5章 戦火への凪 08


 木製の窓をわずかに開けると、大通りの様子がよく見える。

 ウルスキアの騎士鎧を身にまとう金髪の女性がアラスタの大通りを見てため息を漏らした。

 こうして定期確認に赴くたびに通りの活気が無くなっていくのが手にとるように分かる。

 地理的にも重要な交易地点であり、これだけの大きな街だ。本来は今よりも遥かに活発な交易がされていた事だろう。

 戦後間もないとはいえ、直接戦火に包まれていないこの街がここまで活力を失っているのは、間違いなくあの男の所為なのだろう。

 ふと、喧騒を耳にし通りの先を見れば、ウルスキアの兵装を身にまとう衛兵が堂々と道の真ん中を歩いているのが目に入った。

 我が同胞ながら、大きなため息をつかざるを得ないその所業に、そっと窓を閉じる。


 ため息交じりに振り向けば視界に入るのは悪趣味な調度品の数々。

 さほど大きくは無いアラスタの領主館の応接間。そこにこれでもかと言わんばかりに所狭しと飾られたそれらを一つ一つ見れば、調度品には疎い彼女でも分かる程には上等なものなのだろう。

 だが、ここまで飾りたててしまえばそれらの魅力は大きく損なわれ、ごちゃごちゃとした印象しか与えない。

 センスの良い者であれば上手く調和の取れた装飾をするのだろうが、少なくともこの場はそのような調和など皆無なのだろう。

 彼女の率直な感想としては、権力を誇示したいだけの見栄の塊。


 全く持って悪趣味だ。


 まぁそれも、あの男らしいといえばらしいのかもしれないが。

 無駄に装飾の派手な椅子に腰掛けようと目線を動かせば、まるで彼女の思考を読んでいるかの様に椅子が引かれる。当初は驚いたものだが、それも慣れたものだ。

 引かれた椅子にそのまま腰かけると、すぐさまスッと紅茶が差し出された。

 ふわりと立ち上る香りに口をつけると、熱すぎず、しかし冷めているわけでもない絶妙な温かさに、決して作り置きというわけではないことが分かる。

 チラリと視線を横にずらすとそこには、訪れる冬の寒さに抗うかの様に赤く染まるメープルの如く、鮮やかな赤髪をした侍女が控えていた。

 確か、半年と少し前くらいから見かけるようになった侍女だったか。

 この領主館に来るたび、毎度毎度うんざりするのだが、この侍女だけは例外だ。

 あの男の侍女にしておくには実に惜しい存在。

 可能であれば彼女の居城でもある旧王都ルインへと連れて帰りたいと、この紅茶を口にするたびに彼女は思っていた。


「うん、今日もいい香りだ。やはり良い腕をしている」

「勿体ないお言葉でございます」


 恭しく頭を下げる侍女に、馬車馬にミスリルを与えるとはまさにこの事だなという思いが募る。

 王都でも中々出会うことが出来ない豊かな紅茶の香りを楽しんでいると、ふと、扉の向こうがバタバタと騒がしい事に気づく。

 憂鬱なアラスタ視察での唯一の楽しみである紅茶の時間くらいはゆっくりとしたい物だと思いつつ、傍に控える侍女へと問いかけざるを得ない。


「なにかあったのか?」

「紫師団長がお越しになられる予定ですので、そのためかと」

「紫……アンネローゼか……」


 その名をつぶやくに、詮無しか、と納得すると同時にため息が出る。

 赤、青、黄、緑、そして紫の五色を冠するウルスキア皇帝直轄の独立師団、通称【五色師団】。

 それぞれの師団長が一癖も二癖もある人物なのだが、アンネローゼということは館の執事や彼女の好みそうな侍女などは館から遠ざけられているのだろう。

 ふと、この侍女は大丈夫なのだろうか、という疑問が浮かぶ。

 自らも女性としては比較的大柄な方だと思っているが、それに並ぶ程のスラリと伸びた背丈に整った顔立ち。何よりその美しい赤髪はすれ違う者を振り向かせる魅力がある。

 アンネローゼが目に止めないはずもないのだが、と。

 そのようなことを考えいると、徐に侍女が口を開く。


「アンネローゼ様はこの応接間を大変お嫌いになられております」


 その言葉に、思わず吹き出しそうになった。

 なるほど、私にこの部屋から出ないでくれと、そういうことか。

 一瞬自分がアンネローゼから逃げる口実に使われたのかと思いかけるが、よくよく考えればこの侍女の応対を受けられるのであればそれはむしろ良い事なのだし、何より自分としてもアンネローゼと顔を合わせるのは出来る限り避けたいところだったのだ。

 互いに損が無いのであればそうしない理由はない。中々に強かな侍女だと感心する。

 改めてこの侍女が欲しいと、そう思いカップを手に取るが、気づけば既にカップは空になっていた。

 紅茶の代わりをと、そう口に出そうとして、やめる。

 そう、既に侍女が代わりの紅茶が注がれたカップを手にしているのだから。

 至れり尽くせりとはまさにこの事だろう。

 むしろ、尽くされ過ぎて自分では何も出来なくなってしまうのではないかと不安になるほどだ。

 そんな思いを懐きつつ再びカップへと口を着けようとした時、扉の外からの声が平穏たるこの時をぶち壊してくれだ。


「クラリッサ様はこちらですか!」


 慌てた様子で扉を開けるのは初老の男性。確か執事長を務めている人物だったか。

 その声に、視線を向ける事もなく紅茶を一口、口に含んでから呆れ声で返す。


「執事長を務めるのであれば、もう少し落ち着きを持ちなさい」


 クラリッサと呼ばれたこの女性の言に返す言葉もないのか、この初老の執事長はただただ深々と頭を下げるのみだ。


「大変申し訳ございませんクラリッサ様。我が主、マルドハルド様が至急お越しいただきたいとの事でして」

「ここで待つよう言っていたのはマルドハルド卿ですよ」

「大変申し訳ございません」


 ただでさえ気が滅入るアラスタ訪問においての唯一と言っても良い楽しみな時間を台無しにされれば皮肉の一つも言いたくなる。

 が、只々頭を下げるこの執事長には何の非も無いのだ。

 これ以上言っても詮無いこと。

 小さなため息と共に立ち上がり応接間から出ようと歩を進めると、彼女の後ろにあの侍女が付いてくる事に気づく。


「貴女はここまでで良いですよ」


 そう言うと、侍女はわずかに頭を下げた姿勢のまま


「本日はクラリッサ様のお世話をするよう仰せつかっておりますので」


 と、そう応える。


「……そう、ならば言うことはないわ」


 この応接間からは出たくないだろうと、そう思っていた故の気遣いのつもりだったが、それでも自分の世話をするのだと言われれば悪い気分はしない。

 勿論、侍女としての矜持……とでもいうのか、命ぜられた事には忠実に、というのもあるのだろうが、マルドハルド卿にそこまでさせる信頼はあるまい。

 応接間を出て領主の部屋を目指して廊下を歩く。

 既になんども訪れたこの館、慣れたものだ。

 ルイン方面軍第一師団の師団長であるクラリッサと第二師団長であるマルドハルドは定期的にお互いの領地へと赴き、確認会を開催することになっている。

 名目上はお互いの状況の確認となっているが、その実はクラリッサによる定期的な視察だ。

 互いに師団長という立場ではあるものの、その勢力は大きく異る。

 ルイン方面軍第一師団は旧王都ルインを居城とし、ルイン国土の中央を流れるミッド川の北部全てを統括する立場にある。

 一方の第二師団はといえば、名目上こそ師団となっているが所持する戦力も第一師団とは雲泥の差であり、なおかつ直轄地はこのアラスタ周辺のみだ。

 第二師団は師団とは言いつつも、実質的にはアラスタ周辺を統治するためだけの組織といっても過言ではない。

 しかしながら、名目上とはいえクラリッサとマルドハルドは同じ師団長という立場にある。

 それがクラリッサの悩みのタネとなっているのだが、そのようなことを考えていると領主の執務室へとつながる大きな扉の前へとたどり着く。

 扉の前で控える侍女へと声をかけると、恭しく頭を下げ、大きな扉へと控えめにノックする。


「クラリッサ様がお越しになられました」

「入れ」


 いつものような横柄な返答に小さくため息を付きながら、後ろに控える赤髪の侍女へと視線を向けるが、彼女は目を閉じたまま、何も言わない。

 それを見、僅かな嬉しさを抱えたまま、侍女の開ける扉へ彼女と共に足を踏み入れた。

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