第一冊 ニーチェ『ツァラトゥストラ』

【読む前の状態】

 ニーチェさん、はじめまして! あなたの作品読むの今回が初めてです。

 ええと、これ小説じゃなくてジャンルとしては哲学? やば、難しそう。

 そもそもツァラトゥストラって何?


【それではいざ実読!】

 アレクサ、百分のタイマーして!



【百分後】

 アレクサ、ストップ!


 読めたのは全体の約21%。


 ああ、難しかった。正直しんどかった。

 出だしは良かったんですよ。一番最初にツァラトゥストラっていうのは主人公の男の人の名前だよ、と明かしてくれたし。

 ツァラトゥストラさん(以下ツァラさん)は三十代でふるさとを捨て山にこもった。そこで十年間知恵を貯えたそうな。どんな知恵かは具体的には書かれてない。

 そんなツァラさん、溢れんばかりの知恵を身につけた結果、それがもうわずらわしいぐらいにまでなってしまった。そこで今こそこの知恵を人びとに配りたい、贈りたい! ってなんかもう自信満々のキラッキラな感じでついに山を下りる。


 で、行く先々でいろんな人に出会うんですが。


 まずツァラさん、山の中で世捨て人のおじいさんに出会います。

 おじいさんは神様を信じています。おじいさんは自分が愛するのは神様であって人間ではないと言います。

 ツァラさんはそんなおじいさんとわりと和やかに会話して最後は笑って別れるのですが、そのあとおじいさんについてこんなふうに思います。


 彼はまだ知らないのだ、「神が死んだということを」。


 おおー! 神は死んだ!

 有名な言葉出てきた!


 一気にテンション上がったわたし。

 

 ところがこのあと話はだんだんと難しくなっていきます。


 最初に入った町で群衆に向かって「超人」について話し出すツァラさん。


 なになに!? 超人って!

 まだ神様が死んだっていうのの理由も聞いてないよ?


 ツァラさんは「超人は大地の意義なのだ」とか「超人は大海である」とか、超人は「あなたがたをやきほろぼすような稲妻」だとか何度も例えかたを変えて長々と説明するのですが、民衆は彼の話を理解しません。ツァラさんは悲しくなります。


 でもね、すみません、わたしも全然理解できなかったです。

 だってあまりにも例えを繰り返すから、いまなんの話してたんだっけ? ってなる。で、その例え一つ一つがちょっとイメージしづらい。挿し絵があったらよかったのに。

 しかも読み進めているうちに今度はわたしのほうが悲しくなってしまった。それはツァラさんがこんなふうに呼びかけたからです。


「おお、男性のあなたがたよ」。


 あれ? 女のわたし、お呼びじゃなかった……? ここまで頑張って読んできたのに。


 もうテンションだだ下がりで読むの止めようかと思ったけど、まだ百分経ってない。しょうがない、あとちょっと頑張ろう。


 そんな少しへこんだ感じで読み続けてたら、思わずふふっと笑ってしまうような場面が出てきました。

 それはツァラさんが老婆から女について訊かれたときのこと。

 最初ツァラさんは「女については、ただ男にだけ聞かすべきだろう」と話したがりません。でも老婆にもう一度お願いされてこう答えます。


「女は何もかも謎だ」。


 あれ、あなた、ありとあらゆる知恵を身につけたのでは? それでその答え?


 さらに男性にとって女性は「もっとも危険な玩具おもちゃ」だとか、「どんなに甘い女性でも、やはり苦いものだ」とか言う。


 こ、これは、もしかして……

 女となんかあったな、作者ニーチェ


 ツァラさんの言葉に老婆は感心した様子で言います。「ツァラトゥストラはあまり女を知ってないのに、しかも女について正しいことを言う」。それから、「もっとも、女はどうにでもなれる、というから、見当違いがおこるはずもないけど」。


 見抜かれてますぜ、ツァラのダンナ! 


 こんなちょっと可笑おかしい場面(個人の感想です)があって、また少し気持ちが浮上。

 するとこのあと神は死んだくらい衝撃的な言葉に遭遇。

 それは死についてツァラさんが語った中にあった言葉。

 ツァラさんは遅すぎず早すぎずに「ふさわしいときに死ね」と言います。どうも人として充分習熟したときに死期が来たらいいよね、人生に目標があって、それに向かって生きて、そしてその目標を引き継いでくれる後継者がちゃんと育ったそのときは、もう安心していつ死んでもいいぐらいだよね、ってなことを言ってるんじゃないかとわたしは思いましたが。

 さて、そのあとです。


「まことに、あのヘブライ人はあまりに早く死んだ」。


 あ、あのヘブライ人って、まさか……。


「あのヘブライ人イエスは」。


 大丈夫!?

 それ言っちゃっていいやつ!?

 まあ、神は死んだ発言もかなりヤバいと思ってたけど、イエスサマのこともあのヘブライ人呼ばわりなんて。

 そういやこの本が書かれた時代背景とか知らないけど、ニーチェさん確かドイツ人よね。ドイツでこういう発言して立場的に苦しくならなかったのかなあ。


 と、この辺りでタイマーが鳴り、百分読書を終了したわけです。ああ、本当に脳みそ疲れた!


 さて、このあとは『百分de名著』視聴タイムです。


【視聴後】

 ほらやっぱりニーチェさん、女に振られてたじゃん!


 作者のニーチェさん、ドイツの男の人でした。生まれたのは1844年。そのころ日本は江戸時代。幕末。

 子どものころから頭がよくて、なんと24歳で古典文献学っていう学問の大学教授に。

 でも天才ニーチェ、ちょっと先走っちゃった。当時の古典文献学のやり方とは違う感じの本を書いて、周りから笑われちゃった。体調も崩してスイスやイタリアに。イタリアでキレイで知的な女の人に出会い、彼女にぞっこん惚れ込んだ。で、振られた。

 そのあと書いたのが『ツァラトゥストラ』。ニーチェさん39歳のときのこと。


 この『ツァラトゥストラ』は、聖書に代わる新たな価値観を提示する書なんだそうで。

 キリスト教的な価値観、神様がいて、その神様の教えを守って心清く生きる。

 それだと自分のこと、自分が快活に生きること、を考える余地がない。

 でもニーチェさんはやっぱり自分がわくわくするような人生生きたいよねって。で、赤ちゃんみたいに自分のわくわくすることに全力で向かっていく人が超人ってことらしい。


 それにしてもニーチェさん39歳ってことは1883年。日本は明治維新後。世の中が仕組みもものの考え方も大きく変わった時期。それこそドイツをはじめ欧米諸国に学べ! って感じのころで、森鴎外とかドイツに留学してましたよね。

 ヨーロッパではニーチェさんだけでなく、科学の発達なんかによって、神様はいないんじゃないか? って考えはもう出てきてた。ニーチェさんはそれを神は死んだという言葉で人びとに知らせようとした。

 でも神様がいないんなら、これから何をりどころとしたら? どうせ神なんかいないんだからとみんな自暴自棄になってもだめよね、そこで超人目指さない? ってニーチェさんはそんなふうにさらに新しい価値観を提示してたんですねぇ。 


 番組内では永遠回帰なんて言葉も出てきましたが、これはわたしが読んだ部分ではまだ語られてなかった内容だなあ。


 あ、あれ?

 なんか続き読みたくなってる!


【続きどうする?】

a:読む。

b:読まずに次の作品に進む。


 もちろん今回はa を選択。だって今ならわたしにも哲学の本読めるんだ! って思えるから。


 こんな読書の仕方は邪道かもしれない。

 でもふだん自分では絶対手に取らないジャンルの本に挑戦することができたし、自信もついた。

 うん、続けよう。



【今回読んだ本】

『ツァラトゥストラはこう言った』上下 氷上英廣訳 岩波文庫Kindle版


※本文中の「」内はすべてこちらの本からの引用です。



 

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