フィロ語り
玻津弥
* * *
人間たちの伝承によると、地下深くにあるとされる悪魔の谷があるらしい。
住人である悪魔さえめったに通らないというその谷には、天から落ちてきたと言われる黒い石が落ちてくる。
そして、それは時々、自分の意思を持つことがあった。
ある日、気まぐれをおこして谷底へおりてきた悪魔がいた。
名は、『クロロギテ』という。
クロロギテは谷に降り立つと、その石を見つけた。
「石よ。おまえは生きているのか」
クロロギテは石に話しかけた。
『そのようです』
と、石は返事をした。
「おれの役に立ってみないか? おまえには意思がある。体さえあれば動けるはずだ」
クロロギテは言った。
「外の世界を見せてやる」
そして、石は体を与えられ、悪魔の使者になった。
*** *** ***
その石は、『フィロ』という名前を与えられた。
クロロギテにはフィロの他に十三の使者がいた。
「優秀なやつは人間にしてやろう」と、クロロギテはフィロたちに言った。
フィロは人間になりたかった。
石の時のようにただ谷に転がっているだけの退屈な生涯を送るのは嫌だった。
クロロギテが命じる難題をフィロは次々にこなしていった。
そうして三年もたった頃には、彼はクロロギテの一番の優秀な使者になっていた。
ある日、クロロギテはフィロに最後の課題を出した。それをこなせば、フィロを人間にしてくれるという。
フィロはクロロギテに言われたとおりに、小さな町の古い洋館に行った。そして、やってくる人間を待った。
やってきたのは、人形をかかえた少女だった。
少女は階段の手すりに腰掛けた、フィロを見つけて顔をあげた。
「わたし、ジャネリ。あなたは誰なの?」
少女が聞いた。
「ボクはフィロ。ある方の使いとして来た」
「ししゃ…? あ、わかった」
少女が手を叩いた。
「あなたがフィロなのね。知ってるわ」
「なぜボクのことを知ってるんだ」
フィロが驚いていると、ジャネリはおかしそうにくすくすと笑った。
「みんなあなたのことを知ってるわよ。だってフィロの物語を知らない子どもなんていないんだもの」
「それはどんな話なの?」
フィロが聞いた。
「ううん、おしえてあげない。あなたはこの町の子どもじゃないから」
そう言い残してジャネリは、洋館の外へ出て行ってしまった。
フィロはひどくジャネリの話していたフィロの物語が気になった。
その物語に出ているのは本当に自分のことなのだろうか。それとも同じ名前をしているだけなのだろうか。
ジャネリは度々、洋館を訪れては、フィロに話をした。しかし、フィロの物語については何一つ教えてはくれなかった。
「おばあちゃんに、よその人にはフィロの物語をおしえちゃいけないと言われたの。おばあちゃんはもう死んじゃったけど。でも、いいわ。フィロにはこっそり物語の最後だけおしえてあげる」
いたずらっぽくジャネリは言った。
「フィロは悪魔の天敵を殺すのよ」
「悪魔の天敵ってなに?」
「エクソシストっていうの。わたしのおばあちゃんがそうだったの。今は、この町のエクソシストはわたしだけなの」
「…………そうなんだ」
このとき、フィロの頭には一つの言葉しかなかった。
〈この街にいる最後のエクソシストを殺せ〉
それは、クロロギテに命じられた最後の課題だった。
「……それで、フィロはそのエクソシストを殺した後はどうなったの?」
空白のような時間の経過の後に、フィロはジャネリに尋ねた。
「あのね、物語のフィロはね、悪魔の主人に殺されて死んじゃうの」
フィロの手の中でジャネリは言った。小さくくしゃくしゃになってまとまったジャネリが。
「さよなら、フィロ」
何も知らないフィロ……。
町に出たフィロは子どもたちに物語を聞いて回った。しかし、物語の結末を知っているものはいなかった。
全部を知っていたのはジャネリだけだったのだ。
「クロロギテは嘘をついてるわけじゃない」
フィロは繰り返しつぶやいた。
フィロはクロロギテを信じていた。
ほどなくして、フィロはクロロギテに呼び戻された。
悪魔の谷を見下ろすように悪魔とフィロは立っていた。
「約束どおり人間にしてやろう」
クロロギテの触手がフィロに伸ばされた。
フィロは目を閉じた。
染みるような痛みが体を包み込んでいく。
これが人間の感覚なのか、とフィロは感じた。
それからすぐに、目の焼けるような閃光が走った。その眩しさに、フィロは目を開けることができなかった。
周りの音が途絶えた。
「フィロよ。おまえはあの町で物語を聞いたんじゃなかったのか? 自分の運命を」
クロロギテが静かに尋ねた。その下では、答えることのない石がゆっくりと谷底に落ちていくところだった。
『物語の最後、フィロは死んじゃうの。人間になったから』
いないはずのジャネリの声がした。
お わ り
フィロ語り 玻津弥 @hakaisitamaeyo
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