2021年・言い訳みたいな追記です
コメントでご指摘された通り、『小説以前の問題』という言葉は誤解をまねくと思いましたので、追記です。
私が書いた『小説以前の問題』で言いたいのは、
『私は、思考そのままを書いて投稿してきたら一次も通過しなかった。
通過するためには他者が読める文章に整える必要があるようだ。
最低限これだけおさえておけば他者も読めるらしい。
それを知るまでに私は長い時間がかかったので、まとめておこう。
ついでに似たことで悩んでいる誰かの助けになったらいいな。』
それだけです。
本文は2006年に書き上げたもので、もうどういう流れだったか具体的には忘れてしまったけれども、個人サイトとしての文字書きサイトつながりで『文字書きの主張』というのがあって、自分は当時のそれまでを「『小説以前の問題』という言葉に出会う前と出会ってからどうなったか」をまとめたいと思って書いたのでした。
『かくかくしかじか』(東村アキコ著)という漫画を読んで、「こういうのが書きたい」と思ったからでもあります。
2006年当時、もう少ししたらリアルが本格的に忙しくなって物理的に書けなくなりそうだったのと、AQAのあと燃え尽き症候群ですでに書けなくなりかけていたのもあって、再び一次小説を書けるかどうか自分でもわからなかった。
(この燃え尽き症候群についてはAQAのあとがきに詳しく書いています)
せめて習ったこと気づいたことを忘れないようにまとめて書いて、別の人や、未来の自分に託そう、これだけ頑張ってきたことは無駄じゃないはず、と、自分をなぐさめるみたいな、卒論みたいな、とにかく一区切りな気持ちでした。
『小説以前の問題』の内容は、過去の文章です。
あらすじやはじめににも書いてありますが、2006~2011年にまとめたものです。
(最初に個人サイトにあげたのが2006年、2011年にFC2小説さま、2019年に小説家になろう様、2021年にカクヨム様です。upした時期に近況を足していっています)
だから『小説以前の問題』という言葉を見かけたのは十五年以上前になります。
現在の小説界とはまったく違います。
回顧録とした方が良かったのかもしれません。なにか良いタイトルを考えついたら追記しておきます。
「『小説以前の問題』」
↓
「『小説以前の問題』をめぐる奮闘記」
に変更しました!
それと。
決して、
「一次を通らなければ小説ではない」と言いたいわけではありませんよ!
(自分もなかなか通らないし、むしろネット小説を読んできて、通る通らないは関係ないと感じました。情熱のある作品、自分には書けない作品、どの作品も尊敬しております!)
「芸術的な文体など必要ない」など思ってもいませんよ!
(書けるのスゴいと思っています! 美しく書けない自分が残念でなりません)
「意味不明な文章は悪」考えてもいないです!
(自分の思考が意味不明ですから! 選択肢を選ぶゲームの、選択肢が何十個も混ざっているみたいな感じで、会話はヤバいレベルですし、コメントさえ推敲重ねても微妙ですから!)
「小説以前の問題をクリアしてなきゃ書いちゃいけない」など、とんでもない!
繰り返しますが、誰かの思考や文章を否定するつもりは一切ありません。
素晴らしい文章でなければ小説たらしめない、とかナイですから!
(フリじゃなくて! 言葉通りに!)
ネット小説が単一な作品しかなかったら、自分すでに生きておりません。
どれだけ多様なネット小説に救われているか!
リアル人間との交流に疲れた自分は、数え切れないネット小説のおかげで生きながらえています。感謝しかありません。書いてくださってありがとうございます!
十年くらい前。
自分がすごくしんどい時期に、文章教室の先生にこぼしたことがあります。
「今は書けても、グチか恨み言になってしまいます」
だからなにも書けません、と。
「それを書くといいですよ」
と先生はおっしゃいました。
「しんどい時にしか書けない文章があります。それを書けばいいんです」と。
その言葉に救われました。
「思っているだけよりも書けば整理されます。ただ書きなぐってもいいんですよ」
そうなんだ、とすごく楽になりました。
書くだけで癒されることは何度も体感しています。
書きなぐった紙をビリビリに破って捨てるのも効果的と聞きます。
自分にとって文章や小説とはひとすじの光に等しいです。
誰かのそれを否定することは決してありません。
ネットに上げるのなら、最低限のネットマナーは必要ですが。
(はい。私自身がもっと気をつけます。すみません)
人の数だけ小説像があり、それぞれの理想とする小説像や、その人それぞれの大切で大事な書く動機を否定したいわけではないのです。
それだけは誤解しないでいただけるとありがたいです。
自分がいまだ書籍作家ではないので説得力がないですが、『小説以前の問題』とは「読み手にとって読みやすいかどうかのライン」なのだと思っています。
『小説以前の問題』の言葉に衝撃を受けてここまでやってこれたので、今では感謝しています。
※
油布 浩明さまからのコメントに、とてもわかりやすく書かれてあったので引用させていただきます。
………↓ここから、油布 浩明さまからのコメント引用↓……
これは正確には『一次審査に落ちる作品は、入賞を検討する以前の問題があります』と書くべきだと思います。それは過去において、ほとんどの場合は小説としての最低限のレベル(完成度)を指していました。これが冒頭の『小説以前の問題』です。
ですが、今は必ずしも同じ意味ではありません。いわゆる異世界テンプレ小説については、テンプレゆえに世界観やストーリーが重要視されていません。どこかで読んだ作品なので、その辺の技量不足は気にならないのです。その代わりテンプレから外れると、読者は急に理解してくれなくなってしまいます。
今は技量的な足切りの基準がゆるくなり、代わりにレーベルの求める作品の幅が狭くなっているように感じます。技術的に高いレベルの作品であってもカテゴリーエラーは一次選考で落ちます。
低レベルなテンプレ作品でも受賞や書籍化ができるのだから、チャンスが増えた……と、単純に考えるのは間違いです。
……↑ここまで、油布 浩明さまからのコメント引用↑……
この短さで、過去と今の小説界の違いをわかりやすく書かれています。
私はこのコメントを読んで色々すごくスッキリしました。
油布 浩明さまの『ウェブ小説とカクヨムについて考えてみた』も、なるほどと思いました。
私自身は、ネット小説界にきてまだ三年目で、最近の流れがわかっておりません。
しかも最初の一年はひたすらネット小説を読んでいるだけでした。
(2013年に二次も書けなくなって2014年にはPCやネットからも遠ざかりました。2018年に友達からなろうサイト様を教えてもらい、半年ほど読み専していて、過去作品をupすることでPCにさわれるようになって、再び書けるようになったのが2019年。数年間、罪悪感みたいなものでPCにさわれず、物語を構築しようとしても途中で霧散してしまっていた)
ネット小説サイトには、大賞作品も無名な作品も同じようにあって、どちらも同じ形式で読むことができます。これは作品の違いがわかりやすいので、本当にありがたいです。
(読むにしても、昔は書籍化した小説を買うか掲載誌を買うかでしか読めず、本や雑誌だと感じが違うしで、傾向と対策を練るのも大変だった)
読み専としてひたすら読んでいる間に、4年ぶりに再び『小説以降の問題』を考えるようになりました。
おそらく『小説以降の問題』はその人それぞれの解答になるんだろうな、と。
逃げみたいな答えですみません。
ネット小説から書籍化には、それこそ小説以前の問題として「しっかりとした戦略がいる」ということは、ネット小説を書くようになって、よくわかりました。書いてネットに置いておくだけでは自宅のノートに書いてるのと変わらない。まず誰かに読んでもらう状態にもっていかなくてはならない。
そのための攻略方法についてはあちこちですでにわかりやすく書かれているので、自分もまだまだ勉強中です。
小説だけ書いていたらいいってわけじゃないんだな、自作品の売り込みもしてこそなんだなと、どれを読んでも伝わってきました。
ネット小説での売り込みは、恥ずかしいことやあさましいことではなくて、むしろ、それくらいしないと読んでももらえない現実を体感する毎日です。
↓以降、最近の私の偏った考えでの『小説以降の問題』を語ります。まとまっておらず思考の垂れ流し状態です。わかりにくくてすみません。お気をつけください。↓
昔聞いた話ですが、イラストレーターは自分の作品を売り込むために、ポートフォリオというのを作るそうです。
今じゃ、かなりうまいイラスト描きが山ほどいます。
そんな中で仕事をとろうとしたら、「私はこんな絵が描けます。これが得意だから、こういう希望にもそえますよ」というのを、印刷したイラスト見本など交えてわかりやすくまとめたものを持ち歩いて、見てもらうそうです。なんなら機会を逃さず渡せるように複数冊。
漫画で読んだだけですが、モデルさんも自分を売りこむために作るみたいです。
自分のプロフィールと写真と強みをわかりやすくまとめたポートフォリオ。
ネット投稿小説サイトは、そんなポートフォリオのまとめサイトにも思えます。
絵は持ち運べるけど、小説は持ち運びにくいし、一目で判断できない。
まとめてあって検索もできるなんて、書き手にとっても読み手にとっても合理的ですよね。
今は小説を書ける人もいっぱいいて、どの作品もそこそこおもしろかったら、そりゃあ売り込みしないと目に入りませんよね。
でも小説は、絵や写真と違って、一目で判断できない。
判断してもらうためには、まず「読んでもらう」というハードルがある。
せめて読んでもらうための努力はしないと、となるわけです。
だから、書き手は自分の方針をどっちか決めたらいいのかなと思いました。
(選択肢は無数に存在しますが、自分がポンコツAIですので二択で考えます)
読んでもらいたいのか、読まれなくても気にしないのか。
→気にしないのなら、趣味として書くことを生涯楽しめそう。書くだけで幸せ。ネットは保存場所という感じでしょうか。
→読んでもらいたいのなら、戦略を練る必要があるし、場合によっては心が折れるかもしれない。
さらに、
売り込みしたくないのか、売り込みするのか。
→売り込みしたくない。わかります。だって自分は小説を書きたいだけです。
→売り込みする。わかります。もっとたくさんの人に読んでもらいたいです。
書いてネットに置いておくだけで読んでもらうには、奇跡か、そうとうの腕前がいります。
でももしスゴい作品でも、まったくの無名であれば、タイトルやキャッチコピーにこらなければ、誰の目にもとまらず埋もれる可能性の方が高い気がします。
もし、わざと有名なプロ作家さんの未発表作品を、名前を別名義にして、タイトルも微妙にしてカクヨム様に投稿したら(それも連載ではなく一回投稿の短編をです)、おそらく誰にも読まれないんじゃないかと思うわけです。
もちろん一人でも読めば作品の素晴らしさに気づく内容で、もしその読み手がレビューしてくれたら、その読み手がSNSで宣伝してくれたら、爆発的に読まれるようにはなる作品だとしてでも、です。
肝心の最初の一人に読んでもらえるかがまず問題だし、その読み手が都合よくレビューするでしょうか?
ハートや☆を入れてくれるかもしれませんが、読んで感動して終わりかもしれない。
私自身が読み専だった時、ただひたすら読んでいただけで、私が評価するなどおこがましい、評価を考えることはわずらわしいと思っていました。
とにかく読みたいだけでしたからね。
だから、書いた本人がなにかしら宣伝努力をしているならともかく、本人もしないことを読み手に求めるのはどうよ? と、思ってしまう。
せめて読んでもらえるように自分から行動しないといけないのだな、とネット小説を書く側になって初めて気づきました。
自分はSNSをしていないし、できれば小説を書くことに集中したい。
それならそれで、タイトルやキャッチコピーに凝るとか、投稿時間を考えるとか、少しでも良い作品を定期的に書き続けるとか、作品を書くことでも出来ることは色々あります。
誰かの作品を読んで感想を書くのも同じです。ぶっちゃけカクヨム様は自分にはハードルが高いです。
でも、なにもしなかったら状況は変わらない。
人目に触れて読んでもらわないことには奇跡も起きません。
「読んでもらう」ができたとして、次は「大賞を目指す(書籍化)」。
『大賞を目指す』とは、ある種のパズルのようなものかと思います。
時間と人の気持ちが止まらずに動いているので、答えが流動的なパズル。
全力で時間をかけて見つけた答えは、時間が動かなければ正解だったかもしれないけれど、流行は移り変わっていくので、すでに答えがかわってしまっているという鬼畜仕様パズル。
(前回の大賞から傾向と対策をしたとしても一年前のデータだし、小説サイトにいきなり違う流行があらわれたりするんですよね!)
そんな流行をものともせず大賞に選ばれる作品は本当にスゴい!
受賞作品に共通しているのは、物語の流れがハッキリしていること。
なろうサイト様には、それに準ずる作品が多くあります(なろう様びいきというわけではなくて、現在の段階でカクヨム作品を語れるほど数を読めていないので、なろうサイト様が出てきているだけです。早く語れるほどカクヨム作品をもっと読みたいです)。
現実に疲れ切った自分には、作者様の主義主張が前面にでている作品よりも、物語が前面に出ていて、要所ようしょで作者様がちらっと顔を出すくらいの作品がちょうど良かった。
(顔を出すは、作者様が文字通り小説に登場するということではなくて、特殊な文体や、作者様の考えのようなものが物語中に出てくることです。癖があるとか、アクが強いとか、独特とか、良くも悪くもなる要素です)
だから私はテンプレ作品にすごく救われました。
賞を狙って書かれた作品には、表だって作者の顔がほとんど見えない。
テンプレなら展開はすでにわかっています。同じながら、さまざまなバリエーションで読ませてもらえるのが面白い。
だから最初はまったく作者様の存在を気にしていませんでした。
ちょっと癒されてから、ようやく作者様の存在に気がつきました。
(ヒドいようですが、それだけ物語に集中できていたのです)
そのあたりから、この作者様の文章は読みやすいな、この文体はちょっと苦手だな、ここらへんは同じ文体だけど、同じ作者様じゃないよね? などと、ようやく物語ではない部分を考えられるようになりました。
ある意味、まるで二次創作のようなテンプレ作品を読み続けたから、二次で感じていた感覚が戻ってきました。
(同じ素材をどう料理するか、二次こそ作者様の色がよくわかるのです。同じ理屈で、矛盾しているようですが、テンプレだからこそ書き手によっての違いが明確にわかります。自分色を出すのか出さないのか。特別出されていなくても、物語のもっていきかたで作者様の考えがうっすら透けて見えるからです)
文体にはこだわりがないので、読みにくくなければそれで良かったのですが、もうひとつあることがわかりました。
もっていきかた。
好きだと感じる作者様には、「きっとこの作者様ならこうしてくれる」という安心感みたいなものを感じます。
だから好きだと思った作者様の作品は、書かれたら読むようになりました。
あの作者様の流れにもう一度のせてほしいからです。
もちろん毎回その流れがあるわけじゃないし、全部同じならそのうち飽きるのかもしれないけれども、まだ飽きるほど読んでいない。
(好きな小説は何回と読み返します。漫画ならもっとです。ええ、自分が変態くさいのはわかっていますよ)
(そしてまた矛盾しているようですが、作者の色が濃い方がいいというわけではないのです。濃過ぎると物語に集中できないので。濃さが物語に必要なら濃くていいのだけど、物語に関係ないのなら作者色は感じられないほうが私はありがたいです)
↑
あくまで私の好みですよ!
で、流れが好きだと思った作者様とは別で、タイミング良く刺さる作品にも出会いました。
自分は勝手に、ネット小説は「魔法の杖(開いたページの言葉で占う本)」みたいに感じています。
市販本の「こうあるべき」という制限がないからか、振り幅が広く、何度もタイミング良く悩んでいることストライクな作品や、新たな扉を開いてくれる作品に出会えて、読んで心が軽くなったり、自分でも思ってもみなかった性癖に気づかされたり、面白い。
そこに☆の多さや流行や賞は関係なくて、今の自分(読み手)にピッタリの内容かどうか、作者様の情熱があるかどうかだけです。
ここまでくると、「大賞を目指す」意味がわからなくなってきました。
ぶっちゃけ、大賞を目指したほうが書くのに制限がかかるのです。
あ。
これは私の感覚で、万人の解答ではありません。
正解を予測する(流行をつかむ)のがうまい方もいらっしゃる。
挑戦そのものに燃える! 縛りが楽しい! 方々だっていらっしゃる。
いやいや我こそが流行だ! な作者様さえいらっしゃる。
むしろそんな方々に素敵小説をたくさん書いてもらって読みふけりたい!
物語だけを必要と感じていた頃にはわからなかったのだけど、物語の公式(型)を知って、無数に自分で妄想しても満足できなかったことから、実は自分が求めているのは物語というカタチだけではなく、物語の向こう側の存在(物語ににじみ出る作者様の人生観みたいなもの)に救われているのかと気づいてからは、無数の作者様の存在が本当にありがたいのです。
ただ、私が正解のために書き続けようとしたら、書くことがよくわからなくなってしまった。
(自分の書きたい方向は売れ筋じゃないとわかってきて、正解に合わせようとすると、勝手に自分の中で縛りができて書けなくなった)
そもそもなんで小説を書いているのか。
よくよく考えたら、自分の目標は書籍化じゃなかった。
自分が感じた心の動きをそのまま伝えたい。それも、できれば、たくさんの人に。
そのためには、昔は書籍化しかなかったけれど、今は無料小説投稿サイトがある。
いったんパズルの正解を目指すのはやめて、自分の好きを極めて書こう! と最近、思えるようになりました。
もちろん、タイミングがあえば書籍化バッチコイですが!
こんな文章を書いてる段階で、書籍化が遠のいてそうですが。。。
(大変リアルよりな話をするなら、月ほにゃらら万の収入という具体的な理想の数字があるため、「生涯で一冊」ならノーベル賞レベルだし、ライトノベルならメディアミックスを狙うしか、という野望はあります)
↑
それだけあったら、きっと心安らかに暮らせそうなので。
でも、今現在の自分の作品が書店に並ぶのを想像すると、「まだ弱いなぁ」と感じるので、明らかになにか足りていないんだと思います。それも整えていきたいです。
あ。
情熱のおもむくまま好き勝手に書いたところで読まれないというのは、もうわかっていますよ! 大丈夫です!
『自分の好きを極めて書こう』は、
『読みやすい文体、わかりやすい物語、はっきりした流れをふまえたうえでの、情熱をかけて好きを極めた小説』です。
自分がネット小説を読んでいてグッときた作品は、流行どまんなかもあったけど、作者様が「流行とは違うとわかっているけど、自分はこういうのが読みたいからあえて書きました!」という情熱の元に書かれたものも多かった。
それが人気になって書籍化される場合もあるし、人気があっても書籍化されるとは限らない。「人気作品にある大きな流れ」みたいなのはわかるんだけど、「書籍化ならこうあるべき」というボーダーが自分にはまだわかりません。
ネット上では書き手も読み手も何十万といて。
年齢も経験も好みも様々でジャンルの幅も広い。
自分の「好き」と誰かの「好き」が重なりやすい。
問題は、ただ出会えるかどうかだけ。
だから宣伝というより、自分の可愛い子供を大事にしてくれそうな相手と出会わせる、仲介屋の仕事をしていると思えば、そりゃ頑張らないとなって思います。
(と、さんざん自分に言い聞かせないとできないんですよ><)
そんなわけで、今の自分の『小説以降の問題』の解答は、
『「どうしてもこの賞を受賞して書籍化したい」という目標があるならば、その賞に特化すればいいけど、そういうこだわりがないのなら、個人の好きに書けばいい』です。
「本文と言ってること真逆じゃん!」
と言われそうですが、微妙に違います。
たとえ読み手が何十万といても、読んでもらわないと話にならない。
書き手も作品も何百万なので。
読みにくいからってブラウザバックされるのであれば、やはり『小説以前の問題』や、物語のおもしろさ、わかりやすい流れは必要です。
それをクリアしつつ、自分の書きたい部分を書けるか。
そのバランスが重要なのかなぁと思いました。
自分はうっかりするとすぐ毒まみれにしてしまうので。
主義主張を書きたいなら小説じゃなくていいだろって話になってしまう。
自分はやっぱり物語を書きたい。
物語にさりげなく主義主張を入れたい。
なにしろ無名の主義主張なんて、小説よりももっと読まれませんからね!
気持ちは白雪姫に出てくる魔女です。
まずは美味しそうに見えるりんごを用意しなくては。
思わずかじりたくなるような、赤くて瑞々しくていい匂いのする、りんご。
そこに一滴、食べてもすぐには気づかれないほどの毒を含ませて、
こちらまで、ご愛読ありがとうございました!
『小説以前の問題』をめぐる奮闘記 高山小石 @takayama_koishi
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