第16話一番大事な仕事の基本~その十五~

 こいつがどれだけ聖人君子になりきって内心を語ったところでそんなことは関係ない。

 だが訊きたいことは訊いただろうし、知りたいもとも知れただろう。

 その言葉が本当だろうが嘘だろうがわかったところで最終的に判断をするのは俺じゃない。

 勿論自分なりにいつの迷惑極まりない与太話を咀嚼して報告している。

 この状況の客観的事実は報告するまでもなく俺を通して九区から亜流呼や傷仁、そして社長も把握している。

 こいつの言っていたことと近い見解を持つのは何だか癪だが、意味のない報告や不必要な私見は邪魔でしかない。

 ただこいつの話を鵜呑みにするとあとで腹を壊すだけじゃ済まない。

 そこは九区利や社長も重々承知しているだろうから迅速かつ慎重に周りと協議して対応を検討しているはずだ。

 その証拠に九区利がさっきから会話を続けて足止めしろと指示を送ってくる。

 まだ大事なことと肝心なことを訊いていないからだ。

 そうは言われても、ただでさえ苦手分野だというのにどうすればいいんだ。

 野球に興味はないが知識だけで思うことは敬遠位置にミット構えられてストライクを取れと言われているような気分だ。

 と言うのもこいつとの会話など今迄に散々し尽くしてそうそう話すことなど浮かばない。

 それでもやれというならやるしかない。

 話題くらいは提供してくれという恨み言は吐き出すことなく胸の裡に厳重にしまっておく。

 向こうも現在それどころではないだろうし、それ以上に今後諸々の査定に影響するのは勘弁だ。

 確かいつだったかものの本で読んだ会話の基本は話役に終始し話題を途切れさせないか。

 それとも聞き役に徹し新たな話題を引き出すか。

 この場合選ぶべき選択肢は後者しかない。

 なら次は何を訊けばいいのかという問題が浮上する。

 普段の近況?仕事の調子?職場の関係?罪の告白?

 俺は占い師か牧師かカウンセラーかよと思ったが、それよりも思春期の息子と何とか会話しようとする父親のほうがより近い。

 とは言っても実際に父親とはそんな不格好なかたちでも父子の会話などした記憶はない。

 それどころか話しかけられることも極稀なことで、必要最低限の言葉を一方的に投げつけ押し付けてくるだけだったが。

 もしいまならもう少しまともに父親と話すことができるのだろうか。

 今更そんなことを考えてもそれこそ何の意味もない。

 何故なら父親はもう生きてはいない。もうとっくに死んでいる。殺した本人が言うのだから間違いない。多分。

 そのときのことを思い出そうとしてもいまいち何をどうしたか憶えていない。

 そして何の感情も心情も浮かんでこない。

 ただとてもつまらなかったという漠然とした感想と、確か殺してはずという朧気な感触がどこかに残っているだけだ。

 ならいっそ家族の話でもしようかと思ったが結果は火を見るより明らか。

 寧ろ燃え尽きた灰を眺めているほうがまだしも有意義だろう。

 そんな益体もないことを考えている間にも九区利からの指示なのか催促なのか判別つき難い注文が耳から聞こえてくる。

 どうやら通信方法を戻したらしい。

 何かのこだわりなのか、それとも無意識なのか。

 どちらにしても現在結構余裕があるのか、もしくはこれくらいの芸当は余裕でできるのか。

 何にしても九区利としてはこいつがここから立ち去ることを、有体に言って逃げだすことを懸念しているようだが今のところそれはないと断言できる。

 こいつの顔を見れば一目瞭然だ。

 訊かれたくてしょうがない。しゃべりたくてしょうがない。

 今か今かと待ちわびている内心がどろりと滲み出したような笑みをが塗られた顔を。  

 その気が済むまで梃子でもこの場を動かないだろう。

 だから他に何か話題はないかと探してみたが遂に何も思いつかない。

 こいつの期待に応えてやるのはとてつもなく気に食わないが背に腹は替えられない。

 背も腹も他に替えがきかないと思うが今はそれはいい。

「そういえばまだ訊いていないことがあったんだがいいか?」

「どうした、さっきので終わりじゃなかったのか。もちろん何でも訊いてくれ」

 そのニヤけた顔を真っ二つにしてやりたいが全身の脱力には微塵の力も入らない。

「終わりと言ったが最後じゃない。そこまで言うなら遠慮なくお言葉を叶えるとしよう。

 実は俺だけじゃく皆が一番訊きたくて知りたくたいことなんだ」

 堪えきれないように笑みがより深く明るくなる。

 いよいよとなりかなり気持ちが前のめりになっているようだ。

 その喜色満面の面に俺は何の躊躇いもなく液体窒素をぶちまける。

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