第20話

 国内に三つの社研、なる組織が存在する。

 

 一つは東大、東京大学の附置研究所にして、日本と世界が直面している問題を実証的かつ社会科学の立場で研究することを目的とする、東京大学社会科学研究所、ISS。

 一つは阪大、大阪大学の附置研究所であり、社会問題を経済学の立場から解決することを目的とする、大阪大学社会経済研究所。


 そして一つは、社会教育実践研究センター、これも、関係者からは社研、の略称が用いられる。

 

 国立教育政策研究所は読んで字の如し、文科省内にある、教育政策調査研究機関である。前身となる国民精神文化研究所は昭和の創設で、存外に若い。研究所長に連なる10余りの部局、施設の一つにこの社研が数えられる。

 

 資正が訪問していたのは、この社研にあって、次長、と呼ばれる男だった。



 やあ、お久しぶりです。


 

 柔和な表情で次長は、応接室に入って来る。

 資正は無言で頭を下げた。

 

 訪問目的は、実を言うと既に果たされていた。

 

 結界は通常通り機能している、異常無し。

 

 次長にも変化は観測されない。

 

 後は、常時抜き打ちも同然の来訪、非礼への詫びとして、少しばかりの雑談をつきあうだけ。

 

 と言っても、これもいつも通り、話すのは専ら次長で、資正はほぼ無言の相槌に終始する。

 

 

 最近、戦史に興味がありましてね、と次長。

 

 

 安保闘争、の安保、とは、安保条約、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約、決して公的には表現されないが、紛れもない、日米二国間の軍事同盟、のことである、これを巡って激動に包まれた時代が、日本に存在した。先に示した連続企業爆破事件、そしてあの、あさま山荘事件もまた、安保闘争の余燼と言える。


 安保闘争とは何だったのか。

 

 安全保障上学術的視点でのラジカルな解釈では、当時の世界情勢、米ソ冷戦構造下での、赤化の成功例であるベトナム、他方内戦手前の、軍事介入以前の段階であっさり失敗した日本、つまり不安定化工作の一環に過ぎなかった、と切って捨てる処だろうか。



 例えば大和型戦艦、はご存知ですよね、大和と、武蔵。と次長の、独り言のような語りは続いている。


 

 次長は、安保闘争の、中核人物の一人、であった。

 

 但し彼は、皮肉にも、実際の影響力は一切、行使していない。デモにすら一度も参加しておらずそれどころか、事情聴取、取り調べに対しても、率直な無関心と世相への嫌悪感を表明するのみであった。

 

 だが、おかしい。

 

 当時の公安は困惑した。

 

 この男は、間違いなく活動の中心に存在するのだ。

 

 にも拘わらず、物証も心証も、一切証拠が、無い。

 

 万策尽きた彼らは、遂に、藁にも縋る想いで、というより当たるも八卦当たらぬも八卦、匙を投げる思いで、この案件をキクに振った。

 

 安保闘争は徹頭徹尾現象界での暇ネタ、常に人手不足、多忙なキクは珍しく余力があったのでこの要請を受理可能だった。


 戦艦、というのは、現代でいえば、大陸間弾道弾、のような存在感だった。各国が戦艦を建造し、その所持枠を条約に定めて取り決める、というのは、正に戦略兵器削減交渉であり、その保持は核抑止力に通じる、世界平和実現の手段とされ、実際に機能してもいた。そうした中、大和と武蔵も建造されたのですが、いや、実に興味深い、そう思いませんか。

 

 興味深い、とは。

 

 

 言葉を返し、資正は口を噤む。



 非常に呪術的です、その命名からして。



 なるべくその言葉から意識を逸らす様に、丹田に気を張りながら、資正は頷く。


 当時の内閣、この国の表看板の、気概と苦悩が、滲み出ている、そう読めませんか。国外から、黒船に驚かされ、次には世界最大最強の戦艦を建造する、その二隻が、大和と武蔵。我々は近代国家として脱却したのだ、もう、大和政権、その仇敵たる、出雲、いや武蔵、古来からの確執、旧弊、因習からは脱却したのだ、と、それを醜の御楯として使役し、一方は祖国から遠く離れた異国の海に穢れとして鎮め、他方は、琉球への備えとしてこれも鎮める、何れも軍事的には理解に苦しみますが、こう解くと実に明快、そう思いませんか。


 そのようなことを次長は小一時間訥々と語ると、やあ、もうこんな時間だと壁の時計に声を上げ、つまらない話でお引き留めしたと詫び、資正はいえ面白かったですと世辞を告げ、丁寧に一礼し席を辞した。

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