5章 戦火への凪 10

 そんな二人の様子をマルドハルドが苦虫を噛み潰したような顔で睨んでいると、唐突に扉の外が騒がしくなる。


『お待ち下さい!マルドハルド様は只今お取り込み中でございます』

『えぇい煩い!一刻も早くマルドハルド様にお伝えせねばならんことがあるのだ!』


 ドッ、と何かが倒れる音がすると、すぐにバン、と勢いよく扉が開かれた。

 その先に立っていたのは、ダッカスの防衛隊長その人だった。


「マルドハルド様にお伝えすることがござい……」


 勢いよく入室したのは良いが、女性に抱きつく女性に、苦々しい表情でソレを睨むマルドハルドという状況に最後まで言い切る事ができず、ヒクリと頬を引き攣らせ開け放った扉のノブへと手を伸ばそうとするが、それを止めたのはマルドハルドだ。


「なにか報告があるのだろう?」


 マルドハルドとしてもいい機会だったのだろう。苦々しい表情も多少緩和したように見えた。

 長椅子で抱きつく女性二人へとチラリと視線を向けると、防衛隊長はそそくさとその脇を通り抜け、マルドハルドの耳元へと何やら小さくささやく。

 と、その言を聞いたマルドハルドの目が大きく見開き


「ダッカスにカルザストだと!?」


 そう、大きく口に出してしまう。自らの所業にしまった、と慌てて口を噤んだところで既に発してしまった言は取り消せない。

 マルドハルドの言葉に真っ先に、そして最も大きく反応したのはクラリッサを抱きしめていたアンネローゼだった。


「カル……ザスト……ですって……?」


 抱きしめていたクラリッサを開放すると、フラフラとした足取りで防衛隊長の元へと歩みより、女性とは思えない膂力でその肩を強く掴む。


「詳しく教えなさい」

「しっ、しかし……がぁっ」

「教えなさい!!!」


 ミシッと音がしたのは恐らく勘違いではないだろう。指先が食い込む程に強く掴まれた防衛隊長が苦悶の声を上げるが、そのような事はお構い無しに更に力を入れるアンネローゼ。

 その姿にハッとしたように慌ててクラリッサが間に入った。


「ま、待てアンネローゼ!その様にしては報告するものもできない」


 クラリッサが間に入ったことで漸く我に返ったのか、漸く肩を掴んでいた右手を離す。

 掴まれていた防衛隊長がよろける様に1歩2歩と下がると、その左腕はぶらんと垂れ下がる。

 折れてはいないだろうが、ヒビの一つは入ったのかもしれない。

 苦痛に顔を歪ませながらチラリとマルドハルドへと視線を向けると、彼もやはり渋面を浮かべながら小さく頷いて見せた。


「ダ、ダッカスにて…カルザストと思われる人物を発見…しました。現在は部下に街

を…捜索させている最中です」


 時々言葉が詰まるのは激痛を堪えているからだろうか。苦痛の奥に見えるのはアンネローゼに対する恐怖といったところか。アンネローゼを直視できず、やや俯き加減での報告だった。


「人違いでは……ありませんの?」

「金色の大剣…あれは間違いなく…カルザストの物だと…判断しました」

「金色……フフ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 防衛隊長からの報告に唐突に笑い声を上げるアンネローゼ。


「あぁ…あぁ……!!生きていた、生きていたのね!アハ、アハハハハハハ!!」


 クルクルと踊るように両手を広げ回りだすと、今度は込み上げる感情を押さえつけるかのように自らの体を抱き、そしてそれが抑えきれなかったのかブルリと小さく体を震わせる。

 そのともすれば発狂してしまったかのような行動に、防衛隊長は元より、マルドハルドも、クラリッサさえも恐怖を感じざるを得なかった。

 ゴクリ、と誰かがツバを飲む音が響く。


「あぁ、待っていて、わたくしの愛しい人、わたくしのカルザスト。今、愛しに行ってあげる。フフ、アハハハハハハ!!」


 再び大きく両手を広げながら、防衛隊長の開け放った扉へと歩みだすアンネローゼを、室内に残った誰一人として止めることはできなかった。

 暫くして扉の外から、ヒッ、という小さな悲鳴とともに、ペタリと何者かが床に座り込むような音が聞こえると、アンネローゼの笑い声もゆっくりと小さくなっていった。

 アンネローゼの声が聞こえなくなると、漸く部屋に漂っていた張り詰めた空気が霧散したようで、誰かからとは言わず、小さく安堵のため息が3つ響く。


「話には聞いていたが……あれほどとは……」


 そう呟くのはクラリッサだ。

 アンネローゼとは、祖国が併合され元王族として一軍を任された頃からの付き合いだ。もう10年近くにもなるか。

 その頃から既に男女問わずに気に入った者への執着心は異常だと思っていたが、あれ程の、狂気とも呼べる程の執着心は見たことがなかった。

 風のうわさで一度対峙した敵将に大層ご執心だとは聞いていたが、それはクラリッサの予想を遥かに超えるものだった。

 クラリッサに向けられていたアンネローゼ曰くの愛は、まさに狂気の一端でしかなかったということなのだろう。

 大きく息を吐いた後、アンネローゼの去っていった入り口から部屋の奥、マルドハルドへと視線を向けると、マルドハルドはイライラした様子で机をトントンと指でたたきながら何やらブツブツとつぶやいていた。


「まずい…まずいぞ…このままでは私の手柄が…私の地位が…」

「マルドハルド卿?」

「そ、そうだ、貴様が居るではないか!」

「マルドハルド卿、一体何を」

「良いか!これから私自らがアラスタの全戦力を率いてダッカスに潜伏するカルザストの捕獲に向かう。貴様はその間のアラスタを統治するのだ!」

「捕縛それ自体は良いですが、何もマルドハルド卿が向かうまでもないのでは?それにアラスタの全戦力とは、流石に過剰すぎるのではないですか」

「馬鹿を言うな!相手はあのカルザストだ!それにだ、私が出なければ手柄が……いや、アンネローゼ殿を止められないではないか」

「…………」


 マルドハルドの思惑は簡単に想像出来る。

 カルザスト捕縛の功績を以てアラスタ統治の失点を取り返そうとしているのだろう。

 更には、あわよくばそのままダッカスに軍を駐留させ、実質的に自らの直轄地とする腹積もりもあるとみえる。

 本来であれば止めるべきだ、と思う。

 が、あの様子のアンネローゼがどのような事を仕出かすのか未知数なのも事実だ。

 可能であればクラリッサが軍を率いカルザストの捕縛、及びアンネローゼの制止役となるのが良いのだろうが、クラリッサの軍は遠く旧王都ルインにある。呼び寄せている時間はない。

 それにダッカスはマルドハルドの管轄地でもある。そこに手をだすとなれば少なからず面倒なことになるのは予想が出来る。

 マルドハルドの傲慢な物言いには一言二言言いたいところはあるが、ここはマルドハルドに任せるしか無いか。

 となると、暫く自らの居城へは帰れない事になるが、幸いな事に部下には恵まれている。クラリッサのいない間程度の政務であれば問題なくこなしてくれるはず。

 そこまでを整理すると、焦りのあまりか落ち着かない様子で視線を泳がせるマルドハルドへと告げる。


「わかりました。貴殿が出征している間の統治、引き受けましょう。ただし、どの様になっていても文句は言わせません」

「えぇい、細かい事はどうでも良い!すぐに準備するぞ!」

「は、はっ!」


 そう一方的に告げると、未だ左肩が痛むのか左腕をぶら下げたままの防衛隊長を引き連れ、早々に部屋を去っていくマルドハルド。


「やれやれ…厄介な事になった…」


 先程の喧騒や何処、ガランとした部屋の中でそう独り言ちてクラリッサも部屋をあとにする。

 ふと、あの赤髪の侍女が見当たらない事に気づくが、部下への手紙の内容を考えるうちにその事もすっかりと意識の外へと消えていった。

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