11. 小宮山さん


 年に何回か、弓花は都心にある大きな病院に精密検査に行く。


 子作りについて彼女の主治医と相談がしたかったので、僕は半休を取って診察に付き合うことにした。


 平日午後の病院のロビーは人でごった返していた。

 こんなにも多くの人が、何かの病気や怪我を抱えているんだと思うと、自分が健康でいることの方が不思議に思える。


 弓花は先に待合室で座っていた。図書館で借りてきた古びた文庫本のページに、じっと目を落としている。


「ごめん。遅くなって」


「ううん。順番まだだから」


 僕が声をかけると、弓花は本を閉じた。

 

「今日。混んでるみたい。すごい人」


「だなあ。さっき玄関のところで。車椅子のおじいさんがいてさ。ぶつかりそうになった」


 電動の車椅子に乗った老人と、危うく衝突しそうになった。乗っていたせた老人は、言葉もなくすーっと去っていってしまった。


「たぶん。小宮山こみやまさんでしょ」


「誰?」


「おじいさん。知り合い。たまに病院で会うの」


 ちょうどその時、モーター音と共にさっきの車椅子が走ってきていた。ボサボサの白髪が揺れているのが見える。


「あの人。おーい、小宮山さあん」


 弓花が手をあげると、小宮山さんと呼ばれた老人は顔をあげた。目にくまができていて、顔色も良くなかった。


「危ないよ。ゆっくり走って」


 チェックのポロシャツを着た小宮山さんは、スピードを緩めると僕たちの前でとまった。弓花がひらひらと手を振った。


「久しぶり」


「なんじゃ。その男」


「私の彼氏。カーくんって言うの」


「そうかい」


 カエルみたいにギョロリとした大きな目で、小宮山さんは僕のことをにらみつけてきた。いつもお世話になっています、と言っても表情は変わらなかった。不機嫌そうなしゃがれ声で、小宮山さんは言った。


「何じゃ、頼りない男じゃの」


「はあ」


「そんなことないよ。私の彼氏だもん」


 弓花が言うと、小宮山さんは「むう」とうなって僕から目をそらした。


「小宮山さん、調子はどう?」


 口をむにゃむにゃとさせると、小宮山さんはボソリと言った。


「どうもこうもならん。早く死にたいわ」


「また冗談。カラオケ大会どうだったの」


「ううむ、銀賞」


「銀賞? すごいじゃん」


「すごくもないわ」


 ふん、と小宮山さんは鼻息を吹いた。


「嬢ちゃんはどうした。病気か?」


「ううん。ただの定期検診」


「そうかい。気をつけた方がええ。医者は信用ならんからな」


「そんなことないよ。ここの先生優しいよ」


「信用ならんっ」


「小宮山さんだって、しっかり通ってるじゃんか」


「暇つぶしじゃ」


 つばまじりの声で吐き捨てると、小宮山さんは車椅子のレバーに手を置いた。


「しっかりせえよ」


 僕をにらみつけると、スピードをあげて小宮山さんは去っていった。また曲がり角でぶつかりそうになっている。それを看護師さんに注意されていた。


 そんな様子を見ながら、弓花はクスクスと笑っていた。


「困ったもんだね」


「いつもあんなん?」


「うん。最初からずっと」


 聞くとそれなりに長い付き合いらしい。 


「最初に会ったのはだいぶ前。初美はつみさん、って奥さんのお見舞いで来てたの」


「入院してるんだ」


「うん。してた。4年前に亡くなっちゃった」


 弓花の年の離れた友達、初美さんはがんだった。かなり長いこと治療を受けていたが、転移を繰り返して最期は病院で亡くなったそうだ。


「すごく優しい人だったよ。編み物教えてくれた。私、不器用だったから。全然できんくて」


 最後まで覚えられなかった、弓花は残念そうに言った。


「それで今度は。小宮山さんが病気になっちゃって」


「そうだったんだ」


「悪いことは続く。って言うけれど。本当、ひどいよね」


 でも今は元気そうだから良かった、と弓花は安心したように胸に手を置いた。


 話しながら待っていると、順番が来て、僕たちは診察室に入っていった。


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