27話
「ありがとう。」
「いえいえ、飲めなかったら言ってくれ、残りはもらう。」
あかねは一口、口をつけ、クッキーをかじる。
「おいしい。ちょっと苦いし、クッキーはちょっと湿気てるけど。」
9歳にしてコーヒーの味もわかるとは、なかなか。
「前の人が飲んでたのは、溶かして飲むやつだったけど、酸っぱくておいしくなかったし、ニオイも全然良くなかった。」
「ああ、インスタントはなぁ、あんまりおいしくないよね。」
言って気がつく。この子は、クッキーが「湿気たもの」で、インスタントは「ドリップより香りが落ちる」事を理解している。
つまり味の良し悪しが分かるのだ。
「食べるの、好きなの?」
「食べることが嫌いな人なんているの?」
「いるよ、よく見かける。」
うちの薬局には、拒食症の患者も来る。
それ以上に「自称」過食症のただの不摂生なデブも来るが。
「へぇ、そういう人は、何が楽しくて生きてるの?」
「それは、俺にも分からないなぁ。」
実際、彼らはきっと「生きているのは楽しくない」のだろう。
父親がおらず、母親が医薬品の依存症でも、彼らよりあかねのほうが、幸せなのかも知れない。
少なくとも俺に言わせれば、随分「人間的」だ。
「他には何が好き?」
「私いっぱい好きなものあるよ。図書室のニオイとか、美味しく出来た時の目玉焼きとか、コーヒーも今日、好きになったよ。」
言葉の端には、まるでこちらを試すように、遠慮がちに、努めて「ねだる」風に聞こえない工夫をしているような、そんな行儀の良さを感じる。
「あと、お母さん。」
あかねはとびきりの笑顔を見せて、確かにそう言った。
出来過ぎている。
本心なのかは、俺には分からなかったが、その笑顔を作るにあたって、9歳の少女がどんな努力と、打算を積み上げたのかは推し量れた。
この環境で、彼女が年齢相応の屈託の無さを失わずに生きてきたとは、俺には思えなかった。
ただ一つだけ言えることがある。
「あかねちゃんは、賢いね。」
「そうかな。」
皮肉が言える程度には、彼女は賢い。
「そうだといいけど。」
そういった時の彼女の笑顔は、いくらか本物の雰囲気があった。
「ねぇ、これからどうする?」
隣であぐらをかいていた俺の膝に手を置いて、あかねが身を寄せ、訊いてくる。
初恋の面影を持つ少女からは、コーヒーの匂いがした。
「なにか、したいことある?」
俺はなんとなく、近づいてくるあかねの顔から目を背けた。何か、見てはいけない、感じてはいけないものに触れたようだった。
「私、お買い物がしたいかなぁ。」
あかねが俺に体重を預ける割合が増える。
「何が欲しいの?」
反射的に抱き支えて、俺はなんとかそう続けた。
「うーんと、コーヒーに合うお菓子と、お洋服と、本とゲームが欲しい。」
そうきたか。
「うーん、ゲーム以外のどれか1つなら良いよ。どれにする?」
あかねを押しのけ、座り直して答える。
「いいの?」
途端にあかねは立ち上がって、顎先に人差し指をあてながら、くるくると器用にテーブルを避けてターンしながら「どれがいいかなl」と繰り返す。
踊るように喜びを表現する様は、年相応の女の子だ。
ここで「どれか1つ」と言って素直に従うあたり、本当に賢い子だと思う。
「じゃあ、本屋さんに連れてって。」
この無邪気な瞳に、かつて自分は恋をしたのだが、14年の時を経て、まさか全く同じものに再び出会うことになるとは。
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