第31話

 資正が上野から戻ると、さいきんすっかり忘れていた内線コールが切れ目なく鳴り渡り人は走り或いは速足で動き囁き稀に悲鳴、乾いた笑い、タイプ音、全力稼働するオフィスが発する総ての音楽と組織が奏でる狂騒がそこに在った。

 

 上野、平常、の報告に苦労、と公嗣は変わらず眼も上げず応じる。

 

 ぼおけんでっしょでっしょホントがウソにか〜わるせかいで〜

 ゆめがあるからつよくな〜れるのだれのためじゃない〜

 

 外部の人間には意外かもしれないが界隈にはサブカル好きが珍しく無い。自身の日常、業務全般が正に非日常、此の世のモノでは無い関係か、逆の意味での心理的バランス調整、起承転結で美しく転がるたわいの無い異界譚に癒しを求める、諜報畑の人間が007を嗜むのに似ているかもしれない。

 隣席から洩れたハナ唄に資正は安堵した。これは公嗣も平常な証、しかもカラ元気や虚勢ではない絶好調のサインだ、中島みゆきだったりすると逆にレッドホットでクリティカルな、以前、



 わか~れはいつもついてくる~しあわせのうしろをついてくる~



 という荘厳な美声が響いた時は騒然だった室内が戦慄し震撼し森閑した。

 

 公嗣も決してオポチュニストではないし無論いやその名乗りからして必然じゅうぶんな寧ろペシかつシニカルは既にして性分な彼女であり、であればこそ状況把握が進展するにつれ少しずつ余裕を取り戻していた。

 

 後手を踏みまくっている現状だがだから尚、展望は明るい。もし仮に相手が、そう、敵では無く相手が敵であったなら、自分はとうぜんの事この邦もとっくに崩壊していたのは間違いない、まつろわぬものによる大規模テロ、などでは無かった、本件は。

 米軍による介入が無ければもしかすると、事は穏便極秘に進行し結果何事も無く終息していた可能性すら存在する、そう。

 

 我々にすら感知される事無く、だ。


 その事実に思い至ったのが本件対策開始から公嗣が最も恐怖し焦燥し感情をかき回された一瞬であったが、ピークでもあったと言える。相手の目的は未だ全く不明だが、完全先制奇襲が可能であったにも関わらずその兆候は一切、何一つ検知されていない、つまり無い、と判断してよい。

 

 これだけの行動を起こしながら相手に害意は確認されない。

 唯一の、そして極めて優良な情報だ。

 そして今、イニシアティブは逆転した。

 相手は本件露見を未だ感知していない、

 仮にしていたにせよ未だ対処行動は観測されない。

 

 敵対回避に全力しつつ事態打開に向け何が可能か。

 

 

 しかし、結果として彼女は決定的に読み誤っていた、残念ながら。

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