13話

「なぁ、全然眠れないんだけど。」

20代のお兄さんが俺に文句を言う。

「毎日何時に薬飲んでます?」

「決まってない。」

「いや、大体で良いんですけど?」

「知らねぇよ。」

「うーん、じゃあ、だいたい何時間くらい寝てます?」

「知らねぇけど、2〜3時間くらい?」

「じゃあ、朝は何時に起きますか?」

「知らねぇ、決まってねぇよ、何なのさっきから、それ関係あんの?」

「睡眠はリズムです、治療の第一歩は、寝る時間と起きる時間をきちんと決めることから始まります。」

「は?薬飲んで何時間か寝て、適当に起きたいんだけど?」

「ああ、薬飲んだ瞬間、スイッチ切れるみたいに寝て、その日によって違う時間にスッキリ起きたいってことですよね?」

「そうだよ、そういう薬無いの?」

「そんな都合のいい薬、この世にありません。」

「はは、使えねぇ。」

男は薬を引ったくるように俺から奪うと、足早に帰っていった。

次の受診は2週間後、結構きっちり来ているので、きっとまた来るだろう。


心療内科の門前に位置するこの薬局には、精神や神経に何かしらの問題を抱える人間が多くやってくる。

彼はまだ、マシな方だ。


この薬局に来る患者の2人に1人は会話が成立しない。

こちらが何を質問しても、不快そうにブスッと黙っているか、うつろな目で、何を言っても「はい、はい」としか言わないか。

毎回、幼少期から父親の暴力に絶え続けているという話を涙ながらにキッチリ1時間、同じ話を10分ずつ6回繰り返し話し続けてから、満足そうに「じゃあ説明はいらないからお薬ちょうだい。」と言って薬をむしり取って帰る人もいる。


会話が成立しない彼らの共通点は、もう一つ。

彼らは「今日はお薬だけでいいです。」と受付で言って、医師に合わずに処方箋をもらい、そのまま医院を出て、ここに入ってくる。


なぜ、道一つ挟んだ薬局の中にいる人が知ってるかって?「それ、先生に言いましたか?」「いや今日はお薬だけだったから」て会話、何回してると思ってるの。


当たり前だが、たとえどれだけ状態が安定し、毎回同じ内容だとしても、医師の診断なしに医院から処方せんを発行する行為は、医師法違反である。

よって、処方せんが発行されるためには、最低限医師と患者が面談するか、電話等で医師と会話をする必要がある。


しかし、これを違法と知ってか知らずか、この「無診察処方」を医院に求める「待てない」患者は一定数存在する。

数年前、ある新聞の投書欄に「病院に電話して看護師と話し、看護師から処方箋を受け取って帰る、所要時間は数分だが、この行為に療養費がかかっているのはおかしい。」というものを見かけたが、おかしいのは投書者の方だ。


それだけ、この行為の違法性が知られていないということだろう、応じないと暴言や暴力に走る者も、決して珍しくない。

いわんや、心療内科や精神科には、生まれついての知的障害や、心を病んだことで、「自制」出来ない、あるいは社会のルールが理解できない患者が多数やってくる。

「自分は変わりない、大丈夫」と自己判断する患者から「医師はエスパーのように、合うこともなくその人の状態を把握し、適切な治療を施せる、変更が必要なら自動で分かる」と思い込む患者まで、そのパターンは様々だが、いずれにせよそういう患者の治療経過はすこぶる悪く、長期で通院するハメになる。


しかし忙しい中、患者とのトラブルを避け、より優先度の高い患者にきちんと時間をとるためか、それとも「楽にさばけて、治りも悪く、ずっと通ってくれるので、儲かるから」か、あるいはその両方か、この「無診察処方」に手を染める医院は、残念ながら存在するのだ。

あくまで都市伝説だが、院内に医師が在中すらしていない医院もあるとか。(それだと新規の患者が来た時に対応できないため、それは流石にありえないが。)


また薬局でも、それと知りつつ、黙して粛々と処方せんを受け、患者に薬を渡しているところもある。

薬局もまた、処方せんを糧に経営されているからだ。


「なぁ、その薬、箱から出さないでそのままくれよ。」

この言葉を言う人間は2種類。潔癖症で人が触った薬をもらいたくないか、箱ごと「未開封品」として転売するつもりかだ。

「流石にそれは無理です。」

俺は表情で「転売目的なのはわかってますよ」という含みを持たせて言う。どちらにせよ違法行為だ。

「ちっ」

俺を新参者と見て、とりあえず言ってみたらしい。コイツも奪うように薬を持っていった。コイツは恐らく、最初から自分で薬は飲んでいないか、症状を強く言って、実際の内服量より多い薬を貰い、差分を転売している。



まったく、油断も隙もない。俺の地元は、こんなに治安が悪かったのか、と改めて思い知らされる。


税金を原資として、これらの行為は現在、全国のいたるところで平然と行われている。




患者も、医院も、薬局も、誰も文句を言わないし、第三者による立証も難しく、現行犯を取り締まる制度も存在しない。

正義など振りかざしたところで、医院は仕事を、薬局は処方せんの源を失って共倒れするだけなので、義憤があって失職を恐れない者の内部告発でもない限り、発覚することはない。


日本においての医療制度は「性善説」のもとに作られている。

弱者を救済する制度の影で、弱者のフリをするものがはびこり、そいつらを基盤に、制度を食い物にしている者もいる。

つまり、利するのは「悪意ある者」なのだ。

もう既に片棒を担いでいる自分は、なぜそうしないのか。


同僚が休憩に入って、調剤室が自分一人になったとき、ふと心が向いて、俺は向精神薬の棚の、鍵のついた引き出しを開けた。

色とりどりの睡眠薬に、抗不安薬。末端価格はいくらになるのだろう。

そんな想像をしたら、薄ら寒い感覚とともに、なぜかストレスが和らいだ気がして、俺は引き出しを閉じた。


俺がなぜ、バイト先にこの薬局を選んだかを察知するものは、今のところ誰もいない。

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