第3話インテルメッツォ-3 恐怖/共符

 男の身体は動かない。

 迂闊に動けばその瞬間、死のあぎとがその身を喰らう。

 だとしても、男の肉体が怯懦に震えることはない。

 男の心は揺るがない。

 蛇蝎の如く、死の気配がその意識に巻き付き絡みつく。

 そうであっても、男の精神が惰弱に慄くおののくことはない。

 だが、それでも男に出来たことは唯ひとつ。

 岩が削れるような音を立て、己が歯を砕かんばかりに食いしばる。

 ただ呑気に立っているだけで小柄な少女。

 心からとの再開を喜ぶように、気兼ねなく屈託なく笑っている。

 そのも、あの頃と変わらぬままだ。

 だというのに、今ここある笑顔には、傷だらけの男に対する心遣いも男の傷だらけの心への気遣いも、どちらも寸毫たりとも感じられない。

 そんな相手を目の前にして。

 そんな相手と対峙しながら。

 それが男に唯ひとつだけ許された、それだけが唯一出来る限りの抵抗であるかのように。

 男の正面に位置しながらも、少女は男の手の届かぬ位置にある。

 一方的な声のみが届きうる、その姿を目に入れることしか出来ぬ開きがある。

 男の長駆をもってしても、その開きを埋めるには未だ両手の指では歩数が足りない。

 その手を伸ばし届かせるためには、手に入れ掴むためには今なお遠い。

 それはこの二人ならば、須臾しゅゆにも等しい刹那の間合い。

 それは今の二人にとって、互いに言葉を交わし触れ合うには遠すぎる間隙。

 何よりも、そこあるのはを要する空隙。

 だからこそ、その隙間が縮まることは絶対にありえない。

 男には、その意志も意識も所以もあるが。

 彼女にとってそんなものには、意味も理屈も利益もなく、その価値すらも何もないのだから。

 そしてそれこそが男を信じた者達にとって、最大の裏切りに他ならないのだから。

 そうして今ここに横たわるのは、共に肩を並べて歩んだ過去と、背中を向け合い決別してから至った現在

 そしてここまでの二人の宿業と絡み合う因縁の全てが、二人あいだに久遠の隔たりを生んでいる。

 それはそのまま心の溝となり、互いに到達しえぬ深淵となって深く鋭く刻まれている。

 だが、現実の距離はそうではない。

 歩み寄らず、触れ合わず、ただその首に手を届かせるだけならば、その命を掴むだけならば。

 男にとって、一瞬、一足、一呼吸で詰められる工程に過ぎない。

 その過程で詰むことが出来る程度に過ぎない。

 しかし、その程度に過ぎないはずの距離が。

 果てしなく遠くに感じる。

 その過程で詰める程度のことが。

 どこまでも難しく思える。

 例えどれだけ歩みを進めてようと、辿り着ける気がしない。

 まるで前だけを見据えたままに、背後へ進み続けるよう。

 進むべき一歩が、前へ向かって踏み出せない。

 その理由は唯ひとつ。

 彼女が、その目で男を見詰めている。

 その視線を男に向けている。

 ただ、それだけに過ぎない。

 だが、真に恐怖すべきはその事実。

 彼女は男に

 彼女と相対しているだけで、押し潰れそうな重圧と締め付けられるような圧力が男を責め苛む。

 その小柄な身体から抑え切れずに漏れ出す僅かな鬼気が、粘りを伴いまとわりついて男の心身を侵食していく。

 この極絶を振りほどき引き千切るのは、流石の男にとっても容易なことでない。

 如何に魔王と呼ばれし男といえど、容易く出来ることではない。

 ただそこに在るだけで世界を一変させる存在感。

 男に恐怖を感じさせているのは「死」ではない。

 幼さとあどけなさを残したままの純朴。

 素朴ににっこり微笑んでいる小柄なこの少女こそ。

 皆が最強と讃え誰もが無敵と誇った魔王がこの世で真に恐怖する、極限をも怪物なのだ。

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