第28話

 木食は寝付いた深香の頬をそっと撫でた。

 

 こけていた。

 

 不憫な娘だ、ぼそりと押し出す。

 

 万物の霊長、類。地球生態系の頂点での君臨、しかし、なんとまあ浅ましく不自由かつ、不幸な境遇である事か。

 

 物理特性ではない智性なる特質を獲得し、一気に捕食対象の雑食小動物、植物連鎖の負け組から狩猟者へ躍り出たは良いがそれに振り回され、本能からの逸脱を制御出来ず同族殺しの傍ら自らの生存環境まで破壊し尽くし宇宙と地球が億年単位の時日を費やし精魂込め丹念に整備した芸術のような住処を、ウロボロスが如く寒いといっては部屋の壁材を剥ぎ取り暖を取るにも似た欲望の赴くままの破壊と簒奪を繰り広げ漫然たる自覚に焦がされながら破滅へ向けひた走る、この惑星に生きとし生ける総てを巻き添えにめいわくせんばん。

 

 それでも木食は還って来た。

 

 秦野が騒乱にはほとほと愛想が尽いた。人の数えで一世紀になんなんとする我が奉公すら空しくなる、それでも。

 

 この娘には、何の咎も無かろう。

 

 木食は化け猫、猫又。

 

 

 霊猫であった。

 

 

 鬼秦野にさくっと祓われる処を、この仔にも事情があったのだと、次女が庇った。



 そう、木食にも事情があった。



 そう、木食にも事情があった。

 我が主人、崇徳の無念を晴らさんが為、外道に身を堕としたのだ。


 崇徳が幼年にして白河上皇逝去、これを受け鳥羽上皇、近衛を即位。時、近衛は僅かに三つ、鳥羽上皇は崇徳に近衛を養子にと勧奨して曰く、崇徳は院政せよと。崇徳は近衛に禅譲せるに至らん、しかして鳥羽の悪辣卑劣なるこの糞袋、宣命の儀を偽るは皇太弟。

 近衛齢十七にして隠れ、崇徳は重仁が即位をば。

 しかしてこの鳥羽人面鬼、後白河を即位せしむる、畢竟、後白河、崇徳の確執、保元に世を乱したり。


 ああどうしよう、木食、と崇徳は膝の三毛、猫にしては面妖、鼠も取らず木の実の類を好んで食する珍友を静かに撫でた。私に謀反の嫌疑が掛かっているのだ、と。

 なにそれおいしいの?、と木食は眼を輝かせ主人を仰ぎ見る。

 ああ、お前には詮無いことよな、すまん、と崇徳は苦笑する。

 

 木食はにゃあ、と一声あげ伸びをすると、とん、と主人の膝を離れ、縁側から身を躍らせた。そのまま庭の枝振り豊かな松を駆け昇り屋根に降り立つ。

 そこで式の報告を受けた。

 

 主公が実父にして仇敵たる鳥羽を呪殺、くそ不味いが魂も喰らってやったはよいが、その後がいけなかった。まさか乱に至るとは、保元事情は複雑怪奇にして猫には預かりしれない、やはり人間こそは最凶の魍魎だ。

 それにしても崇徳、なんと人が好い、人間にしておくのが惜しい。

 Move it!、いいから身一つでさっさと身を隠せと叱り飛ばせるならいいが猫の身とあっては是非もなし。

 

 その後の流れは歴史が記す通りの惨状。


 お前はいるのか、木食、と崇徳は焦点のぼやけた眼を向けその背を撫ぜた。

 ああ、かなうなら今一度だけでも、再び京の都を。

 

 せをはやみいわにせかるる たきがわの われてもすえにあはむとぞおもふ。

 

 木食はその頬を優しく舐めた、決意と共に。

 お疲れ様、崇徳。

 お前の無念は俺が必ず果たすよ。

 

 海の果て、京の都に向け木食は毅然と背を伸ばす。

 

 いいだろう、狩りの始まりだ。

 

 主公が雪辱、存分に果たさせて頂こう。

 今から京を魍魎の庭に変えて進ぜよう。


 震えて瞑れ、凡骨共。



 猫は、一皮剥けば地上最強の肉食獣、捕食者である。

 その一事を見る者に深く得心させる、

 主公には生前、一度たりと晒す事の無かった、

 木食の、精悍かつ凄惨な表情、


 酷薄な笑みが彼方の攻撃目標に指向される。



 今から?。そう、正に。

 やおら木食はなーおあーおと、人族には春の夜の騒擾のそれ、と聞き分けが付かない雄叫びを放ち始めた。

 非常呼集に応じて下僚、木食に連なる類魂所属の一味が、木食をホストとする魂サーバをたちどころに構築する。

 そして木食はこれを踏み台に京の霊場、人族の無意識野:Node-Kyotocityにアクセス、無防備な此処に呪詛、崇徳テクスチャが実装されたマインドクラッカーウィルスをインターセプトした。

 京の住人、その上も下も、木食がセットした崇徳の怨霊というアプリから各々自身の無意識野から其々の人生に応じた恐怖の具象を心象に投影し、それは折よくも逢魔が時を迎える京の曇天に、天を覆う崇徳の怨霊として結像する。


 我は崇徳上皇。

 

 聞けや者共。

 

 我は告げる、

 我は仇為す、

 我は、災厄となりて、この地を焼き滅ぼす。

 

 悔いて啼くが良い。

 我にももはや止まらぬ。


 我は崇徳上皇なり。



 一瞬の、しかし強固なマインドハックが、その後惨禍のトリガーとして京の魂に刻印された。

 

 崇徳の幻像を纏い京を存分に蹂躙した、これが木食の顛末となる。

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