9. 蜂蜜
テレビを点けると、台風が近づいてきていると言うニュースがやっていた。夏も終わりに近く、風がベランダのアルミサッシをカタカタと揺らしていた。
気圧の低い日は弓花の体調が悪くなる。
彼女はだるそうにベッドに寝転びながら、毛布をかぶって縮こまっていた。今日は僕も弓花も仕事が休みなので、そのままだらだらと昼近くまで過ごしていた。
「起きる?」
「まだねむい」
「もしかして痛む?」
「ちょっと」
弓花はこくんとうなずいた。
「包帯巻き直す?」
「うん」
薬箱から包帯とガーゼとワセリンを持ってくる。かぶっている毛布をはぎ取ると、弓花は「きゃあ」と楽しそうに声をあげた。
「さむい」
「今日そんなに寒くないよ。最高気温28度」
「じゃああったかい」
「はいはい」
弓花の包帯をくるくると巻き直す。弓花が体調を崩して寝込んでから、僕は彼女の身の回りのことをやるようになった。最初はだまになってバランスが悪かった包帯も、今ではきれいに巻けるようになった。
同棲のきっかけも風邪だった。
付き合ってしばらくは、僕が彼女の家に行き来していた。弓花がひどい風邪をひいて一晩付き合って以来、ちょくちょく泊まるようになった。
「おなかすいたなあ」
「ご飯どうしよう。ホットケーキの粉あったかなあ」
「あるよ。蜂蜜とバターも」
「わあ。完璧だねえ」
休みの日はホットケーキにすることが多い。弓花は朝ごはんをあまり食べたがらない。けれど、ホットケーキだけは特別で「作って欲しいなあ」とねだることが多い。
テーブルの上にホットプレートを置いて電源を入れる。しっかり温まってきたところで、生地を流していく。
待ちきれないと言った感じで、弓花はホットプレートの上に手をかざしていた。
「もうひっくり返す?」
「まだ。もうちょい」
「どのくらい?」
「3分くらい」
「全然まだまだだった」
残念だ、と弓花はソファに寝転んだ。「おなかすいたなあ」と脚をバタバタとしている。さっきまでぐったり寝ていたのに、もう随分元気そうだ。
3分経ってペタンと生地をひっくり返す。こんがりと良い感じに焼けている。そこからまた何分か待って皿に移す。
中を割ると、ほうっと湯気がのぼった。その合図で弓花が起き上がって、フォークを準備し始めた。
「できたよ」
「蜂蜜かける。蜂蜜担当」
弓花の手によって、ホットケーキに大量の蜂蜜が積み上がっていく。どろどろになったケーキを弓花はパクリと口に入れた。
「おいしい。おいしい」
「まだ焼けばあるよ」
「食べる」
「じゃあ一緒に焼こう」
ホットプレートに生地を流し込む。ケーキがこんがりと焼けていくのを、弓花は面白そうに見ていた。
ヘラを使って僕がホットケーキをひっくり返すと、彼女は「あはは」と声を上げて笑った。
「お布団みたいだねえ」
「布団?」
「パンパンって叩くところ」
確かにそう言われると布団みたいかもしれない。パンパンと干した布団を叩いた時みたいな音がする。
「ね。お布団」
「お布団ねえ」
弓花があんまり楽しそうに笑うので、調子に乗って叩き過ぎてしまった。すっかり焦げている。
「あーあ」
黒くなった表面を見て、弓花は残念そうに言った。
「真っ黒」
「ごめん」
「蜂蜜いっぱいかけよう」
チューブから出した蜂蜜でホットケーキをどろどろにしていく。ケーキの表面が綺麗に光っている。
「これでどうだろう」
「やめた方が良い気がする」
「大丈夫。大丈夫」
切り分けてすらいないケーキを、弓花はパクンと口入れた。蜂蜜で唇がベタベタだ。目を閉じながら腕を組んで、難しそうな顔をしていた。
「どう?」
「お」
「だめか」
「美味しい」
満足げに彼女は笑った。
「苦くて甘い」
「焦げたところ。あんまり身体に良くないんだけど」
「気にしない」
お腹を空かせた虎みたいに、弓花はぺろりとホットケーキを平らげてしまった。
「私。カーくんが作るホットケーキ。好き」
「市販の粉だよ」
「違うよ。焼きたて。あんまり食べたことなかったから。コンビニで売ってるやつと違う」
「あれは別物。ホットケーキ味の菓子パン」
「そうだよね。やっぱり」
食器を片付け終わったら、もう夕方近くになっていた。どこかに行くにも、天気が悪くて面倒くさい。弓花も同じようだった。クッションを抱いて、ソファに横になっている。
「お腹いっぱい。眠くなってきた」
「調子はどう?」
「まあまあ。さっきよりは良いよ」
「良かった」
「カーくんもおいで。一緒に寝よう」
弓花が手を伸ばしている。その上から彼女に覆いかぶさる。きょとんとする彼女に僕はキスをした。唇の表面は少しベトリとしていた。
「唇が甘い」
「それ。蜂蜜」
ふふと弓花は笑った。
そのまま僕は彼女の肌に手をやった。ショートパンツの下に手を入れると、彼女は「あ」とかすかに喘ぎ始めた。身体が熱くなっていく。
抱きしめて、と弓花が息を吐きながらささやいた。僕は彼女を抱きしめて、自分の方に引き寄せた。
「今日は子作りの日だね」
僕はその言葉の通りにする。
湿気が多い。汗とか、僕たちから出る色んなもので、ソファが蜂蜜みたいにべっとりと濡れていく。
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