最期のカレー

@hamapable

第1話

 終末が予告されたのは、5年くらい前だっただろうか。


 地球よりも大きな隕石が…いや、それはもはや隕石では無い気がするが詳しいことはよくわからない…落ちてくる というよりぶつかるといったほうが正しいと思うが、とにかくそれが避けられないことがわかったのが、5年くらい前だった。

 多くの人は半信半疑で、さらに多くの人は全く信じなかった。国際会議が何度も開かれるうちに、半信半疑の人が増えていった。ついに空に隕石が見えた日も、やはり多くの人が半信半疑だった。最近では月の双子といった大きさで観測できるが、しかしあれが落ちてきて死ぬのだという実感はあまりなかった。


 陳腐なSFにあるように、変な宗教が勢力を伸ばしたり、暴動が起きたり、宇宙船が建設されるなんてことはなかった。おそらく地球上の殆どの人は、隕石が出現する前と同じ生活を送った。いや、俺の知らないところで、誰かが隕石と戦ったり宇宙船を建設したりしているのかもしれないけれど、とにかく今日も昨日と同じ生活をするんだという社会的な圧力が感じられた。そうすることで明日がくるんだというような。

 俺も朝起きて会社に行き、終電で帰宅してコンビニ飯を食って寝て、休日は近所のサウナに行くという生活をあいも変わらず続けていた。ただなんとなく、都合が合えば昔の友人に会うことにしていた。昔の友人と、思い出話をし尽くせば、後悔なく滅べるような気がしていた。…万が一滅ばなかったとしても、思い出話をしたことが無駄になるなんてことはないだろう。


 用田と会える約束ができたのは意外だった。昔の友人と飲むようなタイプではなかった。同窓会の誘いもすべて無視しているようだし、同級生に聞いても用田が今何をしているのか正確に把握できている奴はいなかった。SNSもやっていないようだったが、中学のころのメールアドレスにメールしたら、なんと返信があった。

 用田は小中の同級生だ。当時から変わった奴だった。頭も顔も運動神経も良かったが、とにかくなにかに執着すると終わりのないやつだった。小学校入ったばかりのときにどんぐりを集めるのがすこし流行ったが、あいつは中学の卒業式でもどんぐりを探していた。


 約束の時間を30分は過ぎていた。自分が約束の時間を間違えたんじゃないかと不安になり、メールを見返した。何度見返しても、約束は今日の18時で合っている。

「よしかわー!」

急に名前を呼ばれて、顔を上げた。

「よしかわー!よしかわー!」

知らない男が、俺の名前を叫んでウロウロしていた。ぎょっとしたが、あんなことをしそうな男を知っている。

「用田!」

あまり大きな声を出せなかったが、用田はこちらに気づいて近づいてきた。

「叫ぶなよ恥ずかしい」

「ああ…でももう20年以上会ってないから、顔みてもわからないと思って」

名前なら変わってないと思ったから、呼んだんだ。用田は相変わらずだった。

「とにかく…久しぶりだな」

用田は毛玉だらけの黒いスウェットに、濃茶のチノパン、信じられないほどボロボロの白と蛍光グリーンのスニーカー。すごい格好だな、というのをぐっと堪えた。

「お前、酒飲めるのか」

そもそも飲みにいく約束をした30代の男二人だ、そんな確認は普通しない。だが、用田の顔を見た瞬間、とっさに俺の口からはそんな言葉が出た。用田の顔は記憶の中の、中学のころと全く変わらないように見えた。

「ううん、まあ旨い酒なら飲める」

飲めるようだった。


「急になにか用なの」

駅前の安い居酒屋にでも入るつもりだったが、用田は自分の馴染みの店があるからと譲らなかった。オフィス街をずんずん進んで、鏡でできてるんじゃないかってくらいピカピカのビルの最上階まで昇ると、ジャンルはよくわからないがとにかく高級そうな料亭に入ったのだった。

「よしかわだからさ、宗教とかマルチとかでは無いと思ってきたけど…」

個室の座敷に通されるなり、何も食べていないのに用田は爪楊枝で口の中を弄り始めた。

「いや、今こんなんだからさ、昔の友人に会って回ってるんだ」

宗教やマルチを疑われたのは初めてではなかった。急に昔の友人が理由もなく連絡してきたら、まずはそれを疑うのは至極真っ当だ。

用田は俺の言ったことを理解できないといったふうに少し首を傾げたが、それ以上追求する気もないようだった。

「用田と連絡つくなんて思ってもみなかったよ」

少し足を崩した。

「ちょっと家に籠もってた。研究してることがあって…」

「研究?」

「ちょっと前からさ、旨いカレーをつくりたくて、色々試してた」


…カレー?


「それでずっと家にいて、誰とも連絡とってなかった」

色々と理解が追いつかなかったが、とにかく俺の口から出た言葉は

「え、今日は…今日はカレーつくらなくて大丈夫なのか?」

用田はにっこり笑った。

「究極ってわけじゃないけど、まあまあ納得できるのが先週できてさ」

「そうか」

だから俺からのメールに返信したのか。


「食べる?」


「えっ?」

用田が俺の顔を覗き込んでいる。

「てか、食べてほしいんだ。客観的な意見が欲しくて、それで今日来た」

どこからかラップで包んだカレーを取り出し机の上に載せた。…容器にすら入れていない。

「え、これお前作ったカレー?」

「そう」

「俺あんまスパイスとかわかんないんだよね、パクチーも駄目なタイプだし」

我ながらよくわからない言い訳だが、とにかくラップに包まれたカレーが小汚く見え、あまり口に入れたくなかった。

「俺もスパイスとかわかんないから大丈夫」

スプーンが要るな、と用田は店員を呼んだ。店員というのが正しいかはわからないが、用を聞いた着物の女性はすぐに小さなスプーンをひとつ持ってきた。

「世界が終わろうってのにカレー作ってたのか」

「んっ?」

スプーンにカレーをすくい、差し出しながら用田は首を傾げた。

「なに、世界終わるの。お前意外とSFみたいなこと言うんだね」

もはや食べるしかない。

「…じゃあ、いただきます」

舌先でスプーンを舐めた。


 旨い。


なんだこれ、旨い。なにがどうとは言えないが、懐かしいような、食べたことが無いような、もっと食べたいような満腹になったような、とにかく旨い。カレーはすっかり冷めていたし、具なんてものは無かったが、とにかく旨い。

「旨いよ」

「だろ!?」

用田が座ったまま飛び上がる。

「なんだろう、とにかくカレーの味だ。それしかわからない。旨い」

旧友のために具体的な感想を言いたいが、舌も脳も味を理解していない。

「そりゃカレーだから」

用田はゲラゲラと笑った。

「でも、よかったよ。この方向で行く」

「まだやるのか。十分旨いよ」

スプーンを舐りながら俺はもう褒めることしかできなかった。

「俺はもうこれが最期のカレーでも良いと思ったよ」

「よしかわ、なんか変な宗教にでも入ったのか?世界が終わるって本当に思ってるみたいだ」

用田は笑ったままだった。俺はもしやと思ってスプーンを咥えたまま聞いた。

「用田、このカレーを作り始めて何年目だ。つまり、お前が家に籠もるようになってから」

「大学出てからすぐかな」

用田は笑ったまま、大学のそばにあった美味いカレー屋が潰れたのがきっかけだと話した。

「そうか、最近だと思ってたけど、10年近く前か」


ビルから出るなり、用田は空を見上げた。

「ああ、あれか。月じゃなかったんだ」

俺は隕石を見上げる用田の横顔をぼんやり見ていた。

「じゃあ、帰る。カレーもっと良くなったら、また食べて」

あっけなく踵を返すと、立ち尽くす俺を放って用田は駅へと歩き始めた。

「用田!」

旧友の背中に俺は声をかけた。

「お前、今もどんぐり集めてるのか?」

振り返った用田は困ったように微笑んでいた。

「今は量より質かなって考えててさ」

そうしてポケットから何かを取り出し、俺に投げた。

「それやるよ。とっておき」


瑠璃色に光る、宝石みたいなどんぐりだった。

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