

 しかしこの世界に数多ある組織体のなかにはそれでもなおそんな連中を受け入れるある種の駆け込み寺のような側面も持っている。

 当然なかにはそんな札付き焼印付きの連中を無条件で門前払いするところもあれば、たとえ一度は受け入れても様々な問題で利益に貢献できないとみれば即座に切り捨て見捨てるところもある。

 寧ろそちらのほうが多数派でありこの世界の常識に則せば当然の判断だった。

 それでも組織の規模の大小に関わらず正式に雇用しの一員とする組織体があるのは、彼ら彼女らの持つ他とは異なる技術や知識に強い関心があるからだ。

 それは普通や無難や平凡では飽き足りず、常に新しいもの特異なものを貪欲に求める体質を持った組織か。

 あるいは最初からそんな世界の常識や決まり事など歯牙にもかけず気にもしない気質の組織かの二通りがほとんどだった。

 この両方の体質と気質を併せ持って体現したのが、俺たちが所属しこうして仕事に励むこの会社だ。

 つまるところそんな組織自体が大なり小なり世界に反逆するような連中と根本的に同類なのだ。

 そんな門だけは常に開かれているうちの会社なんかとは真逆の極地に魔術師という連中がいる。

 連中は自分たちが特別な存在であるとするために魔術というの本質をあの連中が言うところの選り捨てられた者アザーフェイラー、要するに以外には絶対に明かすことはないし他と交わることもない。

 これだけなら個人主義を是とし一人我が道を行く連中のようだが実際には奴らは群れていないと存在できない。

 なにせ魔術師だけが所属できる組織とその学び舎まであるのだ。ほとんどの魔術師にとって世界とはそのなかで完結している。

 だというのに組織内での権力闘争や派閥争い、魔術師同士に潰し合いから足の引っ張り合いまであらゆる内部抗争の見本市だ。

 その上で自己顕示欲の塊で一歩外に出れば自分たちの優秀性を証明するめの一番手っ取り早い手段として戦闘、奴らの言うところの誇りある決闘プライド・チェックとやらに執着するため非常に好戦的だ。

 それも相手か、負けるはずがないと思っている相手を選んで挑む傾向が強くある。

 まさに傲慢の証明プライド・チェックとはよく言ったものだ。

 そんな味方にも敵にもするのが嫌になるのが魔術師という人種だった。

 できればこの先にいなければいいなと思いつつ、そういえば以前出逢ってしまったあの魔法使いは俺の知っている魔術師とは全く違うだったことを思い出す。

 よくのことを忘れていたと思ったが、きっと脳がその記憶を消去したかったのだろう。

 憶えていたくないことは忘れたほうがいい。これも一種の防衛本能か。

 確かにあんなところまで行き着けばそれこそ本当にと言っていいだろうし、あそこまで行き果てれば他の有象無象とは違って当然か。あの最低最悪の魔法使い、世界なんて食卓に過ぎない大食らいで悪食の魔女は。

 そうして少しの間益体もないことをつらつら考え、最後に嫌な記憶を思い出したところで土煙も大分収まってきていた。

 視界が塞がれても然程問題はないし、俺の予想通りなら急いだほうがいいのは確かだがここは九区利と亜流呼の指示で安全策を採った。

 実際大した時は消費していない。それに全く問題無い程度の時間差だ。

 その短い時間で九区利と社長による今迄の情報整理と次の行動指針が決まったらしく回線を通してて九区利から指示が伝えられる。

 内容は「そのまま進めゴーアヘッド」そして返答は「了解アイ・アイ・マム」。

 必要最小限のやり取りだけでささっと済ませる。

 そうしている間の今迄も、ずっと同じところで浮揚していた黒い蝶を見る。

 姉が必要なものを必要なところに必要な分だけ組み込んで編んだと言う術式。

 しかしそれだけはなくそこには姉がのことをしたと付け加えるべきだった。

 ただ理由など何もなく、できるからやっただけ。できてしまうからそうしただけ。

 そんな姉にしか扱えず、姉にしか理解できず、姉にとっても意味などない。

 この間違いなく驚異的な技術と才能によって作られた黒い蝶にはあるのだろうか?

 そんな、姉が怪訝そうにこちらに向き直る。

「何でもないよ姉さん」そう言いつつ小さく頭を振り、安心させるために羽毛を掬い上げるよりも優しく撫でる。

 ああ、そうだ、間違いは間違いなくしたはいけない。

「じゃあ行くよ姉さん」そう一声かけると最早定番と化した例のサインが返ってくる。

 それを確認し全くの予備動作なしで奔り出し、一息で今の最高速度まで達する。

 頭のなかの不要なものを全てここに捨て置いていくように。心のなかの余計なものを全て振り捨てていくように。

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