第二冊 『論語』

【読む前の状態】

 孔子サマのエピソード集きたー。言葉難しそう。読むのしんどそう。

 『論語』っていう本を読むのは初めてだけど、中国古代の思想家孔子に関する書物だってことは知ってるし、“学びてときにこれを習う”とか漢文の授業で内容少しかじってるんだから、あんまり身構えないでも大丈夫かなあ?


【それではいざ実読!】

 アレクサ、百分のタイマーして!


【百分後】

 アレクサ、ストップ!


 読めたのは全体の39%。


 最初ね、読み始めてすぐに後悔したんです。なんで岩波文庫のお堅い感じの本選んじゃったんだろうって。他に初心者向けに解説がたくさんついている本とか、重要なポイントだけをまとめた大人の教養本みたいなのもいっぱいあったのに。


 でもね、読み進めているとだんだんと面白くなってきたんです。

 それはなぜかというと、さっき例として上げたようなダイジェスト本にはおそらく載らないであろう孔子サマのちょっとした日常エピソードみたいなのがたくさん出てきたから。

 もちろんほとんどのエピソードは「仁」は大事だよ、「礼」は大事だよってことについてなんですが。

 この仁と礼、意味が分かりづらいですよね。少なくともわたしが読んだ部分までには、仁とは~~である、礼とは~~のことをいう、などと明確に定義づけしている文はなかったと思います。

 そこでわたしは今回読んでいる本についていた註をもとに、仁はまごころ、礼は冠婚葬祭などの儀式の際の作法やしきたり、と自分で置き換えながら読みました。


 さて、そういった仁や礼の大事さについて説く孔先生(今回読んでる本では“”を先生と訳しているので孔子サマのことはこう呼ぶことにします)ですが、世の中の人たちそのこときちんと分かってない! いい加減にしてる人多い! ってたびたび嘆きます。

 完璧なイメージのあった孔先生の人間的な横顔が見られてなんか嬉しい。


 それからしょうというむかーしの音楽を聞いたときのこと(あ、この時代の音楽っていうのは芸術ではなく儀式の際に鳴らす音楽、つまり礼の一部のようです)。

 孔先生、韶のあまりの素晴らしさに大感激! もう韶にどハマりで、どれくらい夢中になったかというと、お肉食べても味しないくらい。それってもう恋じゃね?

 

 あとなんといってもたくさんいるお弟子さんとの一コマが面白い。

 宰予さいよというお弟子さんが怠けて昼寝してたら、先生、「宰予は叱ってもしょうがない」なんて言うし。

 そんなお弟子さんたち、みんなとにかく孔先生を超絶リスペクト。

 孔先生も子や孫ほど年の離れたお弟子さんたちについて、「あいつは~~だ」「あいつは~~に向いている」ってそれぞれ結構はっきりした評価する。

 なんかそこにお弟子さんたちに対する愛情が感じられるんだよなあ。

 だってそれってひとりひとりをちゃんと見てるってことでしょ?

 

 このお弟子さんたちの名前が子夏しか子路しろ子貢しこうと、子のつくのが多くて最初誰が誰だか? って感じなんですが、孔先生との会話を見ていくとだんだんとそれぞれのキャラが分かってくる。とにかく勉強熱心な人、やんちゃな人、抜け目なく弁が立つ感じの人、みたいに。


 ちなみにわたしの一押しは子路さんです。

 子路さんはお弟子さんといっても孔先生より九歳若いだけの人で、他のお弟子さんたちに比べるとだいぶ年いってる。しかももともと任侠の世界にいたおひと。

 そんな子路さん、先生が自分のことほめてくれるとすぐ嬉しさ顔に出す。

 孔先生が「世の中道理が通らないし、もういっそいかだでも作って海に浮かんじゃおうかな、そしたらついてきてくれるのは……子路かな?」なんていったら喜んじゃう。で、先生においおい調子乗んなよ、みたいに注意される。

 先生が死にそうに具合悪かったから、ほかのお弟子さんたちを先生の“家来”にしたてて最後を立派に見送ろうとする。で、少し回復した先生に「まったく、子路がでたらめなことしてるよ。そういうの必要ないから!」ってなこと言われちゃう。


 こういうほんわかだったり、わちゃわちゃだったりする弟子とのエピソードを楽しんでいたら、タイマーが鳴り、百分間読書終了。


 そうそう、いまいちよく分からなかったのは、それぞれの章の違い。

 同じようなことを言ってる文章が、別の章にもあったりする。時系列で各エピソードが並んでいるわけでもない。

 章のタイトルは、単にそれぞれの章の冒頭にある文字から取ってつけたみたいだし。


 さて、このあとは『百分de名著』視聴タイムです。


【視聴後】

 なーんだ、仁はやっぱりよく分からないものなのか。孔子自身も分かってなかった可能性があるのね。そういや『論語』の中でも「お弟子さんの~~は仁者ですか?」と訊かれて、孔先生「分かりません」って答えてたし、お弟子さんも「おたくの先生は仁者ですか?」と訊かれて「分かりません」って言ってたな。

 だったらわたしなんかが分からなくてもしょうがない。とりあえず人として持っていたら最高の徳、ね。そうすると今度は徳って何? って思っちゃう。道徳、人徳なんて言葉は現在でも使うけど。

 今調べました。徳とは優れた品性、恩恵、良い行い……。

 うう、ますます混乱。

 でもあんまりここで立ち止まってても時間がもったいない。

 もしかしたら徳について語る本がこれから名著として紹介されるかもしれないし。

 うん、ひとまず先に進もう。


 と言っておいて、もう一つだけ。

 それは『論語』の扱い方についてわたしが覚えた違和感のこと。

 なんかね、『論語』を逆境を乗り越えるための人生訓、現代のわたしたちにも役に立つ言葉がいっぱい! っていう感じで紹介するのはちょっと違うような気がするんですよ。その扱いはかえって『論語』の力を矮小化してない?

 役に立つか立たないかじゃない。まごころの大切さを読むひとのまごころに訴えかけて呼び覚ます書物だと思うんです。

 あるいは儒教という宗教の、およそ二千年間東アジア一帯の人々の精神を支配した宗教の恐るべき経典の一つであって、ではこの書物のどこにそんな力が秘められているのか、みたいなそんな切り口の紹介も併せてしてほしい。


 なんてやっぱり偉そうでしたね。

 少なくとも半分もきちんと読んでいない、しかもその半分以下を孔子と弟子との日常物語として読んでいた人間のできた発言ではなかったですね。すみません!

 

【続きどうする?】

a:読む。

b:読まずに次の作品に進む。


 今回はaを選択。

 わたしの中の“仁”がそうしろと囁くのよ。


【今回読んだ本】

『論語』金谷 治訳註 岩波文庫Kindle版

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