5章 戦火への凪 09


「こちらへ呼ぶとは珍しいですね」


 クラリッサが開口一番にそう告げると、大きな机の向こうで立派な椅子に腰掛ける小太りの男、マルドハルドが露骨に嫌そうな顔でクラリッサをねめつける。

 執務室は先程の応接間に比べるといささか質素な印象を受ける。

 綺羅びやかな装飾品は一切なく、唯一金がかかっていそうなのはマルドハルドが座る椅子くらいではないか。

 普段の来客には応接間を使用しているのはこの部屋を見られたくないからなのだろう。

 自己顕示欲が強く見栄を貼りたがるくせに、強欲で守銭奴な彼らしいとも言える。


「どうしてもあの部屋は嫌だと申されるのでな」


 そういって不機嫌な顔を隠さずに、視線を来客用のさほど質の良くないと見える長椅子へと向けると、それに釣られる様にクラリッサも視線を向け、そして今度はクラリッサが引きつった顔を浮かべるた。


「御機嫌ようクラリッサ。会いたかったわ。あぁ、やっぱり美しい……」


 そう言った女性がスッと音もなく椅子から立ち上がると、腰まで伸びる薄い金色の髪をふわりとなびかせながらクラリッサの目の前へと歩みより、うっとりとした表情でクラリッサの頬を撫でた。


「こっちは会いたくなかったよ、アンネローゼ」

「うふふ、相変わらずつれないわね。でもそんなところが……」


 アンネローゼと呼ばれた女性が言葉半ばにゆっくりとクラリッサへと顔を近づけると、慌てた様に彼女の胸を押し出し、自らも後ずさりする。


「やめないか」

「あら、残念」


 クスクスと笑いながらクラリッサの頬を撫でた自らの手へと舌を伸ばす。

 其の仕草にあからさまに顔を顰めたクラリッサにぶるりと小さく体を震わせるアンネローゼ。


「あぁ、良いわ……その瞳、まるで汚物を苗床にした糞虫を見るよう、あぁ、その瞳だけで達してしまいそう」

「っ!」


 常軌を逸した、と言われてもおかしくないアンネローゼを直視していられず、思わず椅子に腰掛ける男へと視線を向けた。


「マルドハルド卿」


 その視線を受けて、こちらも苦虫を噛みつぶしたような顔を隠す素振りも見せずに視線のみをそらし


「アンネローゼ殿の要望であるのでな」


 そうぶっきらぼうに応える。

 その答えが帰ってくるだろう、とは予想していたが、クラリッサの言いたいことはそこではない。

 そもそも、今日クラリッサが来ている事をアンネローゼは預かり知らぬところであったはず。

 それをアンネローゼが呼ぶということは、マルドハルドが伝えたということ。

 間違いなく、アンネローゼの扱いに困ったが故にクラリッサに丸投げするつもりだろう。

 戦においても、治世においても無能と囁かれるというのに、こうした厄介事を押し付ける事だけは相変わらず上手い。

 いや、だからこそ形だけとはいえ師団長などという地位に居るのかもしれない。


「とにかく、座れ、アンネローゼ。貴女にもお役目があるのでしょう」

「あら、そんなものクラリッサと愛し合う事に比べればゴミのようなものです」

「例え貴女にはなくとも、私にはあるのだ」


 再びクラリッサへと伸ばそうとしたアンネローゼの手をスルリとかわし、強引に席につく。

 まさに袖に振られた形となったアンネローゼがふぅ、と小さくため息を付き、渋々と言った様子でアンネローゼの隣へと腰を下ろそうとして、


「アンネローゼ」


 そう、クラリッサから咎められると、大きく肩を落として向かいの席へと腰を下ろした。


「んん!えー、では定期確認を始める」


 クラリッサ、アンネローゼの両名が席についた事を確認すると、これまで二人の事には我関せずを貫いていたマルドハルドが咳払いを枕詞に本題を告げる。

 漸くか、と言ったように小さなため息を付きながら、クラリッサが続ける。


「第一師団は大きな問題は無い。が、マギナギアの補充がやや遅れ気味になっている。ダッカスの管轄はマルドハルド卿だったはずだが、どうなっている」

「あそこは自治を認められているのでな、直轄地では無い故、私には分からぬ」


 腕を組み踏ん反り返りながらぶっきらぼうにそう応えると、ことさら大きなため息が部屋に響く。


「何のために第二師団をアラスタに設置していると思っているのだ。ダッカスの管轄及びマギナギアの補充、そしてアラスタの統治と租税の徴収。陛下が貴殿に与えられた役目だろうに」

「フン、可能な限りの事はしておるわ」

「しかし、マギナギアの補充は遅れ、アラスタからの徴税額は減るばかりではないか」


 クラリッサが本日の確認会で絶対に確認せねばならないと思っていたことがこれだ。

 マギナギアの納入遅れに関してはそこまで大きな影響は無いが、アラスタからの徴税額が目に見えて減ってきている。

 アラスタにおける祖は肥沃な大地の恩恵を受け、二期作が可能年ため年二回。主に麦だ。

 一方の貨幣による税は年一回の人頭税等、諸々の税が存在するが、アラスタにおける最も比重の大きな税は通行税だった。

 交易都市であるアラスタでは毎日何百という人が出入りしていたため、その規模は大きく、アラスタ、ひいてはルイン王国の財政を支えていたと言っても過言ではない。

 が、その通行税の徴税額が格段に減ってきている。

 原因は、一目瞭然だ。


「聞けば半年も前から街道に賊共が蔓延っているというではないか。街道の安全が確保出来なくば通行税は元より、市場税、売上税など商売に関する税が軒並み減るのも道理。賊程度を半年も駆除出来ないのは明らかな貴殿の怠慢だろう」


 態度だけは大きなマルドハルドに呆れたようにため息混じりでそう告げると、当のマルドハルドはある意味で彼女の予想通りの、そしてある意味で彼女の予想に反する反応を取った。


「貴様はこのワシが無能だとでも言いたいのか!?それはつまりこの任をお与えになられた陛下が節穴であったと言うことと同義であるぞ!」


 バン、と強く机を叩くと、がなりたてるように一息にそう言い放つ。


「なっ」


 予想外の言葉にクラリッサが反論に詰まると、ここぞとばかりにまくし立てるマルドハルド。


「おぉそうかそうか、貴様は陛下が無能であったと、そう言いたいのか」

「誰がそのような事を言っているか!」


 漸く我に返ると慌ててマルドハルドの言葉を否定するが、マルドハルドはクラリッサの言葉がまるで聞こえていないかのように、大げさに手を広げ首を細かく左右に振って見せている。


「あぁなんと嘆かわしい。いくら元王族とはいえ他国の者を第一師団長にまで取り立てられた陛下の温情に対し、このような不忠でしか返せぬなど、やはり下賤な国の者など信用できませんな」

「我が祖国を侮辱するか」


 べらべらと好き勝手に言い放つマルドハルドの言に、スッと目を細め腰の剣へと手を伸ばすクラリッサ。その行動にやれるものならやってみろと言わんばかりに両手を広げたままクラリッサへと歩みよるマルドハルド。その顔には分かりやすい程に侮蔑の情がにじみ出ていた。


「フン、元王族の貴様がその様に野蛮な振る舞いしか出来ぬのだ、やはり下賤な国ということ。事実を言ったまでだ。それの何が悪――」

「それ以上、その臭い息でわたくしのクラリッサを汚すのをやめて頂けますか?」


 マルドハルドの暴言にもはや我慢できぬとクラリッサが腰の剣を引き抜き掛けた時、クラリッサは元より、マルドハルドですらいつそうなったのか分からなかった。

 そこにあるのは、アンネローゼの抜き放った剣がマルドハルドの喉元にピッタリと突きつけられていたという事実だけだ。


「ま、待て―」

「口を閉じなさい、豚。それとも、二度と口を開けぬようにしましょうか?」


 突然の状況に混乱しつつマルドハルドが半歩後ろに下がると、それに合わせるようにして半歩とほんの僅かばかり押し出された長剣が、彼の喉元に赤い雫を作り出す。


「っ……」


 仮にも軍の幹部であるマルドハルドを害したとあらば、例え師団長であってもただでは済まない。故に、クラリッサに対しては強気に出ていたマルドハルドだが、アンネローゼに対しては真っ青な顔のまま慌てて息を止めるしかなかった。

 彼女はやると思えば本当にやるのだと、喉元から伝わるチクリとした痛みがそれを確信させたのだから。


「それにその件、陛下も大変お気になされておりますわ。わたくしがここに居る意味、良くお考えなさい」


 そう告げると、ゆっくりと剣を鞘に収めるアンネローゼ。

 マルドハルドは止めていた息を大きく吐き出すと、よろよろとした足取りで元の席へと戻る。

 一方でクラリッサはというと、目の前で何が起きていたのか認識できていたものの、頭が理解するまでにしばしの時間がかかったようだ。

 ポカンと小さく口を開けたまま固まっていたが、ゆっくりとした歩みで彼女へと歩み寄るアンネローゼの姿を視界に留めて漸く意識が戻ってくる。


「あぁ…可愛そうなクラリッサ。大丈夫、わたくしは貴女を愛していますわ」


 ギュッとアンネローゼに抱きしめられ、豊かな胸に顔が埋もれると少々苦しそうな声を上げるが、それだけだ。

 普段であれば毅然とした態度で押し返すのであろうが、アンネローゼの行動は彼女の尊厳を守るためのものだった、という理解はしている。

 故に、今回ばかりは好きにさせようと、そんな心持だったのかもしれない。

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