第2話インテルメッツォ-2 邂逅/回顧

 その開かれた門を潜ることを、男の意志は躊躇しない。

 その意図は、十二分に了解している。

 その招きに応じることに、男の心に逡巡はありはしない

 その意味は、これ以上ないほど理解している

 しかし、そんなものでは男の歩みは鈍らない。

 此処に来た。

 此方から彼方へ渡るようにして。

 此処まで辿り着くことが出来た。

 現世うつしよから幽世かくりよまでを超えるかのように。

 彼女にもう一度会うために、そのために此処まで至ったのだ。

 此岸しがんから彼岸まで続く輪廻のを突き抜けるが如く。

 彼女に再び遭ったその時に、己の為すべきことを為すために。

 己が支払える全てを擲ってなげうって

 皆の死を踏みしめて。

 そうまでして漸くようやく、此処まで来ることが出来たのだ。

 皆が持てる全てを賭して。

 誰もが屍と成り果てて。

 そこまでして辛うじて、此処まで辿り着くことが出来たのだ。

 煌めく奔流が男の姿を押し流そうとも。

 男の足は、僅かたりとも後ろへ退がることはない。

 迸る輝きが男の道を掻き消そうとも。

 男の目は、一瞬たりとも進むべきしるべを見失うことはない。

 ただ午後の陽射しを透かすように、微かに目を細めるだけだ。

 あらゆる心の摩耗に耐え抜いて。

 あまねく心の喪失を乗り越えて。

 そこまでしてなお、無数の傷を負ってきたのだ。

 己の傷より沢山の遺志を、その双肩に背負ってきたのだ。

 そうまでしてなお、大量の血を流してきたのだ。

 流した血で滑り落ちることのないように、両手で想いを抱えてきたのだ。

 だからこそ、男は遂に此処まで至ることが出来たのだ。

 例えその身は一人きりになったとて、その魂は一つではない。

 だからこそ、男は歩み続け、進み続けることが出来る。

 このしきのことで、男が怯む理由は一切無い。

 これ程度のことで、男がたじろぐ道理は断じて無い。

 男を信じるみんなの魂が、男の心と遺志を深く強く支えているのだから。

 そう、思っていた。

「この世ならざるとは、まったくよく言ったものだな」

 門の内へと足を踏み入れた男は、ゆっくりとそう呟いた。

 心の裡を捻じ伏せて、呆れたように装いながら。

 朱に染まる軌跡を内へと引き摺り、赤き道程を外から引き連れ、男は世界の境界を踏み超える。

 その、瞬間だった。

 

 底無しの奈落に引きずり込まれるような怖気と共に、男は強制的に

 男が侵した領域は、この聖域のおいてさえもなのだと。

 一息吸えば肺が腐り朽ちる程、不浄を蝕む異常な空気。

 それは正常な者をこそ狂わせる、清浄なる毒気と害意。

 此処こそが、無二の剣が奉じる唯一にして絶対の存在が座す聖座みくら

 その証は男の進む道の終わり、真っ直ぐな歩みの結びに在る。

 男と同じ方向を向きながら、故に男に背を向けてその少女はそこにいた。

 ただ一色だけしかない、色鮮やかな光が雪のように降り注ぐ玉座の御前。

 その姿勢は、男がこの場に侵入してからも微動だにしていない。

 男のことなど、塵芥に等しいとでも言うように。

 そして、事実そうなのだ。

 彼女にとってこの世界はただ二つに分けられる。

 この世界のいかなるものも二つに別つ刃こそ、今男が己の意地を掻き集めて見据える少女なのだから。

 その光を浴びる完璧なる最高位礼拝を捧げたまま、己の忠誠と崇拝と敬愛、そしてそれ以外の全てを奉るたてまつる

 神話の一節、もしくは神と人が本来在るべき姿だったのか。

 そんな幻想を想起させる一人が、神を殺した張本人。

 神殺しの少女だというのだから、そこにはあるのは如何なる皮肉かどれ程の悪意なのか。

 その、魅入られていたわけではない。

 男の集中は極致に達し、少女の動きに持てる感覚の全てを注いでいる。

 だが、何時の間だったか解らない。

 気が付けば、男の目に映るのは何も映さぬ無貌の光。

 あの頃のままの少女の瞳が、男を真っ直ぐに見詰めていた。

「久しぶりですね。最後にお会いしたのは何時でしたっけ。まあ、思い出せないからこそこの挨拶なわけですが。それでも一応お訊きしておきますね。どうでしたか、?」

 初めて出会った頃と寸分変わらぬ少女の姿と声に、男は微かな懐かしさを思い出す。

 しかしそれを遥かに凌駕する程に昏く、重たく、そして鬱々たる恐怖に、男は確かな死の気配を直感する。

 その圧倒的な恐怖は男に牙を突き立て喰らいつく。

 そのまま塵と砕いて呑み込んで逝くように。

 天地を繋がんばかりに極大のあぎととなって、男のすぐ眼前に開いていた。

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