第23話
末期癌だったおじさん、あなたはきっと、私の中に自分を見たのでしょう。
家族に愛されずに育ったさびしい少女と、天涯孤独だったおじさん。
財産など全部あげるから、自分を看取ってくれ、孤独死だけは嫌だ、無縁仏も困る、言葉や目つき、態度の端々にそう言いたいのは表れていました。
この世の最後に、命が尽きるその前に、あなたはまだ幼かった私を愛し、救いを求め、頼ろうとしてくれたのでしょう。突っぱねて、冷たく捨てて、ごめんなさい。
一度待ち合わせした時に急に雨に降られ、傘を持っていなかったので、近くの自転車屋さんの、シャッターが半分降りた所にしゃがみ込んでいた所、あなたは私を見るなり
「可哀想!」
と言って両手を広げて走って来てくれましたね。何だかおかしかったですよ。
あの時あなたの胸に飛び込んでいたら、どうなっていたんでしょうね。
もしかして光の園には行かなくて済んだかも知れませんね。拉致され、監禁され、リンチされたり、飢えたり、あそこまで悔しくつらい思いはしなくて済んだのかも、とは思います。
16歳にしてあなたと結婚し、すぐ未亡人になって、遺産をたくさんもらい、違う人生を送っていたのかも知れませんね。
けれど私はあなたの言いなりにならなくて、本当に良かったと思っています。
お陰で私は「自分の人生を自らの意志で決められるようになった」のだから。それがあなたから学んだ事だったのでしょうね。
末期癌で苦しかったでしょう。自分の命の期限を突き付けられ、私以上にさびしかったでしょう。
「マリちゃんって時々ふっとさびしそうな顔するね」
というのは、本当は自分の事を言っていたのでしょうね。そして私も、あなたの前では少し気を許していてさびしそうな顔をしてしまっていたのかも知れませんね。
「マリちゃん、今日、女になれよ」
というのも、勇気を振り絞って言ってくれたのでしょう。追いすがりたいのを懸命に堪えていた事でしょう。ずるい私を恨んだでしょう。
病気と薄々気付いていながらお小遣いをもらうだけもらって、看病もせず、励ましもいたわりもせず、気持ち悪がって指一本触れさせず、嫌がって逃げて悪かったです。
今の私はあの頃のあなたより年上なんですね。何か不思議な気がします。
迫川勲さん、今は天国で安らかですか?
私と同じ会社で働いていた小椋純子さん、日本人にしか見えなかったけど、実は朝鮮人で子どもの頃から朝鮮、朝鮮といじめられていたそうですね。
そう言われるのがいちばん嫌だったと、随分後になってから話してくれました。人は国籍を選べないのに、仕方ないのに、つらかったでしょう。よく我慢しましたね。そしてよく明るく振る舞っていましたね。
あなたは仕事の出来ない私を精一杯フォローしてくれました。他の人に悪口を言われている私をかばい、笑顔で接してくれました。
この人は私と同い年なのにどうしてこんなに大人なんだろうと、実は感心していました。
なのに私の悪い癖で、みんなに信頼されているあなたが妬ましく、仕事の出来ない自分が嫌で、いじめてしまいました。
散々酷い事を言ったのに、あなたは私が当時付き合っていた悪い男性の事で相談に乗ってくれましたね。
ああ小椋さんは私をちゃんと見ていてくれていたんだと嬉しかったですよ。あの変な彼氏(あまり好きではなかったけれど)と別れられたのは、小椋さんのお陰です。
小椋さんは、実は一家の大黒柱で、もらう給料は全部、要介護状態の親御さんの為に使っていた、来る日も来る日も家事と、お父さんとお母さんの食事やしもの世話に明け暮れていたと、後から人づてに聞きました。
そんなに大変な人だったとは分からず、きっとみんなに愛されて良い思いばかりしてきた人なんだろうと嫉妬し、いじめてしまい、本当にごめんなさい。
また、当時ヘビースモーカーだった私が
「煙草をやめたい」
と言った時に
「応援するよ」
と言って本当に応援してくれた事も感謝しています。煙草が吸いたくてイライラし始めると、察してお水を持って来てくれましたね。禁煙出来たのは小椋さんのお陰ですよ。
また、先輩の度重なる暴言に傷ついた私が、非常階段でひとりで泣いているのを見て
「沖本さん、泣いて良いよ」
と言ってくれた言葉も忘れていません。
泣かないで、と泣いている事を否定するのではなく、肯定してくれたあなたの心の広さに感動しました。その何日後かに
「沖本さん、よく我慢したね」
とも言ってくれました。その言葉が、あなたの存在が、どれほど私の支えになっていたか、言葉に尽くせません。
もうひとつ、小椋さんは私に何か頼む時に
「これ、お願いしちゃっていいですか?」
という言い方をしていましたね。ああ素敵だなと思い、すぐ自分に取り入れましたよ。お陰で人に何か頼んだ際に、相手が気持ち良くやってくれるようになりました。
またミスをした時に、どこを間違えたか書類に付箋紙を貼り、こことここが違う、だからこうなっている、とその付箋紙に書き、次から気をつけてくれればいいよ、とニコニコマークも書き添えておいてくれましたね。分かりやすくて次から気を付けやすくて、本当に助かりました。
人間関係がうんと良くなったのも、小椋さんのお陰です。本当に有難う。
今も独身と風の便りに聞きました。
小椋純子さん、今も誰かを応援し、誰かに必要とされ、尊敬されていますか?
私と5年も同棲してくれた桜井正一さん。
あなたは私の為に懸命に働き、生活を支えてくれました。お金がなく、アルバイトも長続きしない私の為に、生活費は勿論、その頃通っていた夜間美容専門学校の学費まで出してくれた事もありましたね。
音楽が好きで、バンドを組み、ドラマーとしてメジャーデビューするのがあなたの夢だったのに、私の為にその夢を断ち、家電量販店に就職もしてくれました。
決して高給取りではないのに精一杯お金を出してくれる、そんなあなたに私は口ではごめんねと言いながらも、当たり前という態度を取り、嫌味を言ったり、神経を逆撫でしたり、変に嫉妬したりして、散々いじめてしまいました。
尽くしても尽くしてもまったく変わろうとしない私に、あなたがどんなに傷ついていたか、苛立っていたか、悔しかったか、今なお心が痛みます。
決して評判の良くない私と付き合い始めた頃、周囲のみんなに
「マリは危険だからやめろ」
と、警告されても
「マリを信じる」
と言ってくれたそうですね。そして本当に信じて接してくれました。
私をまるで眩しいものでも見るように見つめ、何度もこう言ってくれましたね。
「ある日突然、嵐のように現れたマリ」
その時の気持ちをお互い保てなかった私たち。
「マリは俺が初めて、自分から好きになった人だ」
とも
「俺、マリとなら結婚しても良いと思ってる。子ども出来たら生もう」
とも言ってくれました。
私は以前付き合っていた人に、妊娠したらどうするか聞いた所
「なんだかんだ言っておろす事になるんだろうな」
と即答され、深く傷つけられた経験があるだけに、その言葉は嬉しかったです。
思いをまっとうしようと誠実に付き合ってくれたのに、それなのに、恩を仇で返してしまい、出来ない我慢を何年もさせてしまい、本当にごめんなさい。
一緒に暮らしているから逃げ場もなく、誰にも相談出来ず、どんなにつらかったでしょう。
精神安定剤を飲みながらしのいでいたなんて分かりませんでした。
前の彼女に会い、その人に救いを求めずにいられなかったのでしょう。そこまで追い詰めたのは私です。
「急に居なくならないでね」
と心細そうに言っていたあなたを思い出すと、気の毒で今でも本当に涙が出ます。
私は天国と地獄を同時に味合わされる家庭に育ち、それが嫌だった筈なのに、あなたに天国と地獄を同時に味合わせてしまった気がします。天国もいらないから地獄も勘弁して欲しかったでしょう。
親に所有物扱いされるのが嫌だったのに、あなたを所有物扱いしてしまいました。冗談じゃないと思っていたでしょう。
そしていつの日も、男性に経済的な負担をさせてしまったのですが、いちばん酷い負担をさせてしまったのが、正一さんだったと痛感しています。
私が不満で、将来が不安で、たまらなかったのでしょう。ねずみ講に手を出したり、自己啓発セミナーに心酔する事で、不満や不安を振り払いたかったのでしょう。
何故そんな事をするのかその時は分かりませんでしたが、原因はやはり私でした。いちばん振り払いたかったのは私の存在だったでしょう。
あなたは心根も優しく、一緒にいて楽しい人で、笑いのツボは合っていましたが、家事と防犯、清潔に対する価値観と生活のリズムが違いました。
あなたが家事を全部私に押し付け、いつ見ても座椅子の形通りに座ってテレビばかり見ている(そこは父に似ていました)のはやはり嫌でしたし、玄関の鍵や部屋の窓を開けたまま外出するのも信じられませんでした。
「うちの実家では鍵なんか掛けないんだよ。閉め切ったらこもるから、窓は開けたままでいいんだよ。すぐそこの工事現場の人たちが見張っていてくれるから大丈夫だよ」
という考え方も信じられませんでした。
私は中学生の時に家に泥棒に入られた経験があり、人より神経質だったかも知れませんが、それにしても窓から見える工事現場の人たちがうちを見張ってくれているとは思えず、むしろあの家は開けっ放しだと思われて、その人たちが泥棒に入る動機を作りそうで、何回注意しても改めてくれず、ヘラヘラ笑って取り合ってくれないあなたには本当に困っていました。
朝から晩まで仕事をし、帰ってからも家事でいっときも休む間のない私に「家事は女の仕事」と決めつけ、電話が鳴っても取ってもくれず、家事を中断して電話に出た私が
「電話だよ」
と言っても、テレビの前の座椅子から1ミリとも動こうとせず、ただ手を伸ばして「自分の手に受話器を持たせろ」と言わんばかりの態度も嫌でした。
「私忙しいのに、電話くらい出てよ」
と言っても
「この時間にかかってくるのマリだから」
と言い訳をし、
「実際違ったじゃない」
と言っても
「でも、マリは金をたいして出していないから、その分家事を完璧にやって俺に返してくれたっていいじゃないか」
と口の中でもごもご言うのも、話題を変えようと
「今日のご飯、何?何作ってくれんの?」
と「作ってもらって当たり前」という態度を貫くのも、食事の「直後」に
「何かおいしいもの食べたいね」
と不味かったと言わんばかりに言うのも、苛立つ原因でした。
私が仕事で、あなたが休みの時、帰宅すると必ず
「頭、痛い」
と言いながら、散らかった部屋でただ寝ていられるのも嫌でした。
おそらくあなたは偏頭痛があったのでしょうが、家事をやりたくないが為の仮病だろうと思っていましたし、雨が降っても洗濯物を取り込んでくれないのにも苛立っていました。
「あ、気が付かなかった」
と毎回言い、干す手間と取り込んで畳んでしまう手間をまったく考えず、
「もう1回洗えばいいじゃないか。洗濯機に放り込めばいいだろう」
と平気で言い、家事の大変さを分かってくれないあなたに心が煮えくり返っていました。
一度だけあなたが自分から洗濯物を取り込み、たたんでしまってくれた事がありましたね。帰宅後、それになかなか気が付かない私に、気付けとばかりに視線を送り、さも大変だったとばかりに、ハーハーため息をつき、こう言いましたね。
「洗濯物、取り込んで、たたんで、しまう所までやっておいて、あげたよ」
そこでやっと気づき、喜んで何度もお礼を言う私に急に顔を曇らせ
「今日は、たまたまやったけど、でも、またやってもらえると思って期待しないで」
と、家事は本来私の仕事で、自分が手伝うのは稀な事なんだと主張したげなのも、困りました。
何より私に家事を期待しておいて、自分には期待するなとは何事か、と怒り心頭してしまい、あなたの言葉を借りれば「取り付くしまもない怒り方」をしてしまいました。
当時、あるテレビコマーシャルが世間の批判を浴びていました。男性と女性カメラに向かい
「私、作る人」
と女性が言い
「僕、食べる人」
と男性が言うもので、専門家や解説員が、男尊女卑だのこれからはそういう時代ではない等言っていましたが、あなたはまさにそのタイプで、私は家事をする人、自分はしてもらう人、と決め込み、私がどんなに疲れたと訴えても、まったく何も手伝ってくれませんでした。
「俺は男子厨房に入るべからず、で育ったんだよ」
と言い続け、お湯ひとつ沸かそうとしませんでしたね。
仕事でクタクタに疲れてアパートへ帰り着き、給料日前でお金がなかったのであるもので済ませようと、残った野菜でカレーを作り、スパゲッティを茹で、出来上がったカレーをかけて食べ終えた所であなたが帰って来た時の事。
「スパゲッティだから作り置きしておく訳にいかなかった。カレーは出来ているからスパゲッティだけ自分で茹でてカレーかけて食べてくれる?」
と言った所、さも大儀そうにお皿にカレーだけよそい、コップに氷水を入れて「疲れて帰って来て、どうしてこんなもの食べさせられなきゃいけないんだ」と言わんばかりの顔で不味そうに食べ始めたあなたに
「スパゲッティ茹でるくらい何でもないでしょう?それくらいやってくれてもいいじゃない。飲み物だって、私には毎回お茶淹れろって言うくせに自分がやるとなったら氷水飲むなんて、あまりにも酷いと思うよ、私には手抜きを許さず、給料日前でも完璧な食事を作れって言わんばかり。いい加減にしてよ」
と言っても、いつものごとく
「だから俺は男子厨房に入るべからず、で育ったから」
と言うばかり。
「だったら掃除と洗濯、ごみ捨ては出来る筈」
と私が涙ながらに訴えても
「でも、俺の方がたくさん払ってるから」
と毎回口の中でもごもご言い、まったく進展しない日々にも、いくら掃除しても泥棒が入った後のように部屋を散らかすのにも、支払いのもとを取ろうとばかりに次々に家事を命じられるのにもうんざりでした。
男子厨房に入らずと言われて育ったからやりたくないのではなく、やりたくないからそう言っているだけなんだろうと思っていました。
はっきりと言った事はなかったけれど、どうしてそんなに家事が下手なんだろう、どうしてそんなに時間がかかるんだろう、どうしてそんなに上達しないんだろう、どうして俺が好きな料理がひとつも出来ないんだろう、と言わんばかりで、あなたも業を煮やしていましたね。手伝わないくせに、と苛立ち
「私あなたの気持ち分かるわ。自分が滅茶苦茶に汚した所がいつのまにかきれいになっていたら気分良いもんね」
と嫌味を言ってしまった私。
「仕事で疲れて帰って、ご飯をおいしく食べたい。俺の願いはそれだけだ。聞いてくれたっていいじゃないか」
というのがあなたの言い分でしたが、その願いを叶える為に凄まじい苦労をしている私をねぎらってくれた事は一度もなく、当たり前と思い続け、家事を終えやっと座った途端に
「お茶淹れて」
と言うのも「座るな」と言われているようで切れそうでした(そこは母に似ていました)。淹れたての熱いお茶をかけてやりたい衝動に何度もかられ、ぐっと堪えていました。
わざとではないのでしょうが、みそ汁やお茶をしょっちゅうこぼし、そのたびに
「あ」
と言って、拭けと言わんばかりに、にやにやと私の顔を見ていられるのも嫌でした。
なんて手のかかる人だろう、なんて厄介な人だろうと、どんどん疎ましくなっていきました。
何回拭いても汚すあなたに辟易し、拭かなかったらどうなるんだろうと拭かずにいたら
「前は拭いてくれたじゃないか。どうして今は拭かないんだよ」
と口の中でもごもご言われるのも、うっとうしくてたまりませんでした。
料理を手伝うくらいならご飯なんか食べない。俺に食事して欲しければきちんと料理しろ。洗濯を手伝うくらいなら着替えない。俺に着替えて欲しければ洗濯しろ。ごみ捨てや掃除を手伝うくらいなら散らかった部屋にいる。俺にきれいな部屋に住んで欲しければごみを捨てて掃除しろ。
俺が好きならそうしろ、愛があるなら出来る筈。俺はお前の為に夢を捨ててやった。だから感謝しろ。恩に着ろ。恩に報いたければ尽くせ。…と常に言葉や態度や目つきの端々に表わしてこられるのも、うんざりでした。
一緒に出掛けたら出掛けたで、毎回レコード店や楽器店で何時間でも店員と話し込み、退屈している私を放置し続けて平気でいるのも信じられませんでした。文句を言っても聞き流すばかりで、あなたと出掛けてもまたどうせ長時間放っておかれるのだろうと思うと苦痛で少しも楽しくありませんでした。ひとりで行って欲しかったです。
どんな料理を何度作っても、箸でお皿を叩きながらこう言っていましたね。
「俺、こういうの、好きじゃないじゃん」
箸でお皿を叩くとは、なんて失礼な人だろう、全部やってもらっておきながら文句を言うとは、なんて傲慢な人だろうと思っていました。
「じゃあどんなのが好きなの?」
と聞いても「考えろ」と言いたげな顔で私の顔をじっと見るばかりで、きちんと言ってくれた事は一度もなく、じれったくなった私が切れたら切れたで
「昨日、今日の付き合いじゃないんだから」
とお茶を濁すのにうんざりでした。
またどんなに味付けをしても
「なんの味もしない」
と言い続け、ソースひとつ、ドレッシングひとつ、自分でかけようとせず、何の努力もせず、ただ文句を言い続けるあなたがどんどん嫌になっていきました。
しまいにやけになった私が醤油さしの醤油を全部かけた時、ただ絶句していましたね。食べられなくしてしまい、ごめんなさい。
ただ文句を言ったり否定をするのではなく「代替案」を出して欲しかったのです。
あなたは私の出す料理を全部否定し続ければ、いつか自分が好きなものにいきつくだろう、と思っていたんでしょうね。そしていつまで経ってもそこにいきつかない私に腹を立てていましたね。あれも駄目、これも駄目と言われ、本当にどうすればいいか分かりませんでした。
私が料理をしている間、いつも炬燵の中で居眠りをし、
「ご飯出来たよ」
と声を掛けると、むっくり起き上がり、並んだ料理を見て必ず気落ちしたような顔をしてみせ、それから仕方なさそうに食べていましたね。
「そうやってご飯はパクパク食べるじゃない。家事もテキパキやれば?」
と苛立って言った私に唖然としていましたね。厭味ったらしくてごめんなさい。
また水を飲む時に、必ず喉をぐびぐび鳴らしながら飲むのも嫌でした。
「そのぐびぐび言うの気持ち悪いからやめてよ」
と言った私にまた唖然としていたあなた。ご飯も食べられないのか、水も飲めないのか、と言いたげでしたね。うるさい私で悪かったです。
苦しい生活の中、年に一度旅行へ連れて行ってくれて有難う。ただ恩着せがましく
「こうして年に一度は旅行へ行けて、良い生活させてやっているだろう。だからマリも俺の喜ぶ事をやれよ。完璧な家事しろよ」
と、もごもご言われるのは、やはりたまったものではありませんでした。旅行もいいけど、それより毎日の家事を分かち合ってくれる方が嬉しかったのです。
「俺が手伝ったらマリは家事うまくならないだろう、だから俺、あえて手を出さないようにしているんだ」
と言うのがあなたの言い分でしたが、それはただの屁理屈でしかなく、仕事と家事でクタクタの私がやっと寝ようとしても、部屋の電気を点けっぱなしで本を読み、その上耳元で音楽をガンガン鳴らされるのも、眠れなくて本当に困りました。
「俺の親父がそうだったから。俺はそうしないと眠れない」
と言って、私が仕事中に気絶しそうになるほどの睡魔に襲われるから、せめて家で夜しっかり眠りたいのだと何度言ってもやめてくれませんでしたし、家事をひとりで全部やるのは大変だから分担してくれと何度話し合いを試みても
「その話、また今度にしない?」
と、やはり取り合ってくれませんでした。その「今度」は絶対にありませんでしたし。
「自分の時間なんて1秒も持てない。少しは気づかって。私は煙草吸う暇さえないよ。吸う時、開いた手で片づけ物しているくらいだよ」
と訴えても
「そこまでして煙草吸う事ないだろう。家事はやり方工夫すればいいだろう。そうすればもっと睡眠時間も取れるし自分の時間も持てるだろう。工夫しろよ、工夫」
と言うばかりで、いつまでたっても何も協力せず、自分は何も工夫もせず、ゆったりと煙草を吸い続け、家事を頼もうとすると、敏感にそれを察知し
「俺、マリが家事をやっている姿が好きなんだ」
と遮るように言ったり、例え頼んだとしても
「後でいいでしょ?あはははははは」
とテレビを見てわざとらしく楽し気に笑って見せ「俺は今テレビを楽しんでいる。用事を言いつけたら申し訳ないと思え」と言わんばかりの姿も見たくありませんでしたし、家の中で常にバタバタ働く私の横で、いつ見てもだらだら過ごしながら
「よく働くね、少し休めば?」
と言うのも信じられませんでした。
「休んでいたら家事が終わらないじゃない。寝るのが遅くなるから結局同じじゃない」
と言えば
「気づかってやってるのに」
と、また口の中でもごもご。
「そんな事を言うなら手伝えば?」
と言えば、言わなきゃ良かったという顔をしていました。
それでいて少しでも座ろうものなら
「麦茶、もうないよ。作っといて」
だの
「タオル足りない!洗濯!」
という声が飛んできましたし、私が高熱を出した時でさえ
「大丈夫?心配だよ」
と口では言いながら、心の中では「早く起きて家事をやれ」と思っているのもミエミエで病気になっても家事をしなくてはいけないのか、と情けなかったです。しんどくて寝ている私の鼻をつまみ、息が出来ず苦しがるのを面白がっていた事もありましたし、それでいて自分が体調を崩し、私が看病しながら
「大丈夫?」
と聞けば、必ず
「駄目」
と即答していましたね。何もしたくない、出来ない、だから何も頼むなという事だろう。甘えているんだろうと思っていました。そこも父に似ていました。
あの頃私の朝は、あなたの鞄から「腐った弁当箱」を取り出す事から始まっていました。あなたはいくら言っても弁当箱を出してくれず、鞄の中で腐り、朝まで放置し平気でした。
それだけでなく、台所には帰宅時間の遅いあなたが使った前夜の汚れた食器が放ってあり、酷い悪臭が充満し、朝から腐った臭いを嗅ぐのは耐えられず、きれいに洗った弁当箱に、作った料理を詰めながら、私はこの家の何なのかな、女中かなと思っていました。
温かい弁当をすぐに包むと腐りやすいので、作った昼用の弁当と夕方用のおにぎり二つの横にバンダナを置いておいただけで文句を言いましたね。
「どうして包んでくれないんだよ。こんなの30秒じゃないか、どうして俺が包まなきゃいけないんだよ」
自分で包んでも30秒なのに、指一本動かしたくないのか、と不満でした。
「腐ると困るから」
と、理由を説明しても
「でも、ちゃんとやって欲しいんだよ。ちゃんと」
と苛立ちながら言ったり、仕事から帰って来た途端に
「今日、箸が入ってなかったし、肉もよく焼けていなかったし味付けもイマイチだったよ」
と文句。洗濯物を干していれば
「干し方、変えてよ。マリの干し方嫌いなんだよ」
と文句、料理をしていれば
「今日なあに?えっまた魚?もう飽きたあ」
と文句、
「ほらあ埃たまってるよ。掃除機かけて。俺、風呂に入りたいのに、風呂掃除も、まだあ?」
と声を荒げて文句ばかり。耳をふさぎたい毎日でした。
自分の友達を大勢連れてきて、部屋を散らかし放題にした時も、その後片付けを私にさせましたね。
「遊んだ方が片付けないで、遊んでいない私がどうして片付けなきゃいけないのよ。少しは手伝ったら?」
と言っても
「でも、招いた方が片付けるって暗黙のルールがあるんだよ」
ともごもご言い、苦労して片付ける私をただ突っ立って見ているのも嫌でした。招いていない私に後片付けを押し付け、遊んだあなたが何故何もしないのか、面倒な事を全部私に押し付け、いつ見ても暇そうに煙草を吸いながらテレビを見ているなら、家事くらいやればいいだろうと思い、何か頼めば情けなさそうにこう言いましたね。
「俺、はっきり言って動けないくらい疲れているんだ」
煙草を吸い過ぎるから、血流が悪くなって動けないんだろうと思っていました。
それでいて仕事に遅刻しそうになりながら、これ見よがしにやってみせる時もありました。
「遅刻しそうなんでしょ、早く行きなよ。やって欲しい時にやらず、やらなくていいって言ってる時に何でやるのよ」
と切れる私の顔色を見ながら玄関に立ち尽くしていましたね。
あなたはとにかく私をイライラさせる人でした。そしてそれは、一緒に暮らさなければ分からない事ばかりでした。
「どうして俺の喜ぶ事しないんだよ。家事くらい簡単だろう。料理だって簡単だろう。やればすぐ出来るだろう?やろうとしないだけだろう?」
それがあなたの言い分でしたが、家事を全部やっている以上、あなたと私は対等な筈でしたが、あなたはそれを遂に理解してくれませんでした。家事が10対0なら、いっそ支払いもそうして欲しかったのです。支払いが7対3なら家事も3対7にして欲しいと言っても、支払いを多くしている自分が上、支払いの少ない私が下、支払いするのは偉大な事、家事は金にならないし意味もない、魔法のようにさっとやれて当たり前な事、と決めつけ、支払いのもとを取ろうと家事を全部押し付け、威張ってばかりでした。
それでいて友達の彼女の事を
「あいつの彼女、お嬢様育ちだから家事は一切出来なくて、梨ひとつ剥けないんだって。お嬢様だから。お嬢様だから。おっじょうううさまだから」
とさも羨ましそうに言っていましたね。
あなたの為に休みなく家事をし、懸命に尽くしている私をないがしろにして、家事のまったく出来ない友達の彼女を羨ましがるとは何事か、と怒り心頭し
「その人の家、お手伝いさんいるの?いないよね?それにその人のお兄さん、やくざだよね?やくざの妹がお嬢様なの?」
と詰問したり
「本物のお嬢様なら、しかるべき大学出て、親のコネで大企業に就職する筈でしょう。どうして高卒でその辺の洋服屋で働くのよ。おかしいじゃない」
などと責め立ててしまいました。
私はいつも親に拷問のように責め立てられるのがつらかったのに、あなたを拷問して苦しめてしまいました。私の前で他の女性を褒めないで、きちんと私を見て、私を褒めて、私を評価して欲しかったのです。
「俺はどうすればマリが喜ぶかいつも考えているよ」
と言ってくれるあなたに
「家事をして欲しい。それがいちばん嬉しい」
と答えると
「それだけは…」
と、また口ごもり
「何か買って欲しいとか思っていない。家事をやって欲しい」
と言っても
「だから、俺は台所に入ろうものなら、親戚のおばさんとかに、あなたは男の子だから台所に入っちゃいけないよって注意されるような、そんな育ち方をしたんだよ」
と「素晴らしい育ち方」をひけらかすばかりでした。
仕事と家事に疲れ果て、この状況を何とかしたいと願い、嘆願書を書くつもりで切々と書き綴った家事を分担してくれという手紙と、家事分担表を作った私にこう言いましたね。
「こんなもの書く暇あったら、さっさとやればいいだろう」
ああ嘆願書さえ受け付けてもらえないのか、ともっと落胆し、こんな人の為に一生懸命やる事はないと思ってしまいました。
ただあなたも、こんな私に尽くす事はない、こんな女に操を立てる事もないと思ったでしょうね。外で彼女と会って帰って来た日は妙に優しかったし、望みもしない洋服を買ってくれたりしました。やましくて、そしていちばんつらかったのはあなただったのでしょう。そして「俺はお前が想像もしないような事を外でしてきたんだぜ」と言いたげな顔もしていました。
同い年でありながら「どう?俺って母性本能くすぐるでしょ?」と言いたげなあなたが段々疎ましくなり、どんどん粗末にするようになった私にこんな警告をしましたね。
「仮に、仮にだよ。俺に新しい出会いがあったとして、その人に俺を取られたらどうするの?」
もう俺はひとりじゃないんだ。お前にはライバルがいるんだ。俺は今にもその人を選びそうなんだ、そうされたくなかったら俺を大事にしろ、家事をもっと一生懸命うまくやれ、そうすれば俺はお前を選んでやる、安心せずに危機感を持て、と言いたかったのでしょう。私と外の彼女を勝負させたかったのでしょう。ですが疲れ果てていた私は、本心ではなかったのですが、ついこう言ってしまいました。
「どうぞ。あなたみたいな厄介な人いらないわ。もう別れてもいいと思ってるわ」
あなたは愕然と、ただ突っ立っていましたね。酷い事を言ってごめんなさい。
矛盾していますが、私はあなたが好きでずっと一緒にいたかったのですが、結婚したら一生これが続く、それは嫌だ、と思っていました。文句ばかり言われる毎日に嫌気が差し、ある時ついこう言ってしまいました。
「じゃあ自分でやればいいじゃない!」
それは私が母に言われてつらかった言葉でした。なのにあなたに言ってしまった心無い私。
ただそう言うと必ずあなたは黙り込むので、文句を言われるたびに毎回言うようになりました。
しまいにあなたが
「ねえ」
と言っただけで
「じゃあ自分でやればいいじゃない!」
と怒鳴ってしまいました。あなたはきっと
「ねえ、明日一緒にどこかに出かけようか?」
等言おうとしていたのでしょうね。最後まで聞かず、強引に遮り、また文句言うのだと決めつけ声を荒げ、本当にごめんなさい。どんどん会話が成り立たなくなっていきましたね。
「あなたはいくら何をしてやっても無駄なのね!」
と言いながら、あなたの背中を蹴った事もありました。あなたは「そんなに尽くしてくれていないじゃないか」と言いたげな顔をしていましたね。
このずっと後、母に同じ事を言われ、背中を蹴られる羽目になりました。自分のやった事が返って来たのでしょうね。
毎年私の誕生日に靴や洋服を買ってくれて有難う。ただ、あなたの誕生日に洋服や靴など、何をあげても喜んではくれませんでした。さも嬉しくなさそうに
「…わあい…」
と、口だけで取り繕うように言い、全然使ってくれませんでしたし。
「何が欲しいの?」
と聞くと、一瞬言ってもいいの?と言いたげな嬉しそうな顔はしますが、はっきりと言ってくれた事は一度もなく、焦れた私が切れると
「何年付き合ってるんだよ。どうして俺の好きなものが分からないんだよ」
とまた口の中でもごもご、あなたといると本当に気が狂いそうでした。
あなたは私以上に反論や説明が苦手で、口の中でもごもご言うのが精一杯でしたね。
苛立ち、怒鳴りつけ、ひっぱたいたり、蹴ったりしてごめんなさい。狂暴で、年中切れていて、手に負えなかったでしょう。
「これに懲りて二度と文句言うな!」
と怒鳴ってしまいました。それは私が父に言われて嫌だった言葉です。
あの頃私は暴力を振るったり、拷問のように詰問した後、恥ずかしくなってわざと知らん顔をしたり、つらく当たった穴埋めをしようと変に優しくしたり、ベタベタ甘えたり、キャッキャッとはしゃいだりしていました。どう接していいか分からず心底困っていたでしょう。
そんなに優しくしてくれなくても良いから、つらく当たるのをやめてくれと思っていたでしょう。そしてどうすれば私が変わるか、あなたを愛するようになるか、試行錯誤していましたね。私は親に完璧を求められて嫌だったのに、あなたに完璧を求めてしまいました。どうしようもない私でごめんなさい。
悪意はなかったのでしょうが、野菜や食器の上で手を洗ったり、部屋やトイレを毎日滅茶苦茶に汚す不衛生さにも耐えられませんでした。
トイレ掃除した直後にまた汚くなっているのを見てつい激高してしまい、私をなだめようとしたあなたが洗っていない手で私の顔を触った事に、まるで燃え盛るように怒り狂い、
「汚い汚い!大腸菌男!出ていけ、二度と帰って来るな、そんな事するなら死んでしまえ」
と啖呵を切ってしまった時の、あなたの悲しそうな、居たたまれなそうな顔が忘れられません。
そのままバイクで出かけ(きっと彼女の所へ行こうとしていたのでしょう)、事故に遭い本当に二度と帰って来なくなってしまいました。
私はそれ以来、言葉に気を付けるようになりました。言った事が本当になってしまったのですから。
命尽きるその瞬間、私との楽しい思い出も少しはよぎってくれましたか?
痛かったでしょう?
苦しかったでしょう?
誰かに助けて欲しかったでしょう?
文字通り言葉通り「死ぬ思い」をしたでしょう?
あまりにもあなたが可哀想で、あまりにも申し訳なくて、私はまともでいられなくなりました。あっという間に酒浸りになり、借金まみれになり、本当に酷い生活になり、そこから立ち直るのに丸5年かかりました。偶然なのか、あなたと暮らしたのとまったく同じ歳月を費やしました。
ただあなたと暮らした日々と、別れてからの5年間は、私にたくさんの学びをもたらしてくれました。
私が今、満ち足りた心持ちでいられるのは、夫をはじめとする周囲の人に感謝しながら暮らせるのは、あなたが「結婚のリハーサル」をしてくれたお陰です。人と暮らすというのはいかなる事か、予行練習をしてくれて本当に有難う。
人は皆、使命を持って生まれ、その使命をすべて果たした時に天国へ還ると言いますが、あなたの使命に私の生活を助ける事と、結婚のリハーサルをする事、そこから色々学ぶ事、と言うのがあったのでしょうね。
また
「1ケ月くらい働かなくても生活出来るように貯金しておいた方がいい。何かの時にその貯金が自分を助けてくれる」
という言葉も忘れていません。その通りにした結果、私は失業しても余裕を持って次の仕事を探す事が出来、お陰で愛社精神を持って働ける会社に出会えました。
いつもいつも「その月暮らし」だった私が、自分の人生を長い目で見て行動出来たのです。本当にあなたのお陰ですよ。有難う。
「良い事と悪い事はセットで来るね。俺はマリといて他の人とでは絶対味わえないくらいの楽しさを得られるけど、ひとたびマリが切れると死ぬほどつらい思いをせざるを得ない。このつらさを断ち切ろうとすると、楽しさも手放す事になる」
と、私が暴れた後に涙ながらに言っていた言葉も
「信用されるっていうのは大変さも一緒に連れて来るね。社会的信用がないとクレジットカードも作れないけど、カードを作ったが為に借金を背負う事になる」
と支払いしながら言っていた言葉も、心に留めています。
天国と地獄をセットで与えてしまってごめんなさい。支払いをさせてしまいごめんなさい。
家事を嫌う私に、何とかやる気を出して欲しいと願い、近所に出来た新築のアパートに引っ越しをしたり(近所だから通勤が便利になった訳でもなく、広くなった訳でもなく、全然意味がないと思っていました。まして家賃も高くなったし、踏切を2回も渡らなくてはいけなくなり、むしろ不便になり不満でした)、可愛いお皿を買い揃えたり、調理器具やダイニングテーブルを買ったり、報われない努力を重ねていましたね。
汲み取れず、この人無駄なお金を使うな、望む事はやらないくせに、望まない事ばかりして、と思いながら知らん顔してしまった、鬼のような私。
消費者金融から多額の借金をしていたと後から知りました。私のせいで、首が回らなくなる程の借金を抱えさせてしまい、本当に申し訳なかったです。
お互いどうしたら良いのかさえ分からなくなり、お互いを憎みそうになった時に、そうならないように神様があの事故を起こし、二人を永遠に引き離してくれたのかも知れませんね。今はもう、痛くも苦しくもつらくもないでしょう?
そう言えば、私はあなたが事故死して以降、毎年春先になると精神が乱れていました。
どうして人にこんな事を言ってしまうのか、してしまうのか、というようなおかしな言動を繰り返したり、気が狂いそうに苛立ったり、あまりにも何年も何年もそうなるので自分を持て余し、何の精神病だろうと思っていました。
そしてある時、4月27日のあなたの命日が近づくと調子が狂う、命日が過ぎると症状が治まる、という事に気づき、愕然としたのです。もうひとりの私が、必死に甘え、思い出してくれと訴え、下手なりにバランスを取ろうと、荒れてくれていたのでしょうね。
それ以来、私は春先になると先回りするように、もうひとりの自分をいたわり、分かっているよと話しかけ、じゅうぶん甘えさせ、優しく守るようになりました。
お陰でそれからは精神も乱れなくなり、もうひとりの私も暴れなくなり、落ち着けるようになりました。
そのもうひとりの私というのは、私の中にいつの間にか入り込んでいたあなたの魂だったのかも知れませんね。
もっとあなたをたいせつにすれば良かった。
その想いを今、家族に向けています。
しょうちゃん、空の上で楽しくバンド活動していますか?
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