第17話一番大事な仕事の基本~その十六~

 を訊かれときのコマ落としのように変化していくこいつの顔は、目の前で蜘蛛の糸が切れていくカンダタもこうだったのだろうかと思わせた。

 考えてみればそれなりに貴重なものを見られたのかもしれない。

 極楽にいけると希望を抱いた人間がその希望ごと地獄に叩き堕とされたときの絶望の顔。

 日常的に言うならガムだと思って力一杯噛んだら虫を噛み潰してそのまま飲み込んでしまった人間の顔。

 どちらにせよ見ることはそうそうない稀有な表情変化と顔だった。

「ここでを訊くのかよ……そっちじゃないだろ……」

「一番大事なことなんでな」

 落胆と失望を顔からも声からも隠しもせずに俯き、その言葉には若干恨みの成分まで配合されている。

「何でも訊いてくれと言ったのはお前だろう」

 落胆したのも失望したのもこいつの勝手で、その恨みは逆恨みだ。

「それで、答えてくれるんだろう」

 念を押してそう言うと、”不満”と大書された顔をこちらに向ける。

 つい数分前まで欄と生気に満ちていた眼が今はどろりとした死の陰を映している。

「ええと、そんなこと言ったっ……ああ、言ったな確かに。

 言わなきゃよかったとよかったと全力で公開してるが」

 意味のない妄言で手間をけさせるなと台詞の途中で弔鐘代わりに刀の鈴を鳴らしてやる。

 最初から誤魔化す気もなければ誤魔化せるとも思ってもいなかったことが如実によくわかる安易さで言葉を翻す。

 後悔の念だけは本物のようだがそんなことはどうでもいい。

「あとで居心地のいい懺悔室と、親身になってくれるを紹介してやるから元気をだせよ」

「止めてくれ。それは俺にとって猛毒だ。そんなにお前は俺に死んで欲しいのか」

 嫌悪と恐怖が含有されたことにより、眼に映る死の陰が濃さを増す。

「生憎その猛毒は俺にとっては連絡先を知ってる程度には口に苦いだけの良薬だ。

 そして少なくとも生きていて欲しいと思ったことはないな、今だけは別だが。

 だから早く答えろ」

 流石のこいつでも死んだら何も喋れない。

「モチベーションが底辺をぶち抜いてどん底まで落ち込んでる俺に追い打ちをかけた上に催促までするのか。

 思わず無意識にネクタイで輪っかを作りだしそうだ」

 扉と窓に鉄格子の嵌った病院ならいくらでもいそうな陰鬱な顔と声で無駄な答えを返してくる。

「かなりの安普請だな。あとでその輪っかをに使って来世ではもう少し頑丈な物件に棲むといい。

 それで、答えは」

 性ではないが再三にわたって催促し答えを要求する。

 こちらも直接頭に感じる複数の無言の圧力が着々と重さを増しているのだ。

 完全に意図してのことだろうが、回線を通して伝えてくるとは九区利の技術が伺える。 

 寧ろ本来の使い方だったのだろう。

 そしてようやくその気になったのか一つ頭を振って答える。

「ただの偶然だ。さもなければ俺たちは互いに引かれ合う運命なんだ」

「今社長から『達磨にするくらいなら何処からも文句はないよね』とお達しがあった。

 勿論俺も依存はない」

 運命とはまたご大層に気色の悪い言葉を使う。

 もしそうだとしたらこんあ因果なものもない。

「それは怖いな、寒気がしたぞ。芋虫なはなりたくないからな。

 どうしてあんなにこやかに果断で苛烈な判断を即決でだせるんだ、お前のところの社長は」

「決断が早いのはいいことだと思うが。それに何も自分で決められないよりはいいだろう。

 お前も今すぐ少しでも見習ったらどうなんだ。俺もそろそろ

 そう言うとこいつはあからさまに一つ溜息をついた。

「そうだな、そうしようか。

 そうして何の韜晦も無駄もな必要十分な一言だけをやっと答える。

「そうか」

 こいつに合わせた訳ではないが、俺も皆もその答えに得心と理解を得たことを一言で表す。

 その一言ワンワードを聞き出すまでに随分と面倒な手間がかかったものだ。

 急がば回れ、遠回りこそ最短の道という言葉もある。

 だがこいつとの場合、回り道をして横道に逸れるだけ。無駄足を踏んで無駄骨を折るだけだ。

「それじゃあそろそろお暇させてもらうよ。早く傷ついた心を癒やしたい。

 それに俺に、お前たちも俺に訊きたいことはもうないだろう。

 真逆お前もそのままわけじゃないだろう」

「そうだな」言いつつ俺は刀を戻す。

 ここにこいつがいることがそもそもの想定外だが必要な情報は手に入れた。

 ここでこれ以上の成果をもとめるならば互いにそれなり以上の血を流すことを覚悟しなければならない。

 その利益と損害を秤にかけこのあとの仕事に影響するか勘案した結果、黙って立ち去るなら黙って見送ると社長も九区利も結論をだそたううだ。

 こいつのお仲間らしきのこり一人への対処も変わらない。

 仕事の邪魔になるようなら暴力で話し合うだけだ。

 つまりこいつとは晴れてここでお別れ、初めから会わなかったということだ。

 今更訊く必要がないので誰も訊かなった

 それと同じようにしてにここから出ていくかと思ったが、いくつも並んだ分岐路の一つに適当に歩いていく。

「なんだ、?」

「少し散歩して心を落ち着かせるだけだ。最もここは散歩コースとしては最悪の部類だけどな」

 確かにの光を浴びて生きる者にとって地下とはただいるだけで心を無意識に削ってゆく。

「ああそうだ忘れてたんだが今思い出した。また忘れる前に最後に一つ訊きたいことがあるんだがいいか?」

「さっきのが最後じゃなかったのか」

 ややうんざりした顔でぞんざいに返す。まあ無理もないか。

「最後とはいったが一つだけとは言ってない。それでどうなんだ?」

「もう何でもいいよ、するなら早くしてくれ」

 そうおざなりで投げやりに言葉を投げ返してくる。

 何だかついさっきと立場が逆になったような気がする。

 こういう展開をどこかで観たなと思いながら質問を口にした。

「で、お前の果たすべき責任とは何なんだ?そして見届けたい相手とは誰なんだ?」

 そう問われたそのときのこいつの顔は鳩が豆鉄砲を食らってもそんな顔はしないだろうと断言できる何とも表現し得ない、曰く言い難いものだった。

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