第四冊 福沢諭吉『学問のすすめ』

【読む前の状態】

 みんな大好き諭吉さん! わたしも大好き。最近じゃもう次の(一万円札の)お顔の渋沢栄一に心奪われてるひとが多いけど、わたしはまだまだあなたのとりこ。ずっとお財布の中にいてね。いえ、たとえ出て行ったとしても必ず戻ってきてね!

 ……ってなことはさておき、『学問のすすめ』が明治初めの本だってことくらいは知ってます。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。確か冒頭がこの有名な文章のはず。続きは知らない。うーん、ちょっと不安になってきた。でも勇気をもって挑戦だ!


【それではいざ実読!】

 アレクサ、百分のタイマーして!


【百分後】

 アレクサ、ストップ!

 

 読めたのは全体の40%。

 

 いやあ、熱かった!

 この本がこんなに熱い思いにあふれた本だとは知らなかった。


 江戸幕府の政治から、明治政府の政治へ。士農工商は廃止され、四民は平民、平等に。鎖国は終わり、外国とも上手くやっていかなきゃならない。

 そんな時代の中、自分自身がまず誇りに思い、そして世界にも胸を張って誇れる素晴らしい国日本を作っていきたい。

 諭吉先生の強い意志を、それこそこの本のもう一文一文から感じるんです。


 さて、日本が素晴らしい国になるためには何が一番大事で必要なのか。

 それは日本の人びと全員が学問して「独立」すること。

 諭吉先生のいう「独立」とは、知識や財力において人に頼り切りにならないこと。

 自分から積極的に勉強して知識を蓄え、自分で稼いで生計を立てる。

 そして学問っていうのは字を覚えて書物を読むだけのことじゃない。そろばんのはじき方や帳簿のつけ方を覚えるのも学問。ひとに礼儀正しく接してコミュニケーションを取る方法を身につけるのも学問。日本だけじゃなく世界の歴史や地理を知って時代の流れを理解するのも学問。

 もちろん、書物を読むことは大事。でもね、論語や古事記を暗誦できても、今日の米の相場(現在でいったら日経平均株価や為替相場?)を知らないんじゃ、それ身になる学問してるとは言えないよって。西洋の学問に全然触れないまま、いざ外国人を見たらびびってアワアワするようじゃだめだって。


 諭吉先生、学問しない人びとのことを「愚民」「身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ」「恥も法も知らざる馬鹿者」なんてだいぶ強い言葉で非難してます。

 

 日本人のひとりひとりが学問して「独立」して、ようやく日本という国が「独立」を果たすことができる。外国とも対等に渡り合える。

 

 そう、学問が大事だってことは明治政府も分かってて、そのためにたくさん学校作ったりしてる。なのになかなか人びとの学問の程度は上がらない。なぜだろう?

 

 理由についての諭吉先生の考えをわたしなりに要約すると、次のような感じ。

 

 それは長い間江戸幕府をはじめとするいわゆる“おかみ”を人びとが恐れ、自分から何かを進んでするということに臆病になっているからだと。

 お上にとって賢い人民なんて扱いづらいだけ。それどころか自分たちの政権を転覆されちゃう危険性だってある。だから厳しく締め付ける。人々は生きていくため愚かな民を演じ続け、ときにはお上の目を欺いたりしてきた。それがあまりにも長く続いちゃったせいで、いつの間にかもう自分たちはそういうものと思い込んでた。お上のために命を懸けるなんて心の底ではまっぴらごめん! と。


 でもね、そんな“お上”の時代はもう終わったんだよ!


 これからはね、政府と人民とは対等なんです。

 いや、本当は今までだってそうだったんだけど、誰も言い出せなかった。

 政府が法でもって人民を保護するのが人民にとってありがたいことなら、人民が年貢だのの税を政府に納めるのも政府にとってありがたいこと。

「一方より礼を言いて一方より礼を言わざるの理はなかるべし」。

 いいこと言う! 諭吉先生。


 政府が人民を大事にしてくれるなら、人民も政府を大事に思う。国を誇りに思う。愛せる。

 

 で、諭吉先生自身は人びとがまだやっぱり対等とは思えない政府の機関に身を置くのではなく、わたくしの立場から人びとの学問を後押ししますよ、それがわたしの使命ですって。

 

 なんだかこの『学問のすすめ』、現在の世の中にもいま一度大事なことを教えてくれているような。

 

 待てよ、そんなふうに感じるのはこうともいえる。つまり、明治のはじめから百五十年以上経っても日本の国は、国民は、それほど進歩していない、と。


 現在の日本のありさまを見たら、諭吉先生なんておっしゃることでしょう?

 

 それから。

 言葉が文語体っていうのかな、古文みたいで難しかったけど、読んでいるうちにだんだんと言い回しに慣れていきました。~べからず。うん、すべきでないのね。~ざるべからず。二重否定、つまりすべきなのね、ってな感じで。“しかるに”は“しかし”で、“畢竟ひっきょう”は“結局”の意味。

 と思っていたら、第五編のはじめに、この本は小学校の教科書にしようとして書いたから文章だいぶ易しくしたよ! ってなこと書いてあってショック。え、明治の子どもたち、こんな漢文の読み下しみたいな難しい文章読んでたの!?

 

 さて、このあとは『百分de名著』視聴タイムです。


【視聴後】

 諭吉先生の経歴をさらっと知ることができました。

 幕末。下級武士の子だった諭吉先生。蘭学をしっかり学んだけど、いざ江戸で西洋人に会ったら言葉が通じない!

 そうです、もう時代は英語を必要とする時代に。一生懸命学んだオランダ語が役に立たないと知ってショックを受けた先生。しかし独学で英語を学びます。そして実際海を渡り西洋の国々を自分の目で見てきた。

 

 わたしが読んだ部分まででは「独立」がとても重要なキーワードだったのですが、後の部分では「人間交際」という大事な言葉も出てくるようで。

 「人間交際」。人びとが互いに関わり合うこと。英語のsocietyを訳した言葉。

 独立した人びとはそれぞれが自分の生活に満足して終わり、じゃだめなんだよと。

 もっといい世の中になるよう、それぞれの得意なことを尊重しつつ互いに関わり合い、意見を出し合っていかなきゃ。


 自分の意見を出す。人前で。


 諭吉先生は特に大勢の前で意見を表明する演説を重要視していたとのこと。

 演説するためには物事をよく観察し、推理し、いろんな本を読んで情報を集め、それを周りのひとと議論してより理解を深めなくてはならないわけで。


 おお!

 学問と人間交際の実践が演説なのか。


 当時の日本人も苦手だったようですが、現在でも多くのひとが演説には苦戦しているのではないでしょうか。かくいうわたしも大の苦手!


 でも独立した人間になりたいな、とは思う。そしてこんなわたしでも社会の一員として何か役に立てることはないか、あってほしいな、と。

 もしあるならそれに全力で挑みたい。


 あ、なんだか諭吉先生の情熱が乗りうつったかも?


【続きどうする?】

a:読む。

b:読まずに次の作品に進む。


 今回はaを選択。

 本を読むだけでは身になる学問をしているとは言えない。

 でもその本すら読み終えてないなんて、それこそ諭吉先生に馬鹿者! と怒られちゃいそうだから。


【今回読んだ本】

福沢諭吉『学問のすすめ』青空文庫Kindle版

※本文中の「」内はすべてこちらの本からの引用です。

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