26話

中にはあかねがいて、宿題らしい算数のドリルをやっていた。

「こんにちは、今日はチェーンしなかったんだね。」

「お母さんに言われたからね、もう仕方ないよ。」

あかねはこちらに目を向けずに言う。


やはり俺を警戒しているらしい。どこか諦めたような、それともこれから自分に降りかかる害を受け入れる覚悟を決めたかのような、小さな嘆息を、俺は確かに聞いた。

怯えているというよりは、嫌悪感を持っているようだが、それは恐らく、俺自身へというより、俺のような成人男性全体へ向けられたものだろう。

女児にもエディプスコンプレックスというもがあるのだろうか。

俺はあかねから、母親というものを奪う存在として認識されているのかも知れない。


独特の緊張感の中、隣に座るのがなんとなく申し訳ない気がして、台所で湯を沸かし、立ったままワンドリップのコーヒーを飲む。

前職の同期には、カフェイン摂取の手段としてしかコーヒーを飲めない男がいたが、そいつのお気に入りを教わってから、俺も同じものを愛飲している。

確かにコイツを味わうと、缶コーヒーやインスタントに戻れない。


「それ、おいしいの?」

こんどはあかねから話しかけてきた。

「うん、おいしいよ、苦いけど。」

「ふぅん、いい匂いだね。」

小学4年生にして、コーヒーの香りが分かるとは、素晴らしい。

「飲んでみる?」

「いい。苦いんでしょ?」

甘くして出してあげたいところだが、香りを気に入ったのなら、砂糖とミルクはきっと、あかねをがっかりさせてしまうだろう。

「そうか。」

俺はそれだけ言ってスマホいじりを再開した。

へぇ、女児のエディプスコンプレックスを、エレクトラコンプレックスと言うのか。

「やっぱり、飲んでみようかな。」

ドリルを片付けて手持ち無沙汰な様子のあかねが、こちらに向き直った。

「お、いいね。砂糖とミルクは?」

「いらない。」

「わかってるねぇ。」

ちょうど自分の分も飲み終わったので、2杯目を作る。

ワンドリップだとしても、ゆっくり湯を注ぎ、しっかりと香りをたてるのが、美味しいコーヒーを飲むコツだ。


濃く作った分、量は与えられないので、半分は自分で飲む。小児にカフェインはあまり良くない。

砂糖の代わりに、なにか甘いものをと、カバンをガサゴソとやると、運良くクッキーが1枚出てきた。いつのものかは分からないが、腐るものではないだろう。

差し出したついでに、俺はようやく、あかねの隣りに座った。


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