17. 火事
休み明けに僕と顔を合わせた浅見さんは、気まずそうに目をそらした。流石にすっぽんのことを、皆の前で話題にする訳にはいかなかった。
比較的暇な月曜日で、メールを確認して休み前に残した仕事を片付けると、大体お昼くらいになっていた。
見ると社内に残っているのは、僕と浅見さんくらいだった。遠くの席に座る浅見さんは、マウスに手を置いたまま目を閉じている。
「生き血、どうでしたか」
声をかけると浅見さんは「おう」と肩を震わせた。うたた寝していたらしい。
「飲みませんでした?」
「飲んだよ。案外普通だった」
「天ぷらは食べました?」
「あれが一番うまかったな」
眠気覚ましにコーヒーでも飲むか、と浅見さんは僕を誘った。会社を出てすぐのところにセブンイレブンがある。そこのイートインコーナーで、レギュラーサイズのコーヒーを飲んだ。
「初めて食べたよ。すっぽん」
「どうでした」
「景気づけになればと思ってさ。めちゃくちゃ美味いってもんでもないな」
良い経験にはなった、と浅見さんはカップに口をつけた。
「全然うまくいかないから。すっぽんにでもすがりたくなる」
「効くと良いですね」
「そうじゃなきゃ困る」
「そういえば」
こう言う感じの「そういえば」は大概、本題だ。
「うちのが気にしてた。連れてた彼女って、何か怪我したのか」
悩んだように間を置くと、浅見さんは遠慮がちに聞いていた。
「あの怪我は火事で。火傷の跡です」
「小さい頃?」
「小学生の頃に」
弓花の家が火事にあったのは、小学校五年生の時だった。
火元は彼女の隣の部屋だった。何日か後のニュースで、コンセントから発火して近くの石油ストーブに燃え移ったことが分かった。母子家庭だった彼女の家で助かったのは、弓花だけだった。
「きついな」
浅見さんは大きく息を吐いた。
「ひどい火事だったのか」
「しばらくニュースでやってました。ちょうど入り口と窓が火で塞がれていて。彼女は意識もなかったんです。深い熱傷で、生きるか死ぬかの境目でした」
ニュースはまた別のニュースに入れ替わったけれど、僕たちの町では大きな騒ぎになった。小学校でも全校集会が開かれた。千羽鶴と寄せ書きをみんなで送ることになった。
六年生になっても、弓花が学校に戻ることはなかった。卒業式で彼女の名前が読み上げられると、しんとした沈黙が体育館をおおった。
「すごいな、って言ってたんだよ。うちのかみさん」
コーヒーを飲みながら、浅見さんはボソリと言った。
「お前たちが子ども作ろうとしてることとか話して。感心してた」
「そんな。そうですかね」
「大変だろ。普通に生活するのも」
「いえ」
弓花に聞いても、同じ言葉を返すと思う。
「普通って人それぞれじゃないですか」
朝と夜、彼女の包帯をまく。熱が出たら看病して、時には会社を休む。できるだけ火を使わない料理を作る。セックスの後に、焼き肉をたくさん食べる。
僕はそんな生活が嫌いじゃない。悪くはないと思う。ずっと続いてくれたら良いと思う。
浅見さんは「それもそうだな」とうなずいた。
「悪いな。いろいろ聞いて」
タバコ吸ってくるわ、と浅見さんはカップを持って立ち上がった。去り際に浅見さんは思い出したように言った。
「そういや。経理の原さんから、請求の金額違うってクレームあったぞ」
「うわ。すいません」
「頼むぞ。カーくん」
からかうように笑うと、浅見さんはコンビニの外の灰皿に歩いて行った。僕は一緒に買ったサンドウィッチをお昼ごはんにして、そのままそこで食べることにした。
柔らかめのパンの、ハムカツサンドウィッチを頬張りながら、僕は弓花に「お昼休憩です」とメッセージを送った。すぐに返信が返ってきた。弓花はとんこつ味のカップラーメンを食べていた。
食べ終わってコンビニの外に出た時、小さな男の子と女の子が母親に連れられて、すぐ側を通って行った。姉弟だろうか。仲
早歩きする小さな背中を見て、僕はふと昔の弓花を思い出していた。
丁寧に編み込んだ女の子の髪が、日に照らされて揺れている。懐かしい気持ちになる。昔の弓花もあんな風に、楽しそうな調子で歩く元気な女の子だった。
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