第34話

 奇妙な命令だった。

 

 いや。

 

 彼、陸将補、陸上自衛隊大宮駐屯地基地司令には、たしかに、予感があった。それは、この地位に昇り詰めるまでに彼が体験し学習してきた、様々な組織力学、その作用及び導かれ得る解、それに照らし、あの件が今までにない厄介事である、あろうという評価、そして、こうした事態もまた、想定し得るであろう、という推察。

 そう判断すれば、これは事態の妥当な推移と判断出来る、出来るのだが、しかし……ああ、なんという厄介、クソ案件を引き受けさせられたものか。


 そう、予感はあったのだ、在日米軍、それも横須賀から来た、という日系、そう日系だ、だから彼女もまた、本件の被害者、巻き込まれ事案なのだろう、その顔色からありありと浮かび上がる、なんで私が此処に居る、居ねばならぬのかという当惑と焦慮と不安と、憤慨。

 

 明らかに彼女も、事態を理解しては居なかった。ただ命令通りに動いただけ、現地軍とネイティヴにネゴれる、ただその職能のみを期待され、サイタマの山奥まで使い走りさせられた、そういう事だ。

 それは別に、彼女が、いや、自分も、だが、有能、無能、といった範疇の問題ではない、ないのだ、これは、つまり、そもそも根本から軍人たる我々に頭から不向きな、不適な事案なのだ、と、将補は、自己弁護とまでも強くはない、人としての常識の範囲で思考を巡らせる、ようにみえる。

 

 衛星軌道上から観測可能な程の地磁気の擾乱、その原因は、霊が発する弱磁場、その累積により惹起された、これが今回観測された現象の原因である事、地球地磁場に直接的に干渉する地理的、他科学的他要因は既に調査否定された以上残るこれが主原因と推定される事、今回の現象は幸い陸上にて観測されたが、米国海軍はその運用上での将来性に当たり、海上、海中での事態発生に対処する必要がある、ついては本件を、将来事案対処の糧としたい、発生現場である同盟国軍の善処に我が軍は期待している。


 自衛隊員として国防に奉職する事、様々な可能性は無論考慮してきた人生ではあった、将補に至る栄達は望外の計算違いではあるが、まさかその段に来て、公務でユーレイに携わるような事になるとは、全く。

 

 それこそ、この身に至るまでに積み上げた、上を下をの総ての人脈をどうせ退官間際の身、人生棚卸しの如く洗い浚い使い果たしてようやく解放された思い出すのも忌々しい基地始まって以来のユーレイ騒動だった、が。

 

 まだ続編があるようだ、これはそういう命令だった。

 


 しかし奇妙なのだ。


 人に指紋、

 潜水艦に音紋、

 モビルスーツや航宙艦に熱紋があるように、

 符には魂紋がある。

 

 家風、流派、無くて七癖、命を削って織り為す霊符、其々の特質、ある筈なのだ、無ければ可笑しい、いや笑い処ではない、理性が飛ぶ事態だ、統幕廻しで再調査へ動かした大宮が挙げてきた画像に、それが無い。


 しかし序の口だった、そんな符は無かったのだ。

 何を言っているのか判らない、もっと恐ろしいものの片鱗だ。

 

 繰り返す、そんな符は存在しない、過去どの術者も書いた事が無い。

 

 

 キャプチャー嫌い?

 

 機雷だ、公嗣。

 資正がボケに応えず白い貌を俯かせ補足する。

 

 スイムアウトタイプキャプチャー機雷型、それが、キク及び在家諸衆動員までして明かされた霊符のスペックだった、やはり何を言っているのか(ry。攻撃座標に向け霊子テレポーテション航法により浸透、フィートドライで起式、やはり霊子単位で目標を収奪、但しダミーとの置換を同時に進める、後に残るのは魂が抜けた空仏。投射母機には、これは推測だが在来型航式を投入したのだろう、なるほど、全く検知の余地が無い。

 

 こうして武蔵に配備されていたスサノオの分霊は、順次無力化、刈り取られていった。

 

 

  あたかも人体とは別に九鬼が宿す双剣にして忠勇なる僕、みたいに忙しなく淀みなく動き続けていた公嗣の両手両腕がぴたりと止んだ。

 二人の間を情緒とは無限遠の距離にある事務的で静謐な空間が支配する。

 公嗣の双眸が宙を睨み、瞬き、次に身体ごと資正に向き直った。

 唇を少し舐め、ぱくぱくと口パクし、大きく深呼吸した。

 

 そして、か細い、微かな悲鳴がその口許を割って洩れた。

 

 慌てて辺りを見回す。

 それは、資正だけに見届けられた。

 その口許を慌てて両手で塞ぎ、息を整え、公嗣はじっと不動の副長の顔を見上げる。

 

 へえ、すごいわねえ。


 平板な台詞が漏れたのは、やはり正気を逸していたからだ。

 脳裏では絶叫している、

 じゃねえよ!!!。

 なによなんなのよそれ!!!!。


 公嗣ならずとも悲鳴を上げるだろう。

 

 事態は振り出しに戻った。

 

 敵は強大だ、古今例を見ない難敵だ。

 

 霊符を無から書き出す術者など存在しない、それは伝統工芸であり相伝であり、歴史の裔、過去の遺産の集積でしかない、無かった、敵はそれを易々とこなし、見せ付けている、その善意を宛に何か処せるなどとは夢想、愚昧、危険が危な杉る、キクは。

 

 全力を以ってこれを排除せねばならない、

 こちらが動ける間に。

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