20. 煙


 お焼香しょうこうだけでも、と弓花が言うので、僕たちは小宮山さんのお葬式に行った。

 

 弓花は喪服もふくを持ってなかったので、急いで黒い服を見つくろった。サイズが合っていないブラウスは、ぶかっとした感じでバランスが悪かった。


 小宮山さんの葬儀は、埼玉の実家近くでやると言うことだった。喪主である息子さんから、弓花宛てに手紙が来ていた。


「初美さんの時は行けんかったから」


 杖をつきながら歩く弓花と、新宿駅まで行ってそこから埼京線に乗った。各駅停車で武蔵浦和の手前で降りた。秋の空は晴れていて、駅前にはもう落ち葉が散り始めていた。人通りはそんなに多くない。タクシーに乗って、葬儀場まで行った。


「一ヶ月くらい前に。小宮山さんと話したよ」


 歩き疲れてぼうっとする弓花に、この前のことを話した。弓花のことを「厄介な娘だった」と口にしてたことを言うと、彼女はむすっとした。


「自分だって。何も喋らんかったのに」


 弓花は呆れたように言った。


「本当に口が悪い。だからみんなと仲悪いんだよ」


「後、半分死んでるって言ってた」


「それも聞いた」


 苦笑いをして、弓花は車窓に目をやった。走り出したタクシーは背の低い住宅街を進んでいた。


「そしたら。お兄さんの話したでしょ」


「した。刺されて死んだって」


「私の時は撲殺」


「え?」


「言うたびに変わる。お兄さんの死因」


 窓から光が差し込んできた。弓花はまぶしそうに前髪を下ろした。


「ビルから飛び降りたり。病気だったり。ベトナムで坊主になって。焼身自殺したこともあった」


「何だ。嘘だったのか」


「全部はそうじゃないと思う。シベリアにいたのは本当だと思うよ」


 どうして分かるんだ、と聞くと弓花は「何となく。本当っぽいから」と返した。


「あとはどうでも良いんだよ。死ぬってことは。多分そう言うことだよ」


「そう言うことって。どう言うこと」


「死んだって言う結果だけ。後はどうでも良いんだ」


「そんなもんかな」


「そんなもんだよ」


 窓ガラスに映った自分を見ながら、弓花はブラウスのすそを直していた。


「初美さんが亡くなってからね。元気なかったんだ」


 左右のバランスが悪いのが落ち着かないらしい。どうにも直らなかったので、弓花は諦めたようにぶらんと腕を伸ばした。


「最期はずっと付きっきりだったから。なおさら」


「体力使うからな」


「違うよ。いないのが辛いんだよ。ずっと一緒にいたから」


 初美さんの車椅子を押している姿を、良く見たらしい。


「生きがいみたいのが。なくなったんだと思う」


 それは分かるかもしれない。僕が言うと、弓花はこっちを振り向いた。 


「分かる?」


「うん。もし弓花がいなくなったら。やっていける気がしないから」


 僕は夢のことを思い出していた。弓花がいなくなってしまう夢は、今でも定期的にやってくる。日が経つに連れて鮮明になっているような気もする。


 その度、最悪な気持ちになって目を覚ます。


 車は住宅街を抜けていた。


 通りを外れると、葬儀場が見えてきた。火葬場もあるらしく、巨大な煙突が見えた。喪服の人たちが集まっているのが目に入った。弓花の肩を支えて、タクシーを降りる。タイルの床に杖がぶつかってカタンと音を立てた。


「カーくんは」


「ん?」


「私が死んだら。どうする?」


 注意深く下を向きながら、彼女は囁いた。


 少し考えて、僕は口を開いた。


「一緒に死のうかな」


「やめてよ。そんなこと」


「そんなこと言うから」


「カーくんなら大丈夫だよ」


 大丈夫って何、と聞いても弓花は返さなかった。ただ悲しそうに彼女はうつむいていた。


 整然とした感じの白い外壁の葬儀場に入る。新しくて大きな建物だった。小宮山さんたち以外にも何人かの人たちが葬儀をしていた。黒い服はたくさんの影に見えた。


 喪主として挨拶をした小宮山さんの息子は、真面目そうな人だった。横にいるのは奥さんだろう。僕より少し年上の兄妹もいる。女の人の方は小さな子どもを連れていた。小宮山さんのひ孫だと思うと、不思議な気持ちがした。


 棺に入った小宮山さんは、最後に会った時からさらに痩せていた。土色の顔をして、ぽかりと口を開けていた。


「人って。死ぬとあんなに小さくなるんだね」


 帰りのタクシーで、弓花は言った。

 赤ちゃんみたいだった、と彼女はこぼした。久しぶりの遠出で弓花は疲れていた。葬儀が終わって帰る時、タクシーの座席に寄りかかりながら、うつらうつらとしていた。


「お母さんの時もこうだったのかな」


 遠ざかっていく火葬場の煙突を見ながら、弓花はぼんやりと口にした。


 弓花は母親の葬儀に出られていない。


 長い治療を受けている間に、弓花の母親は火葬場で灰になっていた。白い包みの骨壺の中に、自分の母親がいるとは弓花には到底信じることができなかった。


 お盆にも命日にも、お墓参りには一度も行ったことがない。その季節が来ると具合が悪くなって、弓花はずっとベッドで寝ている。


「人が死んでるところ。初めて見た」


 弓花は泣いたりすることもなく、ただ真っ直ぐ伸びる煙突を見つめていた。灰色の煙が、青い空に吸い込まれるように消えていっている。

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