第21話
ヨウコ、生まれてすぐ親に捨てられ、嫌味ばかり言うおばあちゃんに育てられた。
病気がちなおばあちゃんの為、学校さえまともに通えず、まだ15歳だったのに風俗店で働くのは、本当は嫌だったろう。
彼氏の借金を返す為に懸命に働き、稼いだ金を全額渡し、周囲から変な目で見られ、私にまで娼婦呼ばわりされ、殴られ蹴られ、どんなにつらかったろう。
妊娠した時、喜んでくれると思ったのに、散々尽くした彼氏に
「客の子だべ?俺は知らねぁ」
と言われ、冷たい背中を向けて去っていく、一度は愛した人の姿に絶望したろう。
何とか金をかき集めて中絶手術を受けるのは、宿している赤ちゃんに申し訳なくてたまらなかったろう。
その上、その産婦人科の医院長が
「この少女はどうせお気楽さセックスして妊娠したんだべ。それなりの罰を受げさせる。麻酔なしで手術をする!」
と麻酔なしでの手術を強行した。
はかり知れない恐怖と、脳天まで轟くような激痛から逃れようとする幼いヨウコの手足を、若い男の医師が5人がかりで押さえた(当時、ワイドショーや週刊誌に取り沙汰された。勿論ヨウコの実名は伏せての報道だったが、ショッキングな事件として大きなニュースになり、その産婦人科は閉院へ追い込まれ、医院長も、加担した医師たちも逮捕された)。
しかも過剰掻把で、二度と妊娠出来ない体になり、もっと絶望したろう。
宮城県出身、白崎葉子さん、いじめて、本当にごめんなさい。
アユミ、小さい頃からお父さんが経営する高級レストランの手伝いを朝から晩までさせられ、友達と遊ぶ事も許されなかった。
「アユミちゃんはどうせ遊べないんでしょう」
と学校のみんなに言われ、仲間外れにされ、いつもひとりぼっちで過ごしていた。
親には
「この店の後継者としての自覚を持て」
と言われ続け、仕込みの為、修学旅行にさえ行かせてもらえなかった。
誰に相談しても
「いいじゃない、最初から経営者なんて。しかも高級なんだし」
としか言われず、誰からも共感してもらえないさびしさを常に抱えていた。
初めて恋した相手が、アユミの気持ちを理解してくれ
「必ず救い出してやる」
と約束してくれたその直後に、アユミの目の前で事故死し、生き残った自分を責めてつらい日々を送っていた。
何度も死のうとして死にきれず、麻薬に手を出さずにはいられなかったのだろう。
やけになり、好きでもない男を家に引っ張り込まずには、精神のバランスさえ取れなかったのだろう。
すべての原因を作った親を相手に暴れずにいられなかったのだろう。
その親が、娘の苦しさをまったく理解せず、本当にやりきれなかったろう。
東京都出身、川島歩未さん、今は健やかですか?
タカエ、お父さんが生まれつきの身体障害者で、お母さんが精神病者で、
「お前もいつかそうなるで」
と周囲に言われ続け、もう聞きたくなかったろう。
お姉さんがそれを苦に自分の前で焼身自殺をし、調理の火は勿論、煙草の火も、キャンプファイヤーの火も、空を彩る花火でさえ駄目になり、何よりお姉さんを守れなかった自分を責めてつらかったろう。
何度恋をしても、相手に親の事を知られるたびに振られ、惨めだったろう。
やけを起こし、暴走族に入らざるを得なかったのだろう。
「走りょーる時だけは嫌な事を忘れられた」
と遠い目をしながら言っていた。
決してそんなつもりはなかったのに、その暴走族のヘッドに色目を使ったと言いがかりを付けられ、集団リンチされ、追い出され、行き場を失い、途方に暮れたろう。
和歌山県出身、魚住孝枝さん、今は穏やかな毎日で、火を見ても大丈夫になりましたか?
マユミ、見た目は普通だが、実は学習障害で普通の事ができず、親にまでうちの家系にそんなのいないと罵られ、いたたまれなかったろう。
年上の従兄弟にドライブしようと誘われ、車で山へ連れて行かれ、性的暴行を受けた上に
「お前が俺を誘うたんだ。この知恵遅れ」
と罵られ、置き去りにされ、丸三日飲まず食わずで歩き続け、本当に死にそうになりながら、やっと自力で下山した。
勇気を振り絞り、親に話しても
「幻でも見たんでねえ?あのお兄ちゃんは優秀で一流大学に行ってるさかいそんな事する筈ない」
と一蹴され、絶望しただろう。
犯された自分が悪い、自分を汚いと思い込み、自分がいちばん嫌いなのは自分だと言っていた。
どこも雇ってくれず、誰もかばってくれず、理解もしてくれず、夢のない環境はたまらなかったろう。
石川県出身、漆戸麻弓さん、今は普通に働いていますか?
チカコ、躁鬱病を患い、自分が爆弾だと言っていた。
その爆弾がいつ噴火するか分からず、恐ろしかったろう。
お母さんの再婚相手が働かず、ギャンブルに明け暮れる上に暴力を振るい、つらかったろう。
叩かれた耳の鼓膜が破れ、片耳が聞こえなくなり、絶望したろう。
かばってくれず、その男と別れてもくれないお母さんに苛立ったろう。
いくら働いても収入はすべてお母さんが泣きついて取り上げていき、何の楽しみもない毎日は地獄だったろう。
「誰に借らるるか、それだけば考えれ」
と再婚相手に言われたお母さんが、会う人会う人に借金乞いをし、恥ずかしかったろう。
知人に会うたびに、私はあなたのお母さんに5万円貸している。僕は10万円貸している。自分は20万円貸している。
さあ早く返してくれ、と言われ、しかもみんながみんな、手の平を上にして自分に向け、迫って来たそうだ。
返事のしようもなければ、借りた金を返す事も出来ず、近所を歩く事さえ恐ろしかったろう。じゃんけんのパーでさえ、その時の事を思い出してしまうと言っていた。
その上、恋した相手がいい加減な男で、チカコから金をせびるばかりでなく、自分の子を身ごもったチカコに平気で中絶手術を受けさせた。
仕方なく子どもをおろしたチカコを相手に、その男はまたしても避妊をせずに自分の欲望だけを果たし、行為の後
「お前、ガバガバになったな」
と言い放ち、傷つけ放題に傷つけた。
「誰のせい?」
と聞いたチカコに、
「おいのせいにしなしゃんな、自分のせいやろう。こん人殺し!赤ん坊殺し!」
と罵声を浴びせ、ホテル代も払わずさっさと帰ってしまった。
なけなしの金を払い、そのラブホテルを出る際、闇から闇へ葬り去った赤ちゃんの幻覚を見た上、泣く声を幻聴で聞いたと、恐ろし気に言っていた。
長崎県出身、三條千佳子さん、今は生活も精神も安定していますか?
アサコ、お父さんが浮気ばかりし、その相手とうまくいっている時は家族にもむやみに優しく、うまくいかなくなった途端に八つ当たりしてくるのは嫌だったろう。
その上、お母さんが他人の借金の保証人になり、5000万もの返済に追われていた。
その日食べるものさえなく、パン粉や小麦粉を水でねって食べる毎日で、カップラーメンでさえ、御馳走だった。
中卒で就職せざるを得ない状況に耐え、懸命に働き続けても、稼ぐ金は残らず親に取られ、周囲に中卒、中卒、と馬鹿にされ、悔しかったろう。
職場で支給される昼の仕出し弁当が、唯一の食事で、休みの日は何も食べずに過ごすのは、若く食べ盛りの身には堪えただろう。
だから光の園では臭いとはいえ、一応3度食べられてそこは嬉しかったと言っていた。
何の楽しみもなく、おしゃれも出来ず、同世代の友達の華やかな格好が羨ましく、ふと魔がさして綺麗なワンピースを万引きし、その場で店の人に捕まってしまった。
たった一度の過ちを周囲は許さず、職場を追い出され、万引き少女と近所にも言われ、居たたまれなかったろう。
お母さんがお金の為に、痴漢の冤罪を何度もでっちあげ、罪のない人から和解金をせしめるのは相手に申し訳なくて、心苦しかっただったろう。
愛媛県出身、守岡安佐子さん、今は良い香りのするおいしい食事を毎日3回食べられていますか?
キミコ、お母さんが次々に男を替え、恥ずかしかったろう。
派手な格好をし、男に媚びるお母さんを見ていられなかったろう。
結婚、離婚を繰り返し、自分までしょっちゅう苗字が変わり、何て名乗ればいいか分からず、それを理由に学校でもいじめられ、嫌だったろう。
しかも金がかかるからという理由でまったく引っ越しをせず、同じアパートに住み続け、近所にも軽蔑の目で見られ、
「あ、また新しいお父さん?」
と嫌味を言われ、せせら笑う人たちの声に耳をふさぎたかったろう。
それぞれ父親の違う弟二人の面倒を見るのは苦痛だったろう。
早く大人になってひとり暮らしをしたくてたまらず、高校を中退して仕事を探しても、正社員として雇ってもらえるのはだいたい高卒以上だったから、どこも雇ってくれず、途方に暮れ、アルバイトを掛け持ちして体を壊すまで働き詰めだった上に家事も全部させられ、小さい弟たちの世話もさせられ、自分の時間なんて1秒もなかった。
だから光の園ではゆっくり出来て、そういう意味では幸せだったと言っていた。
アパートを借りる目的でやっと溜めたお金を、お母さんの6人目の再婚相手に力づくで取られ、頭に血がのぼって刺してしまった。警察沙汰にしない代わりに光の園へ行けと言われ、悔しかったろう。
福井県出身、小菅君子さん、今は誰か優しい人と結婚して、同じ苗字でずっと暮らしていますか?
ノリコ、もう好きじゃなくなった彼氏に
「俺に逆らったら殺す」
と言われ続け、裸の写真を強引に撮られ
「別れるならこの写真をばらまく」
と脅され、仕方なく付き合うのは嫌だったろう。
妊娠しても暴力を振るわれ、そのせいで流産し、入院した時だけ病院スタッフや他の入院患者の前で、これ見よがしに優しさをひけらかす彼氏のわざとらしさに辟易したろう。
退院し、アパートに帰った途端に豹変して
「お前がどこに逃げても必ず見つけ出して殺す。俺は刑務所に入っても平気だ」
と言われ、逃げるに逃げられず、いっそ心臓発作でも起こして死んでくれと思わずにいられなかったろう。
親に光の園に入れられた時、心のどこかでほっとしたと言っていた。それだけに
「シャバに出るのが怖い。またあいつが追いかけて来る」
と本気で怯えていた。
だから光の園でもあえてケンジという男を作り、早く結婚して守って欲しかったのだろう。
そのケンジも、光の園に入る前に起こした傷害事件で負傷させた相手に多額の賠償金を払わねばならず、決して余裕のある身ではなかった。
ノリコはケンジと一緒にその賠償金を払う覚悟は出来ていたが、先に退園したケンジが自分を待っていてくれず、シャバで年下の女を見つけ、早々に子どもを作って結婚したと聞き、目の前が真っ暗になったろう。
自分の退園が決まった時も、もともと暮らしていた北海道以外のどこに行こうかと悩んだろう。
なるべく遠くに、という考えから沖縄の叔母さんの所へ行ったはいいが、そこでも朝から晩まで叔母さんの旦那さんが経営する民宿でただ働きさせられ、衣食住完備してやっていると恩着せがましく言われ続け、貯金も出来ず、将来に希望も持てず、つらかったろう。
北海道出身、桑名徳子さん、今は安心していますか?
クミコ、何年も何年も目を合わさず、口もきかず、お互いを無視しあうお父さんとお母さんの間を、何とか取り持とうとするのはしんどかったろう。
お母さん方のおじいちゃんが死んだ時に、それさえお父さんに言うに言えないお母さんがお父さんに黙って葬儀を出した時、せつなかったろう。
列席者に
「あれ?お父さんは?」
と聞かれ、返事のしようがなかったろう。
お父さんが平気で家に若い女を連れてきて、お母さんが負けじと若い男を作り、お互い対抗意識丸出しの親を見ているのは、やっていられなかったろう。
妹がそんな家庭環境に耐えられず家出して、アダルトビデオに出るようになった時は、恥ずかしくて、妹が可哀想で、たまらなかったろう。
お母さんの彼氏に力づくで犯され妊娠、お母さんには勿論、お父さんにも誰にも相談出来ず、その後も平気な顔で家に出入りするその男の悪魔のような無神経さに身の毛がよだったろう。
中絶手術を受けようにも同意書がなければ手術さえ受けられず、日本の法律のおかしさに心底困っただろう。
加害者であるお母さんの彼氏にそんな事を頼む訳にいかず、知人男性に頼み、どうにか同意書を用意して手術を受けたが、その知人男性がそれをネタにクミコを脅迫、関係を迫る上に金まで要求するようになり、もっと困っただろう。
おまけにお父さんの彼女にまでいじめられ、悔しかったろう。
鳥取県出身、稲代九三子さん、今は胸を張って生きられていますか?
ミナコ、異常に嫉妬深い彼氏にいつも疑いの目で見られ、誤解され、言う事なす事すべて悪く悪く取られ、いちゃもんを付けられ、顔の骨が折れるまで殴られるのは耐えられなかったろう。
「他の男に相手にされへんように」
と、背中に入れ墨を入れられたり、髪を滅茶苦茶に切られたり、陰毛も何度も剃られ、そのせいでたわしのように濃くなってしまったと悩んでいた。
別れたいのに別れられず、どうしていいか分からず、誰に相談しても
「ええやん、そないに愛されて」
としか言われず、理解も助けも得られず、途方に暮れたろう。
いっそ嫌われようとしてわざと20キロも太ったり、ベッドの中で大きい方を失禁しても、彼氏が怒るか、異常な目で見るか、どちらかで別れてはくれず、これ以上何をしたらいいんだろうと思いあぐねただろう。
思い切って親の所へ帰ってみたら、お母さんはまだ話を聞いてくれたが、その相談をしている最中にお父さんがお腹の膨れたフィリピンダンサーの女の人を連れて帰って来て、久しぶりに帰って来ていたミナコの顔を見ても嬉しそうな顔ひとつせず、
「俺、お前と別れてこいつと結婚する。こいつ俺の子を妊娠しているんや」
と高らかに宣言し、その場で強引に離婚届にサインをさせ、けんもほろろにお母さんと自分を追い出した。
行く当てもなく、お金もなく、お母さんと二人でお母さん方のおじいちゃんの家へ行ったら、一応住まわせてはくれたが、来る日も来る日も邪魔者扱いされ、食事さえろくに食べさせてもらえず、些細な事で暴力を振るわれ、いたたまれなかったろう。
フィリピン人を見るたびに、憎しみがこみあげてたまらなかったろう。
お母さんも自分の事に精一杯で、ミナコの事を少しも考えてくれず、誰も自分を守ってくれない状況に張り裂けそうだったろう。
それだけに、光の園では尼さんたちが一応自分の事を考えてくれて、そこは有り難かったと言っていた。
光の園を退園後、何年も就職活動を続けたがなかなかうまくいかず、25歳の時にやっと正社員として雇ってもらえた宝石店で、500万円もするダイヤの指輪を万引きされ、そこの社長に責任を取れと迫られて強引に500万のローンを組まされ、毎月少ない給料からローンを払い続けていた。
犯人も捕まらず、また似たような事があればローンを組まされると恐れおののきながらも他に雇ってくれる会社があるかどうか分からず、その宝石店を辞めるに辞められず、払っても払ってもローンは終わらず、生活は苦しく、満足に食べる事さえ叶わず、つらかったろう。
大阪府出身、関山南子さん、今はローンも完済し、誰かにたいせつにされていますか?
フサエ、お兄さんが中学生にしてヤクザになり、親がその途端に自分をがんじがらめに束縛するようになった。
ヤクザの妹など、誰も相手にしてくれず、学校でいつも誹謗中傷にさらされながらひとりぼっちで過ごしていた。
遠足の時でさえ、ひとりで弁当を食べるのは、ほんの少しも楽しくなかったろう。
家では親に1から10まで命令され、気が狂いそうだったろう。
恋した人がほどなく麻薬に溺れ、自分に救いを求めてきて、初めて誰かに頼られて嬉しかったと言っていた。
何とか立ち直らせようとしたが、どうにもならず、自分の無力さを呪ったろう。
いっそ同じ気持ちになりたいと自分もクスリに手を出し、多量摂取した彼氏が自分の目の前で泡を吹いてショック死し、その後1年くらいの記憶がまったくない、どうしても分からないと首を傾げていた。
それこそ「死ぬほどのショック」を受けたろう。
光の園で起こした放火事件で少年院に服役、出所後に知り合った人と19歳にして結婚、やっと幸せになれると思ったのに、結婚式を挙げた翌日、
「なあ、釣った魚に餌はやらんって知っとるか?わしにとってわれはもう釣った魚じゃ。餌はやらんけぇ一生そのつもりでいろ」
と旦那さんに言われてしまう。
その上、生まれてきた女児が身体障害者で、周囲から奇異の目で見られ、歩き方まで笑われた。
「エへ、エヘ」
と言いながら首を変な角度に曲げて跳ねるように歩く我が子を、祖父母であるフサエと旦那さんの親でさえ愛さず、気持ち悪がって遠ざけ、近所も遠慮なく嘲笑い、まるで自分が光の園で身体障害者の真似をして馬鹿にしたのが返って来たようだと言っていた。
子どもにも自分にも友達が出来ず、さびしかったろう。
旦那さんが支えるどころか、過去を正直に告白したフサエに
「前科者のわれと一緒になってやったんじゃ。有り難う思え」
と何度も言い、子どもの前でもフサエをいじめ、外に女を作り、あっけなく離婚され、自分の人生は何なのだろうと虚しかったろう。
何とか子どもと生きて行こうと就職したが、その会社がすぐに倒産、子どもも短命で小学校に上がる前に命を落とし、身体障害者でも何でも生きてさえいてくれれば良かったと、きちんと守ってやれず申し訳なかったと死ぬほど悔いたろう。
広島県出身、高科房枝さん、今はたくさんの良い友達に囲まれ、悔いのない生き方をしていますか?
ヤスエ、小学校5年生の時に、実の父親に凌辱された。
ずっと自分が何をされているのか分からないまま、激痛に耐えていた。
お母さんが見て見ぬ振りをし、同居するお父さん方のおじいちゃんとおばあちゃんも助けてくれず、誰にも相談出来ない苦しい日々を送っていた。
ヤスエが中学3年生の時にそれを知った2歳下の弟が、自分を助けようとして、お尻を出したままのお父さんを突き飛ばし、階段から落としてしまった。
その時の弟の信じられない現実を見せられた、驚愕の表情が忘れられないそうだ。
救急車が来る前に、そんなお父さんのズボンを、ヤスエはそれでも上げてやった。救急隊員の人に見られたら恥ずかしいだろうと気遣い、最後の親孝行と思ってお父さんの尻を隠してやった。尻拭いならぬ、尻隠しをしてやった訳だ。
お父さんは階段から落ちた際に頭を強く打ち、植物状態になり、半年間寝たきりの末、肺炎になり、意識がないまま寒がって震えながら死亡した。
稼ぎ手がいなくなり、家族がそれでも体裁を気にして弟がやったとは言わず、お父さんが自分で階段から落ちたと家族全員が言い張り、事故処理され、やっとお父さんの毒牙から解放されたとほっとしたが、弟がそんな環境に耐えられず、わずか13歳で蒸発してしまった。まだ子どもなのにと、心配でたまらなかったろう。お母さんたちは心配もせず、探そうともしなかった。
自分が働くしかなく、中学を卒業するのと同時に平日は工場で汗にまみれて働き、週末も朝から晩まで電話営業の仕事をして家族を養った。
お母さんが働きもせず、家事もせず、おじいちゃんとおばあちゃんの面倒を見ようともせず、ただ恨み言を言いながら、自分を軽蔑の眼差しで見続ける事に耐えられなかったろう。ひとつの地獄が終わって、新しい地獄が始まったのだから。
降りないと思われていたお父さんの多額の生命保険金が降りた途端、お母さんがおじいちゃんとおばあちゃんを安く質の悪い老人ホームへ放り込み、若い男と再婚し、ヤスエを光の園へ叩き込んだ。
たった一度、面会に来て
「絶対に自分の邪魔をしないと約束するんだら出してやる」
と言い放ち、仕方なく頷いたヤスエを退園させてくれたはいいが、ヤスエのこれからを考えてくれる訳でもなく、本当に一切の関りを断ち、ただ放り出した。
行く当てもなく、お金もなく、どうしたものか途方に暮れながら、念の為に家まで行ったヤスエの目に飛び込んで来たのは、売りに出され、更地になっていたかつての我が家だった。お母さんはお父さんの生命保険金と、家を売ったお金を手にし、新しい亭主とどこかへ消えてしまったのだ。
中学時代に仲の良かった友達を頼り、その親が経営する中華料理店に住み込みで働かせてもらうようになったが、その父親が自分を嫌らしい目で見る上、調子に乗った友達が自分を奴隷のように扱い、顎で使い、また別の地獄が始まったと悔し涙を飲む毎日だった。
随分経ってから、弟が風俗店の呼び込みの仕事をしているのを見かけ、決して幸せそうには見えなかったが、帰る家もなければ、温かく迎える家族もなく、ヤスエ自身も引き取る力も何もない上、弟も昔の事を思い出すのも嫌だろうし、もしかして今の方がましなのかも知れないと、声を掛けるに掛けられず、遠くからただ元気でいてくれと願うしかなかったと言っていた。
長野県出身、伊駒安恵さん、今は天国のような毎日で、弟さんとも仲良く交流していますか?
尼の中井さん、まったく自分に関心を持ってくれない両親を見て育ち、何とか幸せになりたいと、賭けるような気持で結婚した旦那さんに光の園に入れられ、つらかったでしょう。
仏教だけは自分を裏切らないと信じて毎日7回どころか、50回くらいお経をあげていた。
「必ず主人が迎えに来てくれる」
と言いながら、懸命にお経を上げ続ける中井さんを旦那さんは平気で裏切り、勝手に籍を抜き若い女と再婚していた。
旦那さんは、自分をまだ中井という苗字だと信じる妻に、一度だけ面会に来て
「三橋さん、これが俺ん新しか家族」
と中井さんを旧姓で呼びながら、笑顔で奥さんと赤ちゃんと自分が3人で映る写真を見せつけた。
茫然とする中井さんに、旦那さんは
「一生ここしゃいろ」
と言い残し、冷たい背中を向けて去っていった。
誰かに退園手続きを取ってもらえなければ、光の園から一歩も出られない為、中井さんは焦り、お上人さんに相談するものの
「では一生いたらいい。尼なら毎月10万円の養育料は払わなくていいし、出世出来るし、良かったね」
と言われてしまう。そういう問題ではない、と絶望しただろう。
6年経過後、ようやく娘の不在に気付いた親御さんに退園させてもらえたが、社会経験がほとんどないまま35歳になっていた為、どこにも就職出来ず、同じく精神病者の世話をする仕事にしか就けなかった。
もううんざりだったのに、別の仕事をしたかったのに、と不満だったろう。
自分の娘に徹底的に無関心で、不在にさえ何年も気づかなかった両親も、裏切った旦那さんも許せなかったろう。
熊本県出身、三橋郁子さん、今はやりがいのある仕事に就いていますか?
元チンピラで当時33歳だったおじさん。
開業医の曽祖父、後を継いだ祖父、医師の両親を持ちながら、子どもの頃から何をやってもうまくいかず、
「どいて出来んのじゃ」
と言われ続けて育った。
医学部に進学し、親の後を継ぐ事だけを考えていればいいお兄さんにまで
「うちでおかしいのはわれだけだ」
といじめられ、誰に相談しても
「やれば出来るろう?やろうとせんだけやろう?」
としか言われず、理解者のひとりもいない苦しい人生を送っていた。
友達に誘われ、やくざな道へ進んだ途端に周囲が自分を必要としてくれるようになり、初めて生きている実感が持てて嬉しかったと言っていた。
苦しみながら医師を目指すより、楽しくチンピラをしている方を選んだ自分を両親と兄は
「頭がおかしいがよ」
と決めつけ、精神病院へ放り込んだ。中で酷い扱いを受け、たまりかね、出してくれと頼み続ける自分に、家族は
「犯罪者として有名になったら自分たちが困る」
と言って光の園へ押し込んだ。
一生知らないとばかりに手紙ひとつくれず、面会にも来てくれない家族に絶望し、何の為に生きているかさえ分からなくなり、たったひとり、お上人さんだけは自分を理解してくれる事が嬉しく、光の園で「出世コース」を選ぶしかなかった(それこそ一択だった)。
どこへも行きようがない。ここにいるしかない、と覚悟を決め、お上人さんを信じて仏教を極める自分にようやく満ち足りた気持ちになれたものの、園内で私に会い、初めて「シャバに出てこいつと暮らしてみたい」と思うようになった。
だが、便宜をはかろうとしない自分に、私がすぐにそっぽを向いた為、また「こがなもんだ。どうせこがなもんだ」と、絶望した。
自分には光の園しかないと、光の園にしがみついて長年生きてきた。
その光の園が、今回事件を起こし、閉園され、それこそ行き場を失くし、73歳にして路頭に迷っているだろう。
高知県出身、班目孝彦さん、新しくどこかのお寺で僧侶として迎えてもらえましたか?
チヨミちゃん、私はそれまで精神病と言うのは治らないものだと思い込んでいました。
ですがあなたがお父さんから送られた箱詰めのお菓子をみんなに配っている姿を見て、まして座り込んで声を出さずに泣いている姿を見て、決してそんな事はない、精神病は治るものだと学びました。
見事に病気を克服し、仕事をするようになったあなたは本当に立派です。
「マリちゃん」
と私の名を呼び、きちんと目を見てお菓子をくれた時の、あなたのまっすぐな瞳と優しさに満ちた声を忘れません。
徳島県出身、奥野知代実さん、今も福祉のお仕事を続けていますか?
借金地獄から光の園へ逃げ込んだカナエさん。
親の借金の為、20歳の時に35歳も年上の好きでもないおじさんと結婚させられた。
ギラギラした旦那さんが気持ち悪くてどうしても好きになれず、前妻や自分よりずっと年上のその人の息子や娘にもいじめられ、周囲のみんなに財産目当てと言われ、やりきれなかったろう。
借金がある以上、離婚する訳にはいかず、毎夜自分を求めて来る旦那さんに吐き気がしながらも応じるのは不本意だったろう。
ベッドの中で必要以上に「演技」をして、自分をごまかすしかなかったのだろう。
せめて子どもが生まれれば気も紛れるかも知れないと思ったが、一向に妊娠出来ず、虚しかったろう。
7年経過後、相変わらず妊娠も出来ず、満たされもしない結婚生活を友達に相談した所、憂さ晴らしにとホストクラブに誘われた。
たった一度の遊びのつもりだったが、接客してくれた9歳年下のカリスマホストに
「この店内にぎょうさん女性客いるやろう?いちばん綺麗で可愛いのんは君だよ」
と言われ、心を鷲掴みにされる。
その日から毎日電話が鳴り
「会いたいで、会える?今日、店においでよ」
と囁かれ、心臓を撃ち抜かれたような感覚に陥り、もっとはまり込んでしまう。
二度目はひとりで店に行ったカナエさんに、その人は
「僕の姫だよ。ひと目惚れしたんや」
と仲間たちに宣言、免疫のないカナエさんは、ホストたちの羨むような眼差しに舞い上がってしまう。
3度目にカナエさんが店に行った時の事、そのカリスマホストはカナエさんを見るなりすっと立ち上がり、黒服の男たちに何事か指示をして、他のホストを別の席に行かせた。そしてカナエさんをいちばん良いボックス席に案内し、自分も腰を下ろした。
何か特別待遇を受けたような高揚感を味わうカナエさんの目をじっと見つめ、彼は口を開いた。
「姫、僕の希望を言うてもええ?」
何だろうと思いながらも頷いたカナエさんに、その人は真顔でこう言った。
「これが、最後の恋で、あるように」
骨の髄まで痺れてしまったカナエさんは、その日彼と一線を越える。
「僕、本気やで」
彼はそう言って、カナエさんのすみずみまで丹念に愛してくれた。
初めて本当に好きな人と結ばれ、カナエさんは有頂天になったが、彼の方は他にもたくさんの女性客と関係し、同じ事を言っていた。
「姫、綺麗やで。姫、可愛いで。姫を愛してんで。姫は僕を愛してる?ねえ目ぇ見て、僕を愛してるって言うてや。僕をもっともっと愛してや。本気で愛してや」
愛し合う際、瞬きさえせずに自分を見つめ続け、熱に浮かされたように言い続ける彼にカナエさんは「この人はすっかりうちの虜なんや」と寸分も疑わなかった。
それが演技だとは、とても思わなかったし、後から考えても思えなかった。そして姫と呼ぶのは、決してカナエさんの苗字になぞらえている訳ではなく、ましてやお姫様のように思っているからでもなくて、他の女性客と名前を呼び間違えないようにする為だった。
「僕と姫は今、心も体もひとつになったんやで。溶け合う感じ、分かるやろう?」
そんな言葉に、カナエさんは身も心もとろけてしまう。
行為が終わって一緒にシャワーを浴びながら
「また欲しなった。まだ姫の愛が足らんよ。もっと頂戴。もっともっと」
と、その場で立ったまま愛し合う事もあったし、お互い服を着て帰ろうとする寸前に
「もっと姫が欲しい。もっと愛し合いたい。ここでええさかい」
と、後ろを向かされ、スカートをたくし上げられ、下着をおろされ、ドアの前で愛し合う事もあった。
夫と違い、果てても果ててもすぐに蘇る彼の若いパワーに圧倒されながら、それに応えられる自分も凄い女だと自負していた。
その人はカナエさんの敏感な位置を一発で覚え、果敢に攻め込み、悶えるカナエさんに見とれ、果てた後も体を離そうとしなかった。
「姫、姫ってなんでそないに魅力的なん?まだ離れちゃ嫌や。まだこのままでいたい」
そう言って「一体になったまま」飢えたように愛撫を繰り返し、また次の行為へ挑む。「交じわったまま3度も4度もいたす」その人に、カナエさんはフラフラになりながらも付いていった。
「姫は僕が今まで会った中でいちばんイイ女や。絶対離さへんからね、ええ?」
と会うたびに確認するように言われ、「うちらは付き合うとるんや」とカナエさんは確信、
「もっと愛撫して、もっともっと」
とせがむ彼に、自分が「特別イイ女」だからこの人はもっともっとと欲しがるんだと信じ込んだし、年上の自分が是非とも面倒を見ようという気にもなった。
店で
「姫、フルーツの盛り合わせが食べたい」
と言われ、ひと皿30万円もするフルーツの盛り合わせを注文し、口移しでお互いに食べさせ合い、たまらなく楽しい時間を過ごした。他の女性客の嫉妬に満ちた目に酔いながら。
「姫、姫ってば。もっと食べさせて」
と甘えたように言われ、次々に果物をくわえ、彼に食べさせた。他のホストの
「ええなあ、俺にも」
と言う声にのぼせながら。
「姫、ドンペリおかわり」
と言われ、躊躇なくひと瓶40万円のシャンパンを注文した。人目もはばからずにカナエさんの胸やお尻を撫でる彼に興奮しながら。
同伴出勤で待ち合わせた際
「姫、店で着るスーツが足らへん。いつも同じもの着ている訳にいかへんよ」
と言われ、すぐにスーツを10着も新調してやった。
「靴も傷んできた」
と言われ、その場で靴を15足も買った。
「腕時計も壊れた」
と言われ、600万もする高級時計を、ねだられるままに買い与えた。
「運気が上がるように金色の指輪をペアで買おうよ」
と言われ、高級店で1000万もするペアリングも購入。
「姫とドライブしたいさかい、車、欲しい」
と言われ、3000万の外車もプレゼントした。
求められるままに買ってやれば、素直に喜ぶし、身に付けるし、見事なハンドルさばきでドライブも連れて行ってくれたし、何より自分が彼を作り上げていくような錯覚にとらわれていった。
勿論そのたびに
「姫、元々綺麗やけど最近ますます綺麗になったで。その美しさはもはや奇跡レベルやで」
等の、誉め言葉も漏れなく付いてきた。
特に指輪を買った際、
「お互いに付け合おう」
と言われ、それぞれの左手薬指に指輪をはめた時には、まるで結婚式を挙げているような神聖な気持ちになった。
「僕たちの結婚式や」
彼もそう言ってくれたし、その店の従業員が全員集まって来て口々に
「おめでとうございます」
と言ってくれ、カナエさんに羨望の眼差しを送った。その視線にカナエさんはまた舞い上がり、本気でこれが自分たちの結婚式だと思った。
家の電話も鳴りやまず
「僕の姫、僕は今日も姫に恋焦がれてんで。会いとうて会いとうてうずくで、店に来て」
と言われ、ますますのめり込み、彼に会いたい一心で旦那さんの金庫からどんどん金を抜いて店に通いつめる。
必ず指名してやり、高い酒を注文し、売り上げに貢献し、店がはねた後はラブホテルへ直行、何度愛し合っても彼は
「姫、姫、もっと欲しい、もっと愛して。姫のなんもかんも見して、もっと広げて、もっと見して。僕のすべてを見てや。ああもっと見てや。姫が欲しうて欲しうて、ああ欲しうて狂いそうや」
と叫ぶように言い続け、カナエさんは狂喜乱舞、四六時中その人の事しか考えられなくなってしまう。
自分を求め続ける彼と是非とも一緒になりたい、夫のいる身では彼に悪いし、このままでは彼が可哀想。自分は彼と一緒になって新しく人生をやり直そう、彼も喜んでくれる筈。
カナエさんは決断し、旦那さんに離婚を切り出した。旦那さんは当然怒り狂い、肩代わりしたカナエさんの親の借金も放り出した上に、今までカナエさんがくすねたお金も返すように要求。その場で離婚届と借金を返すという念書にサインさせられ、家を追い出されてしまう。
玄関を出る寸前、開き直ったカナエさんは
「うち、ほんまはあなた、気持ち悪うて嫌やった」
と言い放ち、茫然とする旦那さんに冷たい背を向け立ち去った。
カナエさんはいったん実家に帰ろうとしたが、旦那さんから連絡を受けていた両親が
「何て事してくれたんだ。こうなっても金だけは払うてくれ」
と言って、娘を助けるどころか家に入れてもくれなかった。
その足でホストクラブへ行き、彼に相談した所
「良かった。姫が独身になってくれて」
と無邪気な笑顔で言われる。
この人だけは自分を見捨てないと、天にも昇る気持ちになったが、現実には何もしてくれず、カナエさんはキャッシングをしてお金を作り、ウイークリーマンションと電話を契約、そこで暮らしながらアルバイトを始めた。
アルバイトではたいして稼げず、途方に暮れるカナエさんに彼は
「話を聞くさかい店においで」
としか言わず、店に来させて自分の売り上げを伸ばし続けた。
いよいよ焦ったカナエさんが
「あなたの為にこうなったんやで」
と言っても
「考えてるさかい、ちゃんと考えてるさかい」
と言って自分を引っ張るばかりで、実際はカナエさんの事をまったく考えてくれず、シャンパンを何本も空け、フルーツの盛り合わせも何皿も平らげ、カナエさんの支払う金額をますます増やした。
帰る場所を失ったカナエさんは、せめて彼だけは離すまいとしがみついたが
「店に来て」
としか言われず、店に行く為にキャッシングを繰り返す事になる。
ある時
「もう限界」
と言って店を飛び出したカナエさんを、彼は勤務中にも関わらず追いかけて来てこう言った。
「分かってるさかい、分かってるさかい。僕が悪いって…」
行き交う通行人の視線も気にせず自分を力強く抱きしめる彼に、カナエさんはまた脳の髄まで痺れる感覚に陥ってしまい、そのままウイークリーマンションへ帰り、むさぼるように愛し合った。
「僕の目ぇ見て。お互い最後の恋と誓うたやろう?」
ベッドの中で静かに言う彼に、カナエさんは深く頷いた。そうだった。私たちは魂から愛し合い、すべてにおいて強く結びついているんだった。
彼は一体となったまま、カナエさんの胸に自分の胸をぴったりと押し当てた。
「僕の鼓動を感じる?僕も姫の鼓動を感じんで。ほら、あったかいやろう?」
そう言われたカナエさんは嬉しくなり、それ以上何も言えなくなってしまう。
「僕は姫じゃなっきゃ嫌やし、姫も僕じゃなきゃ嫌やろう?お互いにお互いじゃなきゃ、僕たちはもうあかんようになってんで」
耳元でそう囁く彼に、カナエさんは現実を忘れ、醒めない夢の中へうっとり沈んでいった。
体の相性は抜群に良かったし、避妊をせずに自分の中で果てるという事は、将来を考えてくれているという事だろうと、勝手に思っていた。
何より数々の殺し文句に翻弄されたカナエさんは、すっかり恋人になったつもりだったし、いずれ彼がホストを辞めて普通の仕事をしてくれる、自分の借金も何とかしてくれると信じたが、彼はあらゆる支払いをカナエさんにさせ、自分がどこに住んでいるかさえ決して明かさなかった。
妊娠した事を告げてもなお、その人はホストであり続けた。
「どうしたらええ?」
と聞いても
「大丈夫、僕が守ったる」
と口ばかりで、カナエさんが困り果てていると告げると
「稼げる仕事があるで」
と、風俗店で働く事を勧めてきた。
「そないな事言うなんて信じられへん。そないな仕事、絶対にしいひん」
と怒ったカナエさんに彼は急に冷たい素振りを見せ、他の客の所へ行ってしまう。
ひとりぼっちで席に取り残されたカナエさんは、彼が他の女性客と仲良くシャンパンを空けたり、口移しで果物を食べさせ合ったりしている姿を見ていられず、ましてその女性客を
「姫、姫ってば」
と呼ぶのも聞こえてしまい、惨めさを堪えながら慌てて会計を済ませ、夜の繁華街をとぼとぼ帰った。
心の片隅で、風俗店で働けばまだ彼をつないでいられる、と思いながら。
ぷっつりと連絡の途絶えた彼に業を煮やしたカナエさんが遂に自宅を探し当て、大きなお腹で会いに行った所、意外にも両親や、いかにも素行の悪そうな二人の妹ばかりか、要介護状態の祖父母と同居しており、しかも家は傾きかけた印刷工場だった。
店で会う時の都会的で精悍な様子とは打って変わって、よれよれのジャージを着て祖父母の介護をする姿に幻滅したが、もしかして本来は真面目な人だったのかも知れないと一縷の望みをたくし
「うちらの愛の結晶がもうすぐ生まれんねんで」
と言ったが
「枕営業やった」
と言われてしまう。
茫然とするカナエさんに彼は
「俺、ほんまはあなた、気持ち悪おして嫌やった」
と言い放ち、冷たい背を向けて立ち去った。そんな事を言われたらもはや追うに追えず、帰るしかなかった。
だがもしかして、自分が35歳年上の旦那さんに放った言葉とやった事が全部返って来たような気もしたと言っていた。
もうひとつ思い出した事が、その人はカナエさんと性交し、射精する寸前に必ずこう言っていた。
「姫、今から僕の命をあげんで」
言葉通りその人は自分の「命」をカナエさんの中に宿したのだ。新しい命を。母親以外の誰にも決して歓迎されぬ、実の父親でさえ迷惑な「命」を。
はっと我に返ったカナエさんを待ち受けていたのは、膨大に膨れ上がった借金の山だった。
元旦那さんは勿論、親も、友人も誰も助けてくれず、やくざのような借金取りを恐れ、臨月のお腹を抱えて光の園に身を隠した。
幸いお上人さんたちの理解は得られ、園内で女の子を出産、ミホちゃんと名付け、園の仕事をしながら育てていたが、そのミホちゃんが非行少女たちのいじめの餌食にされ、悔しかったろう。
自分を騙し、散々金を搾り取ったホストも、借金のかたに娘を中年男に売った親も、知らん顔を決め込んだ友達も、遂に愛せなかった元旦那さんも憎んだろう。
自分の苗字を呼ばれるたびにそのホストを思い出して嫌だったろう。
2億7000万もの借金が恐ろしくてたまらなかったろう。
京都府出身、姫井佳苗さん、美帆ちゃん、今は親子で朗らかに暮らしていますか?
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