5. 包帯
僕が仕事から帰ってくると、弓花は自分の脚に包帯を巻いているところだった。
「カーくん、お帰り」
ソファに座りながら弓花は、黒の下着姿でワセリンを塗っていた。むき出しになった腕の部分には、顔と同じ赤黒い
皮膚移植の術後があまり良くなくて、いまだに
そこを彼女はほとんど無意識に、爪でガリガリと引っ
脚の包帯を巻き終わると、弓花は紙袋を指差した。
「ご飯買っといたよ。無印のカレー」
「お。良いねえ。何味?」
「バターチキンと、3種の唐辛子。どっちにする?」
「じゃあ。バターチキン」
レンジで温めるだけのレトルト。火を使わなくて良いし、種類もたくさんあるので、週に何回か無印のカレーを食べる。
100均で買ったつやつやとした白い皿で、僕たちはカレーを食べた。スプーンで口にご飯を運びながら、弓花は言った。
「今日ねえ。お昼寝してて。
「へえ。どんな夢?」
「すごく小さな船に乗ってるの。私とカーくん。そしたら海から」
彼女はバッと手を広げた。
「大きな鯨が出てくるの。写真で見たみたいな」
「すごいな」
「それからブワアって波が来て。船がグワングワンって揺れるの」
「なに。転覆しちゃうとか」
「それは分からん。そこで目が覚めたから。アラームで起きた」
残念そうに弓花は言った。
コンセントからパソコンの充電器が伸びていた。
弓花は在宅で事務の仕事をしている。文字に弱い反面、数字はそこそこ理解できる。NPOの支援団体に紹介してもらって、障害者雇用の枠で雇われている。その収入で、弓花は生きていくお金を稼いでいる。
カレーを食べ終わり、シャワーを浴びてリビングに戻ると、弓花は左腕の包帯を巻くのに苦労している様子だった。
「巻くよ。貸して」
彼女の細い腕に包帯を巻いていく。「ありがとう」と小さな声で言って、弓花は腕をピンと伸ばした。
白い彼女の腕。
赤黒い斑点。皮膚移植の跡。
弓花の傷は見た目よりもずっと深い。特にひどいのが関節あたりで、動かすだけで痛むことがある。そこを刺激しないように薬を塗って、包帯できつく縛る。
弓花の生活は痛みと共にある。
彼女がその痛みを表情に出すことは、あまり無い。
「痛みは相対的なものだから」
弓花にしては難しい言葉を使って表現する。
「あっちの痛みを治す。そうすると、違うところが痛くなる。痛みを治すと。違うところが痛くなるの。私の身体は、その繰り返し」
いつだったかそんなことを言った弓花は、ぼうっとした様子で自分の身体を見つめていた。
「でもね。気がつくの。本当はずっと痛かったんだ。他のところが痛過ぎて。痛みに気がつかなかっただけなんよ」
痛みというのは、僕たちの中で最も共有できないものの一つだ。彼女がどんな風に苦しんでいるか、苦しんできたか。聞きこそすれ、それを本当に知ることはできない。
弓花は声を上げて笑うことが多い。
もともと明るい性格だ。小学生の頃は、たまに一緒に遊んだ。楽し気な笑い声を聞くと、校庭でぐるぐると飽きずに鉄棒を回っていた頃の彼女を思い出す。
「上手。上手」
僕が包帯を巻き終わると、弓花は嬉しそうに拍手をした。
「カーくん、包帯巻くの。上手になった」
「これだけやってれば。そりゃあね」
「私は全然なのに」
「片手で巻くの大変だろ。これくらいやるよ」
「そうだね。いつもありがとう」
弓花は甘えたように僕の胸にもたれかかってきた。長い髪が顔にかかる。シャンプーの匂いがする。腕がギュッと僕を抱きしめる。
ひょいとその身体を担ぎ上げる。弓花は驚いたような声をあげた。
「わ、わ」
「ベッドまで運ぼうか」
「たかーい。こわーい」
はしゃぎながら、弓花は脚をバタバタさせた。「暴れると危ないよ」というと、弓花は大人しくなった。寝室のベッドまで抱っこして、その身体をおろす。
ベッドに着地すると弓花はニッコリと笑った。
「ああ。面白かった」
「大げさだなあ」
「ね。もう一回やって」
「もちろん」
今度は持ち上げてクルクルと回ってみせる。「わあ。わあ」と彼女は楽しそうに声をあげた。
弓花の身体は軽い。
羽根のように、と言う言葉が
「ちょっとタンマ。腰が」
「もう限界? だらしないなあ」
「運動不足だからかな」
弓花の隣に腰を下ろして、ゴロリと寝転ぶ。
思えば、高校時代にあんなに精を出していたテニスもすっかりやらなくなってしまった。地味に体力の衰えを感じる。意識的に運動した方が良いのかもしれない。
ふと、横を向くと弓花と目があった。呼吸で胸のところが上下している。
それから、何となく示し合わせたように僕たちはキスをする。
おでこをぶつけあったり、鼻をこすり合わせたり。そう言う風にして触れると、彼女はクスクスと笑う。最後はちゃんと唇にキスをする。
離れて行こうとすると、弓花は僕の服の
「ん?」
「あの」
うつむきながら、弓花は言った。
「今日は、する?」
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